キスキス大好き!

作:しにを



「うん……」  目覚めの時。  眠りから覚めるというのは、心と体のどちらの領域に属する事なのか……。  半覚醒の状態で、起き切れずに足踏みしている。  んん……、少し息苦しい。  口がふさがれたように呼吸がしにくい。  でも、何だろう、この少し甘い香り……。  ああ。  目を開く。  急には目が瞬時に入った膨大な情報を処理しきれない。  この視覚がぼやけている間に眼鏡を。  眼鏡を掛けて。  ……。  なんだこのくっ付かんばかりの……?  ゆっくりとピントが合わされる。  それに伴い頭を痛くする線が世界を、世界を……。  ……?  !!!  それが何か認識できた。  できた。 「うわあああああああ!!!」  慌てて身を離そうとする。  しかし、ベッドで仰向けに横たわっている体勢。  結果としてわたわたとしつつも離れられない。  そしてそのまま、それを続行される。  翡翠が、ベッドの横から上半身を傾け、俺の唇に自分の唇を重ねていた。  いや、重ねていたなどという、控えめな言い方では明らかな誤り。  息苦しいのも当然で、翡翠の舌は俺の口腔に入り込んで、激しくこちらの舌に絡めつい ていた。ぬちゅぬちゅと動いていた。  舌の裏側の筋をなぞられる。  粘膜をこそげ落とすような動き。  くちゅ、っうっぷ、ちゅる……。  目覚める前から、いったいどれほどの間、そんな事をされていたのか。  溢れそうなほど口の中に唾液が溜まっている。  上からかぶさるようにしている翡翠の口から滴ってきた唾液と、口内を刺激され俺が自 分で分泌したものが混ざり合ったもの。  と、ちゅぷという水音と共に翡翠の舌が俺を解放し、翡翠の顔が至近距離から離れる。  自由になったところで翡翠に話し掛けようとして、こぼれそうになった唾液を慌てて呑 み込んだ。 「お目覚めですね、志貴さま。おはようございます」  丁重に翡翠は頭を下げる。  普段と変わりない口調、姿勢の良い立ち居振舞い。 「ああ、おはよう翡翠……、じゃなくて」  何から言おうかとつまった俺に構わず、翡翠は傍らに置いてある眼鏡を手にとって、掛 けてくれた。  線が、点が消えていく。  僅かに合った頭の痛みが薄れていく。  何よりも重要な朝の行動。  普段なら、目が覚めると同時に自ら手を伸ばしている。  それを忘れるほど動揺していたという事だ。 「だから、翡翠、今のは一体……」 「志貴さま、口に……」  ハンカチを取り出すと、口の端をそっと拭いてくれた。わずかにこぼれていたのだろう。  落ち着こう。  翡翠があまりに平然としすぎているので、一人で慌てまくっているのが馬鹿みたいに思 えてきた。  上半身を起こして額に手を当てる。  よし、落ち着け。  ゆっくりでいいから、整理してみよう。  まず、目が覚めた。  それが始まりだ。  何だか息苦しくて、それは翡翠が俺にキスをしていたから。  それもお目覚めのキスなんて可愛いものじゃなくて、舌を絡めあうディープキス。  そして俺が目を覚ましたので、離れた。  よしよし、状況はちゃんと掴んでいる。  特に問題は……。  あるよ、ありまくりだ。  なんで翡翠がこんな真似を?  俺にキスするなんて。  ほら、こんな風に顔を近づけて、柔らかそうな、いや凄く柔らかくて触れているだけで 気持ちよい唇を俺の……。 「待った、翡翠、ストップ」 「はい……」  くっつく寸前まで近づいた唇が離れてしまう。  あ、少し残念なような気が……。  翡翠も心なしか不満顔……かな? 「何の真似、これは?」 「志貴さまにキスをしようと思いました」 「…………」  絶句した。  着替えをお持ちしました、という台詞と取り替えても違和感なさそうな、自然な口調。  多少頬を染めているが、その態度も様子も常とさして変わりは無い。  ???  なんだ、俺がおかしいのか、翡翠がおかしいのか。  おかしいと思うことがおかしいのか。  わからない、わからない、わからない……。 「あの、志貴さま、わたしと口づけなさるのは、お嫌ですか?」    不安そうな、か細い声。  