あなたを待って
 ぼくらは今日もうたをうたう




「CARNIVAL・TALK」

作:10=8 01(と〜や れいいち)





 背中合わせになっているベンチの片方に座り一息。
 時刻を確認すると、まだ11時30分を回ったところだ。
 約束の時間まで30分。十分すぎるほどの余裕を疎ましくは思わない。自慢
ではないが待つのにはそれなりに慣れている。

 特に何をするでもなく、空を仰ぎ眺める。
 普段は当たり前すぎて気がつかないが、意識してみると驚くほどに心奪われ
る蒼。
 風の証か、帯を引いていた雲がゆっくりとだが流れてゆく。
 何となく吐息。
 僅かに漏れた息は、周囲の喧騒に飲み込まれていくように掻き消される。吐
息を飲み込んだ喧騒は、煩いというよりもどこか高揚しているような熱気を感
じさせた。

 まあ、学園祭だしね。

 どうでもいいという風を装いつつも、喧騒の方向を見やる。
 鉄パイプやら、簡易テントやらで組まれた即席の屋台が所狭しと並び、さら
にその隙間を埋め尽くすように多くの人が構内を行き交う。さすが大学の学園
祭といったところか、いつだか行った高校の学園祭も凄かったが、こちらも圧
巻だ。

 その熱気に逃げてきたわけではないが、蒼香は人通りの少ないベンチでそれ
を眺める。
 ただ何となく祭で浮かれるのもどうかと思っただけの話。
 そもそも、蒼香はこの大学の学園祭目的に来たわけではない。その学園祭の
イベントの一つを目的にやってきた。行われるのは好きなバンドのライブで、
普通のライブではなかなかチケットが取れなかった蒼香にとっては絶好の機会。
 休日ゆえに、当然の如く授業はない。
 そのため蒼香は、気のいい友人――そう……友人だろう、おそらくは――を
誘ってこうして待ち合わせをしている次第であった。

「―――♪」

 ただ待っているだけというのも退屈で、そのバンドの歌を口ずさむ。普段は
周りを意識して歌ったりすることはないが、幸いなことにベンチには蒼香以外
は誰もいない。こんな場面を誰かに見られたら死ぬほど恥ずかしいだろうな、
なんて思いながら続きを歌う。

「―――♪」

 歌声は、蒼穹の中に吸い込まれ、飲み込まれてゆく。

 ライブの開始は1時になるので、余裕は十分。
 そう思いながら、のんびりと伸びをしていると。

「―――♪ oh year. year year year―――♪」

 その流れてきた歌は蒼香の声音ではない。
 そのことに気付くと、慌てて歌うのを止めて平静を装う。自分が歌っている
のを他人に聞かれるのはいい気分ではなかった。

「?」

 だが耳をそばだててみると、彼女は自分の考えが間違っていることを悟る。
もう一つの歌声は、やってきた人物が歌ってたのではなく、彼のヘッドホンか
ら漏れ出た音だったのだ。成る程、今日のライブに来た客の一人ということだ
ろう。

 その男は、一見してライブに来るような外見をしていなかった。
 いや、人を外見だけで判断するのはどうかと思うが、それでも彼の容姿はそ
れに似合わないように蒼香は感じた。落ち着いた柔和な容姿に眼鏡をかけた顔。
物腰も柔らかく、どこかのんびりとした様子を感じさせるそれだ。動物に例え
るなら、ムク犬か今にも寝そうなネコといったところか。
 彼はその手いっぱいに屋台で買ってきたお好み焼きやらたこ焼きやらを持ち、
覚束ない足取りで後ろのベンチに座る。余裕で二人前はあるが、全部食べる気
なのだろうか。蒼香から見て彼はそれほど食べるようなタイプには思えない。

 微かに聞こえていた歌が止まる、どうやらプレーヤーのバッテリーが切れて
しまったらしい。仕方がないなあ、などと毒づく彼。どうやら友人に借りたプ
レーヤーらしく充電が疎かになっていたようだ。
 ふう、という彼の吐息。
 それは蒼香の耳朶に響き、喧騒に飲み込まれることなく蒼穹の天へと消えて
ゆく。
 中途半端が嫌いなのか、彼は丁度音楽が切れた部分から唄い始めた。蒼香が
いるというのにお構いなしだ。根性すわってるな、などと場違いな感想を蒼香
は小声で漏らす。

