岸和田以北


 


高 石
 + かつて高石南村、高石北村、今在家村、新村の4ヶ村が合併し、高石村となった。
 + 高石南村には、小石と南があり、南のうちとして辻・土居があった。
 + 高石北村のうちとして、大工村、北新田があった。師濱は半ば新興町。
 + 磯は、南村の分家よりなる半ば新興町。
 + 高石南村の辻=元町、土居=南。高石北村の北新田=北新町、大工村=匠に該当。
 + 今在家村は、現在の羽衣。高石町となった大正期に区を設置。1区〜13区までに分けら
     ⇒ れる。
     ⇒ 1区=小石、2区=磯、3区=南、4区=元町、5区=北新町、6区=師濱、7区=北
     ⇒ 8区=匠 9区=新。羽衣は、11区〜13区に該当し、東羽衣は13区のうちで新興町。
 + 天保年間<和泉国>絵図には、大鳥郡 高石南村、小石(南村のうちとして)、高石北村、
     ⇒ 大工(北村のうちとして)、新村、今在家村、大園村、市場村、南出村、新家村、土生村、
     ⇒ 富木村が記載されている。
 + 後に、市場村と南出村が合併し、綾井村となる。

 「高石神社」 (たかいし)

   祭礼初日 <土曜> : 宮入順は、区の順番の輪番制。
                  
      ⇒ 元町・北新町・師濱・北・匠・新・小石・磯・南の順 (H20)

      + 1台ずつ順に宮入。神社鳥居前に地車を据える。

 「羽衣浜神社」 (はごろもはま)

   祭礼初日 <土曜> : 羽衣、東羽衣


 「等乃伎神社」 (とのぎ)

   祭礼初日 <土曜> : 宮入順は、綾井・大園・新家・土生の輪番制。(H20)
                     
      + 境内社殿前に3台横一列に並び、中央の地車の後に最後の1台が据えられる。
          ⇒ 並ぶ順は社殿から見て、右端が2番、左端が3番、中央が4番。中央後が1番。

 「高石神社の宮入」

 + 祭礼時、高石神社沿いには各町の町名を記した幟が当年の宮入順に建てられる。
     ⇒ 宮入時は、紀州街道沿いに9台の地車が連なって並び1町ずつ宮入が行われる。
 + 神社前の旧26号線が出来るまでは、鳥居は北村の村中にあった。現在の宮本は師濱と
     ⇒ なっているが本来は北村。一時期、高師浜の宮入順が殿だったのは、小石のお旅所
     ⇒ まで御渡りの神輿が行くのを見送る為。
 + H16年迄は、新村が元町と北新町の間に割り込んでいる形の輪番制で、師濱は最初か最後
     ⇒ だった。

 + 南の夜間提灯の片面、法被には剣カタバミの紋が採用されている。
 + 元町は、町名を決する際に、本町及び元町どちらを採用するか協議した結果、H2年より「元町」と
     ⇒ 称する。
 + 北村の正式の名称は、「北」。纏から法被、地車の垂木・縁隅木・幟に至るまで「北」で統一。
     ⇒ 町名旗には、「石 北」と記載されている。本来の北村は、大工村、北新田、高師浜も
     ⇒ 含まれる。
     ⇒ H27年の修理を期に町名旗が「石北村」となり、タスキにも石北村の文字が入る
     ⇒ 新調された番号持ちにも「石北村」と入る。(志才智と法貴丸<行基>の父子)
 + 匠の町名旗には、「石 匠」と記載されている。後縁隅木と幟の町意匠部分には、下り藤の紋。
 + 新村の町名旗には、「新」と記載。地車の縁隅木も「新」となっている。
 + 東羽衣の幟の町意匠部分には、十三区とある。
 + 地車復活当初は、各町「○○会」と称していたことがあり、町名旗・幟にも記載されている時期が
     ⇒ あった。
     ⇒ 南=三曳会、元町=奉賛会、北新町=五賛会、北村=北賛会、匠=協賛会、高師浜=奉賛会

     ⇒ (南=町名旗→三曳会)、(元町=幟の紋→奉賛会)、(北村=町名旗→北賛会)
     ⇒ (北新町=町名旗、幟の紋、吹きチリ→五賛会)、*元町はH14年の購入まで
 + 南はH4年、三曳会より改称。同年、北村も北賛会より改称している。(現在は北親会)
 + 北新町はH15年、五賛会より改称。その際、纏・法被・町名旗・夜間提灯一式を新調。
     ⇒ 幟・吹きチリは五賛会の名称が名残る
   2015/7/5 追記

 「本宮と後宮」

 ・ 高石の特徴として、土曜の本宮に宮入を行う。日曜は後宮と称する。

 ・ 高石神社の宮入では、宮入前に北村の紀州街道に全台が縦一列にが並び、一台ずつ宮入。
    ⇒ 宮入を終えると宮前の直線を一気に走り抜けるのが慣例となっている。
 
 「連合セレモニー」

 ・ 日曜の午後に行われる。各町セレモニー後、たか前をやりまわし

 「金曜宵宮曳行」

 ・ 小石と北村は金曜に子ども曳行を行い、町内を曳行する。

 「高石ライフ前」

 ・ H11年、初めて大園・綾井・新家がライフ前へ来る。(新家は直進で帰町)。
    ⇒ 羽衣はH15年?、東羽衣はH18年にライフ前へ来るようになった。
 ・ ライフ前のトリは、H15年頃までは元町であったが、現在は元町と南の交互。(H20は南)
 ・ ライフ前へは、試験曳き:羽衣、初日午後:綾井、東羽衣、羽衣。
    ⇒ 最終日午後:大園、羽衣、綾井。

 「他町との交流」

 ・ 綾井と南。土曜午後一番に南と交流。南が綾井の会館前まで来る。
 ・ 綾井と小石。日曜の午前曳行序盤で小石と交流。小石が綾井の会館前まで来る。
    ⇒ H24年は小石会館、H25・26は綾井会館
 ・ 北村と小石。隔年で互いの町を訪問。土曜曳き出し後、偶数年に北村が小石の会館前まで来る。
    ⇒ H25年の北村訪問年には夢一喜前の大通りで、北村と小石の併走が実現
 ・ 匠、新村、羽衣、東羽衣4町交流会。土曜午後曳行前、中央公民館付近で「匠・新村・羽衣・東羽衣」
    ⇒ の4町で花交換を行っている。花交換後は新村方面より4町揃って、たか前(ファミマ)へ
   2015/7/5 追記  

