休日の午後。特に当ても無く、街をうろつく。春の日差しは強くは無いが、ただ浴びるには眩し過ぎ。
 だから、選びもせずに入った喫茶店。そこに彼女の姿を見つけたのは、全くの偶然だったのだけど。
 扉に掛かった鈴が鳴る。くるり、と彼女は振り向いて。

「こんにちは、カネ」
「……こんにちは、セイバーさん」

 意表を突かれた、間抜けた声で。
 手近の席にちょこんと座る、小柄な少女に会釈を返した。






『甘味に咽る』


作:うづきじん







 深山の商店街の隅。目立たない場所に在るこの喫茶店は、パフェやケーキと言った甘味物の類が評判である。値段も手頃で、量もそれなり。特にモンブランは絶品だ。
 そんな事を目の前の、外国の少女は熱弁している。特にクリーム上の栗、それが微妙に形を残してある為に歯応えが絶妙で云々。
 ……私はあまり甘いものを好む性質では無い。喫茶店に行った時は、いつもコーヒー、もしくは紅茶。勿論今日もそのつもりだったのだけど。

「―――そしてこのスポンジ。形は崩れず、しかし口に入れると儚く溶けていく。これはまさに、職人芸と言って良いでしょう。砂糖の味は主張せず、しかししっかりとクリームの味を受け止めて、」

 相席の人間にここまで喧伝されては、他のものは頼み辛い。
 店員を呼ぶ。一緒に頼むコーヒーの銘柄を選ぼうとして、
「セイバーさんは何を?」
 メニューを渡す。まあ、ここまでお気に入りなら選ぶまでも無いかもしれないが。
「―――あ、その」
 しかし意に反して、セイバーさんは動かない。どころか、妙に挙動不審と言うか。次第に顔が赤らんでいく。
「セイバーさん?」
「あ、いや、その」
 俯いて。

「……その。もう、お金が、ありませんので」

 恥ずかしそうに言った言葉に、漸く気付く。彼女の傍ら、調味入れの影に隠れる様に。丁寧に積み重ねられた、三枚の皿。
「ああ」
 得心がいった。私が来た時は、もう食べ終わって出ようとする所だったのか。
 悲しげに、何も乗っていない皿を見つめる少女。
 どこか微笑ましい光景に、口元がほころんで。

「モンブランとアメリカン。―――二つずつ」
 財布の紐も、綻んだ。

 弾かれた様にこちらを見やる少女に向かい、
「良かったら、どうぞ」
 こくり、と頷いてやる。
 少女は。信じられないものを見る顔で、こちらを呆と睨みつけ。
 途端、がしりと手を掴まれる。身を乗り出して、視線を近く。

「―――カネ。貴女は、良い人だ」
 万感の思いを込めた、呟きが返った。

「……それはどうも」
 






 セイバーという名の、この外国の少女と私はそれ程付き合いがある訳でも無い―――三年に進級してからのクラスメイト、その一人の家に居候していて。その彼と、それ以前のクラスメイトの遠坂凛。この二人と仲が良く、学校でも何度か見かけ、二言三言話した事がある。その程度の縁である。
 ……あった、と言うべきか。

「そんな訳で、あいつは滅多に教室で弁当を食わない。半分がた人に盗られてしまうからな」
「気持ちは分かります。シロウのお弁当は絶品ですから」
「で、いつも生徒会室に逃げ込む訳だ。それがまた、一部の人間に受けていてな」
「受け……ですか?」
「……いや、なんでもない」

 今までは大人びた、生真面目な人と言う印象だったけれど。話してみると、彼女は驚く程幼い。何の変哲も無い学校の事、日々の些事。そんな事に一々感心し、悩み、咀嚼する。その度毎にこくこくと頷く様は、同性の目から見ても可愛らしい。
「……そう言えば」
 そうだ。彼女の姿を見た時から、それが矢鱈新鮮に思えたのだけど。
「衛宮か遠坂さんは、一緒じゃないのか?」
 それはまあ。二人が学校にいる間は、勿論彼女も一人で居る事はあるんだろうけど。
 私が知る限り、単身で行動する彼女を見るのは、初めてだったので。
「二人は、ですね」
 んぐ、ごくり、と。
 モンブランの塊を飲み込んで、セイバーさんが答える。

「デートだそうです。新都の方に」

「―――ほお」
 なかなかどうして。衛宮もやるものだ。
「リンが今朝、引きずって行きました」
   ……まあ、そうだろうな。
「で、セイバーさんは留守番か」
「恋人同士に割って入る程、無粋ではありませんよ」
 話を聞く。遠坂さんは今朝、衛宮家を襲撃し。瞬く間に家主を連れ去り、消えたのだという。
 三枚のケーキチケットを残して。

