府中地区 詳細


 
<歴史>
・天正十三年、豊臣秀吉の関白就任と正室(妻)ねねの北政所を称された祝いに地車を曳行した
  と伝えられ、和泉神社、市邊天神社(現、地車庫付近)に地車整列したと云われています。
<市辺町>
・市辺とは、歴史的人物の「市辺押盤皇子」からついた名前。天正時代は市邊天神社に宮入りを
  行っていたようです。
<祭礼日程、宮入り>
・現在、宮入りは府中町五町(宮本は抽選)と和気町、小田町ですが、昭和中期までは十月の
  三日四日、五日だったようで、祭礼は宵宮、本宮、後結祭の三日間あり、本宮の午前七時〜
  九時頃に府中町五町が宮入りを行い、その後に和気町、小田町が宮入りしたようです。
<祭の特色>
・昔は遣り廻しの他に特色として、他町地車との正面、後正面の「かちあて」も行っていたようです。
  その名残で、現在は他町地車の後(けつ)の「かき合い」があります。他町の地車の後梃子
  付近まで青年団が地車を持っていきます(堺市の鳳地区ほど勢いはありませんが・・・)。
<各町詳細>
・「馬場之町」
     ○ 現在の一丁目、三丁目(中央商店街付近)、五丁目(一部)、八丁目
・「小社之町」
     ○ 以前、地内は「上」と「下」に分かれていた。
            「上」は現在の三丁目(地車庫付近)
            「下」は一丁目、二丁目(会館、府中病院付近)*
・「市辺町」
       ○ 現在の五丁目(一部)、六丁目、伯太町二丁目(小栗街道付近)*
・「南之町」
       ○ 現在の三丁目(小栗街道沿い付近)、四丁目
 

この情報は「市辺町青年団」さんより情報提供していただきました。ありがとうございました。