 「高石連合」

 ・ 高石地車連合会は、紀州連合(紀連)・取石連合・羽衣連合の3つの連合から形成。
    ⇒ 計15台より成る。

 * 紀州街道地車連合会 : 紀州街道に隣接した9地区より構成。1区〜9区。
    ⇒ 1区から順に、小石、磯、南、元町、北新町、師濱、北、匠、新の9台より成る。
 * 取石連合 : 旧取石村の綾井、大園、新家、土生の4台より成る。
 * 羽衣連合 : 羽衣、東羽衣の2台より成る。

 ・ 高石連合の年番長の順は
    ⇒ 東羽衣(H18)→元町→師濱→南→北新町→羽衣→磯→大園(H25)→新村→匠

 ・ 紀州街道地車連合会の会長順は、宮入順と同じ。
    ⇒ 元町(H20)→北新町→師濱→北(H23)→匠→新→小石→磯→南 の順
 
 ・ 高石連合のポスターには3町が大きく載り、年番長と副年番の2町が掲載。
    ⇒ 副年番の2町が順繰りに年番長へ上がっていく。


 ・ S60年、紀州街道連合発足。(当初、新村は紀連未加入)
 ・ S63年、高石の祭礼日が9、10日となる。
 ・ H6年、関西国際空港開港記念曳行。(小高石が参加)
 ・ H7年、紀州街道連合10周年記念曳行。
 ・ H10年、高石連合発足
 ・ H12年、祝日改正法に伴い体育の日が10月第2月曜に固定。
    ⇒ 祭礼日はその前日(土)と前々日(日)となる。
 ・ H12年、紀州街道連合15周年記念曳行。
 ・ H15年、高石連合5周年記念曳行。アプラホール完成に伴い、連合コースが変更。
 ・ H17年、高石駅西側も高石連合のコースに追加。
 ・ H17年、紀州街道連合20周年記念曳行。(羽衣も参加)
 ・ H19年、試験曳きの開始時間が1時間延長。13時〜16時となる。
 ・ H19年、祭礼終了後、高石神社境内の一角を取り壊し、4町の地車庫が移転。
 ・ H20年、高石連合10周年記念行事。初日アプラ広場にてセレモニーが行なわれる。
 ・ H22年、土生が高石連合へ参入。計15台となる。(当年の連合曳きへの参加は無し)
 ・ H22年、紀州街道地車連合会25周年記念行事。宮入前に北村本部にて行なわれる。
    ⇒ 当日は昭和37年以来となる神輿担ぎが復活。その後、記念式典が行なわれた。
 ・ H23年、土生が下地車購入。旧取石村の地車が揃う。
 ・ H23年、土生は2日目の連合セレモニーには不参加だったが、両日とも連合コースへは乗り
    ⇒ 入れた。
 ・ H26年、師濱の下地車購入に伴い、紀連全町が下地車となる。
 ・ H26年、南海高架事業本格化、関西スーパー前の踏切、上り高架掛かる。
 ・ H27年、紀州街道地車連合会30周年記念曳行。(試験曳きの午前中に開催)
    ⇒ 小石会館前〜高陽公園間に大阪方面を向いて紀連の地車が9台並ぶ。
    ⇒ 9時半、二区高陽公園にてセレモニー→10時、先頭の磯より順次解散
 ・ H27年、元町が6時曳き出し開始。(他町は7時より)

 * 土生の参入により連合曳き単位の台数が14→15台となり、岸和田は春木地区より多い台数
    ⇒ となる。
    ⇒ ちなみに連合曳き単位の順の台数の多い順では 旧市22台→和泉大連合18台→高石15台
    ⇒ →春木14台→泉大津十二町連合12台
   2015/10/25 追記  

 「取石連合」

 ・ H16年、土生が等乃伎神社への宮入を初参加。(購入は、H14年)
 ・ H18年、新家本部前に初めて大園・綾井・新家・土生の4台が集合。
 ・ H19年、土生が等乃伎神社宮入1番の年。宮出後、4台の地車が土生会館前を初訪問。
    ⇒ 夜間曳行時土生は初めて高石地区へ乗り入れ南海中央線での取石連合のフィナーレへ参加。
 ・ H22年、土生が高石連合へ参入。参入初年は町内曳行。(取石地区のフィナーレには参加)
    ⇒ 堺市小阪の下地車購入はH20年秋に決定していた。
 ・ H23年、土生が下地車購入。等乃伎神社宮入1番の年。高石連合コースへの完全参入は翌H24年。

 * 土生は町紋として、巴・梅鉢紋の掛け合わせを採用。梅鉢紋は、合祀前の菅原神社より。
 * 2日目の等乃伎神社宮入時、富木が地車を出し鳴物で出迎える。(化粧あり、前週祭礼年)

 「高石まつり」

 + S54年、第3回高石まつりセレモニー(10/5金):鴨公園グランド、
    ⇒ S55年第4回(10/5日):同会場
 + S56年第5回(10/4日)より鴨公園より移動し、市役所前通りでのパレード形式へ。
    ⇒ 集合は鴨公園。
 + S57第6回高石まつりパレード(10/4月)、以後、基本的には鴨公園に集合。その後パレードへ。
 + S58年第7回(10/4火)、パレード形式になり3年目。本年、従来のより参加していた富木に加え、
    ⇒ 新たに 5区・7区・8区・綾井 が地車として初参加。地車参加は、5台となる。
 + S59第8回(10/7日)、本年より地車パレードとしてプログラム中に別枠で登場。同年も地車5台。
 + S60年、第9回(10/6日)、4区が新たに地車で参加、地車は6台となる。(新家も地車で登場)
 + S61年、高石まつり10周年。市制20周年記念。(10/5日)
    ⇒ 本年新たに、3区・新家・大園が地車で登場。地車は9台となる。
 + S62年、第11回(10/4日)、地車パレードは、取石地区(4台)と紀連(5台)とに分かれる。全9台。
 + S63年、第12回(10/2日)、当年の高石まつりは中止。
     ⇒ 予定では地車として、新たに高師浜・羽衣・東羽衣が参加。7区・8区は地車買換え。
     ⇒ 又、当年よりプログラム形態変更。地車との訳隔てがなくなり、紀連・取石・羽衣地区に
     ⇒ 分かれることになる
 + H元年、第13回高石まつりの開催日を10日祝体育の日に固定。以前は10月の10日以前に
     ⇒ 行われていた。
 + H10年、第22回高石まつりに紀州街道連合、富木の地車が参加しなくなる。
 + H11年、第23回高石まつりに紀州街道連合の地車が参加復帰。当年で高石まつりが閉幕。
2011/11/26 更新
 