「―――♪」
「ぷっ」

 しまった。
 蒼香は思わず漏らしてしまった声に、顔をしかめる。
 彼はその歌を唄い慣れていなかったのか、少し音程をゆがめて歌っていたの
だ。それが何だかおかしく思ってしまい、吹き出してしまった。
 だが、彼からしてみればさぞ不快だっただろう。意識してのことでなかった
にしても、悪いことをしてしまった。
 互いに振り返り、顔を見合わせる。

「あ、ああ―――悪い。笑うつもりなんてこれっぽっちも無かったんだ」
「いや。かまわないよ、俺も下手だって解ってるから」

 恥ずかしそうに笑顔を返す彼。
 その少年のように純粋な笑顔に、蒼香は思わず面食らってしまった。
 首だけで後ろを向いていたのを元に戻す。再び背中合わせ。

「それ、いい歌だよな」
「そうだね……って言っても俺は勧められただけなんだけどね」
「……ふぅん」
「まあ、これが聞いてみると案外と気に入っちゃってね」

 背中越しに苦笑の気配。
 それを感じて、蒼香は気恥ずかしくなって同じように苦笑。

「じゃあ……今日も聞きに来たんだ」
「そうだね……勧めてくれたコに誘われてね」
「嫌じゃなかった?」
「へ、何で?」

 蒼香の質問に彼は疑問で返してきた。
 その返答を返さずに、蒼香は納得する。

「いや、いい……」
「? まあ、いいけど」

 彼が軽く小首を傾げた様子が目に浮かぶ。その仕草の可愛らしさに、笑みが
浮かぶのを蒼香は堪えなかった。声には出さなかったが。

「じゃあさ」
「ん?」
「その相手と、待ち合わせなんだ」
「ま、そゆことかな。12時に待ち合わせなんだけどね」

 時計を見やると、まだ11時40分になったばかり。
 待ち合わせが12時にしては、来るのはいささか早すぎはしないだろうか。
 その旨を後ろに投げかけると。

「うーん。ほら、待たせちゃ悪いし」
「で、30分くらい早く来る?」
「そうだね……正直に言わせてもらうと、待っていたいって気分」
「は? 待っていたい気分って………」

 時間通りに来ればいいものを、それを待つことに使いたいと言うのだろうか。
何もしないで、ただプレーヤーを聞きながら歌を唄いながら待つだけ。
 余裕があるのは悪くは無いが、時間が勿体無い気がしてならない。

「その時間。もっと他に使えないのか? ほら、学園祭の屋台を見て回れば3
0分なんてあっという間だぞ」
「うん……でも、待っていたいんだ」

 ちらりと後ろから彼の顔を盗み見る。
 その瞳は真摯に輝き、蒼穹を瞳に収めていた。
 軽く天を仰ぐ彼に思わず見入ってしまいそう。

「……頑固なんだな」
「ははっ、そんなんじゃないって……ただ、待っているときのちょっとした緊
張感、かな。うん……それが心地よくてね」
「要するにマゾか」
「言うなー」
「悪ぃ……茶化すつもりじゃなかったんだけどね。もう少し、詳しく説明でき
る?」
「ん、ああ……そうだなぁ。要はさ、相手を待つときの時間が好きなんだよね」
「待ち時間が?」

 訊く蒼香に頷く気配での返答。
 さらに彼は背中越しに続ける。

「待っている間の緊張感はさっき言ったけど……それ以外にも、どんな格好で
来るのか、とか、先に待ってるって知ったらどんな顔するだろう、とか思うこ
とがあるんだよね」
「なんか……ヘンだな、それ」
「そうかな?」
「男のお前が言うと余計に、な」
「非道いな……まあ、その待ち時間のあれこれ考えるのが割りと好きだったり
する訳なんだよね。結構、人を待たせちゃうタイプだから尚更かも」

