誕生日の贈り物

作:しにを

            




「プレゼントですか」

 二杯めとなる食べかけのカレーの皿を横へどけ、シエルは正面を向いた。
 片手間ではなく、本気で話をしようという明らかな態度。
 
「プレゼントです」

 シエルの言葉をオウム返しして、志貴は頷いた。
 ふむ、と返されたシエルもまた小さく頷く。
 すぐには会話を続けない。
 様々なデータが彼女の頭の中に瞬時に集まり、そして整理され、最後に一つ
の日付が浮かび上がった。

 九月二十二日。

 その日は、遠野秋葉の誕生日である。
 それを間近にして、兄である遠野志貴がプレゼントの相談を始めた。
 となれば、話の行き先は明らかである。
 新たな目で志貴を見つめる。
 つまり、何をプレゼントしたらいいのか困って、相談しに来た訳ですね。
 気が進まないとまでは言わないが、熱意を必要以上には感じないシチュエー
ションだった。 
 それでもからかいや揶揄で対せず、真面目に応対する辺りが、彼女らしいと
言えば彼女らしかった。
 まあ、懊悩の色が見える志貴を見れば、そっけなくあしらってダメージを与
える気にはならなかったのは確かだった。

 プレゼント。
 妹への誕生日の贈り物を何にすればいいのか。
 志貴はそれをどうするかについて悩んでいた。
 何日も、何日も。
 雑誌をあれこれ読んでみたり、普段はあまり関心を寄せないクラスの女子生
徒達の会話にふと耳を向けていたり。

 ぽつぽつと語る志貴の言葉を聞きながら、シエルはなるほどと内心で呟いて
いた。まあ、普段の遠野くんから推測すれば、そうそうあっさりと閃くもので
もないでしょうね。
 一般論として、異性に対する贈り物は難しい。
 特に男性から女性に対しては困難を極めるとも言う。
 事実かどうかは別として、さもありなんと頷かせる。
 男女を逆にしたとしても、それはそれで説得力を持ちそうであるが。
 
「琥珀さんや翡翠さんには訊いてみたのですか」

 話を聞くだけ聞くと、シエルは訊ねてみた。
 自分だけで判断がつきかねるならば、外に対して答えかヒントを求める。
 それはそれで正解へと行き着く為の方策と言える。
 特に秋葉に近しい二人に訊ねるのは、より正解への近道であろう。
 志貴は力なく頷いた。

「訊ねてはみたけど、答えを聞いたら、却って迷ってしまって」
「そうですか、二人は何と?」

 やや志貴の視線が斜め上に向く。
 虚空を見つめるようにして、記憶を呼び起こしている動作。

「琥珀さんは、ええと……、志貴さんがプレゼントなさるのなら秋葉さまは何
でも喜ぶと思いますよ、だったかな」
「なるほど」

 自然と和服姿の琥珀の姿が目に浮かんで来るようだった。
 その顔は笑っている。

「翡翠は、秋葉さまが欲しがっているものは特に無いのではないかと判断しま
す、とか何とか」
「なるほど」

 こちらも自然とメイド服が浮かんで来る。
 やや困ったような顔をしている翡翠の様子が見える。

 これは答えられても困るかもしれない。求めていたのはもっと具体的な、そ
のものずばりでないまでもヒントとなる回答だっただろうから。
 だが、琥珀も翡翠もこの上なく志貴の問いに真正面から答えている。
 シエルからすれば、その通りと膝をのひとつも叩きたくような二人の返答だ
った。だが、それを解するかどうかは受け手の問題となる。
 遠野くんは……と考え、それがわかるなら自分のところに来ないだろうとシ
エルはあっさりと結論付けた。
 微妙な異性の心の動きや、人間関係の機微とかに通じているとは言えないの
が志貴という存在だった。唐変木だの朴念仁などと目されるだけの事はある。

 さて、とシエルは考える。
 志貴の迷いを解くのは簡単ではある。
 答えを提示するのはさして難しい事ではない。
 秋葉が喜ぶもので、金銭的には志貴の財政能力におさまる範疇。いや、多少
の赤字は可とする。ただし云々といった志貴が漠然と想定している条件を満た
したプレゼントを考えるのは決して難しくは無い。
 一般的に女性が好むものであれ、そのものずばり秋葉が高評価を与えるよう
なセンスの良い小物、身につける装飾品など幾つでも上げられる。
 ただ、そう易々と答えを渡してあげようとは、シエルは思えなかった。
 翡翠さんはともかく、琥珀さんも同じ想いだったのではないか。
 ふとそう感じる。多分、いえきっと当たらずとも遠からず。

