呪い

作:しにを

            




 これは、何?
 私は、何を見ている?

 どうして。
 どうして、宗一郎様が倒れているの。

 飛び散った血。
 動きの止まった体。
 死の匂い。

 目で見ているものが理解できない。頭が働かない。
 嘘だと、こんなものは間違いだと、心で叫ぶ。
 けれど同時に。
 これは悪夢を見ているのでは無いと判断している私がいる。
 むしろ、夢から醒めたのだと。
 うたかたの幸せの夢が消え去ったのだと。
 あの時のように。
 故国を逃れ、見知らぬ土地へと。
 それでもなお傍らには頼りとするお方がいて。
 けれど、それが全て幻の如く消え去って……。

 これは呪いか。
 奪われ、罪を着せられ、憎悪を受け。
 頼みとする人の為にした行為も、全て裏目となって。
 死してなお、世界の呪いを浴び続けている。
 魔女と謗られる事には慣れた。
 怖れられ憎まれ、石もて追われる事にも。

 けれど、これは酷すぎる。
 ならば、何故、私にこんなものを与えたのだ。
 奇跡を。 
 宗一郎様との出会いを。
 絶望に対する希望を、温もりを。
 奪う為か。
 やっと得た、ほんのささやかな喜びを、無残に奪い嘲笑する為か。
 そこまで憎まれているのか。私が、そこまでの何をしたと言うのだ。

 呪い。
 そう、呪いだ。
 世界が私に仇をなしているのだ。
 ……。
 受け入れない。
 今までの私ならば文句を言えず、打たれ続けただろう。
 けれど、今は、否定する。
 この呪われた運命を憎悪する。
 けれど、何が出来よう。
 私は―――

 その時だった。
 立ち尽くし、ただ宗一郎様を見つめていた私の、停止状態を破った闖入者。
 雷の如き怒りの声。
 罪を告げる言葉。

「キャスター―――貴様、主に手をかけたな……!!」

 声に顔を動かすと、苛烈とも言える瞳が私を睨んでいた。
 ああ、と瞬時に悟る。彼女が何を見たのか。彼女がどう認識したのか。
 さぞや言語道断な所業とその碧眼に映っているのだろう。
 多数の無辜の民を魔力の糧としても、外道の法を行っても、これほどの嫌悪を
彼女に引き起こしはしないかもしれない。
 マスター殺し。サーヴァントたる者の何よりの禁忌への強い非難。

 心情を行動に転化したように、鎧を纏った少女が迫る。
 さながらそれは、突風。光を放つような魔力の奔流。
 剣を手にした凛々しき姿。

 それに視線を引かれた、心が反応した。
 茫然自失の状態が、僅かに崩れていく。 
 夢から醒めたように、独りでに言葉が紡がれていた。
 
「―――セイ、バー……?
 そう、止めを刺しに来たという訳ね。誰の筋書きだか知らないけど周到なこと」

 固まった状態では無くなったものの、まだ自分の体を取り戻していない。
 我ながら、他人事のような無感動さ。
 まるで、どこかで誰かが、私の声をもって話しているよう。
 現実の意識はまだ去ったまま。

「黙れ。主を裏切った者の言葉など聞きたくもない。自らの行いを恥じ、ここで
裁かれるがいい」

 まっすぐ見据える瞳。
 迷いなき断罪の言葉。
 正義と共にある感情。
 剣を司るサーヴァントは、倒すべき敵としてよりも、唾棄し排斥すべき存在と
して、目の前のサーヴァントに対している。
 
 普通ならば、怯んだだろう。
 目の前にいるは、恐らくは最強のサーヴァント。
 何の策もなく向かい合い、平然としていられる者がどれだけ存在しようか?
 まして、こと戦いにおいては私は最弱たる身であった。
 しかし、その強大な断罪の剣を前に、何ら恐怖の感情は浮かばなかった。
 知覚も出来ぬ刹那の間に私の体など斬撃に散るだろう、そんな予測に微塵たり
も危険を感じなかった。忌避へとに心が動かなかった。
 ただ感じたのは、おかしさ。
 不条理さ。
 何ともいえない、体が震えて砕けそうなほどの、笑いの衝動。
 抑え切れなかった。
 今までの絶望が、悲嘆が、やっと出口を見出したように、声となって洩れる。 

