ぬばたまの――


作:MAR




 とく、とくと、規則正しい鼓動がわき腹の辺りに伝わってくる。
 緩やかな息遣いに胸の辺りがくすぐられる。俺の体を枕にして、秋葉は満ち足りた表情を浮かべてる。
 艶やかな黒髪に包まれたその顔は、どれだけ傍で見つめていても飽きる事などなかった。
 力を込めて抱きしめたら、折れて壊れてしまいそうに華奢な体。なのに、ベッドの中で向けてくる情熱はこちらが押されてしまいそうなほど激しい。最初のうちは俺がリードして秋葉の奴はなすがままだったのに、それも最近はだんだん怪しくなってきた。
 勿論、お互いに楽しまなきゃ嘘だから、それはそれで嬉しいのだけど。
 何度も、何度も、もう数え切れないくらいセックスして、触れてない所などない筈なのに、飽きるなんて思いもよらない。
 こんな綺麗なモノを、俺だけが独り占めできる。これまでも、そしてこれからも。その幸運は一体誰に感謝すればいいんだろう。
 やっぱり、俺を好きでいてくれる秋葉に、かな。
「ん……」
 こっちがそんな事を考えてるのが、伝わったんだろうか。気持ちよさそうに寝息を立てていた秋葉が何か恥ずかしそうに身をよじった。その拍子に、彼女の体に掛かっていたシーツが滑り落ちる。
 途端、目に映った光景に思わずため息が出た。
 ルームライトは眩しくないくらいに落としていたから、部屋は少し薄暗い。そんな中で浮かび上がった白い、白い秋葉の裸は、まるで磨き上げられた真珠のようだった。  それもただ白いだけじゃない。さっきの名残がまだ残ってるからか、うっすらと紅く色づいた肌は新鮮で、どこかいやらしい。普段の凛とした姿とは違う、生身の彼女の熱を目からも伝えてくれる。
 そして、その肩を、背中を。緩やかに広がった髪の毛が覆っていた。
 女の見事な黒髪を例えて、烏の濡れ羽色って言ったっけ。実際に見た事がないから比較なんか出来ないけど、秋葉の髪の毛が滅多にいないくらい綺麗だってのは間違いない。
 見てるだけで吸い込まれそうになる、深い、深い黒。白い肌の上に咲き乱れているから、帯びた艶がとてもよく分かる。
 そのまま、虫が火に惹かれるようにふらふらと、腕を伸ばして掬い上げた。
 まるで水を掬い上げたみたいに、指から零れ落ちていく。一本一本が細くて、でも弱々しさなんかどこにもない。
 手入れが大変だなんてぼやいていたけど、なるほど、それも分かる話。これだけのものを維持するのに一体どれだけ時間がかかるのやら。
 自分の髪の毛を触ってみて、もう一回秋葉の髪の毛を。こうして比較すると苦笑いするしかない。こうも違うと、本当に同じ髪の毛なのかどうかも怪しい。
「んん……んっ……」
 また秋葉が身を捩った。
 あんまり遊んでたから起こしてしまったかなと思ったけど、違った。どうやらすこし寒かったのか、きゅっと彼女はしがみついてくる。
 もう九月も半ばを過ぎてる。肌寒さも感じる季節だから、このままだと風邪を引いてしまうかもしれない。
 それでも、この黒と白の絵画を、そして指に遊ぶ感触を納めてしまうのは勿体無い。  もう少し、もう少しだけ。
 言い訳しながら髪の毛の間に指を滑らせていたら。
「ん、兄、さん……?」
 可愛い寝顔のお嬢様が、とうとう目を覚ましてしまわれた。
「おはよう、秋葉」
「あ……私、うとうとしちゃって。えと……」
「うん、なんか凄く気持ちよさそうだったよ」
「やだ、その、ごめんなさい兄さん。こんな状態じゃ重かったでしょうに……」
 だんだん意識がはっきりしてきて、俺を枕にしていたことに気付いた様子。せっかくだから、もう少しからかってみよう。
「ん、構わないよ。秋葉の寝顔も裸も、充分堪能したから」
「――?!」
 もうお互い見てない所なんてないのに、こうやって突付いてやるたび顔を真っ赤にする秋葉は本当に可愛いと思う。もっとも、最初の内は割と本気の拳が飛んできて痛かったけど。
 今日は拳はないけれど、代わりにシーツを引き上げようとしてる。
 その手を、俺は掴んだ。
「駄目。隠しちゃうなんて勿体無い」
「に、兄さん……恥ずかしいですよ! そ、それに、その、風邪を引いてしまいます!」