嫌かと言われればそれはもちろん嫌じゃないけど……。  こちらの沈黙をどう取ったのか、翡翠は視線を落としてしまう。  え、あれ、何か悪いことをしたような……。  物凄い罪悪感で胸がいっぱいになる。  とにかくこの翡翠の様子に慌ててしまう。 「翡翠、さっきの翡翠の唇、柔らかくて、嫌じゃなかったよ」 「……」 「むしろ嬉しかったかな、本当だよ。ただ、何だかわからなくてびっくりしているんだ。  ……もしかして、秋葉か琥珀さんから罰ゲームか何かでこんな事されているの? して こないと何かされるって事で嫌々、それなら俺が……」 「いえ、違います。わたしが志貴さまとキスしたいからしているんです。志貴さまがお嫌 でなければ、もう一度……」 「……うん」  翡翠がすがるような表情で俺におねだりをしている。  これは、断れないな。  断る理由もないし。  あっても翡翠の唇を見ていると、さっきの感触を思い出すと……。  翡翠の唇が近づく。  それを待つだけでなくて、俺も引き寄せられるように前に乗り出す。   「んんっ」 「ふぅん……」    さっきは既に翡翠に唇を奪われた後だったけど、今度は触れ合った時の何ともいえない 感触から、じっくりと味わう。  くっつく瞬間の微妙な感触、唇より先に息が触れあい、互いの体温が交じり合う。  そして、一瞬後に触れる翡翠の薄いピンク色の唇……。  柔らかい。  ん、んんんっ。  舌が伸びて唇と歯をちろりと舐める。  唇を重ねたままで口を開くと、躊躇無く翡翠の舌が再び忍び込んでくる。  ちゅぷ、ちゅるるっ、ちゅぷっっ、にゅ……。んぅふふんンン、じゅぷ、ちゅうぅ……。  舌を絡めた。  もう頭がうまく働かない。  ただ翡翠の唇を味わい、唾液を混ぜ合わせて啜りあい、痺れるような快感に浸るだけ。  唇が舌が触れ合っているだけなのに、全身が翡翠と溶け合っているように蕩ける。  翡翠の舌に蹂躙されながら、こちらからも舌を伸ばし翡翠の口に、そして……。  バアァァーーーーン!!!  雷鳴の如き音が響き渡る。  扉が開いた音。  どんな力で開けたら、こんな耳がおかしくなりそうな音が出せるんだろう。  呆けた頭でそちらを見る。  まだ唇は合わさったまま。  舌はまだ絡められたまま。  くちゅ……、ちぅぅっ。にち、ちゅうう……。   「兄さんっ!!」  !!!  あ、あ、あああああ、あき、あき、は、あきは、秋葉?  呆けた頭に急にキリが刺し込まれる。  顔が引きつる。  翡翠と慌てて離れる。   「こ、これは、その、とにかく落ち着いてくれ、違うんだ」  朝のまだ完全に働かない頭で、「メイドと抱き合う様に激しくディープキスをしていた処 を妹に踏み込まれて、どう言い訳すればまるくおさめられるか」という設問を必死に考える。  ……ダメだ、こんなの一週間考えたって答えが出ないよ。  というかこんな問いに答えなんかあるものか。 「翡翠、あなた」 「待て、秋葉、悪いのは俺で」  とりあえず褒めてやろう、自分を。  最期の瞬間に、とっさに翡翠を庇おうとした墓碑銘に刻むに足る決死的行動を。   「もう兄さんとキスしちゃったのね」 「翡翠ちゃんも意外とやりますねー」  …………え?  おや、殺戮者は哀れな犠牲者に目もくれない。  琥珀さんも、にこにこと翡翠に向かっている。  おーい。 「いったい何時に兄さんの処に来たのよ」 「5時頃だと思います」  え?  時計を眺める。  あ、まだ6時にもなってない。   「絶対に私が一番乗りだと思ったのに、ずるいわよ、翡翠」 「志貴さまを起こすのは、わたしの勤めですから」 「だから、何故いつもより、2時間以上も前に起こしに来るのよ」  なんだろう。  一気に体力を全て奪われていない。  全身を八つ裂きにもされていない。  こちらの必死の言い訳なんかに耳を貸さずに、問答無用で惨殺だと思っていたのに。  どうにも会話の主旨がつかめない。  とりあえず、翡翠とキスしていた事は不問なのか?  秋葉も怒っているというのとはちょっと違うし。  翡翠もわりあい平然と秋葉に対している。  見方によっては、翡翠が秋葉に勝ち誇っている様に見えなくも……、錯覚だろうな。 