夜と昼との間の夢

作 権兵衛党

            


 どういうツテかは知らないが。
 乾君の紹介でバイトが一人増えた。


 わたしは幸せをかみ締めていた。
 いや、別にたいした事じゃない…のだろう。多分。
 ただ単にアルバイトしている喫茶店『アーネンエルベ』に新しいバイトが入
っただけの事。
 でも、それはわたしにとっては非常に重要なことだった。
 だって。

「じゃあがんばろうね遠野君」
「うん、がんばるよ弓塚さん」

 志貴君と一緒に過ごせる時間が増えるという事なのだから。

「えへへ」

 自然にこぼれる笑みをそっと隠して仕事の説明をする。

「…だから、コレ気をつけてね」
「了解」

 優しくも厳しい先輩なのですよ、わたしは。
 なんて、なんて。うふふふっ。
 色々教えたり助け合ったりしているうちに親密な仲になったりなんかして。
 きゃあ。
 内心浮かれつつ説明を終えて、ウェイター姿の志貴君を改めて見遣る。うん、
これも似合うなあ。

「それじゃ、あっちの注文とってきてね」
「はーい」

 素直に従う志貴君を見送る。
 いつもいつもいつもいつもわたしと志貴君の邪魔をしやがるイヌイ君だが。
 …今回だけは紹介した乾君に感謝しとこう。
 さて、わたしもはりきろうっと。










 その三人連れのお客様は明らかに奇妙だった。
 いつ店に入ってきたのかほとんど気付かなかった。
 だというのに目立たない人達という訳ではない。むしろ目立ちまくるはずな
のだが。
 一人は金髪、白い服でモデルさんかなと思うほどスタイルの整った女の人。
 一人は青い髪に黒スーツでビシッと決めた人。でも男の人じゃなくて女の人
だ。
 最後の一人は長髪の見慣れないセーラー服の女の子。なんかお嬢様オーラを
かもし出している。

 そして三人共サングラスを着用し、大きなマスクで顔を隠していた。


 ……なんというか、異様だ。


 気乗りはしなかったがお客様を放って置く訳にもいかない。
 やむなく一番端っこの席に座って店内を窺っている雰囲気の三人の元へと向
かう。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

 そう声をかけると三人はギョッとしたように一斉にこちらを見た。そして一
瞬後にはお互いに顔を見合わせる。
 …なんか一触即発というか、ピリピリした感じだなあ。

「ちょっとシエル、暗示はどうしたのよ」
「やりましたよ。効かないなんて…」
「しょせんカレー先輩はカレー先輩ということですか」
「役立たずは黙っててください」
「な、なんですって!」
「一人じゃ隠密も出来ないくせに」
「妹は力技しか持ってないからねー」
「アルクエイドさんに言われたくありません!」


 ……呉越同舟って感じだなあ……


 とはいえお客様はお客様である。

「あの、ご注文はお決まりですか?」

 もう一度声を掛けると三人は再び顔を見合わせた。

「ど、どうするんです?」
「こうなれば注文しなきゃ変でしょう」
「知らないの妹。この『めにゅー』から選ぶんだよ」
「そんな事は分かってます!」

 セーラー服の娘は憤懣やる方ないと言った感じである。

「お二人よりはレストランで外食などする機会はありました。
 ここは私に任せていただきます」

 そして彼女は言った。





「南仏風ホタテのバターソテー。ワインはボルドーで…」


 ゴッ!ゲシッ!


「な、何をなさるんですかっ」
「アホですかっ!あなたが普段行ってる様なお店じゃないんですよっ。ここは
喫茶店です」
「そうよー妹。『喫茶店』なんだから文字通りにすれば間違いないのよ。注文
はねぇ」

 白い女性は胸を張って言った。





「ほうじ茶三人分…」


 ゲシッ!ドカッ!


「何よーっ、喫茶店でしょ!?」
「アルクエイドさん、さっきご自分で『めにゅー』から選ぶっておっしゃった
でしょうっ!」
「そうですよ、まずは『メニュー』を開いて…」

 言葉通りテーブルの上にメニューが広げられ…
 間髪を入れず青い人は言った。





「カレーを!!」


 ドカッ!ゴッ!