 笑い声を響かせながら、話す彼。
 その声は冬の乾燥した空気によく響く。
 周囲の喧騒がいつのまにか聞こえなくなっていた。よほど彼との会話に意識
が集中しているのだろうか、まあ悪い気はまったくしない。

「でもさ。今日みたいに寒いと、待つのも一苦労じゃないか?」
「うーん、そだね。でも、俺が決めたことだし」
「やっぱ頑固だ、お前」
「まだ言うかー」
「まだ言うさ」

 軽口をたたきあって、互いに破顔一笑。
 渇いた笑い声に混じって、白い息が浮かび、消える。
 そういえば今日は少し肌寒い。ライブの熱気があるからそれほど厚着で着て
こなかったことが、寒さに拍車をかける。
 冷える身体を自ら抱き寄せさすっていると、背中越しから白い煙が。
 最初は息か何かと思ったが、すぐに考えを改める。その煙りからは香ばしい
匂いが漂っていた。昼時の腹に丁度よい刺激をもたらす香り。
 彼が買ってきたたこ焼きを差し出したのだ。

「いいのか?」
「うん、俺が食べるつもりだったけど、二人で食べても変わらないし」
「うーん、でもなぁ……」
「いいよ、今日は寒いし。遠慮するなって、な」
「……………お、おぅ」

 何故か口ごもってたこ焼きの容器を受け取る。
 実際に見てはいないのだが、背中越しの彼が笑った気がして、どこか気恥ず
かしい。
 丁度、背中合わせになっているベンチの背もたれに置いた。両者の中間に暖
かい湯気が天へと昇ってゆく。

「い、いただきます」
「どーぞ」

 爪楊枝で一突きしたたこ焼きを一口。
 少し固めの皮を破ると、中の部分が蕩け出て口腔へと広がる。一瞬、クリー
ムか何かと錯覚してしまうほどに心地よく蕩けた中身。蕩けるとは言っても崩
れるわけではない。ちゃんとした形を保って蕩けるその絶妙さが、大学の屋台
とは思えない出来だ。
 出来立てを買ってきたのか、また絶妙に熱い。

「あっ、ほふ、はっ、あ、ぁっ、ふぁっ」
「ぷっ」

 彼が吹き出すのを聞く。
 言い返してやりたいが、今はたこ焼きが熱くそれも叶いそうにない。
 蛸を噛み締めると、また味が広がって美味しいのだ。熱いけど。

「ふぁっ―――ぁ、あっ、あつっ……はふ」
「くくくっ……」
「はふぅ……ぅわ、笑うなっ」
「はははは、ご、ゴメンゴメン……」

 謝りながらも笑うのだけは止めようとはしない。もしかしたら止めようとし
ないのではなく、止まらないのかもしれなかった。
 蒼香の顔がたこ焼きを食べたこととは別の理由で紅潮する。

「こらっ、まだ笑ってる!」
「いや、ホント……ホントごめん……あんまりにも、あんまりにも可愛らしか
ったから」
「――――っ!!」

 たこ焼きを熱がりながらも頬張るその姿。
 それを一言「可愛い」と言ってのけた。

 先程よりもさらに紅を帯びていく蒼香の顔。恥ずかしさと怒りの混ざった感
情は彼女の声をも震わせる。

「ば、ばば、馬鹿かお前っ!」
「いや……だから、謝ってるってば」
「顔が笑ってるっ」

 ぷい、とそっぽを向いて彼の姿を視界から外す。
 真っ赤に染まった顔は、金属を打ったように張り詰めた寒さでありながらも
元に戻る気配はない。
 ああもう、どうしてくれるんだ。
 などと心の中で毒づいたりしながら、なんとか平静を取り戻そうと深呼吸。