「やはり遠野くんが考えないといけませんね」
「そうですか」
「遠野くんのプレゼントですからね」

 内心で秋葉さんのプレゼントですからねと言ったほうが正しいかなと呟く。
 志貴からは反論は出ない。
 そこに軽く苦笑が浮かぶ。

「とは言っても相談を受けたからには助け舟を出しましょう。
 わたしから助言するなら、遠野くんが貰って嬉しいもの、あるいは嬉しかっ
たものは何だったか、その辺を考えてみると良いと思いますよ」
「嬉しかった……か」

 首を捻りながらも、志貴の頭の中で何か少しは歯車の噛み合いがあったのだ
ろうか。
 やや表情に光が差し込む。

「ありがとうございます、シエル先輩」
「いえいえ、あまりお役に立てなくて」
「これはお礼です」

 カレーショップの割引券。
 去って行く後姿と手元の券を交互にシエルは見つめた。
 どうせならもう少し早く出してくれればいいのに。
 冷めてしまったカレーの皿を引き寄せる。
 スプーンを口に運ぶ。熱さは無いが、これはこれで美味。

 シエルが具体的な答えを口にしなかったのは、もうひとつ理由があった。
 志貴が自分の誕生日を強く意識している。
 プレゼントをどうしようかと何日間も頭を悩ませている。
 その事実自体が、秋葉にとっての密やかな喜びとなっているのは間違いなか
った。
 本人に言えば否定するかもしれないが。
 その喜びを無遠慮に踏みにじるのは、同性としては抵抗が無くもない。
 後で他の女に聞いてプレゼントをしたとわかれば、多少なり興醒めするもの
もあろうし。

 秋葉さんに恨まれても困りますしね。
 そういう思考がシエルにはあった。
 立場が違っていたら、秋葉も似たような事を考えたかもしれない。

 そしてまた、さらに女性心理について洞察を行えば、志貴に素っ気なく接し
たのには、他の気持ちも作用していたのではないかと思われる。
 志貴が他の女に対して懊悩しおろおろしている事に対して。
 そしてよりにもよって自分にその事を相談した事に対して。
 面白くないという気持ち。
 秋葉に対しての羨望、そこはかとない妬み。
 言葉にすれば強い調子に思える。が、そうとははっきり自覚していないかも
しれない感情の成分の存在はあったのではないだろうか。
 シエルだけでなく、琥珀にも、翡翠にも。
 省みて自問自答すれば、小さく頷いたかもしれない、三人とも。

 まあ、うまくやって下さいね、遠野くん。
 そうシエルが呟いたのも本心からの気持ちではあったけれど。
 





 何となくのヒントは掴んだ。
 少なくとも光明が見えたような気がした、と思えなくもない、と言うのもや
ぶさかではない、という気持ちになった、との見方をとるに抵抗はあまりなく
なって来ていた。
 だが、シエルとの会談の後で志貴はいろんな店を回りつつも、具体化した成
果を得る事はできないでいた。
 部屋でベッドに寝転ぶ。
 窓を見れば、夜の闇。
 もう日は無い。時間は無い。
 明日の朝はもう、秋葉の誕生日だった。
 誰よりも愛する少女の、一年でただ一度しか巡って来ない祝いの日。
 早朝は慌しいし、まだプレゼント云々とやり取りする時ではない。
 渡すなら夜の方が良い。とすれば学校が終わった後の数時間が、準備時間と
して与えられている。
 しかし、ここ何日間も考えに考え、店を回ってなお目星が付いていない状態
なのだ。切羽詰ったぎりぎりの時に都合よく素晴らしい何物かに巡り会えると
は思えなかった。

 寝たまま考える。
 自分が用意したものなら何でも秋葉は喜ぶだろう。
 琥珀からの助言だったが、志貴も何となくそんな事を考えなくも無い。
 だからこそ難しい。正解が無数にあるからこそ、より優れた正解を求めざる
を得ないのかもしれない。

 秋葉が欲しがっているものは特にない。
 翡翠の言葉、これもまったくその通りだった。
 欲しいものがあれば苦も無く、秋葉は大抵のものは手に入れられる。遠野家
の持つ力が、財力がそれを可能にしている。
 だがそれでいて、秋葉は特に欲しがるものもない。兄に対してあれこれと物
欲の無さを非難したりもするが、その辺は妹も似ていなくもない。

 そうなると何を贈り物としても良く、同時に何を用意しても駄目。
 相反している。
 もしかすると秋葉よりも自分が納得するかどうかの問題なのかな。
 何となく真理に近づいたような気がした。
 だが、袋小路に至っている。解法は見つかっていない。