「シロウは昼御飯は用意してくれましたから。私はお茶でも、と」

 気持ち良い位に食べ物の事しか話さない。
 流石遠坂凛。物事に有効な手段というのを知っている。
 ……黄金色の最後の欠片を、厳粛な表情で口へと運ぶ。傍から見ても味蕾に神経を集中させていると分かる、鋭い視線。
 小さく、規則正しく、顎を動かして。
 見る間に緩む、白皙の美貌。整い、鋭かった表情が幸せそうに崩れていく。

 ……やばい。面白いぞ、この人。

「良ければ、もう一つどうかな」
 緩んだ視線を、見開いて。
「良いのですか?カネ……」
 遠慮がちに。それでもちらりと、メニューに目をやり。
「ああ。セイバーさんには、もっとこの国の事を知って貰いたいのでな」
 本音を言えば、見ていると面白いから。
「―――国はともかく。カネが良い人だというのは分かった」
 至極真面目な表情で。
 答える少女に、苦笑する。
「案外現金だな。セイバーさんは」
 ふむ。―――遠坂さんが焦るのも、分かる様な気はする。
 ここまで素直で可愛らしい女の子が、想い人と一緒に住んでいるのでは。

「む。私のどこが現金なのですか、カネ」
「きっちりケーキを頼んでから、反論して来る所かな」

 この少女と話していると、どこか暖かな気分になる。
 そんな所は、由紀香に似ているのかもしれない。……そう言えば由紀香は、遠坂さんを好ましく思っている様だった。逆もまた然り。
 そう考えると、遠坂さんが彼女と仲が良いのも頷ける。
 ……それなのに、わざわざ食べ物で釣ってまで男と二人きりになるのを選んだ、という事は。
 思った以上に、

(―――焦ってる、のかな)

 蒔寺が喜びそうな話ではある。まあ、衛宮はあれで案外人気があるから。
 今のところ、本命遠坂さんに対抗馬が間桐の妹さん、それと。
「セイバーさんは良いのか?」
「何がですか?」
 きょとん、とした態で答える。丁寧に切り崩したショートケーキの欠片を掬い、口に運んで。
「衛宮の事。遠坂さんに取られても」
 もぐもぐごくん、と咀嚼して。

「―――私は、シロウもリンも好きですから」
 穏やかに微笑い、胸に手をやり。
「好きな人が、二人共に幸せになる。そうなれば、嬉しい」
 衒い無く。静かに確と、呟いた。

「……ああ、成る程」
 良く分かる。遠坂さんが焦る気持ちが。
 セイバーさんは素直で可愛くて。衛宮がそれになびくのを、危惧するというのもあるのだろうけど。
(ここまで真摯に、応援されてはな)
 事態を『進展』させたくもなるというものだ。
 それでも多分衛宮の方は、それに気付きもしないのだろうし。
 ―――全く。
「頭が回るというのも、それはそれで大変だな」
 苦笑を漏らす。
「はい?」
「いや―――何でもない」
 そうか。―――と、唐突に思い当たる。
 似てるんだ、この人。
 衛宮士郎に。
 自分を差し置いても、他人の事を考えて動くところとか。
 ……思い浮かべる。遠坂凛と衛宮士郎。殆ど正反対のカップル。動と静、敏感と鈍感の具象の様な。
 あのカップルも。見てて面白くはあるけれど。

「セイバーさん。クリーム付いてる」
「む」

 手許のナプキンで、少女の口元を拭ってやりながら。
 そんな事を考える。
 この少女と、衛宮士郎のカップルも。それはそれで、さぞ微笑ましいものだろう、と。
 考える。
 ―――面白くなる様に。
 ショートケーキを食べ終わり。名残惜しそうに、コーヒーカップを口に運ぶセイバーさんを注視する。顎に手を当て、努めて自然に。

「ところで、セイバーさん」
「はい?」
「あの二人、今日は帰って来るのかな?」
「……カネ。それはあまりに不躾な疑念でしょう」

 ほのかに顔を赤らめ、窘めて来る。
 ―――うん。まあ、衛宮にそんな甲斐性は無い、か。

「まあ、ともかく。きっとあの二人も、結果的にとは言えセイバーさんを仲間外れにして、罪悪感が有ると思うんだ」
「罪悪感、ですか?」
 怪訝な顔で問い返す。
「ああ。それでだ。セイバーさんも今日は楽しかったという事を教えてやれば、二人の気も咎めないと思うんだが」
「はあ」
 口元に手をやり、俯いて。
「しかしカネ。喫茶店でお茶をしていた、という事があの二人の免罪符となるのでしょうか」
 顔を上げ、眉を顰めて聞いてくる。
 うん、確かに。それだけじゃあ、遠坂さん達の予想の範囲だけれど。