「………まだ、怒ってる?」
「……………」

 こちらを心配するような口調。
 どこか申し訳なさそうな彼の言葉に、蒼香はたこ焼きの残りを食べることで
応えた。彼の分まで全て。
 我ながら大人気ないと思いつつも「あああっ!」と叫ぶ彼の声を背中で聞い
て、ふふん、と口の端をつり上げる。
 彼はがっかりした溜息をつきながらも、立ち直ったようでもう一つのお好み
焼きを頬張り始めた。ソースの香ばしい匂いがたこ焼きを放り込んだ胃袋を刺
激してくる。こういった屋台の食べ物は、どうしてこうも食欲をそそるのか。
ソースの香りからして市販の物ではなく、手作りのソースらしい。
 大学の学園祭なのに随分と手の込んだことだ。

「学園祭……か」
「? はふ、あむ……どしたの?」
「うーん……なあ、学園祭ってどうだ?」
「どうって?」
「あー、実はさ。ウチの学校はあんましこういったイベントしないんだけどさ
……だから、そっちの学園祭ってのはどうなのかな、って」
「ああ」

 思案する様子が背中越しに伝わってくる。
 ややあって、彼が口を開いた。

「そうだなー。学園祭はやっぱ何だかんだいっても楽しいよ。自分はあんまし
準備とかに参加しなかったりするけど、それでも全員で何かをするっていう行
為が楽しかったり、祭の前の高揚感って言うのかな……そういうのや、終わっ
たあとの何ともいえない物悲しさとか寂しさ……それを込みで、純粋に好きだ
な」
「ふぅん……成る程ね。なんか、解るなその気持ち」
「そう?」
「ライブと同じだってことかな。ライブの前のドキドキした緊張感は高揚をも
たらすし、終わった後のハイになった気分や、それを通り抜けた後の感じとか
……なんか似ている気がする」
「そうなんだ……俺、実際はそんなライブとか行ったことないからなぁ……」

 納得したように頷くと、彼は再びお好み焼きへとかぶり付いた。
 その表情を覗き見る。
 彼の頬張りの表情は、何だか見ているこちらに笑みを浮かばせるものだ。ど
こか可愛らしさを感じさせるような食べっぷりに、蒼香は微笑。

 時刻を確認すると、もう12時になるところだ。
 昼食時のためか、屋台通りの方向から聞こえてくる雑踏や活気がさらに大き
くなる。
 煩いというよりも、賑やかしいといった様子。嫌いじゃない。

 背中越しに微笑んだまま、蒼香は訊く。

「なあ、さっきからこっちが訊いてばっかだからさ……そっちからは訊くこと
とかは何かないのか?」
「訊くこと……ってイキナリ言われてもなぁ」
「……まぁ、無いなら無いでいいんだけどね」
「そだね……じゃあ、キミもここには待ち合わせに?」

 彼の問いに、蒼香は歯切れ悪く「まあね」とだけ答える。
 そんな彼女の様子に疑問符を投げかける彼。

「あー、その。待ち合わせなんだけどさ……その相手についてちょっと、ね」
「へー、相手がどうかしたの?」
「まあ、その……さ。今日のライブに誘ったのはこっちなんだけどね。その相
手ってのは普段はそういったことに興味ない感じなんだよ」
「見た感じだけかもしれない……実際は物凄く好きとか」
「まあ、話を聞けって。途中なんだから」
「ごめん」

 素直に頭を下げる彼に思わず微笑む。背中越しで、こちらを向いているわけ
ではないのに頭を下げてくるなんて律儀もいいところだ。
 微笑みながらも、彼女は言いたいことを思考でまとめ、次の言葉を紡ぐ。

「まあさ、実際そいつと付き合ってみて、そいつはやっぱバンドとかのことを
よく知らなかったってわけ」
「うん……続けていいよ」
「あんまし聞く機会とかないらしくてさ、最初は結構噛み合わないこともしば
しばあってね……うーん、上手くいかなかったんだわ、これが」

 言いながら苦笑する。
 彼はそんなこちらの気配が解っているのか、何も言わずに、何もせずに、た
だ耳を傾けていた。
 傾けてくれていた。

「あー、悪い。なんか、食いながらでも飲みながらでもいいよ」
「いや……このままでいい。続けて」
「悪ぃ……まあ、それなりに今は向こうも解ってくれるようになってね、こう
して今日はライブに一緒に行くことにした……」
「へぇ、いいことじゃないか」
「うん……まぁ、そうなんだけど、ね」
「歯切れ悪いな。現状が不服とか?」

 彼の言葉にそっと笑む。
 それは自分の現状を見つめなおしての笑みだ。
 現状が不服なのではないか?