「いいんだ、俺が見てたいんだから。それに寒かったらほら、もっとこっちに来ればいい」
 俺は体を起こして、秋葉の体を引き寄せた。
 ベッドの上に足を投げ出して、背もたれに体を預ける。太ももの上に秋葉を乗せて、後ろから手を回して抱きしめた。
 向かい合って抱き合うのも好きだけど、こうやって背中から抱きしめてやると、秋葉の恥ずかしそうな横顔が見えるから。
「あ、もう……」
 案の定秋葉のやつ、頬を真っ赤に染めてうつむいてしまう。俺は彼女の肩に顎をかけて、その表情をじっくりと堪能した。
 本当に嫌そうに身を捩ったら止めるつもりだけど、秋葉だってこうされるのが好きなのは良く知ってる。ほら、だんだん俺の方に背中を預けてきてるし。
 腕の中に感じる、秋葉の温もりがとても心地いい。鼻をくすぐる匂いは、ほんのり甘くてそれでいてとても清々しい。そして吸い付くようにしっとりとした肌も、腿の辺りをくすぐる髪の毛の感触も最高だった。
 耳から胸元に垂れた髪を一房、抱きしめた手ですくい上げてみる。やっぱり何度触っても、どこを触っても変わらないこの手触りは凄いなと思う。
「兄さん?」
 怪訝な声に目を戻したら、秋葉が不思議そうな目で俺の手元を見つめてた。
「私の髪の毛、そんなに面白いんですか?」
「うん、だってほら、俺にはないものだし。それに秋葉の髪はとても綺麗で、手触りもいいからね」
「そう、ですか」
 褒められれば悪い気はしないのだろう、秋葉がどこか得意げに微笑んだ。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、手入れとか大変なんですよ? 夜、髪を洗っても乾かして櫛を入れないと寝られませんから。兄さんはそういう苦労とは無縁なんでしょうけど」
「そうだなぁ。風呂から上がっても、タオルで拭いてそのまんまってのが多い気がする」
「それでも枝毛とかほとんど出ないんですから、男の人の髪はずるいです」
 そう言うと秋葉は腕を後ろに回してきて、俺の頭を二度三度と撫で下ろした。なんか、姉が弟にやるような仕草だったから、少し気恥ずかしい。だけど、秋葉の手に触られるのは俺も好きだから、やりやすいように頭を下げてやる。
「確かに枝毛とかは気にしたことないけどさ。秋葉みたいに思いっきり伸ばしたら、きっと凄いことになるぞ、多分」
「長髪の兄さんですか? それは……」
 俺の言葉に一瞬考え込んだ秋葉のやつ、すぐに小さく吹き出しやがった。全く、どんな姿を想像したのだか。
「兄さんはこのままの長さが一番ですね。短いのはちょっと見てみたい気もしますけど、伸ばすのは遠野の当主として禁止します」
「うわ、横暴。髪型まで決定されちゃうのか俺」
「ええ。隣にいる人にはいつでも格好良くいて欲しいですし」
「それじゃ秋葉も髪の長さはこのままだな。もっと長くてもいいけど、短いのは禁止」
「あら、兄さんまで横暴ですね。髪の短い私はお気に召しませんか?」
「うーん。お気に召すかもしれないけど、でもこれを切っちゃうなんて勿体無いからダメ」
 笑い合いながら軽口を叩いて、お互い髪を玩んでる。
 肩口くらいまで髪を切った秋葉も可愛らしかったし、もっと短くてもきっと似合うだろう。
 だけどこの宝物を無くしてしまうのは惜しい。こうやって抱きしめて、さらさらした黒いカーテンに顔を埋められなくなっちゃうのは勿体無さ過ぎる。
「あ、ダメです。そこ、くすぐったい……」
 髪を掻き分けて首筋にキスしてやると、不意打ちに秋葉は身を捩らせた。この体勢は俺が有利。体中敏感な秋葉を好きなように出来るのが、楽しくてしょうがない。
「くすぐったいの? 気持ちいいの間違いじゃない?」
「兄さんの意地悪って、あん、また……」
「ん……意地悪な兄さんは、くすぐったがりな妹にお願いがあるんだけど?」
「何、ですか……ん、ふぅ……」
 首筋に、肩口にキスの雨を降らせながら、秋葉に微笑みかける。だんだんと潤んできた秋葉の目には、どこか期待の色が浮かんでる。
 その期待に応えてあげるのもいいけれど、意地悪な俺は別のお願いに決めている。
「秋葉のさ、他の髪形も見てみたいなって」