「お、お待たせしました」

 当店のお勧めメニュー『コーヒー付きセット』三人分をテーブルに並べる。
 コーヒーの付いた当店自慢のタルトのセットである。
 今日はラズベリータルトの日。
 
「ああ、ちょっと待ってください」

 セットを置いてソソクサと立ち去ろうとすると、後ろから声がかかった。
 
「な、なにか?」
「弓塚さんに、聞きたい事があります」

 な、なんで名前知られてるの?
 こんないかにも怪しげな人たちに!

「こうなったら単刀直入に聞きます。弓塚さん」
「は、はい?」

 セーラー服の彼女は鋭い視線でわたしを見た。


「にい…遠野志貴にこのアルバイトを紹介したのはあなたですか?」


 し、志貴君がらみなの?
 ジワリと背中を冷たい汗が伝う。
 へ、返答次第ではタダじゃすまない気が!?


「嘘をついても無駄ですよ」


 スーツの女性も目の光が…


「んー、アルバイトくらい良いんじゃないの?」


 白い人はハムハムとタルトを頬張っていた。
 …なんか平和な光景だ。

「良くありません!」
「バイトは良いんですよ」

 同時に矛盾した言葉が発される。

「良い訳無いでしょう!兄さんは」
「問題なのは…遠野君は」

 矛盾しながら同時に私が睨まれる。


「「目を離したらすぐ女性惹き付けるんですから!」」


 あ、綺麗にハモった。

「あー、なるほど」

 白い彼女はポンと手を叩いた。

「ましてや恋敵と同じ職場では、て事ね」

 チラリとわたしを見た目が一瞬険しかった。

「で、返答はいかに?あなたが紹介したんですか?」

 三人に詰め寄られてちょっとビビる。
 この人たち妙に迫力あるんだもの。
 でも、志貴君に関しては、わたしも絶対負けられない!
 断固として闘うのみ。
 わたしは言った。





「全て乾君の責任です」





 …まあ、事実だし。奴の為に命はかけたくないし。

「…そう、乾さんが…」
「ふうん、乾君ですか」
「アリっちね」

 果たして乾有彦は生きて明日の朝日を拝めるのか?
 その運命やいかに!
 ……さらば、乾君……


「で、あなたは…」

 青い彼女の指の先には。
 店の反対側にいる志貴君の姿が…

「カレとは何の関係もないんですね?」

 生存本能はその問いを肯定しろ、と言っている。
 




「いいえ、関係有ります」





 だけど、わたしは否定した。
 実際にクラスメートだし、バイトは先輩後輩だし。
 なにより『弓塚さつき』は『遠野志貴』を無関係だなどとは言えないのだ。
 漠然とした思いを抱いていたあの頃から。
 運命的だったあの冬の事件の後はなおの事。 
 志貴君の為なら…

「関係は有ります。サングラスにマスクなんて怪しい人達には関係ないけど」

 三人の雰囲気が一斉に変わる。
 けど、
 わたしは引けない!

 サングラス越しに火花が飛び交う。
 やがて青い人はふうとため息をついた。


「やれやれ、やっぱりそうなりますか」
「また増えたねー」


 白い人も肩をすくめた。

「ちょっと!お二人ともいいんですか!?」
「引いてくれないなら仕方ないよ」
「秋葉さんは自分がおどされたらあきらめますか?」
「そ、それは…」
「ま、最終的には志貴だしね」

 ……なんか、変に自己完結されてしまった……
 いいけどね、別に。
 どうあれ、わたしはわたしだし。










 お店があまり混んでいないのを良いことにちょっと話し込んだりしていた。

「あ、あれは…」

 そんな声にふと店の方を振り返ると。


「しかし意外だったな」
「いえ、イチゴさんこそ…」


 志貴君がなにやら赤毛の女性と親しげに話しこんでいた。
 とても穏やかではいられない雰囲気である。
 ついつい物陰に隠れつつ、聞き耳を立ててしまう。
 …はたから見たら怪しい人だろうなあ。