「あのさ、よくわからないんだけど、皆で何を話しているの?」  薮蛇という言葉が脳裏を過ぎるが、どうにも疎外感に耐え切れなくなって声を掛ける。  秋葉はこちらに向き直る。  それに合わせて琥珀さんも、そして翡翠も俺を見る。 「琥珀」 「はい、秋葉さま」  琥珀さんが、紙を取り出す。 「志貴さん、昨日、遠野家の新しい規則が出来ました」 「……え?」 「遠野家にいる者が従わねばならない決まり事です」  突然、何なんだろう。  琥珀さんは大真面目な顔をしているし。 「へえ、そうか。どんな内容?」 「遠野家家法に基づく当主制定規則第258条。遠野家の敷地内において、遠野家及び遠 野家に仕える者は、異性に対するあらゆる挨拶として口づけを以ってこれを行う事とする。 口頭での挨拶は理由ある場合にのみ代替としてこれを認める。なお、受ける側の者は拒否 権を有しない。遠野家当主・遠野秋葉。本規則は本日零時を以って施行されました」 「と、言う事です。ご理解いただけましたね、兄さん」 「……」    ……えーと。  冗談を言っている顔ではない。  ぴっと背筋を伸ばして公布書を読み上げた琥珀さんはもとより、目の前の秋葉も翡翠も 揃って厳粛と言っていい表情、態度。  えーと、えーと。  とりあえず紙を見せて貰う。  ……、うん、今、琥珀さんが言った通りの事が確かに記されている。  そうか、新しい規則か。  いつの間に。  当主制定規則って、要するに秋葉が決めた規則か。  立法と行政と司法を全部握っている訳か、凄い圧制政治だな。  まだ内容が頭に届かないな。ゆっくりともう一度読んで消化してみるか。  ふんふん、異性に対する挨拶ね、俺から秋葉、琥珀さん、翡翠に、あるいは三人から俺 にという事ね、言葉でなくて口づけをしろと。理由が無いと言葉では駄目だ、と。相手は 拒否権無し。  なるほど、そうか、そうか。  ああ、それでさっき翡翠が、あんな事を俺にしたのか。あれは要するに朝の挨拶という 事だった訳か。  納得。これで謎が解けたよ。  ・  ・   ・ 「なんだ、それは!!!」  思わず力の限り叫んでいた。  秋葉たちが揃ってビビクンと一瞬動きを止める程の迸りで。 「朝から怒鳴らないで下さい」 「耳が痛いですよ、志貴さん」 「興奮なさいますと、体に悪いです」  魂まで吐き出すような今の叫びで、少しぜーぜーと息を荒くする。  ああ、少なくとも体の中の空気が半分は抜けたな。 「わかった、大声出してごめん。少し落ち着こう。…………なんなんだ、それは。秋葉、 おまえ正気か?」 「失礼ですね、兄さんよりよっぽど正気です。さんざん検討し熟慮を重ねた結果、制定し た規則ですよ、何か文句でもおありですか?」 「文句でもおありって、おかしいだろう?」 「何がですか?」 「なんで口づけ、キスしなくちゃいけないんだ、挨拶代わりに」 「何が不思議なんです? 欧米では当たり前の事でしょう」  呆れましたという秋葉の表情。  むう。 「ここは日本だろう」 「嫌なんですか、兄さんは。さっきは翡翠とまんざらでもないようでしたけど?」 「あ、あれは……」  ジト目で秋葉が俺をじいーっと見ている。  話題に出されたくない事を、今になって唐突に指摘されるとは。  おかげで文句をごにょごにょと未発で消化させられてしまう。 「だいたいですね、誰か困る者がいるんですか、今回決めた規則で?  遠野家の当主として、皆の為を思って作った規則です。  疑うのなら試しに、確認してみましょうか。  では……、兄さんとの挨拶として口づけをするのに、賛同する者は、今すぐ挙手」  秋葉の凛とした声が挙手を求める。  ぱっと秋葉は自ら手を挙げる。  琥珀さんも満面の笑顔で秋葉に続く。 「あれ、琥珀さん、賛成なんですか?」 「ええ、私は志貴さんと口づけさせて頂くの、嬉しいですよ。翡翠ちゃんもだよね」 「えっ」  あ、翡翠も控えめに手を挙げている。  まあ、さっき既に実行していたけど。  琥珀さんの言葉に、頬を染めながら頷く。 「ほら、御覧なさい。満場一致で賛成ですよ。