 最後の助言を脳裏に浮かべる。
 貰って嬉しいもの。
 貰って嬉しかったもの。
 記憶を辿り過去へ。
 嬉しかった事。
 悲しかった事。
 今の生活。少し前の有間の家、さらにまた過去の遠野の屋敷。
 おぼろげな記憶。

 ああ、そうだ。
 あの光景が浮かぶ。
 やり取りが思い出される。

 ベッドからトンと降りると、机の引き出しを開ける。
 中には、畳まれた布片がある。
 白い細い薄い布。
 リボン。
 この家から外へ出された日だった。
 赤い髪の少女から貰った、いや預けられた約束。
 いろいろあって返して、まだ琥珀から渡されて大事にしまっている一品。

 あの言葉が。
 何もかもから引き離されて知らぬ所へ連れて行かれる身に、帰って来たらと
言ってくれた事が。
 どれだけ嬉しかっただろうか。
 リボンはあくまで象徴であり、そこにあった想いの残滓が……。

「そうか、モノじゃないんだ」

 やっと気がついたんですか、と溜息が聞こえてきそうだった。
 双子の姉妹の声であり、年上の先輩の声であり、何故か妹の声でもある、そ
んな声が。
 
 
 
 


「秋葉」
「何です、兄さん」

 澄まし声は、しかし何かを期待するようにそわそわとした様子によって、ま
ったく無効化されていた。
 普段であれば、そんな妹のチグハグで微笑ましい様子をからかう余裕くらい
は兄にもあるのだが、今はこちらも他に気を向ける余地は無かった。
 志貴のほうも緊張の色を見せていた。

「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」

 何やら不自然な感じすら漂っていたが、二人とも気付いていない。
 朝と、何人かの客人を迎えての夕食時と、同じやり取りをしているのだが、
初めてのように志貴は言葉に感情を込めた。
 秋葉も同様に応えていた。
 まったくの二人きりになったのは今日初めてだった。
 少し見つめあう。
 それで互いにわずかな落ち着きを取り戻した。

「遅くなったけど、プレゼントだ」
「……ありがとうございます」

 先ほどと同じ言葉による返事。
 しかしゆっくりと一呼吸する間が空いた後に、声が発せられていた。
 声の響きも違っている。
 小さな箱を志貴は差し出した。
 しげしげとそれを見つめてから、秋葉はまるで触れるのを恐れるようにゆっ
くりと手を伸ばした。
 志貴の手から秋葉の手に移る。
 秋葉の全神経がそこに集中した。
 掌にある僅かな重量が全て。
 無地の紙の箱、外装となる包み紙は無い。
 どこで買ったのか、そもそも購入したものなのかどうか、判断はし難い。

 気がつくと志貴の視線がその掌に注がれていた。
 開けるように促している、あるいは期待して待っている。
 秋葉は小さく頷くと、箱の蓋を外した。
 中には朱色の薄い布があった。
 ハンカチかスカーフ?
 それが何か判断して候補を思い浮かべるが、すぐに打ち消された。
 かなり布地が小さい。広げれば正方形を形成するのではなく、紐状だろう。
 そこまで黙って秋葉が掌に視線を向けていると、志貴が動いた。
 動きあるものに秋葉の視線が移る。
 志貴は贈り物を手に取った。
 どことなくうやうやしい仕草。
 布地が広げられた。
 秋葉の予想したように紐状だった。
 そこらのハギレではなく、高級な生地から取られているのではないか。
 その形状のものは何か。
 秋葉の頭の中で答えは出た。

「リボンですか?」
「うん」

 なるほど、と秋葉は思う。
 何に対してのなるほどなのかは良くわからない。

「がっかりした?」
「いいえ、いいえ、とんでもない」

 言葉だけでは足らずと頭を左右に振る。
 嘘ではない。
 不思議な気はするが、兄から贈られたという事実だけでも体中に染み渡るよ
うな喜びがあった。
 ただ、どう髪につければ良いだろうかと頭の片隅で少し思う。
 兄さんが似合うと言ってくれるような髪形に。
 後ろでまとめてみる?
 それともサイドでアクセントとしてみようか。
 琥珀とも相談して。

「つけてあげるよ」
「え?」

 意外な言葉に戸惑いの表情が浮かんだのだろう。
 志貴が少しおかしそうな表情を浮かべた。
 どうするとその顔は問うている。

「お願いします、兄さん。
 あ、そうだ、あの、後ろを向いた方が良いですか?」
「ううん、そのままで」

 リボンのそれぞれの端辺りに志貴の指。真ん中は撓み垂れている。
 そのままと言われてもどうしたものかと、秋葉は戸惑い続けている。
 とりあえず、頭を下げてとか横を向いてとか言われるまではこのままでいい
のだろうか。
 
