HARVEST RAIN

first part







「あ〜〜やっぱ降ってきちまったなぁ」
 ハラハラと散り始めた白い花。黒々とした枝を天に伸ばすその隙間から覗く切り取った空は、雲が低く垂れこめ、ポツポツと水滴を落とし始めた。
「たまには、天気予報も、当たるんスね」
 ボヤク桃城の横で、リョーマは呑気に口を開いた。
「お前なぁ、呑気に言う事か?」
 隣に佇み、それでも呑気に散り逝く花を見ている後輩に、桃城は呆れて溜め息を吐き出した。
「だって、最後にもう一度花見しよう。そう言ったの、桃先輩じゃないスか?俺は付き合っただけだし。天気予報で雨降るって言ってたって言ったって、桃先輩行くってきかなかったし」 それでもこうして付き合ってやるのだから、自分も大概甘いと思わずにはいられないリョーマだった。
 個人主義で、誰かの歩調に自分を合わせて歩く事などしなかった自分が、それでもこうして桃城と言う男にだけは歩調を合わせて、雨が降ると判っていても、花見に付き合っているのだから、大概自分も変わったとリョーマは思う。きっと誰より、自分の変わり方を意味深な笑みに被せ、驚いているのは父親なのかもしれない。


『雨降るって言ってる中デートとは、お前ぇも甘くなったもんだな』
 ニヤニヤと笑って、送り出された数時間前。
『傘、持ってかねぇのか?』
『いらない』
『頑張れよ、息子』
『クソ親父』