「は―――私がマスターを殺した? 宗一郎様を私が?
 ふ―――はは、あはははははははは! それは愉快ね、ええ、こんな事になる
のなら本当にそうしてしまえばよかった……!」

 狂的な声。
 それでもなお、私の言葉は素直になっていない。
 何者かへの皮肉と逆説、自分自身を突き刺す刃。
 本心を吐露するには、あまりに心が壊れすぎた。
 まだ王女として、自らの意志に拠らぬ思惑に流されていた頃から。
 私の言葉など信じて貰えない。
 結果として残った事から、全ての責を帰す対象とされてきた。
 
 私の中に一かけらでもあったというのか。
 自らの手で宗一郎様を、真のマスターの命を奪いたかったという思いが。
 死によって全てを私だけのものにしたかったという邪心が。
 馬鹿な。
 そんなものがあろう筈がない。

 葛木宗一郎様。
 私のマスター。
 単なる偶然の出会い。でも信じがたい必然なのだと思いたくなるほどの偶然。
 聖杯戦争の事など知らない。魔術師ですらない。
 他のマスターに対する意志はなく、勝ち抜こうという希望も持たないお方。

 そう、宗一郎様と私の関係は、決して常なるマスターとサーヴァントのそれで
はなかった。
 聖杯に無関心なマスター故に、全てをサーヴァントである私が、講じなければ
ならなかった。
 他のマスターであれば、それでも良かったかもしれない。
 己の呼び出した武勇を誇る英霊の力に全てを任せるのも、マスターとしての一
つのあり方であろう。けれど、我が身は非力にして戦闘には向かない。それ故の
策を練り、サーヴァントを使役する必要がある。
 葛木宗一郎というお方は、そういう意味ではキャスターのマスターとして相応
しくなかったのかもしれない。
 しかし、それは否。
 それでもなお、私には、宗一郎様だけだった。宗一郎様だけが、キャスターた
る私のマスターだった。
 聖杯戦争に参加する為の手段としてではなく。
 強大な魔力を持つ魔術師としてではなく。
 私が女だという事実にすら重きを見ないこのお方が。

 克明に覚えている。
 出会いを。

 ―――そこで何をしている。
 その声を。

 ―――起きたか。事情は話せるか。
 死んでいないと知った時の驚きを。

 ―――迷惑だったのなら帰るがいい。忘れろと言うなら忘れよう。
 そのそっけない響きを。

 必死だった。
 巧く立ち回れば良いものを。
 残された最後の道具、言葉をもって、都合良く騙し切れば良かった物を。
 なのに、語っていた。
 全てを。
 飾りも無く、必要最小限の事だけでなく、何も隠す事無く。
 真実を。話すのが苦痛な事も、隠して置きたい事も、全てありのままに。
 あの鋭い眼差しが、嘘を見抜くと思った訳ではない。
 偽りを述べずに、真実を隠す方法なと幾らでもある。
  
 聴いて欲しかったのだ。
 もう最期かもしれない瞬間に、呪われた魔女の言葉でなく、メディアとしての
話を、言葉を。
 魔術師でもない普通の人間。
 信じぬかもしれない。
 理解し得ないかもしれない。
 信じ理解したとて、拒否するかもしれない。
 それでも私は語り、宗一郎様は、私が不安になるほど、じっと聴いていて下さ
った。その表情も佇まいも微塵も変化は無かった。
 口を挟む事も無く、話を終えても質問の一つも無い。
 むしろ、こちらから訊ねてしまう程。
 馬鹿な言葉、自分から言葉の真偽を疑わせるような問い。
 このような話を信じるのですか、そう声にして答えを待った。
 あの時の、震える程の怖れは何だったろう。
 同時に感じた、仄かな期待は何だったろう。
 不信には慣れていたのに。惨い仕打ちにも馴染んでいたのに。
 今の今までも、卑小で愚かな人間に苦しめられていたと言うのに。

 そして、宗一郎様の言葉。
 恐らくは、この瞬間に決したのだ。 
 存在が消え去るのを防ぐ為だけではなく。
 この現世に留まりたいという欲求だけではなく。
 主となる者を望んだ。
 その時には、傀儡と出来ると思っていた。
 縛られる事無く、自由を保てると思っていた。
 それでもなお、 

 ―――今のは嘘なのか?