「妹、もうちょっと横へ…」
「あなたこそもっと姿勢を低く…」





 ちなみに怪しい人は四人いた。










 イチゴさんが甘い物好きとは意外だった。

「そう言うな。あたしだって年頃の女だぞ」
「それもそうですけどね」

 言いつつ綺麗に切り分けられたストロベリータルトがイチゴさんの口へと消
えるのを眺める。

 ……イチゴの共食い……

「……有間、今変な事考えなかったか?」
「別に?」

 訝しげに尋ねるのにそらっとぼける。
 長年の付き合いなので、大体言いたいことはお互いに分かってしまう。言わ
なくても。


「肝心の事は気付かんクセに…」
「え?」
「…いや、なんでもない」


 軽口を叩きつつ、追加された紅茶を運んでくる。

「はい…っと、うわっ」
「アツッ」

「ご、ごめんなさい」

 うっかり紅茶をこぼしてしまった。
 イチゴさんのズボンに紅茶の染みが出来る。その手も濡らしてしまった。
 あわてておしぼりを手にこぼれた所を拭く。

「すみません。熱かったですか」
「ああ、熱かった」

 紅茶のかかった自分の手を見ていたイチゴさんはやがて口の端をかすかに吊
り上げた。
 …なんか、ロクでもない事考えてる様な気が…

「有間、少し火傷してしまったぞ」
「すみません」

 イチゴさんは僅かに赤く色づいたその手の甲を俺の方へ差し出す。

「だから消毒してくれ」
「分かりました」

 俺は救急箱を取りに…

「違う。有間が消毒するんだ」
「え、どうやって…」

 イチゴさんはさも当然そうに言った。





「有間が舐めるんだ」





「え……でも……」
「ああ、熱かったなあ。有間のせいであたしは傷モノに…」

 わざとらしく嘆くイチゴさん。
 …やれやれ、弱いんだよね。
 聞こえないようにため息を吐く。


「わかりましたよ…」
「よし、じゃあ頼むぞ」


 ニヤリと笑うイチゴさんの左手をそっと両手で押し頂く。
 そしてゆっくりと顔に近づけ……

 ……熱くなった皮膚にそっと口づけた。


 ガタガタ、ガタン。


 ん?
 後ろで何か音がしたけど……何も……


「有間…早く…」
「え、ええ」


 イチゴさんの左手の甲にもう一度唇を押し付ける。
 今度はソコにそっと舌を這わせた。

「…ん…」

 痛むのかイチゴさんはかすかに呻き声をあげる。
 俺はその痛みをすこしでも和らげたいと思って、丁寧にイチゴさんの手の甲
に舌を這わせる。

「ん…んん」

 舌を指の根元に動かす。液体の流れた跡をなぞり、指の股を丹念に舐め上げ
る。人差し指と中指の間、中指と薬指の間…










「あっ、あ、有間、もういいっ」
「ダメです。まだ終わってません」

 ち、ちょっとからかおうと思っただけだったんだが。
 
 目の前では有間があたしの左手を両手で握り、その甲に舌を這わせている。
 その濡れた赤い舌がヌロリと蠢く度にゾクゾクとした感覚が背筋を昇り降り
する。
 それは不快な訳じゃなくてむしろ……だから困るんだが。
 いかん。このまま続けているとエライ事口走りそうだ。
 だというのに有間は全然止めてくれなくて…

 結局、左手に流れた全ての紅茶が有間の舌で拭い取られるまでそれは続いた。
 唾液でベトベトになった左手が綺麗なタオルで包まれる。

「さ、これでいいですよ」
「…おまえ、天然で恐ろしい男だな…」

 ようやく解き放たれて、息を整えつつ言った。
 や、やばかった……惜しかった気も……

「…しかし、こんなグルグル巻きにしなくても…」
「火傷したんでしょ?ばい菌が入ったらどうするんです」

 確かに火傷したとはいったけどそれは…ごにょごにょ。
 …言えるか、そんなこと。

 そこでふと気づいた。
 そういや…
 
 ふふふ、こうなれば是が非でも有間の慌てた顔くらいは見ないと割に合わな
いな。
 唇の端をわずかに吊り上げて有間に向き直る。頬がかすかに赤くなっている
が、まあいい。
 そして言った。





「なあ、紅茶は足にもかかったんだが…」

 なんだ、結局えらいこと言ってるよ、あたし。 










「な!? あの女、兄さんに『あたしの足をお舐め!』と!?」
「…いえ、そういう言い方はしてませんが…」
「どっちかというと『あたしを舐めて』かな」
「さすがに喫茶店でこれ以上は無さそうですが」
「…あったら店ごと『略奪』を…」

