家族

作:のち

 
            



 遠野家の夜。居間に三人の姿があった。

「兄さんがいないと静かね」
「そうですねー」

 受け答えをしながら琥珀はカップに紅茶を注ぐ。
 日は落ちきってしまったというのに、それほど冷え込まなくなってきた。
 もうすぐ春になるのだろう。

「ですが、それも今日までです。日程からすれば明日には帰ってくるはずです」

 直立不動のまま話す翡翠。
 いないはずの主人がいるかのように、志貴の席の後ろに控えている。

「でも兄さんも優雅なものよね、あの成績で卒業旅行なんて」

 カップに口を付けながら不機嫌そうに呟く秋葉。
 それを見ながら琥珀は口元を手で隠した。

「……なによ、琥珀」
「いえいえ、なんでもありませんよー」

 そうは言うものの、口を開くと押さえきれない笑みが浮かぶ。

「秋葉様、志貴様はきちんと卒業しましたし、大学も合格されましたが」
「そんなのは当然です! もし合格してなかったら卒業旅行なんて認めますか!」

 今度こそ、琥珀は笑っていた。愉しそうに。

「もう、琥珀! 言いたいことがあったら言いなさい!」
「うふふ、いーえ、言えませんよー」

 いつの間にか翡翠の顔も柔らかくなっていた。
 それを見て秋葉も思わず笑ってしまった。

「しょうがないわね。琥珀、翡翠、座りなさい」
「ですが……」
「いいのよ、ちょっと早いけど夜のお茶会にしましょう」
「そうですか、それでは全員分のお茶を入れてきますねー」

 厨房に入っていく琥珀。
 それを見ながら翡翠は座った。

「……琥珀も変わったわね」
「ええ、特に七夜の里から帰ってきた後は」

 この場にいない者の話をする。
 いきおい声は小さくなり、顔を近づける。

「あんなふうに笑うことはなかったのに」
「そうですね」
「変なことをたくらみながら笑うのはよくあったけど」
「裏庭の菜園であやしく笑っているのもありました」
「最近はやってないでしょうね?」
「私もあまりあそこには近づきたくないので……」
「そうね、でもまた怪しい薬を作ってるんじゃないかしら?」
「姉さんの部屋の小瓶は確実に増えてますが」
「……いつか、まとめて処分させた方がいいわね」
「いえ、姉さんにさせるとどこに隠すかわかりません」
「……そうね、まったく琥珀ったら」
「あの悪癖だけは、治ってないようです」
「……翡翠、あなたも悪くなってきたわね」
「あの姉につきあっていると自然、そうならざるを得ません」
「ええ、わかるわ。同情するわ」
「いいえ、その主人たる秋葉様こそ」

 こそこそと話す二人。
 その姿は、中の良い姉妹のようだった。

「で、さっきのはどういうことなのかしら?」
「……それはお答えしかねます」
「それはですねー」

 いないはずの琥珀の声がする。

「えっ」
「きゃっ」

 いつのまにやら二人の後ろに琥珀がいた。

「志貴さんがいなくて秋葉様がさみしくなってきたなーって」
「も、もう、驚かさないで……って、琥珀!」

 思わず琥珀に詰め寄る秋葉。

「わ、わたしは別に寂しがってなんかいません!」
「えー、でもー、志貴さんの愚痴を言う時はいつもいない時じゃないですかー」
「なっ、なっ」
「姉さん、それぐらいにしておいた方が……」

 止めに入る翡翠。
 そんな翡翠に向き直って琥珀が続ける。

「翡翠ちゃんも寂しいのよね?」
「ね、姉さん!」
「この前も志貴さんの部屋で一人でぼーっとしていたじゃない」

 真っ赤になってうつむく翡翠。
 それを見てくすくすと琥珀が笑う。

「人がいない時に変な話をしようとするからですよー」
「むー」
「……」

 琥珀を睨む秋葉と翡翠。
 ふと、思いついたように秋葉が琥珀に向かい合った。

「それなら、もっと寂しいのは琥珀の方じゃないの?」
「え……」
「そうよね、あれだけ愛し合っている二人だもの。一時も離れたくないでしょ
うねえ」
「あ、あの……」

 あからさまに動揺する琥珀。
 それを見て人の悪い笑みを浮かべて秋葉はたたみかける。

「七夜の里に行っている時なんかも、大変だったんでしょうね」
「あ、秋葉様?」
「週末になって帰ってくると、こそこそと二人でどこかに出かけるし」
「あれは、その、お食事の買い物を……」
「へえ、その後必ず兄さんが出かけるのはどういうことかしら?」
「いえ、その、志貴さんにもつきあいというものがあるのでは、と……」
「ふうん? 手を繋いで帰ってくるのも?」
「あ、あれは志貴さんが……」
「あら、本当にしてたの。カマをかけていただけなのにね」
「え、ええと」

 しどろもどろにいいわけをする琥珀。
 めったにないことだが、表情もおろおろと変化する。

「ひ、翡翠ちゃん、助けて……」
「姉さん、志貴様との秘め事はもう少しわからないようにして下さい」
「ひ、翡翠ちゃん?」

 翡翠も琥珀に向き直って追求の構えを見せていた。

「へえ、そんなに分かりやすいの?」
「ええ、この屋敷は広いので別の部屋をよく利用するようですが」
「ふうん?」
「それを隠そうと後かたづけをするのが姉さんのようです」
「なるほど、この前の大掃除はそういうことだったの」
「いえ、その、あれは、その」
「その他にも離れを使用してますし」
「あそこを、ね……。さぞかし良かったんでしょうね、琥珀?」
「あの、その」
「布団の片づけも大変になりました。やはり量が増えたからでしょう」
「そ、その」