 意味深に笑って送り出されて、今に至っている自分に、つい感心してしまうリョーマだった。


「悪かったな」
 リョーマの口調は、けれど責めるものは一切ない。ただ事実を事実として、呑気に告げているだけだ。
「だけど次なんて言ってたら、葉桜になっちまうだろうが。それでなくても、今年は開花が早いんだぞ」
 今日これから雨足が強くなって風でも吹いたら、一斉に花は散ってしまうだろう。花見も見納めの時期に来ている。
「確かにそうっスね。去年は入学式の時、満開だった記憶あるから」
 昨年帰国して、父親に問答無用で放り込まれた青学の入学式。敷地周囲に植えられた桜が風に乗って、ハラハラ舞っていた記憶がある。それを考えれば、多分今年は開花が早いのだろう。
「でも桃先輩、そんなに桜好きだったんスか?」
 何度も自分を誘って花見に来る程、桃城と言う男が桜が好きな情緒的な男とは思えない。
 人は見掛けによらない。そんな言葉もあるが、桃城にその言葉が当てはまるとも思えない。だとしたら、何処かに意味は存在するのだろうとリョーマは思う。思えば、数日前、昼と夜、ココに連れてこられた桜を思い出す。
「特別好きって訳じゃねぇけどな。嫌いじゃねぇぜ」
「って事は、別にどうでもいい花って事じゃないスか。雨降るって判ってる中。物好きに来る程執着ある花じゃないのに」
 どうして、そんなに自分と花を見たがるのだろうか?
やはり数日前、ココに連れてこられた桃城の言葉の意味は、未だ自分は判ってはいないのだろう。
「だからこの前言ったろ?」
 昼と夜で、表情をガラリと変える二面の花。ハラハラと散り逝くその潔さも含めも、二面性がリョーマのようで、無視できなくなっていた。感傷的だと、桃城自身、内心で苦笑している程だ。そしてそんな感傷を、ダレかに抱いたのも初めての事だ。それでも、戸惑いも何もない事が、不思議な程だ。
「似合わないよ」
 感傷的な桃城など。けれど垣間見るその一面が、きっと本質。それだけは、近頃判るようになった気がした。
 漸く判り始めた、桃城の一面。明るい笑顔は嘘ではないだろう。誰をも引きつける笑みは、嘘や虚勢ではない。けれどそれが1であっても、10ではない。それだけは判ってきた事だった。一年の差が重い。感じるのは、桃城のこんな一面を垣間見る時だ。知らない側面を見つけては、歯噛みするのもこんな時だ。
「曇り後雨。夜から雨は本格的になるって」
 朝観た天気予報で言っていた。気象予報士の言葉を信じるなら、まだ午後のこの時間は、雨も激しさは増さないだろう。
 だから未だ見てていいっスよと、リョーマは桜樹に薄い背を凭れた。凭れ、眼差しが宙に溶ける。
 天に伸びる枝。切り取った視界に映る空は、雨雲が垂れこめ、ポツポツとした水滴を落として来る。それでも、冬の寒さはないから春なのだと実感する。雨は身を切る寒さより、何処か柔らかい雫に感じられる。
「バーカ、帰るぞ」
 リョーマの、相変わらず動じない呑気な台詞に、桃城は苦笑する。一つ年下の後輩は、こんな時自分に甘い。小生意気に文句を言っても、最終的には自分の好きにさせてくれる。年下の恋人に甘やかされていると思うのは、こんな時だ。
「なんで?」
 トンッと、自分と同様。桜樹に背を預け、クシャリと髪を掻き回し見下ろして来る桃城に、リョーマは不思議そうに隣を見上げた。
「躯冷やすだろうが。明日また練習だ。4月になったらすぐにレギュラー戦も有る。風邪引かせる訳にはいかねぇんだ」
 お前ウチの、切り札だからな、桃城はそう笑う。
「だったら桃先輩は部長でしょ?」
「お前なぁ〜〜ソレは勘弁しろって」
「勘弁も何も、事実だから」
 ねぇ?桃城部長?そう呼ばれる事が苦手だと知るから、リョーマは強調して桃城をそう呼んでは笑う。
「桃先輩、折角だから、もう少し見てきません?」
「風邪引くぞ」
「引かないでしょ?バカは」
「………それはもしかしなくても、俺の事か?」
「他に誰かいます?否定できないっスよね?雨降るって判ってて、花見に来ちゃうくらいバカなんだから」
 それに付き合っている自分もバカだと、リョーマは薄い笑みを浮かべた。
細い腕が、緩やかに降る雨に濡れた前髪を無造作に掻きあげる。その仕草に、桃城は大袈裟に溜め息を吐き出した。
「何スか?」
「お前のソレは、無自覚だからタチが悪いな」
「?」
「挑発だって」
 判ってない事が、リョーマの天性のヒトタラシの部分で、タチの悪さだ。だから共学校で有りながら、同性から『お付き合い』の手紙などもらったりしてしまうのだ。大体それさえ1度や2度ではないのだから始末に悪い。自分達の関係すら、ソレに絡んだ嘘から出た真だから、尚更始末に終えない。
 相手の真偽が見えない苛立ち。自分のモノだとは思わない。けれど、『取り敢えず付き合っている』付き合いの程度は、何処にラインが存在するのかも判らない、不明瞭な境界線ばかりが悪目立ちする。だからなお苛立ちが募る。慎重に探り会う臆病さに、もどかしいのはお互い。見えないのも互いだ。
「フーン、欲情した?」
「だからどうしてお前はそう……」
 中学1年が、日常会話に使う言葉ではないと、桃城は幅広い肩を落とす。
「桃先輩さ、忘れてるかもしれないけど、俺よりあんたの方が、ずっとタチ悪いよ」
 大体手を出して来たのは桃城の方で、行為の最中の慣れた仕草に呆れた程だ。
 躯を這う舌や指。慣れた愛撫。適格に性感帯を攻める愛戯。そのくせに、いちいち気遣う余裕。腹が立った。だから挑発せずにはいられないのはいつもの事だ。自分は何に構う余裕もなく乱され行くと言うのに、桃城には、自分にはない余裕が有る。それが癪に触る。だから、それは桃城がそれなりに性経験が有る証拠なのだろうと。