 と、志貴の指が喉に触れた。

「ひゃん」

 変な声が出た。
 予想外の刺激。
 
「な、何をするんですか、兄さん」

 吃驚が少し声を強くさせた。
 変な悪戯をしてと咎める気持ちもあった。
 しかし志貴はそれをさらりと受け流してしまった。

「秋葉、これはね、髪につけるんじゃないんだ」
「はい?」

 予想外。
 まただ。
 今日の兄さんは常に無く人を驚かせる。
 決して不快ではないけれど。
 では、どこにと思う間もなく、志貴の指が動いた。
 首筋に指と、サラリとした布の感触。
 髪に触れ、潜り、首の後ろまでに至る。
 
 首に付けるの?

 疑問を口にしたかったが、発声の喉の動きは邪魔になりそうで、留めた。
 きつくしないように慎重にリボンが巻かれ、左右が均等になるように結び目
が作られる。

「これでよしと」

 満足そうに、志貴は呟いた。
 秋葉に告げるというより自分に対して。
 秋葉の首筋には確かにその感触があった。
 呼吸をしてもぶれる事はなく、微塵も苦痛は無い。
 丁度良く結ばれている。

「最初に言ってくだされば良かったのに」
「驚かせたかったんだ」
「驚きました」

 言いながら、秋葉は鏡に向かった。
 白い首というか喉元に朱の飾り。
 どんなものかはわからない。
 どことなく倒錯的な感じはあるかもしれない。
 拘束の首輪とも取れなくも無い。
 が、兄の手で彩られた事に対しては歓喜の思いが湧き起こっている。

「ありがとうございます、兄さん」
「うん」

 正面きって礼を言われて、志貴の顔に照れた色が浮かぶ。
 まぎれもない喜びと感謝の気持ちが秋葉に現れているだけに。

「俺の誕生日の時には、お返しが欲しいな」
「もちろんです。盛大にお祝いもしますし、兄さんが喜ぶようなプレゼントも
用意いたします」
「なら、そのプレゼントなんだけど」

 少し勢い込んだ妹を牽制するように志貴の手が動いた。
 ゆっくりとはっきり伝わるように言葉を発している。
 最初にプレゼントを渡そうとしていた時の緊張が戻っていた。
 おのずと秋葉にもそれが伝わる。
 張り詰めたと言えば言葉が過ぎるが、空気が少し変わっていた。

「欲しいものがある。
 いや、それじゃなければ嫌だ。他のものはいらない」
「はい。仰って頂ければ何でも……」

 言いかけて、少し秋葉の言葉が小さくなる。
 僅かな心の暗雲。
 この家を出たいとか、まさかとは思うけど?

「ところで、秋葉、それは何だと思う?」
「え?」
 
 打って変わったように話題が変えられた。
 それと言いつつ志貴は秋葉を指差した。
 より正確に言えば、白い首筋を。
 ただ、今はそこは朱に彩りされていて……。
 翻弄されつつも秋葉は答えた。

「リボンですよね」
「ああ。じゃあ、リボンは何をするもの?」
「髪を留めたり飾りにしたり、衣服の飾りにもしますね」
「それもあるな。でも、もっと他にあるだろう?」
「他に……、何か買った時に包装の飾りにしたりとかしますけど」
「正解」

 正解と言われても、なんの話をしているのかがわからない。

「誕生日には、そのリボンが欲しいんだ」
「同じものをと言う事ですか?」

 どういう話の行き来なのか秋葉にはさっぱりわからない。

「いや、それが欲しいんだ」
「ええと、お返ししろと仰っているのですか」
「ああ、そのリボンをプレゼントして欲しい」

 何秒間かの沈黙。
 じっと志貴は秋葉を見つめている。
 何かを待つように。
 そしてやがて理解の色が、秋葉の顔に浮かんだ。

「わかりました」

 にこりと微笑む。
 艶やかな、見る者を魅了してやまぬ笑顔。
 ただの一人にしか向けられない。

「今の状態でお返し致します」
「ああ、そうしてくれ」

 今の状態。
 リボンが結ばれているもの。

 どちらともなく近づき、影が重なった。
 そのまま二人とも動かなくなる。

 志貴から秋葉へのプレゼント。
 秋葉を求めているという意思表示。
 絆であり。
 想いであり。
 二人の間を結ぶ約束だった。

  了









―――あとがき

 秋葉誕生日記念SSです。
 当日のもうすぐ日付が変わるという辺りで今書いています。
 間に合うのか。
 
 とりあえず、誕生日おめでとう。

 by しにを(2006/9/22)


二次創作頁へ TOPへ