 その、疑いも無く、私の言葉を全て真実とした上での言葉が、私を宗一郎様の
サーヴァントにしたのだ。
 正の英霊ではない私にはわからぬ、マスターとサーヴァントの本来の関係。
 魔力の回復の為に、そして契りの為に、宗一郎様に抱かれている間の、愉悦と
結びつきは、それに近かったのではないかと思う。
 少なくとも私は、誰にでもなく自分に誓った。
 宗一郎様をマスターとすると。彼の為のサーヴァントとなるのだと。

 その誓いを、関係の無い者には触れさせない。汚させはしない。
 セイバー、光と共にあるサーヴァント、おまえに何がわかる。
 いかな苦難があろうと、正面から打ち破るだけの力の保有者。
 存在自体が汚れなき輝きであるサーヴァント。
 当たり前の如く、マスターに忠誠を誓い、マスターの全幅の信頼を得ているで
あろうおまえには、決してわからない。
 誰が、己がマスターとなって下さったお方に、害意を加えるものか。
 我が身を投げ出そうとも、宗一郎さまだけは守ってみせる。
 そう思っていたのだ。
 それを、私が、この手で宗一郎さまを殺す?

 なんという侮蔑。
 なんという屈辱。
 ほんの半刻前であれば、怒りのあまり、この地全てを滅していたかもしれない。
 地獄の業火。
 氷塊の魔風。
 けれど今は、我が身の怒りが、純然たる外へ向けられるものとはならない。

 反発。
 しかし同時に、セイバーの言葉は、別の意味で私を切り刻んだ。
 体を、心を、ずたずたにし、血塗れにした。

 マスターとしてサーヴァントを召喚したのであれば、
 我が身を掛札として聖杯戦争に身を投じたのであれば、
 他のマスターにサーヴァントに命を奪われるのは、覚悟されるべきものだ。
 隅に隠れ、策略と罠を巡らすマスターとて、それを理解しているからこそ、闇
に潜むのだ。あの顔すら思い出せぬ愚劣な召喚者ですら、それを弁えてはいた。
 それを覚悟はせず、隠れて逃れようと考えてはいたけれど。
 しかし、宗一郎様は違う。
 マスターとサーヴァントについて、聖杯についてはお話した。
 危険についても理解していただいた。
 それでもなお、彼の人は、マスターをなる事を望んでなった人ではない。
 私が宗一郎様のもとに現れてしまったから、私の存在があったから、マスター
となって下さったお方。
 マスターとして傷つき、死したとすれば、それは全て私が因となったもの。
 私と係わり合いにならなければ、決して起こらなかった事。

 つまりは―――、
 私が、宗一郎様を殺したのだ。

 サーヴァントでありながら、アサシンのマスターとなり。
 禁呪に手を染め、魔力を街中から集め。
 主たる方に隠れる背信的とも言える行為を繰り返し。
 防御と攻撃の手を迷う事無く打っていたのは、私だけのためではなかった。
 宗一郎様の為。宗一郎様の勝利の為。
 何も望まぬお方、それでもサーヴァントとして出来る事はそれだけだったから。
 それが、宗一郎様のお気に召すかはわからない。
 それ故に私を疎まれるかもしれない。
 私を召喚した訳ではない。
 マスターたる事を望んだ訳ではない。
 聖杯で望むべきものも何も無いと言った。
 その主に対して出来た事はそれだけだったから。
 故国を脱出し、あの方の為に若返りの詐術を図ったあの時も。
 私が出来る事で、よかれと思って、心より尽くすだけ。

 なのに、守れなかった。勝利、聖杯の獲得、それ以前に敗れてしまった。
 先に死す事も無く、宗一郎様の倒れたお姿を見てしまった。
 力なく破れる事があろうと、先に私が倒れると信じていたのに。
 
 私が、宗一郎様を殺したのだ。

 だから、マスター殺しの忌むべきサーヴァントとして私を殺すのならば、それ
でいい。
 その汚名を甘受しよう。
 それが、宗一郎様への償い。
 マスターへ殉じる行為。
 慕った方と同じ処で死ねる事を、むしろ喜びとしよう。