「―――そうだな。こういうのはどうだろうか」
 ………………。











「では。今日はありがとうございました、カネ」
「こちらこそ。セイバーさんと話せて、楽しかった」
 機会が有ったら、また。社交辞令で無く返した言葉に、
「―――ええ。是非」
 満面の笑みで答え、深々と頭を下げて。踵を返す少女の背中に、微笑を向ける。
 ……らしくない。
 こんな風な、低劣な悪戯は。どちらかと言えば、蒔寺の専売特許であった筈なのだけど。
 不思議なくらい、仕掛けが開くのが待ち遠しい。
 きっと明日、遠坂さんは朝一番で私を呼びに来るのだろう。……いや、もしかして衛宮の方かも知れない。
 どちらにしても、あのプライドの高い少女や。滅多な事では他人を頼ろうとしない少年に拝まれるのかと思うと、口元が緩む。
 ―――素知らぬ顔で、さっさと蒔寺辺りに話してしまうのも面白いな。
 そうすれば、後は自然に話は広まる。じわじわと体積を増す流言蜚語に、惑う姿も見てみたい。

「―――くく。本当に、らしくない」

 まあ。
 暇な休みの、潰しとしては。
「善哉、善哉……」
 微笑の態で、踵を返し。



   ―――遠くない朝。
 急ぎの客が訪れる。その瞬間を、心待つ。















 夜。
 いつもより質量共に五割増の夕食に、惜しみなく舌鼓を打つ。

「今日はごめんな、セイバー」
 すまなそうに士郎は言う。何を言っているのですか。シロウの御飯はいつも美味しい。
「…………」
 別にむくれている訳では無い。口と喉が幸せで塞がっているだけ。
 ものを食べている時に口を開けるなど、そんなはしたない事をしたくなかっただけなのですけど。
「……えーと、ごめんね?セイバー」
 リンまでおかしな事を言う。貴女のお手製デザートはちゃんと後に控えているではないですか。何を謝っているのです。

「……えっと、」
 ごくりと、それを飲み込んで。「何がですか?」
「いや、だから」
 尋ねた答えに、どもる声が返る。
「今日は、セイバーを蔑ろにしちゃったみたいで……だから、ごめん」
「私も、ごめんなさい。……ただその、偶には二人きりってのも悪くなくは無いかなって、その」
 赤い顔を揃えて、視線を逸らし、口篭もる。
 ―――ああ。
 微笑ましい心持ちになりながらも、誤解を解く。
「いえ。シロウ、リン、貴方達は恋人同士なのだから。謝る様な事では無い」
 それに。
「私も、今日は楽しかった」
 答えに、安堵の息を漏らす二人。……そんなに、私の事を気にしていたのだろうか?

 ―――うん。
 やはり、この二人は。傍に居るだけで、暖かい。

「―――そっか。セイバーは、何してたんだ?」
 と、シロウ。―――ああ。彼は知らなかったのか。
「リンからケーキチケットを貰ったので、街の喫茶店に」
 言い掛けて。
 ふと思い出す。同席した恩人。彼女の御蔭で、二つも余分に食べる事が出来た。
 その言葉。

「そういえば、リン。そこで、カネに会いました」

「カネ?」
「氷室さんの事?」
 二人の内では、どちらかと言えばリンの方が彼女とは親しい。こくりと彼女に頷いて、
「ええ。彼女は面白い。色々と話し込んでしまった」
 私の答えに、意外なものでも見たかの様にこちらを見、
「―――へえ。セイバーが氷室さんと、ねえ」
「いまいち想像付かないな」
 顔を見合わせる二人。
 リンはこちらを興味深そうに見やり、
「ね、どんな事話したのよ」
 予想通りの答えが返る。
 私の恩人。彼女の慧眼に内心感服しながらも、

「ええ。シロウとリンが、普段うちでどう過ごしているのか、とか」
 
 教わった通り。正直に、言葉を返した。















 ちなみに。
「もしもし。……蒔の字か?いや、何。今日面白い事があってな」

 必死の魔術師二人の力をもってしても、塞がった電話線を繋ぐ事は出来なかったという。


    終


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