「いや。そんなことはないんだよ」
「ふぅん……じゃあ、他に何かあるの」
「だからさ……向こうがこっちを解ってくれているってのは。本当に理解して
くれているのか? ってことなんだよ」

 ああ、という得心のいった声。
 それを聞きながら蒼香は決意し、続ける。

「本当は……こっちに気をつかって付き合ってくれているだけなんじゃないか
な、って」
「そんなこと、ないと思うけど」
「そうかもしれない……でも、アイツお人よしだから。ありえない話でもない
ような気がするんだよな」
「そんな………」
「こっちはさ、その、少なからず……そいつのことを好きだと思ってるんだ。
こんなことイキナリ言われてあれだろうけど、聞いてくれよ、な。聞いてくれ
るのか? ありがとう……で、続きなんだけどな。好きだって思っているから、
聞けないんだよ、そのことを。うん、解ってる。本当は直に聞けば答えは出て
くるだろうってことは……アイツはさ、お人よしだけど嘘が下手だし……」
「………………」
「で……もし、こっちの都合に合わせて付き合っているようだったら、悪いな
ぁ……って。無理させちまって、本当に謝りたい気分になるんだ……そのこと
考えると。でも、好きだから言えない。言って……もし……」

 もし。
 こちらに合わせているだけだったら。

 相手が無理をしていたら。
 二人ですごした時を、少なからず楽しんでいた蒼香は。
 耐え切れなくなってしまうだろう。

 無理をしてまで付き合ってくれている、彼の気持ちに。

「だから……だからっ!」
「………………」
「……悪かった。こんな話、ライブ前にするような話じゃなかったな」
「いや」

 彼は、答える。その一言は短いながらも、どこか研ぎ澄まされた意思のよう
なものが込められているように感じた。
 蒼香の吐息が、天へと消える。
 重い、重い、吐息が。

「あのさ―――」

 蒼香は気配だけで「何?」と問う。

「もし……もし俺がその彼の立場だったら、そんな無理なんかしていないと思
うな」
「―――――っ」
「俺さ、今日はこのライブに誘われた立場だけど。普通にこのバンド好きだよ。
これを教えてくれた相手には本当に感謝している……俺だったら、無理をして
付き合おうとか、そんな風には絶対に思わないな」
「で、でも……それはお前が第三者だから」
「第三者でも、当事者でも……その、好きだって気持ちに偽りは無いよ」

 青い。
 どこまでも蒼い空を仰ぎながら、彼は答える。

「それにさ、俺。その相手のコ……女の子なんだけどね。彼女のこと、好きな
んだよ」
「―――――」

 蒼香も天を仰いだ。
 これは自分の言葉の返答と受け取っていいだろうか。
 逡巡。
 それも一瞬で終わり、蒼香は決意した。

 なんだ。
 悩んでいたのが馬鹿らしい。

「それって」
「へ?」
「それって、わたしへの言葉と受け取ってもいいんだな」

 縛っていた髪の毛を解き、背中越しの彼の方を振り向く。
 そのまま身を乗り出し、驚きの表情を覗いた。そういえば、彼は自分が髪を
縛っているときの姿をまだ見ていなかったような気がする。まあ、ライブに一
緒に行くのもこれが初めてだし当然か。

「あ、そそそそっ」
「待ち合わせ、間に合ったな。遠野の兄さん………いや、志貴」

 さすがに彼の名前を言ったときは顔を赤らめた。
 やっぱり、名前を言うのにまだ少し抵抗を感じる。

「あ、いや―――その」
「なんだ。気付いていなかったのか? てっきり、気付いていると思って、話
してたんだけどな……結構、勇気がいったんだぞ、本心を話すの……」
「え、えと……」
「それとも。アレは嘘か?」
「ま、まさかっ」