 でも、セイバーよ、私たちへの侮辱に対しては、おまえの侮蔑した汚れた魔女
としてお返しをしよう。
 宗一郎様と私の関係を汚したおまえの言葉に、返礼をしよう。

 魔術でも、宝具でもなく。
 言葉にすらしない、そんな返しを。
 実行力はない、ただの思いを、おまえに、お前達にぶつける。

 呪い。
 呪いを、セイバーとそのマスターへ。
 魔女と呼ばれ、怖れられ、憎悪された私の、初めての呪いを。
 先ほどの世界への憎悪を、指向を持って向ける。
 単なる八つ当たりかもしれない。
 けれど、それでいい。
 唯々諾々と従うのはもう止めた。

 ルール・ブレイカーを戻す。
 こんなものは使わない。
 おまえなど、いらない。

「―――目障りよセイバー。主もろとも消え去りなさい」
「――――――――」

 合図のような言葉。
 不意打ちではなく、わざわざの宣誓。
 それを契機として、動きが生じた。
 セイバーが目に見えぬ剣を振るう。
 唸りを上げる風の音。
 敵対してなお、惚れ惚れとするような姿。
 勇猛にして美麗。
 機械的に放った私の魔術を、何の障害ともしない。
 疾風の如き突進。
  
 勝てる訳が無い。
 ひとたび、この間合い、この対峙がなされれば。
 魔術師たる身には、避ける事も受ける事も思いも寄らぬ。
 斬撃。
 刃が貫き、体を両断する。
 その衝撃、体が滅していく事による痛み。

 斬魔の剣を振るったセイバーの方が訝しげな表情を煌めかせた程のあっけなさ。
 それはそうだ、あえて甘受したのだから。
 真に逃れるならば、まだ方法は幾つもあった。
 けれど、この場を逃れて何となろう?
 主無きサーヴァントとなった私に、それ以上生き残る理由も意志も無い。

 ただ、その最期の刹那。
 呪いを吐いた。
 斬られた、殺された、その縁を二者を繋ぐ糸として呪いを伝えた。 
 無駄とわかっていながら、全てを失った哀れな女のかける、初めての呪い。
 言葉にしたとて、ただ悔し紛れと黙殺されるであろう、ただの呟きにして、喉
が張り裂けそうな叫びの声。 
 そうだ、全ての我が身の哀切と世界への憎悪を、私はぶつける。

 届け。
 届け。

 この言葉。
 この呪い。

 世界に憎悪された、闇に倒れる魔術師から、
 世界に祝福された、光放つ剣士の英霊へと。

 この魔女メディアの呪いの言葉を受けよ。
 私にぶつけた言葉を、おまえ自身へ。
 そうだ―――
 

 呪われよ、セイバー。
 いつか、いつの日か、おまえこそ、己の主にその刃を向けよ―――


 
  了
 











―――あとがき

 キャスターSSです。柄にもないものを書いてしまいました。
 
 凛ルートでの葛木先生との交わりや最期が、キャスターの見せ場であり魅力が
出る処と思いますが、個人的には桜ルートでの最期のも印象に残っています。
 そのストーリーにおいては、彼女達主従はほとんどセイバーおよび士郎と絡み
ません。ある意味、セイバールート時以上のあっけない登場と退場。
 ただ、プレイヤーは凛ルートにおける二人を見ている。背後にあったであろう
ものを見ている。それ故に、書かれていないものを見てしまう。
 ……といったマルチストーリーならではの構造に弱いのです。
 で、安易ではありますが、その辺を脳内補強してみました。 
 その後の士郎のサーヴァントとしてのセイバーの死。そしてラストの闇セイバ
ーとの対峙は、キャスターから見ればどう映るのかなとか思いまして。

 普段、ゲーム内時間軸でのお話はまず書かない(書けない。後日談のみ)ので
すが、試みとして挑戦。なんだか、いつもと感じが違って書きづらかったり。
 それに「寄せ集めな世界」のしゅらさんの“きゃす美さん”のイメージがあま
りに強くて……。あれ、大好きなので。

 不出来ですが、お読み頂きありがとうございました。

  by しにを(2004/3/3)


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