 
高石市
14台紹介 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
小高石
高磯 <→ 町内地車  町内地車
元町
北新町
高師浜
北村
新村
54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
新家
大園
綾井
富木
54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21
羽衣
東羽衣
 赤色 : 下地車  ピンク色 : 上地車

町村制施行により、各村々を合併。一村を設け、合併された各村々は大字となる。
○○村大字○○。以前は、○○郡○○村。それ以前は○○郷○○村。



地 区 大鳥郡 ⇒ 大鳥郡と泉郡が合併 ⇒ 泉北郡


高 石  「高石村」
   高石北村、高石南村、新村、今在家の四ヶ村が合併⇒<大鳥郡>高石村⇒<泉北郡>高石町
 「取石村」
   富木村、土生村、新家村、大園村、綾井村の五ヶ村が合併⇒<大鳥郡>取石村⇒<泉北郡>取石村
     ⇒高石町へ編入


 

 



和泉市  ・ H12年祝日改正に伴い、体育の日が10月第2月曜になった為、祭礼日はその前日(日)、
    前々日(土)となる。
 ・ H13年、和泉市だんじり等連絡協議会」発足
 ・ H19年5月、和泉市50周年記念「和泉市祭礼総覧」発刊


府 中
 「泉井上神社」 (いずみいのうえ)

   祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、府中地区の5台・小田町・和気町の順

     ・ 宮入順はH17年より府中地区の順番は当年の年番長が先頭。先頭以外は東西南北中
        ⇒ の順で宮入。以前は抽選

     + 拝殿の前に府中地区が横並びで5台。その後に小田町、和気町が2台横並びで並ぶ。

     + 宮入町7台の内、馬場之町以外は吹きチリを所有。境内では東泉寺・市辺町・小田町が
        ⇒ 吹きチリ装着小社之町と南之町は吹きチリで境内へ入り、その後町名旗に付け替え
        ⇒ る。和気町は吹きチリを取り外して鳥居をくぐり町名旗に付け替える。
        ⇒ 宮出後も小田町は吹きチリを装着。
 
 「泉井上神社の宮入」

 ★ 二日目(日曜)朝7時頃から行われる宮入コース。
    ⇒ 府中地区がフチュール和泉の喜久家筋に当年の宮入順に並び集結→小田・和気と合流し、
    ⇒ 府中センターを小田、和気、そして府中地区(当年の宮入順)の順でやりまわし。
    ・ 途中、小田・和気が駅前手前にて待機→府中地区が先頭でUFJ前を順次やりまわし。
    ⇒ 小田、和気は府中地区の後につく。

 ☆ 宮出後、小田町と和気町が駅前通りで3回すれ違い(両町走行)を行う。

 ・ S50年頃までは府中地区のみの宮入だった
 ・ H15年、鳥居新調。同年小田町が新調するまでは拝殿前に一列に並んでいた。
 ・ H16年、黒鳥地区の辻小路と上泉の新調入魂式の際に泉井上神社へ宮入を行なった。

 ・ H21年、宮入前の曳行コース変更。13号線府中センターを経由し、駅前を通って宮入。
    ⇒ 小田→和気→南→市辺(のみ黒鳥方面)→馬場→東→小社。その後駅前にて小田、和気
    ⇒ が後につく。

 ・ H22年も同様。小田→和気→市辺<北>→馬場<中>→東→小社<西>→南、小田・和気。
 ・ H23年、宮入前、小田・和気・南之町が井ノ口から13号線を直進して府中センターまで曳行。
 ・ H25年、市辺町新調に伴い吹きチリを製作。境内にても吹きチリ装着。
 ・ H27年、小田と和気の合流前の府中地区の待機位置が変更。
    ⇒ 以前の喜久家筋からフチュール通りへ変更、小社之町は本部にて待機
 
 + 和気町は宮入時、交差旗無しの大房。


 「泉井上神社宮入順」 府中地区5町→小田、和気の計7台

   H21 : 南之町(南:年番長)→市辺町(北)→馬場之町(中)→東泉寺(東)→小社之町(西)
   H22 : 市辺町→馬場之町→東泉寺→小社之町→南之町
   H26 : 南之町→市辺町→馬場之町→東泉寺→小社之町
  2015/3/21 追記 

 「府中地区」

 ★ 地内は、東、西、南、北、中央の5町に分かれる。
     東=東泉寺(東之町)、西=小社之町(西之町)、南=南之町(南出)、北=市辺町、
     中央=馬場之町

 ☆ 年番長の順は、小社'H20)→南→市辺→馬場→東(H24)の順

 ・ 夜間曳行時に走行するのは東泉寺と馬場之町の2町のみ。

 ・ H23年、東泉寺が両日伴夜間曳行時に子ども曳きを導入。最終日の後半は走行する。
 ・ H24年、府中センターが無くなり、ファミリーマートが出来る。
   ⇒ 和食さと(国府小)手前周辺道路が整備され、中州が無くなる。
 ・ H25年、駅前開発に伴い駅前ロータリーの一部が完成。旧駅舎前の交差点中心にバリケードを設置。
 ・ H〃年、曳き出し時に、小田が府中地区へ乗り入れ。13号線を使った駅前周回を行い帰町。
 ・ H26年、駅前開発に伴い駅前ロータリーが完成。旧駅舎前〜ミユキ前の道が整備され道幅が
   ⇒ 拡張される
 ・ H〃年、曳き出し時に、小田が昨年同様乗り入れ。
 ・ H27年、小田曳き出し府中乗り入れ。帰町時のコース変更。
    ⇒ 以前の市役所北交差直進から、市役所北交差左折→福祉会館経由へ
   2015/10/25 追記