「……え?」
「こうやって、自然に髪を下ろしてるのもいいけど。たまには別の髪形も見てみたいなって思ったんだ」
 俺の言葉が意外だったのか、秋葉は目を丸くしてる。でもすぐにしょうがないですねと肩を竦めて、俺の腕をやんわりと解いた。
「全く……今日はどうしたんですか?」
「何でだろうな。今日はいろんな秋葉が見てみたい、そんな気分なんだ」
「変な兄さん」
 背中を向けていた秋葉が、向き直ってまた俺の太ももに腰を下ろす。
 緩やかな胸の膨らみやその先の鮮やかな突起。ほっそりとした腰のラインやおへその下の淡い翳りも全部見えてるけど、今の俺の視線は、髪の毛に引き寄せられてそちらの方には向かなかった。
「そんな事言いつつも、ちゃんとお願いを聞いてくれるのは嬉しいな」
「ベッドの中以外でも、もう少し我が侭になって下さると嬉しいんですけどね。本当、兄さんはこういう事以外は執着が薄いんですから」
「いや、ほら、兄として妹にあんまり頼りきりになるのは、な」
「あら、妹のベッドに忍び込んで、毎回玩ぶような悪い兄さんなのに。今更いい兄ぶっても説得力ありませんよ?」
 くすくすと笑う秋葉に向かって、降参と両手を掲げた。
 参った、やっぱり口ではどうにも勝ちはもらえないらしい。
「それにしても、別の髪型と言いましても……兄さんはどんな髪型が好みなんですか?」
「そうだなぁ……こんなのとかどうかな」
 腕を伸ばして秋葉の髪の毛を、うなじからすくい上げる。そのまま後頭部のあたりで根元を押さえれば、即席のポニーテールの出来上がりだ。
「あら、ポニーテールですか?」
「うん。これだけ長い髪だと新鮮」
「その体勢だと良く見えないでしょう? サイドボードの上のゴムを取っていただけますか」
 秋葉が指差した先には、フリルの付いた髪留め用のゴムが載っていた。幾つか拾って手渡すと、秋葉は慣れた手つきで髪をまとめてみせる。
「どうですか、兄さん」
「似合ってるよ……ああ、とっても似合ってる」
「もう、そんなにまじまじと見つめないで下さい」
「ひどいな、自分でしっかり見てくださいって言ったのに」
「それは……そうですけど。でも恥ずかしいんです。兄さんにこの髪形見られるの初めてなんですから」
 頬を染めてはにかむ秋葉は、本当にいつもと違って見える。
 流れるような黒髪の滑らかさは、勿論こうして髪形を変えても変わらない。だけど普段は隠れていて見えない、うなじから肩のラインが露になっているのが艶かしい。だけどそれはいやらしいわけじゃなくて、健康的な秋葉の魅力を前に出している。
 それは多分、この髪型の秋葉が、どこか幼い感じに見えるせいもあるんだろう。勿論悪い意味じゃなくて、普段が大人びて見えるから、それで年相応になっているというか。
 お互いに裸で、どこも隠さず向き合っていて髪ばかりに目がいくってのも変な話だけど、普段と違う秋葉が新鮮なのだから仕方ない。
 ふるふると揺れる黒いしっぽをすくい上げて、何度も何度も手櫛で梳き下ろす。指は一度も引っかからずに、水を掻くように下まで滑り落ちていく。空いたもう片方の手で後れ毛を玩ぶと、まるで猫のように目を細めて、秋葉はこちらに擦り寄ってきた。
「本当に、今日の兄さんは変なんですね」
「変でもいいさ。こんな可愛い秋葉が見られるのなら、充分おつりが来る」
「兄さんっ!? そんな事、真顔でいきなり言わないで下さい!」
「本当に思ってる事なんだから、真顔じゃなきゃ意味ないだろ?」
「またそんな事をっ! もう、わざと私を恥ずかしがらせて楽しんでるでしょう?」
 ばれたか。
 素直に感情をぶつけて欲しいと常々言ってる割に、いざそうされると秋葉は狼狽する。それが楽しいのは分かってるんだけど、さすがに俺も普段からそんなことは恥ずかしくて出来ない。
 だけど今日はなんか変だから、すらすらと、そんな歯の浮くような台詞が湧いてくる。
 多分秋葉の姿に酔っ払ってしまってるのだろう。だから今は酔いに任せて、もっともっと恥ずかしがらせてやりたい。
「もう、知りません!」
 秋葉はお湯を沸かせそうなほどまっかっかに染まった顔を見られたくなかったのか、俺の胸に顔を埋めてしがみついてくる。
