第62回桜花賞観戦記


1.プロローグ
 機会あるごとに言ってきたが、今年(2002年)は桜の開花が非常に早かった。何せ2週間もずれてしまったので
あまり満喫できないまま、東京の桜は散ってしまった。それから何日か経って「京都・嵐山の桜は今が満開」との
情報を得た。意外にも京阪神地区は東京よりも桜の開花が遅かったようだ。それならばと嵐山に桜を見に行こう
かと考えた。

 ちょうど毎年この時期に中央競馬では桜花賞(3歳牝馬のクラシックG1第1弾)が行われており、1999年と2000年は
現地で観戦していた。(ちなみに昨年は出勤日だった)今年は翌日に代休が取れ、多少疲れても仕事には影響ない
と判断して、2年ぶりの桜花賞観戦も兼ねて1年8ヶ月ぶりの”関西遠征”(前回は甲子園)を決行することになった。

 まず名古屋までの足の確保にと、「ムーンライトながら(東京〜大垣、日本一有名で使い勝手のいい夜行列車)」
の指定席を申し込んだが、青春18きっぷJR全線の普通列車乗り放題の切符で、学生の休みに合わせて発売
される。ちなみに年齢制限はない)の有効期間だったので、満席との由。これの救済措置として、品川発の大垣行き
(「ながら」より大垣に1時間早着)が運転されており、これに乗車することにした。


2.長い夜
2002年4月6日(
 19時30分自宅を出発、途中新宿で夕食を済ませて21時前に品川駅に到着した。発車時刻は23時55分なので、
まだ3時間もある。しかし「ながら」が満席だったことを考えると混雑することが予想できたので、これぐらいがちょうど
いいぐらいだ。春といっても夜はまだ寒く、ホームに新聞紙を敷いて座っていたら寒さでヒザが痛くなってきた。これでは
9年前の失敗(カゼをひき発熱でフラフラになって東京に帰り着いた)を繰り返すことになってしまう。かといってこれ以上
厚着をすることもできない。そこで荷物を置いて周りを散歩してみた。荷物を置きっ放しなので盗難の可能性があるが
今まで同じようなことをやって盗られたことはない。
これに乗った
東日本旅客鉄道 新前橋電車区所属 クモハ165-87 品川駅(東京都港区)にて撮影

 23時10分、発車45分前という異例の早さで列車が入線しドアのすぐ横の座席を取った。通常4人向かい合わせ
なので前に人が座ってしまうのだが、この席は二人がけなので前に気を遣うことがない。また窓がちょうど戸袋に
なっているので、隙間が少なく窓側に座ってもあまり寒くない。発車まで時間があるのでホームの最後尾へ行き
早速撮影(上写真)。席に戻ってしばらくすると隣に学生風の男の人が座って来た。デッキのドア(手動)がすぐ横
なので、発車時刻が近づくにつれてドアの開閉が激しくなる。通路の向かい側に座る人が閉まっていないドアを何度も
閉めていた。おそらく寒いからなのだろうが、ああいう場合はむしろ開けっ放しにしておいた方が開閉の度に大きな音
を立てなくて済む。もっともかなりイラついていたようなので、口にすることはできなかった。

これより2002年4月7日(
 山手線からの接続を待って定刻より3分遅れで品川を出発。予想通り通路に人が立つほどの混雑となった。もっとも
途中小田原までは各駅に停まり小田原までの帰宅列車になるので、平塚あたりで通路には1人もいなくなった。
「ながら」と違って椅子の背もたれが垂直なので、(「ながら」はリクライニングシート)少し寝にくい。それでも目を
つぶっていると自然と眠りについてくる。座った場所がモーターに近い場所なので、走っていると当然大きなモーター音
がする。普通の人には不快かもしれないが、私にとっては電車に乗ったらモーター音を楽しむぐらいの人間なので、
むしろいい子守唄になる。つまり最高の場所を確保したわけだ。しかしあくまで座り寝なので何度か目が覚めてしまう。
結局正味3時間足らずの睡眠時間で西へ向かうのだった。

 名古屋で半分ぐらいの乗客が下車、隣の”学生”も降りていった。いつもなら私も降りて近鉄特急に乗り換えて大阪へ
向かうのだが、この時点で「ながら」より50分早着(5:19着)で、近鉄特急の始発(6:20)まで時間があり過ぎるのと、
今回は別の目的もありそのまま大垣まで乗車することになっていた。大垣に到着するとホーム上を走る人が多く
見受けられた。これは「ながら」でもそうだが大垣以西(米原方面)に向かう人が圧倒的に多く、次の列車が別のホーム
なので、最前部に2ヶ所しかない階段を使って乗り換えなくてはならない。そうでないと米原までの約35分立ち詰めに
なってしまうからだ。お盆や年末などのピーク時には壮絶な席取りバトルが展開される。(←参加経験あり、ちなみに
米原でも同じような”バトル”がある)


