のだが、京都駅から嵐山に行くにはこれが最短ルートなのでしかたない。京都市内は鉄道での移動が意外と難しい。 かつては市電が京都の街中を縦横無尽に走っていたのだが、現在は市電の代わりであるバスでの移動が便利 なようだ。 新しくなっていた。ちょっと郷愁に欠けるなと思いつつ、対岸の中ノ島公園にたどり着いてとんでもないことに気づいた。 桜がない!正しくはもう葉桜になっているのがほとんどだった。事前に京都市観光協会のサイトで4月4日現在の 桜情報をつかんでおり、嵐山は「盛り過ぎ(散り始めているけど、まだ花は咲いているよの意…だと思う)」となって いた。たった3日で影も形もなくなるとは…。やはり情報は最新のものでないとダメなようだ。紅葉の時期にもう一度 行ってみよう。(おそらく混んでいるだろうが) 嵐山駅へ歩いた。しかし先程も書いたとおり鉄道移動が意外と不便なので、どうやって出町柳へ行けばいいのか よくわからない。(嵐山と出町柳の位置関係は理解していたが…)四条大宮経由ぐらいしか考えられなかったが、 嵐山駅に着くと『出町柳へは北野白梅町からバスを御利用下さい』との旨の案内板が。しかも北野白梅町への 直通電車が運転されている。(通常は途中の帷子ノ辻【かたびらのつじ】で乗換え、土休日に運転するらしい)迷わず 北野白梅町行きの電車に乗り込んだ。 発車を待っているとホームの向かい側でカメラを持った人が数人見受けられた。電車を撮影しているならよくある 光景だが、どうも様子が違う。近づいてみると、なんとモデルらしき女性(推定18歳前後)が電車をバックにポーズを とってフラッシュを浴びているではないか。ちょっと異様な光景に周りの乗客も怪訝そうな顔で反応していた。それに しても何の撮影だろうか?、広告の撮影にしてはカメラマンが多すぎる。それに大変失礼だがカメラを持った人たちは お世辞にもプロのカメラマンとは思えない、(持っていたカメラはプロ用と思われる)むしろ学生風だった。推定するに 大学か何かのサークル活動か、カメラ関係の学校の生徒が実習で”撮影会”をやっていたように思える。しかし真相は 定かでない。(もし御存知の方はこちらまで) 北野白梅町に向かう途中、ある駅でたくさんの人が降りた。その駅とは桜の名所としても有名な仁和寺(にんなじ)の 最寄り駅「御室(おむろ)」である。御存知の方もいると思うが、オムロン株式会社(旧・立石電機株式会社)の名の 由来となった場所(かつて本社があったらしい)でもある。ここで降りてもよかったが、おそらく混雑した中での花見に なりそうなのと、雨が強くなってきたので諦めた。 そうこうするうちに30分足らずで北野白梅町に到着。この駅は名前の通り、北野天満宮の最寄り駅である。北野 天満宮といえば、太宰府(福岡県太宰府市)・防府(山口県防府市)と並ぶ「日本三大天満宮」の1つとして知られて いる。残念ながら北野天満宮へは1度も行っていない(あとの2つはある)。今回も時間の都合上行けなかった。 次の機会には行ってみようと思う。出町柳方面へのバス乗り場へ行くと、何か見覚えのある場所のような気がする。 それもそのはず、一昨年京都をウロついたときに、市営地下鉄北大路駅から北野白梅町までバスで移動して降りた バス停だった。乗り込んだバスも前回と同じ銀閣寺行きの急行バスである。バスは今出川通を道なりに進み、賀茂川 と高野川(このすぐ下流で合流して”鴨川”となる)を渡って30分ほどで出町柳駅前に到着した。ここから叡電(叡山 電鉄)で鞍馬を目指すつもりだったが、雨が激しくなってきたのともう11時を回っており、このあとの予定を考えると このまま大阪に直行するしかない。鞍馬も次回に持ち越しとなった。 といえば昔から”テレビカー”のイメージが強い。今でこそ列車内にテレビがあるのは珍しくもないが、テレビカーは 何と1954年9月から運転している。テレビの放送開始が1953年2月1日だから、いかに先進的だったかがうかがえる。 これには京都〜大阪間での競争においてJRや阪急に比べ距離や線形面で劣っており、スピードでは勝てないという ことが背景にあると言えよう。もちろん今も健在だが、残念ながら1度もテレビカーには乗車していない。いつも先頭 車両に乗ってしまうからだ。運転室後ろに”特等席”があり今回もここに陣取った。しかし早くも疲れが出たのと寝不足 のせいか5分もしないうちに眠気がひどくなり、気が付くともう寝屋川市駅を過ぎていた。つまり30分以上寝てしまった のだ。せっかくの特等席が何の意味もなくなってしまった。出町柳から50分ほどで大阪・淀屋橋に到着した。 |