 こちらのおねだりを聞いてもらったのだから、今度は秋葉のおねだりを聞いてあげる番。髪で遊んでいた手を止めて、きゅっと彼女を抱きしめた。
 白く滑らかな背中を撫で下ろすと、緩やかな快感に秋葉は体を振るわせる。二度三度と繰り返してた後、耳元に口を寄せて囁いた。
「もっと他の秋葉も見たいな」
「……いいです。もう好きにしてください」
 拗ねたような声で秋葉は呟く。それが可愛いんだって、本人は多分分からないままなんだろう。俺だけが知ってるいれば良い、秋葉の魅力なのだ。
「じゃあ、またちょっと後ろ向いてくれないかな。じゃないとやりづらいんだ」
 俺の言葉にうなずいて、秋葉は身を起こすとまたこちらに背中を向けた。
 俺はポニーテールをまとめたゴムを解いて、幾度か手櫛で梳き下ろす。
 ええっと、たしかこうやったよな。
 三つの、同じくらいの髪の毛の束を作って、それを交互に編みこんでいく。自分の髪でなんか試せるわけもないし、有間の家にいた時だってそんな経験は出来なかった。
「今度は三つ編みですか、兄さん」
「ああ。これっこそ本当に一度も見た事ないからさ、秋葉がしてるのって」
「確かに……兄さんの前ではした事ないですね。でも兄さん、出来るんですか?」
「ん、何とかなる、と思う……」
 今記憶を穿り返して参考にしてるのが注連縄の編み方だってのは、多分黙っていた方がいいんだろうな。
 冷や汗を流しながら悪戦苦闘、それでもどうにか纏め上げて、先の方をゴムで縛る。
「よし、何とか……うーん……」
「どんな感じなんですか、兄さん?」
「……悪い、秋葉。俺には難易度高すぎたみたいだ」
 力作を見直してみると、あまりにも予定像とギャップが大きすぎて顔をしかめた。
 編んだ先から短めの髪がぴょんぴょんほつれて飛び出しているわ、微妙に左側によってしまっていて垂らしてみるとバランスが悪いわ、良い所はまるでなし。
 遠野志貴、生まれて始めて作り上げた女の子の三つ編みの出来は、残念ながら赤点となってしまった。
「これは駄目か……仕方ない、他の髪型を……」
「待ってください」
 解こうと伸ばした手が、秋葉の声に遮られる。向き直った彼女は、俺の手で惨々たる有様になってしまった髪をつまみあげて微笑んだ。
「さすがにこういう事はなれてないみたいですね、兄さん」
「残念ながら。生まれて初めて三つ編みするには、秋葉の髪の毛は素材が良すぎたみたいだ」
「構いません。むしろスタイリングが手馴れている兄さんの方が何か嫌ですから」
 そのままゴムを解くと、秋葉はよれた髪の毛に二度三度手櫛を入れて、再び三つの束に分けていく。
 そこから先の光景は、まるで別物だった。
 俺のやり方なんて比較にならない。あれよあれよという間に、真ん中辺りからゆるく編まれた三つ編みが出来上がっていた。
「凄いな、秋葉……」
「学校の調理実習の時などは、何かと邪魔ですから。こうやって纏めてるんですよ。兄さんの望みの髪型ではないかもしれませんけど」
「いや……そんな事ない。とても似合ってるよ、秋葉……」
 思わずそんな呟きが俺の口から漏れていた。
 ゆるい三つ編みを、肩を通して胸に垂らしている。俺の足に跨って、そんな姿でこちらを見つめてる秋葉の姿は、今までに見た事にないものだった。
 普段の秋葉は、凛と胸を張り、自信に溢れている。
 さっきのポニーテールは、どこか子供っぽさを引き出した、年相応の姿だった。
 そして今の秋葉は、こちらを柔らかく、優しく受け止めてくれそうな包容力を醸し出している。
 どれも秋葉なのに、一つが表に出ている時は他の二つは隠れてしまってる。
 いや、違うんだ。
 そのどれもを秘めているから、目の前の女の子は俺の心を捉えて離してくれないんだ。
「どうしたんですか、兄さん。そんな顔で固まってしまって」
「ああ、いや、そのな……」
「……やっぱり、似合ってないのでしたらもう止めますけれど」
 だってのに、秋葉のやつ何を勘違いしてるのかその顔を曇らせてしまってる。
 ああもう、本当に似合ってなければ、こんな風に呆けちゃうわけないだろう!