 「府中、黒鳥・伯太連合曳き」

 ・ H15年より初日午後より府中、黒鳥、下伯太の10台で地車和泉府中駅前にて連合曳きを行う
 ・ H19年2部制となり、第1部は黒鳥、伯太方面パレード。第2部は9町で府中方面でパレードを
   ⇒ 行なった。
 ・ H23年、フチュール完成に伴う、南通線開通で11町でフチュール→大寺屋(13号線)→府中
   ⇒ センターを1周周回。順番は府中地区はがフチュールスタート。黒鳥、伯太はパルコスタート
   ⇒ で大寺屋やりまわし。


黒鳥、伯太
 「黒鳥 菅原神社」

   祭礼2日目 <土曜> : 宮入順は、町会順で毎年1町ずつ繰り下がる。
     
     + 宮入順は、郷小路(H20)→上泉→坊小路→辻小路 の順

     * 宮入以外にも境内に集合することがある
     * 泉井上神社の神主さんが兼任
 
     * 朝と夕方の2回宮入を行い、朝はお祓い、夕方は御菓子配り等を行う。
     * 平成18年6月、100年ぶりに黒鳥神社社殿が再建され竣工記念曳行が行なわれた。

 「伯太神社」 (はかた)

   祭礼2日目 <日曜> : 上伯太、下伯太

 「黒鳥地区」

 ★ 地内は、第1町会=辻小路(下村:したむら)、第2町会=郷小路、第3町会=上泉、
     第4町会=坊小路の4町に分かれる。第4町会以降は新興町。

 ・ 平成11年、辻小路がホノルルフェスティバルへ参加。(3月)

 「伯太地区」

 ★ 上伯太、下伯太の2台より成る。

 ・ 2日目の午前中、黒鳥・伯太の6町にてセレモニーを行なっている。
   ⇒ H21黒鳥大中、H22上伯太献灯台前
 ・ H24、2日目夜間曳行で4町フィナーレが行われる。(4台横並び)


郷 荘
 「郷荘神社」 (ごうしょう)

   祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、宮本の阪本町が番外1番。以後は抽選。
      
      + H14年頃より阪本町が番外1番となる
      
      * 境内拝殿前に横一列に並ぶ

 「神明神社」

   祭礼2日目 <日曜> : 寺田町

 「郷荘連合」 (郷荘地区七町連合)

 ★ 観音寺町、寺田町、寺門町、阪本町、桑原町、小田町、和気町の7町より成る。
     
 ・ 年番担当順は、観音寺(H20)→寺田→寺門→阪本(H23)→和気→桑原→小田(H26)

 ・  郷荘地区という名称は正式な名称ではなく、正式には「郷荘連合」と称す。
     ⇒ 芦部小校区 : 観音寺町、阪本町、桑原町
     ⇒ 和気小校区 : 和気町、小田町、寺門町、寺田町(*)
     (*) H14年、寺田町は校区変更に伴い郷荘連合へ一本化

 ・ 試験曳きは12時半頃より、周回コースカットAへ向け各町開始
 ・ 初日午後13時半よりカットA前を起点に連合パレード、同日夜にも周回コースにて連合曳き
 ・ 二日目午後より和泉大連合へ。13時〜16時。大連合終了後、郷荘周回コースへ
     ⇒ 13時前には大連合コース内の定位置に着く為、12時頃より曳行開始。

 ☆ 試験曳き開始前、寺門町と寺田町が飯坂製粉敷地内にて花交換。(2台横並び)
     ⇒ 初日曳き出し後、阪本町と府中南之町が和泉中央線(セブイレ付近)にて並走

 ☆ 小田町、和気町、寺門町、寺田町の同校区の4町は1日目の午後終盤、和気会館まで乗り入
    ⇒ れる。小田町へは2日目の晩に乗り入れる。

 ・ H14年、寺田町が松尾連合を脱退。同年大連合時は自町曳行。翌15年より大連合へ参加。
 ・ H17年曳き出し時、辻小路、上泉が周回コースに参加。当年のみ。
 ・ H18年初日午後、市制50周年を記念し18町の地車が周回コースを曳行した。
   ⇒ 福祉会館前を基点とし、駅方面に府中地区、観音寺方面に伯太、黒鳥、郷荘地区の地車が
   ⇒ 並びスタート。サイゼリア、郷荘中学校と廻り観音寺交差点にて解散。
 ・ H24年、都市計画道路岸和田南海線の内、R480号線〜和泉中央線間(桑原〜府中)が3月末
   ⇒ に開通。桑原町は試験曳き開始時、新道をやりまわししてサイゼリア方面へ
   2015/10/25 追記 
 
   「表敬訪問」

 ★ 初日午前、7町合同で表敬訪問が行なわれる。
    ⇒ H17:小田町、H18:阪本町、H19:寺田町、H20:小田町、H21:阪本町、H22:寺田町
    ⇒ と三年周期で3町を表敬訪問。(H26:小田、H27:阪本、H28:寺田)
 
 ・ H26年、小田訪問年。サイゼリアを起点とし、和気の会館前通りで7町整列。その後、小田町内
    ⇒ を廻って再びサイゼリアまで戻ってくる曳行コース。やりまわし箇所は、
    ⇒ @サイゼリア→和気会館方面、A和気会館方面→13号線小田町方面、
    ⇒ B小田町内→オークワ、C西松屋→和気小方面の4ヶ所。
    2015/10/25 追記


 「和泉大連合」

 ★ 二日目日曜午後より府中駅周辺で開催される3地区18台による連合曳き
     
      ・ 3地区18町は府中(5町)、郷荘(7町)、黒鳥・伯太(6町)より構成。

 ☆ 午後13時から、当年1番の町が府中センターやりまわし開始。
      ⇒ 各町12時半頃より出発し、大連合コース上の所定位置に着く。
      ⇒ 毎年所定位置は異なる

