7.最初で最後の乗車
 北上からは再び普通列車の旅に戻る。連絡跨線橋を少し早足で歩いていると、後ろから一ノ関駅で見た先ほどの
2人も小走りでやってきた。もう間違いなく行き先は同じであるのは明白だ。盛岡行き列車に乗り座席を確保すると、
発車して間もなく、また眠りの世界に引き込まれていった。目が覚めると新幹線の高架が近づいて、町並みの中に
入っていくのが車窓に見えた。もう盛岡が近づいてきた証拠だ。盛岡駅に到着する前に席を立って、次の列車の座席
を確保すべく、準備を整えた。

 盛岡駅に到着してドアが開いた瞬間、ホームの向かい側に停まる八戸行き目指して必死に走った。この列車は盛岡
始発ではないので、既に満員だった。しかしそれでも1人分のスペースを見つけて、半ば強引に座席を確保した。例の
2人は残念ながら座れなかったらしい。こういうときに一人旅のメリットが生かされる。もっともこの混雑も都市部(この
場合は盛岡)を離れると、間違いなく空いてくる。特に県境は客が少なくなる。それ故に県境を越える普通列車は本数
が極端に少ないことが多い。

 盛岡を発車して、いよいよ今回の旅の第一目的である、盛岡〜八戸間の乗りつぶしに執りかかった。この区間は
2002年12月1日の東北新幹線八戸延長開業に伴い、JRから第三セクター(盛岡〜目時:IGR銀河鉄道、目時〜八戸
:青い森鉄道)に移管された。つまりJR東北線としては最初で最後の乗車となったわけだ。ちょっと天候が良くない
ので、岩手山を始めとする南部の山々はあまり望めなかった。こうなると車窓よりも持ってきた文庫本に夢中になる。
しかしずっと座っていると疲れるだけでなく、片足(私の場合は左足)の力が抜けて、ひざに違和感を感じてくる。これを
放っておくと肺塞栓症(俗称:エコノミークラス症候群)にかかってしまう。命にかかわるだけにこれはまずい。水分補給
は心がけているが、やはり動けないのは一番問題だ。そこでタイミング良く、三戸駅で特急の通過待ちで7分停車する
との放送があった。到着するとすぐホームに出て、全身の血行を良くするために、腕を伸ばしたり、ひざを屈伸したり
した。

東北ではすっかりお馴染みのこの車両(701系)。オールロングシートなので、
評判はイマイチだ。三戸駅での特急通過待ちにて

 体がほぐれたところで再び車中の人となる。三戸到着時点で既に青森県に入っていた。天候が良くないせいか、
周りが暗くなるのが早い。三戸を出発して30分足らずで八戸到着の放送が流れた。するとその中で「この列車は
八戸から青森行きとなります」というアナウンスが聞こえた。やった!八戸でも”乗り換えバトル”を覚悟していただけに
助かった。こういうケースは地方幹線の普通列車ではよくあることであり、時刻表を見ると別の列車でも、車両は同じ
という扱いなのだろう。この列車の場合は「八戸行き」が17時13分着で、「青森行き」は18時発と、実に47分も停車する
ので、実質別列車と言ってもいい。


8.青い森の中へ
 八戸駅で大分時間が空いたので、車内に荷物を置いて、階段を登ってコンコースに出てみた。どこを見てもいかにも
新装直後というのがわかる。売店の人によれば、今年(2002年)7月にできたばかりだという。この駅は町の中心から
外れているが(八戸線本八戸駅の方が市街地に近い)、新幹線開業によって、駅周辺も栄えてくるのは間違いない
だろう。

仮囲いの向こうは新幹線改札が。新装したばかりの八戸駅。

 タバコを吸うなどしてどうにか47分をつぶし、また普通列車の旅に戻った。さすがにこの時刻(18時過ぎ)になると、
車窓は黒一色に近づいていく。こうなると電車の走行音をBGMに文庫本を読むしかない。かなりスピードを出して
いるようなので運転席を覗いてみると、速度計は100km/hを指していた。駅間距離が長いので、ほぼフルスピードで
走っているはずである。それなのになかなか青森は近づかない。それは八戸から96kmも離れているのだから、当然
だろう。同じ県内なのに100km近くも離れているのは、長らく東京都民をやってきた私にとって、一種の”カルチャー
ショック”を覚えた。辺りは完全に真っ暗になり、駅名を読むのも一苦労だ。三沢、野辺地、浅虫温泉と時刻表や地図
でしか見ることがなかった駅名を生で見て、青森が近づいているのを実感した。

 19時34分、ついに本州北の果て青森に到着、約20時間の長旅に一区切り付いた。



漆黒の海底へ