写真

プロローグ

 4月の初旬、hyokoさんからゴールデンウィークのお誘いがあった。お互い、独身の頃に会社の仲間と度々春スキーに出掛けた志賀高原へ久しぶりに遊びに行こうというものだった。そろそろ娘を連れて初めての宿泊旅行をと考えていた私には、渡りに船の話だったので二つ返事で参加することにした。我が家とhyokoさん一家のほかに、マサミさんやスエナガさん、ニシオさん、ヒライ君と昔のスキー仲間が久々に顔を揃える予定だった。

 それが、4月の中旬に突然の訃報が訪れた。マサミさんが、急逝したのだ。頭の中が真っ白になった。とにかく、しばらくは何も考えられなかった。でも、自分の事で他人に迷惑を掛けることが嫌いだったマサミさんの事を思い、予定通り志賀高原ツアーを決行することとなった。ただ一つの予定変更を除いて・・・。

2004年  4月 29日(木)

 朝5:00起床。眠いところを叩き起こされた娘の機嫌は最悪。娘を連れての初めての宿泊旅行ということで、何を持っていけばよいのか見当も付かず、あれもこれもと荷物に詰め込んだところ、愛車の荷台は山積みになってしまった。ようやく泣き止んだ娘をチャイルドシートに乗せて我が家を後にし、集合時間の6:00を少し遅れて会社の駐車場に到着。他のみんなはすでに集まっており、挨拶もそこそこに志賀高原へ向けて車3台で出発。柏ICから常磐自動車道へ入り、三郷JCTから外環自動車道へ。大泉JCTで多少の渋滞はあったが順調に車を飛ばして関越自動車道をひた走る。なんとか娘の機嫌も持ち直したようで、何事もなく8時過ぎには上里SAに到着。ここで、私と妻は前日に用意したサンドイッチ、娘はベビーフードで朝食を済ませ、娘のおむつを交換して9時前にはSAを出発。渋川伊香保ICで高速を下り、長野街道(国道145号線)から草津道路(国道292号線)を経由して草津温泉街へ。途中の道路は景色が良く、車を運転するのが楽しい。草津温泉街のスーパーマーケットで買出しを済ませ、白根山を登る志賀草津道路を一路、志賀高原へ。例年は雪の壁も見られるのだが、今年は春先から暖かかったせいか雪はほとんどなく、せっかく履き替えてきたスタットレスタイヤはあまり威力を発揮することができず、少しガッカリ。昼過ぎには予定通り、ジャイアントスキー場前の常宿に到着。


 スキー場にはほとんど雪が無く、リフトも止まっており営業休止状態。我が家は元々、今年はスキーをするつもりは無かったのだが、何と誰一人としてスキー道具を持って来ていなかったのには少し驚いた。(我が家も含めて、何しに志賀高原までやって来たのだろう。(笑))雪の無いゲレンデで春スキー(?)恒例のバーベキュー。久々にのんびりとした贅沢で至福の時間を楽しむ。しかし、しばらくすると退屈した娘が暴れ出し、妻と交替であやしたり、散歩したりと機嫌をとるが3時過ぎにはそれも限界に達し、やむを得ずホテルにチェックイン。部屋に入ると今まで自由に動き回れなかった反動か、娘は部屋中を荒らしまくる。まるで小さな怪獣の様相。夕方6時から食堂で夕食。テーブル席でどうやって娘にごはんを食べさせるかと思案していたが、ホテルが用意してくれた子供用の椅子に素直に座っておとなしく食事を済ませる。本当、案ずるより生むが易しとはこの事か。部屋のお風呂で娘は初めての温泉体験。長旅に疲れたのか珍しく10時過ぎには眠ってしまった。私と妻も娘を連れての旅行に対する緊張と早起きのせいからか強烈な眠気に襲われ早めに就寝。


       4月 30日(金)

 朝6:00、娘の声で目が覚める。我が家の娘は体の中に時計があるかのように、毎日、きっかり8時間で目を覚ます。何故か朝からとってもハイテンション、勝手に布団を抜け出して私と妻の顔を叩いて起きろのサイン。しかし、私と妻は昨日の疲れからかなかなか床から起き上がれない。それでも、娘の攻撃に耐えられず、6:30に起床。朝食の8:00迄、ご機嫌の娘の遊び相手を務める。(あ〜疲れた。)今日は、峠を長野県側に下って小布施町観光に出掛けることにする。なんと、スエナガさんとヒライ君は車に積んできた自転車で峠を下り、小布施に向かうという。スエナガさんは私より大分年上なのだが、その体力には脱帽。ほんと、見習わなければ・・・。