 ☆ 旧和泉町により成り平成5年より開始。
    ⇒ H12年までは郷荘地区で行なわれていたが、翌年より府中地区で行なわれるようになる。
    ⇒ 池上町はH12年より参加しなくなり17町となるが、H15年の寺田町の参入より再び18町
    ⇒ となる。


 ・ H5年、14町により福祉会館前にて初開催。(府中、郷荘、黒鳥)
 ・ H6年、池上町が参加
 ・ H8年、実行委員会創設
 ・ H10年、18町の青年団による連合会議が始まる
 ・ H11年、18町の若頭による連合会議が始まる
 ・ H〃年、池上町がこの年を最後に脱退
 ・ H12年、福祉会館前→芦部・黒鳥→府中駅前というコースで連合曳行
 ・ H13年、福祉会館前から、府中駅前開催へ連合コースを移行。開催日を2日目へ変更。逆廻り
 ・ H14年、UFJを中心に左右からやりまわし。13号線方面へ。逆廻り
 ・ H15年、UFJを中心に左右へやりまわし。駅、中学校方面へ。正廻り
 ・ H〃年、寺田町が参入
 ・ H16年、13号線が使用可能になる。府中センター中心の連合コースへ。本部が噴水前へ
    ⇒ 移動。パレード順は府中、黒鳥、伯太、郷荘地区の順に初回やりまわし。
 ・ H〃年、実行委員会内に「青年部」が発足。パンフレット作成。サティでの鳴物イベント開始。
 ・ H18年、「市制50周年記念曳行」開催。祭礼初日午後、大連合の地車が郷荘コースを廻った。
 ・ H〃年、コース一部変更。13号線より山側のコース(小栗街道)が休憩、迂回路となる。
    ⇒ パルコより中学校側が逆廻りとなり、中学校前(高架手前側のみ)やりまわし可能になる
 ・ H〃年、「和郷会」を結成。法被作成。青年部の上部団体で和泉中と郷荘中の頭文字より。
 ・ H19年、連合曳き開始時、府中センター集合ではなく、連合コース内に点在する各町個々の
    ⇒ 地点からスタートとなる。順番は順不同。<大連合15周年>
 ・ H20年、コース一部変更。小栗街道から市辺町会館前を通り、13号線ファミマを通るコース
    ⇒ が追加。ファミマのやりまわしも可能。駅前、浅井ビル、市辺会館を対角線上とした8の字
    ⇒ 曳行コースが出来る。
    昨年までの休憩・迂回路のコースが無くなり替わりに、パルコ→中学校→ファミマ間のコース
    ⇒ が休憩、迂回路となる。この区間と浅井ビルまでを併せた区間が昨年とは逆廻り(3年前
    ⇒ に戻る)になり結果、やりまわし箇所が4ヶ所減った。
    ⇒ (浅井ビル両側、中学校、パルコ片側)
 ・ H21年、ミユキ前の府中よりの建物が無くなる。府中側の街灯も除去される。商業施設建設
    ⇒ 予定地の外周には防音壁。
 ・ H22年、商業施設(フチュール)の建設が進み、(ミユキ通り側の)建物も大方完成。外周には工事
    ⇒ 柵。ミユキ通りの道路が拡幅整備される。年末には(フチュール側に)歩道や街灯を設置し整備
    ⇒ 完了。
 ・ H23年、府中駅前再開発事業に伴う商業施設フチュール和泉が3月にオープン。同月中旬には
    ⇒ フチュールの駅側に和泉府中南通線が開通。また、ミユキ手前に歩道橋が出来る。
 ・ H〃年、南通線開通に伴い、新たに大寺屋(13号線)と駅側の交差点がやりまわし可能になる。
    ⇒ 但し、大連合時の駅側の新交差点は起伏がある為安全を考慮し本年はやりまわし禁止。
    ⇒ 又、ミユキ通りの道路が曳行コースより外れる。
 ・ H24年、和泉大連合発足20周年(H5-H24)。記念セレモニー開催の為、例年より1時間前倒しと
    ⇒ なり12時スタート。12時半より、セレモニー開始。開催場所はフチュール駅側向いの敬老
    ⇒ 席前。
 ・ H〃年、本年は2年ぶりにミユキ通りのコースが復活。UFJ〜岡巳之間のコースも復活。
 ・ H25年、駅前開発に伴い駅前ロータリーの一部が完成。旧駅舎前の交差点中心にバリケードを設置。
    ⇒ 旧駅舎前の交差点は大連合時は、やりまわし禁止
 ・ H26年、駅前開発に伴い駅前ロータリーが完成。旧駅舎前〜ミユキ前の道が整備され道幅が
    ⇒ 拡張される。旧駅舎前の交差点は大連合時は、やりまわし禁止。
     ロータリー完成に伴い、大連合時はミユキに行く際は駅側内側の道路、フチュールに行く際は外側の
    ⇒ 道路を曳行するようになっている。
  2015/3/21 追記
 
 「大連合時の府中センター初回やりまわし順」

 ★ 1〜3番の地区は毎年一地区ずつ繰り上がる。更に1〜3番の町は当年当地区の当番町。

    ⇒ 府中地区 : 小社之(H20)→南之→市辺→馬場之→東泉寺(H24)
    ⇒ 郷荘地区 : 観音寺(H20)→寺田→寺門→阪本→和気(H24)→桑原→小田
    ⇒ 黒鳥、伯太地区 : 郷小路(H20)→坊小路→上泉→辻小路→下伯太(H24)→上伯太

 ・ 平成16〜18年の府中センター初回やりまわし順は
    ⇒ H16=郷荘→黒鳥伯太→府中
    ⇒ H17=府中→黒鳥伯太→郷荘
    ⇒ H19=伯太黒鳥→郷荘→府中
    とそれぞれ地区内の町の続けてのやりまわし。黒鳥地区の順は固定。(同年より13号線使用)