 慌てて言う彼に微笑みで応える。
 それだけ聞ければ、今は満足だ。

「よしっ、んじゃ行こうか……えっと……」
「ああ、蒼香。行こう」

 名前を言うのを言いよどんでた所に不意打ち。
 面食らってしまった蒼香は、今の自分がどんな顔をしているのか理解できな
い。
 だけど。
 それを見て、志貴が微笑む。

 なんか、悔しい。

「――――!! きょ、今日はライブに来たんだからなっ、あまり舞い上がる
なよ」
「ああ、解ってる。でも良かった」
「何が」

 必死に誤魔化そうとする蒼香に語りかける志貴。
 蒼香はそれを憮然とした表情で仰ぐ。

「蒼香の為に買ってきたたこ焼き……食べてくれて」
「――――っ、ば、ばかっ、そんなこと、どうでもいいだろ……」

 顔を真っ赤にして、蒼香が視線を外す。
 微笑をそのままに志貴が、

「そうだね……ライブが終わったら、学園祭楽しむんだし」
「―――え?」
「楽しむんだろ? ねっ」
「……あ、あぁ」

 彼の有無を言わさない笑顔に飲み込まれてしまう。
 だが、それは不思議と不快感を感じさせない。
 彼が本当に、楽しみたいと思っているからだろう―――自分と一緒に。

 でも、やられっぱなしでは悔しいので何か言い返そうかと蒼香が思案すると。
 彼女の指を絡め取るように、彼の指が絡まる。
 ギュッと軽い力で握ってくる彼の指。凍えた空気の中で、そっと肌が触れ合
う。
 蒼香は顔を真っ赤にしながらも、握り返した。
 少し傾けば、蒼香の身体が志貴に寄り添う。
 志貴はそれを受け入れ、平行線を描くように二人で歩を進めてゆく。

 なんとなく。
 そっと歌を口ずさむ。
 志貴もそれに合わせる。

「キミの詩が 終(週)末の空へと響く―――」

 最初。
 会っていたときとは異なる歌。
 だけど、なんとなく今はこの歌を歌いたい気分。

 世界が週末に終末を迎えようとしても。
 歌い続ける、そんな詩。

「扉の向こうに楽園なんかない それでもぼくはあなたと歌う
 rock'in on Heaven's door.―――」

 蒼香と志貴は、これから始まるどこかへ向けて、手を繋いで歩き出した。

 天を仰げば、蒼。流れるは、風。
 その二つを合わせて、空と云う。

 歌声が空にそっと吸い込まれてゆき。
 飲み込まれていくのではなく。

 ――――響き渡った。





 しゅうまつをむかえながら キミは唄う

「あした晴れるかなぁ」

 ―――ただそれだけ―――


                          <END♪>










「言い訳」


 このお話は、月姫蒼香で一本書こうと思い完成させた作品です。
 元々は、しにをさんには別の作品(それもプロットが必要な長いやつ)を寄
贈しようと思ったのですが「書きたいものが書けるけど、納得のいくものは書
けそうにない」という結論からこっちのほうを書き上げました。

 今回の物語は、特に何かが起こるとかそういったこともなく、ただただ待ち
合わせの相手に気付かない志貴と、それに気付いていながらも他人のフリをす
る蒼香が、背中越しになんとなくなトークをするだけのお話です。
 それ以外には見せ場も無く、ただただ会話をするだけ。非常に退屈なお話に
思えるかもしれませんが、雰囲気のある作品を書いてみたつもりですので。
 何気ない話を、何気なく見せようと思った次第です。
 作中の詩は完全なオリジナルです。
 ヘボーい歌詞で申し訳ない気持ちでいっぱいです、ホントすいません。


 今作も頑張りました。
 ですが、駄目っぽいかもしれません。

 まあ、所詮は「後書」ではなく「言い訳」ですので。

 ではでは
 10=8 01(と〜や れいいち)でした。


       BGM:Beautiful morning with you.(the pillows)


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