「止めちゃだめ。そんなの許してやらない」
「あっ!?」
 解こうとした秋葉の手を取って、横に引っ張ってやると、軽い秋葉の体はころんと横に転がってしまう。
 俺はその上にのし掛かって、じっとその顔を見つめる。
「俺がさ、さっきからずぅっと何を思ってるか、分かるか?」
「に、兄さん……?」
 突然の事に目を白黒させている秋葉に向かって、俺は三つ編みの先っぽを摘み上げて意地の悪い笑顔を浮かべてみせる。
「これってさ。筆に似てるよな」
「あ、何をするんですか!」
 嫌な予感を敏感に感じ取ったのだろう。慌てて俺の下から這い出そうとするけど、しっかり抱え込んでるから逃がしてなんかあげない。
 そのまま、薄く色づいた秋葉のお腹の上に、俺は髪の毛をあてがった。
「ひぁ、あぁぁっ!? に、兄さん……駄目、くすぐったい……」
「書いてる文字を当てられたら、許してあげる。当ててくれなきゃずっとこのまま」
 横に縦にと白いキャンバスに筆を走らせる度、秋葉は身を捩って逃れようとする。だけどお嬢様は悪い男の手の内なのだから、当然ひどい目にあってしまうのだ。
「さぁ、なんて書いた?」
「む、無理です……そんなの、分かりませ……」
「じゃあもう一回ね」
「そんな?! せめてヒントを下さいっ!」
 本当にこの手の攻撃には弱い秋葉は、目の端に涙を浮かべて頼んでくる。
 気付いてもらえなければ意味がないんだから、その位のお願いは聞いてあげないと。
「ヒントは、ひらがなで5文字。さぁもう一回ね」
 そしてもう一度筆を手にして、俺はゆっくりと文字を書き込んでいく。
 眉を顰めてくすぐったさに耐えている秋葉は、最後の一文字が終わった瞬間、深いため息をついた。途端目じりを吊り上げて、こっちを睨んでくる。
「兄さん! 何でこんな事するんですかっ! 私がこういう事に弱いのを知ってて……」
「あー、怒っちゃった?」
「怒ってます! 怒ってますけど!」
 下から伸びてきた秋葉の腕が俺の首と背中に絡み付いて、そのまま引き寄せられてしまう。覆いかぶさる形になった俺の耳元に、秋葉の口が寄せられる。
「あいしてる」
 しっとりと甘く囁かれた言葉に、俺の頭が一瞬で熱くなる。
「こんなこと書かれたら、もう怒れないじゃないですか」
「……ちょっとヒント出しすぎだったかな」
「ですね。ちゃんと口で言ってくだされば良かったのに」
「それは、その、だな……」
 どれだけ秋葉に酔っていても、その言葉を面と向かって言うのは勇気が要りすぎる。
 言いよどんでいると、背中を柔らかくこそばゆい感覚が走り抜けた。
「うぁっ?!」
 思わずのけぞって悲鳴を上げると、俺の体の下で秋葉が意地の悪い笑みを浮かべてる。その手で自分の三つ編みの先を振り回しながら。
「全部当てたら許してあげます。ヒントはひらがなで、7文字ですよ」
 そう言って、俺の背中にゆっくりと、ゆっくりと書き込んでくる。
 確かにこれはヒントが無ければ、当てるのが難しいかもしれないな。
 でも最後の一文字が書き上げられた瞬間、俺は確信を持ってゆっくりと頭を下げて、秋葉の唇に口付けた。
 そのまま耳元に口を寄せて、囁く。
「あいしています」
 それが正解かどうかなんて、確かめる必要はない。
 だって秋葉が俺を抱きしめる腕には、これ以上ないくらい力と、そして想いが篭ってる。
 俺はそれに応えるだけ。
「兄さん……」
「ああ。このまま、な」
 潤む瞳の端に、そしてその可憐な唇に。俺はゆっくりと唇を重ねていった。


 【おしまい】







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