 秋葉と翡翠の追求に思わず後ろへ下がっていく琥珀。
 それでも追及の手をゆるめない二人。

「最近は買い出しで出かける回数が不自然に増えてますね、姉さん」
「そうねえ、兄さんが起きるのがまた遅くなったのもなにか関係があるのかし
ら?」
「そうですね。よく廊下を忍びやかに歩くのを見かけますから」
「あら、兄さんも腕が落ちたのかしら?」
「いえ、むしろ気もそぞろなのでしょう」
「なるほど」
「ええ」
「いえ、その、志貴さんは、別に」
「あら、やっぱり兄さんが関係しているの」
「まあ、わかってはいたことですが」
「うう、二人ともひどいです」

 唇を突き出して、琥珀が拗ねる。
 それに動じずに二人は声をそろえる。

「自業自得です」

 がっくりとうなだれる琥珀。

「まあ、この辺にしておきましょう」
「はい、楽しみは取っておくものです」
「まだ、あるんですか……」

 席に座り直す三人。
 冷めた紅茶を琥珀が入れ直す。

「でも、秋葉様と翡翠ちゃんには本当に感謝しているんですよ」
「え?」

 前に出されたカップを持ち上げながら秋葉が聞く。

「秋葉様は私のわがままを聞いて下さいました」
「わがまま?」
「ええ。七夜の里に行くこと、屋敷に戻ってくること。いいえ、それだけじゃ
なくて」
「……琥珀、やめなさい」

 眉をひそめて、秋葉が言う。
 それにかまわず続ける琥珀。

「いいえ、今日は言わせて頂きます」
「……」
「どれほど、感謝しているか、秋葉様は知らないでしょうね」
「……琥珀」
「私が、どんなに、嬉しいかも」
「琥珀」
「本当に、……ありがとうございます」
「琥珀、そういうことはもう言わないで。……あなたは私たちの家族なんです
から」

 秋葉に向かって頭を下げる琥珀に対し、顔を背けて、秋葉は言った。

「……はい」
「姉さん……」
「翡翠ちゃんも……」
「え?」
「いつの間にか、守ってあげているはずが、守られちゃったね」
「……そんなこと……」
「ううん、あの時、翡翠ちゃんが志貴さんに言ってくれなかったら……」
「姉さん」
「私、どうなっていたか、わからないもの」
「いいえ、姉さん、きっと、大丈夫だった」
「翡翠ちゃん……」
「姉さんには、志貴様がついていらっしゃるもの」
「ごめんね……、翡翠ちゃん」
「いいの、姉さん」
「……ありがとう……」

 頭を下げあう、双子。

「もう、琥珀、そういうのはもうやめましょう」
「ええ、ちょっと恥ずかしいですから」
「姉さんはたまには、そういうふうにしていた方がいいかもしれません」
「翡翠ちゃん……お姉ちゃん泣いちゃいますよ?」

 誰とも無く笑いあう三人。
 ふと、笑うのをやめて琥珀が二人に言う。

「最後に、お願いを聞いてくれますか?」
「なに?」
「……抱きついていいですか?」
「私はかまいませんけど、……秋葉様は?」
「いいわよ。たまには、ね」
「ありがとうございます」

 そういって二人に抱きつく琥珀。
 その琥珀を二人で抱き留める秋葉と翡翠。

「これからもよろしくお願いします」
「ええ」
「こちらこそ、姉さん」
















 ぱりん



 なにかの割れる音がした。



「へ?」
「え?」

 抱擁から離れる琥珀。

 その顔には深緑色のガスマスクがついていた。

「こ、琥珀!」
「姉さん!」
「あはー。やられっぱなしっていうのは性分じゃないんですよー」

 くぐもった声で答える琥珀。

「そういうわけで、お二人はゆっくりおやすみ下さいー」
「は、計ったわね、琥珀ー!」
「姉さん! そういう行動は慎むと……!」

 そんな二人にを見ながら踊る琥珀。

「うふふ、そうそう、志貴さんのお帰りは後一週間延びますからー」

「なっ!」
「ね、姉さん……志貴、様を……どう……きゅう」

「これから二人でラブラブな旅行に行って参りますからー」

「ぐう……」
「……」

「あれ、もうダウンですか?」

「……」
「……」

「ちぇ、つまんない。……まあいいです、それじゃ、行ってきますねー」

 どこから用意したのかトランクを持って玄関に向かう琥珀。
 出る前に、二人を見て呟く。

「これからも、よろしく、お願いしますね。二人とも……」











◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 いかがでしたか?

 もともとは、琥珀2位獲得記念で書いていた物だったんですが、途中でHD
クラッシュ。
 全データが消えたので、思い出しながら書きました。
 むー、読み返してみると、色々と記憶と違うところが……。
 でも、そういうのも結構楽しめました。

 なかなか、できない体験ですし、楽しまなければ(泣き笑い)。

 それでは。

 2003年4月30日  のち



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