 なんか色々周りで声がするが、そんな事はどうでもいい。
 わたしは物陰に隠れたままそれを呆然と眺めていた。
 目の前で繰り広げられる光景は非常に淫靡な雰囲気で…
 
 なんでこんな光景を見なきゃならないの?
 ここならいつもの乾君の邪魔も無くて、志貴君とわたしのラブラブな展開が
期待できるはずだったのに。
 なんでこんなことに…
 
「ところでアレ誰よ?」
「乾君のお姉さんですよ」


 …イヌイ…?


 それだけは聞き取れた。


 イヌイ、イヌイ、イヌイ、イヌイ!
 乾家の一族!!


「お、おのれ! またしても奴の差し金かぁっ!!」


 悔しさに床をバムバムと叩く。
 学園の中のみならず、こんな所でまでっ!


「こ、こうなったら!」


「ちょっとちょっと!」
「何する気です」
「…あ、なるほど」


 わたしは一目散にカウンターの中へと駆け込んだ。










「やれやれ…」

 からかうイチゴさんを右往左往しつつどうにか言い包めて店の外へと送り出
した。
 そして店の中へと振り返り…
 全力疾走した。


「ストップッ! ストーープッ!!」


 なにやら思いつめた表情で熱湯を張った鍋を傾けようとしていた弓塚の手か
ら鍋をひったくる。
 おかげで弓塚は無事だったのだが…


「あちゃっ!あちゃあちゃっ!!」
「きゃあっ、遠野君!」


 俺が火傷した…










 夕暮れの薄い光が差し込んでくる『アーネンエルベ』
 その奥の部屋で。

「もう二度としないでね」
「…ごめんなさい」

 志貴君は自分の手をブラブラさせながらそう言った。
 その手には火傷と水ぶくれが出来ている。
 わたしは謝る事しか出来なかった。

 わたし、なにやってんだろう。
 勝手に期待して、勝手に暴走して。
 ……それで志貴君に怪我させて。

 いっそ消えてしまいたくなるような自己嫌悪に襲われる。
 自分がたまらなく惨めだった。





「でも、ちょっとだけヒーローみたいだったろ?」
「…え?」


 顔を上げると志貴君は照れくさそうに言った。


「いつだったか、ピンチの時には助けるって約束したろ。
 何があったのかは知らないけど、とりあえず弓塚さんのピンチは救えたよ」
「あ…」


 それはあの日の約束。
 私にとっては精一杯の言葉だった。
 だけど。


 ―― 正直、覚えていてくれてるなんて、思ってなかった。


「何度でも助けるからさ。だからさっきみたいな事は二度としない事。分かっ
た?」
「うん…」


 じわりと涙が出てきた。


「え?え?やっぱり火傷してたの?痛いの?」
「ううん」


 嬉しくて。
 志貴君がわたしとの約束を覚えていてくれた事が嬉しくて。
 

「火傷したのは遠野君でしょ?だから…」


 だから。
 志貴君の手をそっと両手で握って。
 もう一度、精一杯の勇気を振り絞って。
 言った。





「だから、わたしが『消毒』してあげる…」


 顔の赤さを夕日が隠してくれる事を願いながら。




















「なあ、なんでこんな事したんだ?」
「…………だってぇ」

 その夜、全身火傷で病院に運び込まれた愚か者は三名に上ったという。

                  < 了 >




後書き

『アルクェイドとシエルと秋葉が一堂に会していて、どたばたにならないお話
 シリアスでもコメディーでも結構です』

 というリクから始めた制限時間一日SSですが…
 ドタバタしない彼女等は私には異様に動かしづらく、見ての通りさっちんに
食われました(汗
 更にさっちんが一子さんに食われました(滝汗
 おかげで何のSSかさっぱり分からなくなりました(平謝)
 やはり私は脇役の方が書きやすいようで…

 …そうか、これは私にメインキャラを書けという指令だったのか……それは
難問ですよ、しにをさん(泣

 つ、つぎはっ。次こそは必ずぅぅっ。 




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