 10:00に宿を出て、小布施町へ向けて出発。自転車組はすでに30分ほど前に先行して宿を後にしていた。順調に峠を下って、1時間半ほどで、昼前には小布施に到着し、自転車組と合流。車で走っても峠道は楽しかった。天気が最高だったこともあり、体力に自信さえあれば、自転車での峠下りはさぞ気持ちよかったことだろう。小布施町は栗の名産地として古くから知られ、また、葛飾北斎が晩年をこの町で過ごした事から、「栗と葛飾北斎の町」として有名な所である。今では、大小様々な博物館や美術館が建てられ、観光地として賑わっている。とりあえず、小布施に来たからにはと言う事で北斎館に入場するが、最近、ベビーカー嫌いの娘は館内で大泣き。館内の見学もそこそこに休憩用のベンチで娘の機嫌取り。おいおい、これじゃ普段の生活とあまり変わらないぞ・・・。ただひとつ、団体で観光していると思われる、女子中学生とおぼしき集団が娘を見るなり「可愛い、可愛い」を連発してくれたのが、親としてはとっても嬉しい出来事だった。近くの食堂で栗おこわと戸隠そばで昼食を摂る。甘い栗はほくほくして絶品、また、相変わらず戸隠のそばはうまい。長野の味をお腹一杯満喫した後は、自由行動。さて、何処へ行くかと考えているうちに娘の機嫌は最悪に・・・。とにかく、娘も楽しめる所をと考え、”フローラルガーデンおぶせ”という植物園を目指すが、これが遠い。30分以上歩いた末に、なんと娘はベビーカーの上で夢の中。その上、着いた頃には集合時間が近づき、色んな花が咲き誇る園内を急いで一周し、集合場所へと遠い道のりを逆戻り。売店でおみやげをあわてて買って小布施を後にする。本当は地酒も買いたかったのに、そんな余裕は全く無し。


 宿に着くと、山から下りてきたのか2匹の猿が駐車場を徘徊し、なんともう一匹が宿の中で飛び跳ねていた。車を停める為にバックさせていると、バックミラーに車の後ろを通る別の猿の姿が映った。危ないなぁと思っていると、突然、女性の悲鳴。なんと、隣の車の中で猿の写真を撮ろうとしていたjunkoさんに、その猿が飛び掛ったのだ。幸い、大事には至らなかったが、娘を車に乗せていた事もあり、もしもの事があったらと内心ぞっとした。部屋に戻ると妻に娘を頼んで大浴場へ。あ〜極楽、極楽。ほんと、命の洗濯とはよく言ったものだ。この宿、7、8年前まで毎年訪れていたホテルなのだが、長野五輪でフランスチームが宿泊したとの事でちょっとびっくり。夕食を済ませ、お風呂に入るとこの日も娘は9時過ぎに眠ってしまった。明日の朝が思いやられる。


       5月 1日(土)

 今朝は娘も比較的ゆっくり起床。珍しく、9時間以上も眠っていた。娘より早めに目が覚めた私は、体を清めるつもりで朝風呂へ。今日はマサミさんの実家へご焼香に伺わせてもらうことになっている。昨日より早めに朝食を済ませ、宿をチェックアウトした後、車に荷物を載せに行くと、あろう事か猿に車が傷だらけにされてしまっていた。(ショック。)まあ、娘に何事もなかったのだからと自分で自分を慰める。9時半に宿を出発し、昨日と同じく長野県側へ峠を下って中野市から国道403号線を経由して国道117号線へ出ると、後はひたすら関越自動車の越後川口ICを目指す。野沢温泉から千曲川に沿って十日町へと抜けるこの国道は途中の景色が抜群。特に野沢温泉ではこの時期、菜の花まつりが催されており、一面の菜の花畑は一見の価値あり。2時間程走ったところで越後川口ICが見えてきた。ここから関越自動車道を経由して北陸自動車道に入り、中之島見附ICで高速を下りて新潟県三条市へ。


 マサミさんの実家の近くに車を停めてしばらく歩くと、見慣れたマサミさんの真っ赤な愛車が実家の前にポツンと置かれていた。それを見た途端、また涙が溢れそうになった。お通夜の時に全部、涙は流してしまった筈なのに・・・。マサミさんのお母さんは喪も明けない内にやって来た私達を暖かく迎えてくれ、マサミさんの子供の頃の話を聞かせてくれた。本当はマサミさんのお母さんに、マサミさんがどんなに素敵な人で、どんなに頼りになる人だったかを伝えたかったのだが、何かひと言口に出そうとすると涙が溢れそうになり、ほとんど話が出来なかった。昼食をご馳走になった上、笹だんごまでおみやげに頂いて3時頃、マサミさんの実家を失礼した。


 帰りは三条燕ICから北陸自動車道を経由して関越自動車道−外環自動車道−常磐自動車道と高速をひた走る。途中、上里SAで夕食を済ませた後で娘のご機嫌が急変。突然、泣き出したかと思うとそのまま1時間半も泣き続ける。なんとか、ご機嫌を取ろうと妻が孤軍奮闘するものの全く効果なし。しかたがないので、外環自動車道の新倉PAで一旦休憩。しばらくチャイルドシートから降ろして自由にさせると、やっと落ち着いた。みんなより30分ほど遅れてようやく会社に到着。私達の到着を待っていただいたみなさんには大変ご迷惑をお掛けしました。

エピローグ

 娘を連れての初めての宿泊旅行も、周りの皆さんの心遣いもあって無事切り抜けることができました。また、マサミさんに最後のお別れが言えた事がなによりでした。毎度の幹事を嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれたhyokoさんに、この場を借りてお礼申し上げます。