 ・ 平成19年よりの府中センター初回やりまわし順が変更。地区別のやりまわし順では無くなる。
    1〜3番は以下の通り。
    ⇒ H19=小田、東泉寺、上伯太
    ⇒ H20=小社、郷小路、観音寺
    ⇒ H21=坊小路、寺田、南之町
    ⇒ H22=寺門、市辺、上泉
    ⇒ H23=馬場、辻小路、阪本町


 「和泉大連合ポスター:各町当番町」

 ・ H24=上泉、下伯太、東泉寺、和気町 (二十周年記念ポスター。中央に上泉)
 ・ H25=桑原町、小社之町、上伯太
 ・ H26=南之町、郷小路、小田町
  2015/3/21 追記 


信 太
 + かつて信太村は、太村・中村・上村・上代村・王子村・尾井村・富秋村・<舞村>・<小野新田>の
    ⇒ 9ヶ村より成っていた。後に、王子村のうちで宮本と二(区)王子に分かれる。
    ⇒ 元来の大字王子は、現在の宮本町。
 + 幸町はかつての南王子村で後に、八坂町と改称。その後、現住居表示の幸のうちとなる。
    ⇒ 祭礼運営は、幸校区連合自治会。
 + 中村は和泉市編入時に、葛の葉町と改称。
 + 天保年間<和泉国>絵図には、泉郡絵図には、富秋村・中村・尾井村・上村・太村・王子村・
    ⇒ 南王子村・上代村・<舞村>の9ヶ村が記されている。

 「聖神社」 (ひじり)

   祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、宮本に左右されずクジ引き。

     + 幸が殿を務めるのは慣例となっている。

 「幸・信太地区」

 ★ 祭礼日は3日間ある。10月第2土・日・月(祝)。2日目宮入後の曳行は行なわれない。

 ☆ 2日目の宮入は全9台のうち宮入するのは8台。これは神輿担ぎがある為で、当年の当番町は
    ⇒ 2日目の地車曳行を行なわず神輿担ぎに専念する。他町も宮入からの帰町後は地車曳行
    ⇒ を行なわず神輿が各町を巡行しているのを出迎える。

 ☆ 初日の夜間曳行は信太山周辺を連合曳き

 ☆ 神輿の当番順は、太(H20)→富秋→尾井→宮本(H23)→幸→上→上代→王子→葛の葉

 ☆ 宮入時は一の鳥居前に8台が集合。そして順次宮入、境内に地車が並んだ後、今度は当番町
    ⇒ が神輿を担ぐ。その後地車はお旅所へと移動。お旅所でも8台の地車が並び昼休憩後、
    ⇒ 各町帰町となる。  

 「信太連合」

 ★ 上代町、尾井町、太町、幸、王子町、上町、宮本町、富秋町、葛の葉町の9町より成る
      
 ☆ 連合の当番順は、上代(H20)→尾井→太→幸(H23)→王子→上→宮本→富秋→葛の葉

 ・ 6時曳き出し曳行町は、太町・宮本町。主に単独曳行。
    ⇒ 富秋町は6時曳き出しを行っていた年がありその際、連合本部まで来ていた。

 ・ 平成20年、一の鳥居前が整備され一新。道幅が広くなり鳥居の位置も移動し以前より山手に
    ⇒ 下がった。
 ・ 平成22年、連合本部のやぐらを新調。大型化に伴い、交差点から少し進んだ所へ移動。
 
 「3日目の連合曳き及びパレード」
    
 ★ 3日目(月・祝) : 午前中は連合曳き、午後よりセレモニー及びパレードコース内曳行
  
 ☆ 連合曳きの出発場所は、当年の連合当番町の町。(=連合団長当番町?)

 ☆ 午前曳行は、連合当番の町に集合後、上代→葛の葉→富秋の順で全町乗り入れ
    ⇒ その後、幸にて全台揃って休憩後、午後のパレードへ出発

 ■ H20年、パレードスタート方式変更。本部前の手前にて地車停止。そしてセレモニー後、
   ⇒ 左右からのやりまわしが可能になる。
   ⇒ 従来は同一方向から来て本部前の交差店内で一旦地車を停めてセレモニー、そして直進
   ⇒ で抜けていく形式だった。
  ・ 当年のみ幸集合後、八坂神社前を左折組と直進組に分かれる
 ■ H23年、パレードスタート方式変更。本部前交差点手前に地車が左右に分かれて集合。
   ⇒ 交差点を止めまわし、本部前にてセレモニー後、直線ダッシュ。
 ■ H〃年、本年の富秋乗り入れは無し。転回場所が工事中の為。
 ■ H〃年、本年は幸が連合の当番町の為、連合曳きの集合場所は本部前となった。
 ■ H〃年、「信太九町だんじり祭」と題した信太連合の大型ポスターを作製。
 ■ H26年、台風接近に伴い、パレードが午前中へ変更。これに伴い例年の幸集合が無くなる。
   ⇒ 各町自主休憩。午後は警報発令の為、各町自主判断の曳行。
  2015/3/21 追記 
 
 「3日目連合曳きの幸集合時並び方」

  H16=王子町・葛の葉町・上町・上代町・太町・尾井町・宮本町・富秋町・幸
  H18=葛の葉町・富秋町・上代町・上町・太町・尾井町・宮本町・王子町・幸
  H20=葛の葉町・上代町・上町・太町・尾井町・宮本町・富秋町・幸 (王子祭礼不参加)
  H21=葛の葉町・尾井町・富秋町・上町・太町・宮本町・王子町・幸 (上代祭礼不参加)
  H22=尾井町・葛の葉町・上町・太町・上代町・富秋町・宮本町・王子町・幸
  H23=尾井町・太町・上町・葛の葉町・・・
  H25=葛の葉・上代・宮本・尾井・太・上・王子
 
 * 上代町は祭礼日が堺祭礼と重なる日、初日午前中に市を隔てて山田まで行く。
    ⇒ 順序としては、まず山田・北高尾が上代町会館まで乗り入れ、その後3台で山田会館
    ⇒ まで行く。
    ⇒ H18、19年が同一祭礼日で北高尾が初上代町乗り入れ。次回重なる年はH24年。