 たった1年。されど1年。1年の差。中学2年が性経験豊富でも困るだろう。言葉より雄弁に扱われる行為の中の桃城を知れば、タチの悪いのはこの男の方だと、リョーマは内心で毒づいた。 
「俺の何処がタチ悪いって?」
 一向に帰る気配を見せないリョーマに苦笑し、桃城は来ていたジャケットをバサリとリョーマの頭から被せてやった。
「風邪引くよ」
 突然視界を遮られ、半瞬後、視界を遮ったソレが、桃城のジャケットだと判って、頭から被せられたソレを引き剥いだ。
「俺は良いの。どうみても、お前の方がちっこいし」
 『チッコイ』と強調し笑うと、
「あとで風邪引いても、知らないスよ」
 憮然とリョーマは頭から傘変わりにソレを被った。 
突然降り出した雨。元々簡素な住宅街より奥になるこの公園に、周囲に人影はない。呑気に桜の袂で雨宿りを決め込み桜の花見をしている物好きなど、自分達二人だけだ。
「花見の時期の雨ってのは、一雨ごとに春を運んで来るって言うからな」
 雨で煙る桜と言うのもまた一興だと、桃城は周囲を見渡した。春を呼ぶ雨は、何処か懐かしい匂いや気配、感触が有る。冬の身を切る厳しさはなく、柔らかい午後の雨は、忘れていたナニかを思い出させる。
「桃先輩って、桜に何か特別にあるんじゃないスか?感傷的だし」
 隣の、頭一つ以上高い身長差。届かないのは年齢差だけではない。こうして見上げ、それでも視線は随分と高い。
 彫りの深い端整な横顔は、精悍さが全面に出ている。普段はムースで立てている髪が、雨を吸って前髪が額に垂れている。
「何だ?見蕩れる程、いい男か?」
 ジィッと自分を凝視する視線に気付いて、桃城は軽口を叩く。
「HARVEST RAIN」
「?」
「豊穣の雨」
「穀雨、だな」
「穀雨?」
「同じ意味だよ。HARVEST RAIN。24季の一つで、4月半ばの時期だったかな?確か」
「ヘェー」
 よくそんな事知ってますね、リョーマは笑った。
「今の時期の雨ってのは、作物への恵みだからな。雨は地上に浸透し、軈て太陽の熱によって温められ、蒸発して雲になる。そしてそれがまた雨になって地上に降り注ぎ、豊穣を実らせる。生々流転の輪廻の摂理だ。」
「ねぇ桃先輩、こんな話、知ってる?」
「えっ…越前?」
 突然、フワリと胸元に凭れてきた華奢な姿態に、らしくなく桃城は慌てた。
 気紛れで気分屋で、人の性格をイヌとネコに分けるなら、間違いなくネコの性格をしているリョーマは、時折こうしては桃城を慌てさせる。
 桃城自身は、リョーマに比べれば常識的だ。人前で抱擁するような真似は滅多ない。
けれどリョーマは違う。気紛れに桃城に抱き付いては、慌てさせる才能を持っている。子供の戯れに、周囲には見えるかもしれない。けれどリョーマのそれが、色も何もない子供の戯れではない事を、抱き付かれる桃城は知っている。
 ネコのような仕草。長い睫毛が縁取る怜悧な眼差しが、そんな時だけは反転する。
半眼の眼差しが、色香を映して見上げて来る様は、子供の持つ気配ではなかった。
「自然のもの、特に大地に根付いているものは、時代や人の記憶を持っている。だからこの樹も、ダレかの記憶を持っているのかもしれない」
 春を告げる柔らかい銀の雫。往来する相反しあうものの記憶を宿して豊穣を実らせる。
「越前、誘ってるか?」
 胸元にネコのように凭れ、周囲の桜を眺めている風情。
頭から、自分の被せたジャケットを羽織っているリョーマの顔を覗き込む。覗き込むと、卵の先端のような細い頤を掬い上げ、蒼味がかったリョーマの眼差しの奥を覗き込む。
「別に。だからね、桃先輩がそんな感傷的なのは、桜の悪戯かなって思っただけ」
 覗き込まれて、意味深な忍び笑いを漏らした。細い腕が、桃城に伸びた。スルリと落ちそうになったジャケットを、桃城が押さえると、
「キスすれば?」
「誰か在るかもしれないぞ」
 率直なリョーマの台詞に、桃城は苦笑する。
「コレで隠せば、判らないでしょ?」
 今の自分は周囲の眼から遮断されるように、桃城のジャケットをスッポリ被って、隠されている。顔が隠れていれば、男か女かの区別は付かない。元々リョーマは小柄だ。雨と桜で煙っている今、頭から桃城のジャケットで隠されていては、性別は判らないだろう。
「この確信犯め」
 どうりで頭から被してやったジャケットを、おとなしく羽織っていた訳だ。
「だったら、俺達がこうして桜の下でしている事も、この樹は持って行くって事か?」
 挑発と魅惑の笑みで誘いかけてくる綺麗で小生意気な貌。適わないと思う。
「酔興に雨の中、花見してる俺達の?」
 ソレはちょっと嫌だなぁ、リョーマは近付いて来る桃城の顔を眺め、眼差しを閉ざしながら嘯いて笑う。
「そうだな、してたかもしれねぇよな」
 雨の予報が出ていて、それでも傘も持たずに花見に来た恋人達が、雨宿りをしながら、花見をしていたかもしれない。
「んっ……」
 頭からスッポリ被せられた桃城のジャケットは、桃城の匂いが纏い付く。抱き締められて尚、抱かれている感触が生々しく甦る。胸の奥から疼きが湧く。
 リョーマの踵が浮き、爪先立ちになる。桃城の首に両腕を回す。頭から被せられたジャケットでは、どうみても、恋人同志の抱擁にしかみえないだろう。
 薄く開かれた口唇から、忍び込む舌先の感触に、桃城の首に回した腕に、指先の先に、力が籠った。
「ぅん…」
 色付く吐息に、頤からゆっくりと掌が離れ、繊細なラインに縁取られた頬から項を撫で、両腕が細い背筋を抱き締めた。




    
           冴えわたる 冬の厳しさを通り越し

           春の雨は 柔らかい風を運んでくる

           くすんだ空から流れる銀糸は 桜を抱き

           想いを宿し 眠っている




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