3.悲願の初乗車
 大垣で”バトル”に参加せず、一度東海道”本線”から離れて未乗の東海道”枝線”に乗車することにした。
この路線(大垣〜美濃赤坂:5.0km)もれっきとした「東海道線」で、かつては貨物運輸を主体としていた路線らしい。
この先は一体…
美濃赤坂駅(岐阜県大垣市)構内と近くの「踏切」より、かつては貨物駅として賑わっていたのだろう。

美濃赤坂駅は写真からわかるように無人駅だった。駅前に出てみると踏切があり、この先ないはずの線路が続いて
いることがうかがえる。踏切に近づいてみると右上写真のように線路がまだ先に延びていることがわかる。踏切の
銘板を見ると「西濃鉄道」の文字があった、おそらく西濃鉄道専用の線路なのだろう。駅構内にも西濃鉄道所有の
貨車が2,3両停まっていた。駅前の看板を見ると、ここはかつて中山道の赤坂宿があったところらしい。

 大垣に戻る列車に乗ると今でこそ珍しくもないが女性車掌だった。実はこの路線に乗った時点で最初に買った切符
(東京都区内〜京都市内の乗車券)から経路を外れるので、大垣〜美濃赤坂間の往復運賃(360円)を払わなくては
ならない。往きは大垣で改札を出てから180円の切符を買って車内で回収された。帰りは美濃赤坂駅では無人駅
なので切符が買えない、そこで車内で精算しなくてはならない。そこで車掌氏に東京〜京都間の切符を提示して180円
を払おうとしたが、どうも理解できなかったらしく「大垣駅で精算して下さい」と言われた。事情をよく説明しなかったのも
いけないが、そんなに難しいことではないのでプロなんだから理解して欲しかった。もちろん大垣駅の改札で180円を
払ったことは言うまでもない。

 大垣から米原行きの列車に乗ると座席は既に埋まっていた。豊橋始発だったとはいえ、私が乗ったドアからは誰も
降りなかった。もともと大垣〜米原間は本数が少なくその割には乗客が多いので、いつ乗っても大体混雑している。
この時も残念ながら座れなかったが、隣の車両に1つ席が空いているのを見つけて移ろうとすると、車端部の4人掛け
に座っていた御婦人に「ここ、どうぞ」と声を掛けられた。確かに3人で座っていたが、1つに荷物を置いてあったので
当てにはしていなかった。お言葉に甘えてと座らせてもらったが、寝不足が祟ったのか米原まで爆睡してしまった。

 米原に着くと同じホームに姫路行きの新快速が停まっていた。長浜始発なので既に座席が埋まっており、ここから
先は15分に1本なので次の列車を待つことにした。もう8時を回っておりまだ朝食を食べていない。以前はホームで
弁当の立ち売りがあったが現在はその面影すらない。それどころかまともに食べるものを売っている店すらない。
しばらく探した挙句、やっとの思いで新幹線改札口のそばにコンビニ風の売店を発見。かつてはおにぎりを主体とした
弁当(名前忘れた)があったが、現在では影も形もない。かといって朝から「近江牛ステーキ弁当」というのもちょっと…
妥当な線でおにぎりとサンドウィッチを買ってホームに戻った。

 次の列車を待っているとまだ到着時刻でもないのに4両編成の列車がやってきた。停まったあと行先が「姫路」に
なり、(LEDなので行先変更は一瞬)ドアが開いた。本来この列車は長浜始発だが米原で4両増結するらしい。乗り
込んですぐ二人がけ座席を作った。(この車両は転換クロスシートで、背もたれを倒すと座席の向きがかわる)
朝食を食べていると軽い衝撃がした、長浜始発の列車(8両編成)が後部に連結したようだ。米原を出ると早速凄い
スピードで近江路を走り抜ける。何せ「新快速」でありながら時速130キロという、関東在住の私にとってはとてつもない
スピードで走っているのだ。関東でこれに近いのは京浜急行電鉄の快特(時速120キロ)ぐらいしかない。いかに
関西地区の鉄道は先進的かがわかる。もっともそうでないとすぐに競合路線に乗客を取られてしまう。そのスピードを
堪能していたせいか、約50分一睡もしないで京都駅にたどり着いた。


ようやく京都へ、でもまだ始まったばかり…