 「信太森(葛葉稲荷)神社」

 ★ 葛葉伝説でこの伝説の一首に、
    ⇒ 「恋しくば 尋ねてきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみの葛の葉」

 + 葛の葉神社の社紋の葛の葉は、一枚が裏葉を見せている。葛の葉町の町名旗の紋にも
    ⇒ 使用。また、葛の葉町の町紋として、巴紋の他に4つの菱葉のうち、一つが裏葉の菱葉
    ⇒ を模った紋を使用している。
 + 葛の葉伝説を題材にした彫刻では、尾井町の正面枡合に「葛の葉子別れの図」。幸の地車の
    ⇒ 小屋根懸魚・竹ノ節には狐。同じく梃子掛けにも伝説にまつわる題材が彫刻されている。
 + 恋しくば〜一首は、葛の葉町の大工方のハンテンや幸の地車の水桶に採用されている。

 「八坂神社」

 ★ 祭礼3日目の午前中に、王子町・幸の地車が宮入

 + 王子町、幸の両地車は<巴>紋で統一。王子町の交差旗は、<巴>紋と<五瓜に唐花>紋の対に
    ⇒ なっている。又、両町団扇等に<五瓜に唐花>紋を採用している。

 + 尾井町の地車紋や町名旗の紋として採用している<丸に木瓜>紋は、旧府(ふるふ)神社の紋。
 + 富秋町の交差旗の片面には、<巴>紋と<桜飛び蝶>の掛け合わせを採用。
    ⇒ かつては夜地車提灯に<桜>紋を採用していた。
 + 上町の幌(ホロ)には、菊水紋が採用されている。これはかつて町内に水分神社があった為。
 + 宮本町の地車の桁類には、自独紋を採用。



松 尾
 「松尾連合」

 ★ 内田町、唐国町、箕形町、春木町、久井町、春木川町、若樫町の7台より成る。

 ☆ 年番担当順は、内田(H20)→久井→春木川・若樫→箕形(H23)→唐国→内田
              ⇒ 春木(H26)→久井

 ☆ 連合曳きは、両日午後曳行にて行われる。(オークワ周辺を連合曳き)
    ⇒ 初日の連合曳きではセレモニーを行う。
    ⇒ オークワ前にて全町縦に並んだ後、各町一斉セレモニー。


 ・ 一時所曳きになったが昭和62年より連合曳きが復活。当時は唐国町、内田町、春木町の3台。
    ⇒ その後、寺田町(H7)、久井町(H10)、箕形町(H14)が地車復活。又、箕形町が参入した年に
    ⇒ 寺田町が連合を脱退し5台となる。更に、春木川町、若樫町がH17年に仮加入し7台となった。

 ・ H7年、内田町・唐国町・寺田町で連合を結成。
 ・ H8年、春木町が連合加入
 ・ H9年、松尾校区地車連絡協議会を発足
 ・ H10年、久井町が連合加入
 ・ H13年、松尾連合地車連絡協議会へ改名
 ・ H14年、寺田町が連合脱退。以前は校区の関係で松尾・郷荘両地区へ参加していた。
 ・ H14年、箕形町が連合参入。
 ・ H17年、春木川町・若樫町がオブサーバー加入。春木川町が連合パレード参加。
 ・ H18年、若樫町が連合パレード参加。2日目7台にての連合曳パレードが実現。
 ・ H20年、春木川町・若樫町が正式連合加入。これに伴い両日ともに連合曳きに参加。
 ・ H26年、ららぽーと和泉(コストコ)開業に伴い、試験曳きの午前中に記念イベントが行われた。 
     ⇒ コストコの駐車場に全町トレーラーにて搬入、記念撮影後、ららぽーとの駐車場まで移動曳行。
     ⇒ 記念イベント後、再びトレーラーにて搬出
 
 「各町の産土神社」

   内田町 : 内田 春日神社 / 唐国町 : 唐国 菅原神社 / 春木町 : 春木 春日神社
   久井町 : 八幡神社 / 春木川町 : 八雲神社 / 若樫町 : 若樫春日神社

 + 祭礼2日目、地区単位の宮入は行われず、各々の神社にて神事が行なわれる?
 
 ・ 祭礼2日目、正午前に若樫町が春木春日神社境内へ入る。(吹きチリ)
     本殿前に春木町と若樫町の2台が横並び。その後、昼休憩。
 

町村制施行により、各村々を合併。一村を設け、合併された各村々は大字となる。
○○村大字○○。以前は、○○郡○○村。それ以前は○○郷○○村。



地 区 和泉郡 ⇒ 大鳥郡と泉郡が合併 ⇒ 泉北郡


大連合  「国府村」
   府中村、和気村、小田村、(肥子村)、(井ノ口村)の五ヶ村が合併⇒<泉郡>国府村⇒<泉北郡>国府村
     ⇒<泉北郡>和泉町
 「郷荘村」
   桑原村、坂本村、観音寺村、寺門村、(今在家村)、(一条院村)、(今福村)の七ヶ村が合併⇒<泉郡>郷荘村
     ⇒<泉北郡>郷荘村⇒<泉北郡>和泉町
 「伯太村」
   伯太村、池上村、黒鳥村の三ヶ村が合併⇒<泉郡>伯太村⇒<泉北郡>伯太村⇒<泉北郡>和泉町


松 尾  「北松尾村」
   内田村、唐国村、箕形村、寺田村の四ヶ村が合併⇒<泉郡>北松尾村⇒<泉北郡>北松尾村
 「南松尾村」
   春木村、久井村、(松尾寺村)、若樫村、春木川村の五ヶ村が合併⇒<泉郡>南松尾村⇒<泉北郡>南松尾村


信 太  「信太村」
   王子村、富秋村、中村、尾井村、太村、上村、上代村、(舞村)、(小野新田)の九ヶ村が合併⇒<泉郡>信太村
     ⇒<泉北郡>信太村
 「南王子村」
   南王子村⇒<泉郡>南王子村⇒<泉北郡>南王子村⇒<泉北郡>八坂町


山 滝  「山滝村」
    内畑村、大沢村の二ヶ村が合併⇒<泉郡>山滝村⇒<泉北郡>山滝村→岸和田市へ編入
 

 


泉大津市  ・ 昭和55年祭礼日を10月9、10日に統一。それ以前は4、5、6日と各地区バラバラだった。
 ・ 平成4年、市制50周年を記念して10月4日泉大津高校〜東雲公園の間で地車パレードが
     行なわれ20台が参加した。
 ・ 平成6年、関西国際空港開港記念曳行。(我孫子が参加)
 ・ 平成9年、泉大津商工会議所結成50周年を記念して市内全町の地車が集まった。
     泉大津中央線(泉大津高校〜市役所北交差点の間)にて開催。池上町を除く。


穴 師
 「泉穴師神社」 (いずみあなし)

   祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は固定で、豊中町・池浦町・我孫子・板原町の順。(宮入は午後より)

 + 和泉国二の宮にあたり、飯ノ山という特殊神事がある。宮入後は御渡が行なわれ各町地車の後に
     飯ノ山の地車、神輿が続きお旅所の穴師小学校グラウンドまで御渡行列が行なわれる。

 「穴師地区」 
 
 * 豊中町、池浦町、我孫子、板原町の4町より成る

 ・ 2日目の午前中、豊中町・池浦町・我孫子の地車が板原町へ乗り入れる。

 + 我孫子は辻村と長居村が合併して成立。辻村にはかつて菅原神社があり後に合祀。
 + 豊中町は地車・装飾品に至るまで菱菊紋で統一している。
 + 池浦町の交差旗には菱菊紋。桁類の紋は菊紋と菱菊紋の対になっている。


曽根・助松
 「曽根神社」 (そね)

   祭礼2日目 <日曜> : 宮入順は、宮本に左右されずクジ引き。

     氏地は、北曽根・南曽根・二田・千原・森・池上の6ヶ村。新興地の池園町も宮入を行う。
                                     + 池園町はH21年までクジ取らずの殿だった。
                                     + 境内に地車が横一列に並びセレモニーを行う。
 「助松神社」 (すけまつ) 
   祭礼2日目 <日曜> : 助松

 「曽根、助松地区」 

 * 北曽根、南曽根、二田町、千原町、森町、池上町、助松町、池園町の8町より成る。

 ・ 初日の午前中、北曽根・南曽根・二田町の3町が池上町まで乗り入れ、池上町を含め4町にてセレモニー。

 ・ さつき連合。曽根、助松地区の別称。さつき連合の<さつき>は8町が通りパレード時はメインコースとなる
     <さつき通り>から由来。十二町連合曳き開始の翌年に命名?。
    又、曽根、助松地区のポスターには「泉大津 曽根 助松地車連合」とある。

 ・ H25年、「助松曽根地車連合」25周年
 ・ H26年、南海中央線(森地区)開通(3/28)に伴い、試験曳きより当該新道がコースに取り入れられる

 ■ 当番町 H25:千原町 H26:助松町
  2015/3/21 追記 

 + 森町にはかつて日吉神社があり後に合祀。地車や装飾品の双葉葵紋は日吉神社に由来する。
 + 千原町、南曽根にはかつて菅原神社があり後に合祀。地車や装飾品の紋は梅鉢紋で統一。
 + 二田町にはかつて二田國津社(ふったくずしゃ)があり後に合祀。曽根神社には石碑が残されている。
     「二田國津社」は町名旗やタスキ、法被のエリ等に使用されている。
 + 池上町はかつての池上神社が曽根神社に合祀され、以後和泉市より唯一曽根神社の祭礼に参加している。
     一時、H6年〜11年まで和泉大連合に参加していたが、H12年よりさつき連合のパレードに復帰。
 + 池園町は新興住宅地で元々は池だった。宮入はクジ取らずの殿だったが。H22年よりクジ引きに参加。

 「十二町連合」

 * 穴師地区4町と曽根、助松地区8町の計12町より成る。

 ・ 平成11年、「十二町連合曳き」開始。穴師、曽根助松地区との連合曳き
 ・ 平成12年、南海中央線通行止め実現
 ・ 平成14年、ショートカットコースが使用可能となる。
 ・ 平成15年、試験曳き・宵宮の午前中も十二町連合コースが使用可能となる。
     南海中央線、池浦側の中央分離帯の一部が改良される。
 ・ 平成18年、池上町が試験曳きより十二町連合コースへ乗り入れるようになる。ショートカットコース復活。
 ・ 平成20年、十二町連合曳き10周年。試験曳きの午前中に記念曳行が行なわれる。
     コースは10時〜南海中央線→豊中郵便局→板原乗り入れ(日陸)→逆忠地→大津高
     →曽根、二田経由でさつき通り→近畿銀行→千原、曽根経由で→遺跡公園。池上町と穴師地区の地車
     池上乗り入れ後遺跡公園へ。解散後、通常の試験曳きへ。(二田町は自町より房無し、交差旗着用)
   8町連合の地車が、豊中郵便局・忠地。穴師の地車が近畿銀行、池上町を曳行する貴重な機会となった。
 
 ■ 当番町 H26:豊中・森・北曽根


 「並 走」

 ・ 板原町と千原町、池浦町と北曽根が十二町連合曳行時に行う。
 ・ 二田町と北曽根、千原町と池上町が自地区曳行時に行う。(前者はH21より)
2011/11/26 更新
 

町村制施行により、各村々を合併。一村を設け、合併された各村々は大字となる。
○○村大字○○。以前は、○○郡○○村。それ以前は○○郷○○村。



地 区 和泉郡 ⇒ 大鳥郡と泉郡が合併 ⇒ 泉北郡


十二町連合  「穴師村」
   豊中村、板原村、池浦村、我孫子村、虫取村、宮村、穴田村の7ヶ村が合併
     ⇒<泉郡>穴師村⇒<泉北郡>穴師村⇒<泉北郡>大津町へ編入
 「上条村」
   千原村、二田村、北曽根村、南曽根村、森村、助松村、綾井村、(尾井千原村)の8ヶ村が合併
     ⇒<泉郡>上条村⇒<泉北郡>上条村⇒<泉北郡>大津町へ編入 <* 大鳥郡にも綾井村があった>
 

2009/10/25 開設