だいたい、嫌なら普通におはようとかおや すみなさいと言葉を用いてもいいんだし。一応、全面禁止とは言ってないんですから」 「理由無しの場合は罰則があるんだろ、どうせ。それにされる方が拒否権無しじゃないか。  それと秋葉、満場一致って、俺は?」  既に過半数以上の賛成票が投じられてはいるけれど。  それとも投票権最初から無いのか、俺は?  そもそも制定後ならまだしも、施行後に告げられるという無理矢理な事後承諾……。 「あら、兄さんは嫌なんですか。私や、琥珀、翡翠とは唇を合わすような真似は嫌だ、断 る、死んでも拒否する、とそうおっしゃりたいんですか?」 「……」 「……」  琥珀さんと翡翠が無言でじいーっと俺を見つめている。  責める様な、期待を込めている様な、すがる様な目で。  秋葉も、高圧的な物言いだったけど、どこか不安を交えた懇願するような色を湛えて俺 を見つめている。  うっ。その目には弱い……。  こんな、さっきの翡翠を三倍にしたお願いの目に、俺は耐えられる訳はなく、陥落した。 「嫌じゃないよ、わかった。でも、その、抵抗があって……」 「それは、仕方ないですわ、最初のうちは。でも慣れていきさえすれば……」  そう言いながら秋葉は顔を近づける。  早速始めようと言うのか。 「兄さんに、私、まだ、おはようの……」  秋葉もまるっきり平然という訳では決してなく、頬は赤くなり恥ずかしそうな表情をし ている。  秋葉のそんな表情は珍しくて、俺は見惚れたように動けない。 「うん、んンン……」 「ふわ、うん、ン……」  秋葉の唇。  翡翠とはまた違った柔らかさ。  それに至近距離の秋葉が……、なんていい匂い。  ふわりと髪が流れ、俺の顔を軽く嬲る。  秋葉の髪の香りが鼻腔を擽る。  抵抗だの何だの言っておきながら、秋葉の唇のと髪に酔ってしまう。  秋葉と唇を重ねたまま、しばし時が経つ。 「んっ、ふぅん」  秋葉の洩らす吐息に我に返り、離れようとした。   が、……離れられない。  秋葉の手が背後に回り、俺の頭と背を押さえている。 「なんだよ、秋葉、もう、いいだろう?」 「まだですよ。挨拶といっても今のでは心のこもっていない形だけの虚礼でしょう。本当 に相手を思えば必然的に、より深く……」  再び唇が合わさる。  今度はそれで終わらず秋葉の舌が滑り込む。  これが心のこもっている相手を思っているキスか。  秋葉の舌が、口腔の中にいる。  昨日まではこんな事態をほとんど考えた事もなかったのに、こんな頭が変になる感触は 想像もしていなかったのに。    でも……、それなら……。  俺からも舌を出し秋葉のそれと絡める。  秋葉は一瞬驚いた顔をして、そして嬉しそうに熱心に舌を動かす。  唾液を絡めあい、互いの舌がずりゅずりゅと軟体動物めいた動きをする。  秋葉の唾液を呑み込むと同時に、秋葉も俺のを受け止め喉を動かしている。  もっと秋葉が欲しくて細い体を抱き締めた。  魅了してやまない黒髪に触れ、指を絡めて梳く。    ちゅ、ぢゅる……、ちうぅぅ、くちゅ、ちゅうーー、んうううっ、ちゅぷ、るろッ。 「うんふ。んんんッッッ、うぅん……」 「あ、き、んんむむ、は……」  飲み込んでも飲み込んでも、混ざり合った唾液が口内を満たす。  激しい舌の動きに、溢れてポタポタと下にこぼれ落ちる。  顎を唾液で汚し、そこからさらに下へと滴らせているのに、構わず秋葉は舌を蠢かして いる。  その忘我の様子、秋葉がそんなになっても俺とのキスに夢中になっているという事実が 頭を沸騰させる。  秋葉の目に酔った様な色が浮かび、幾分舌の動きが弱まったと見て、俺の口に誘い込む。  濡れた柔らかい秋葉の舌を唇で挟み、強く吸う。  唇をすぼめ、口の中を真空にするような勢いで。   「んん、んふうう……。んふッッ……」  幾分、痛みすらあるのだろうか。息苦しいのかもしれない。  でも秋葉は少しも抗う事なく、俺のしたいようにさせてくれている。  それに甘えて思う存分、舌吸いを続ける。  秋葉の声も、吐息も、唾液も、口の粘膜も、匂いも、何もかもが俺を狂わせる。  優しく梳いていた手も動きを変える。  美しい流麗な髪をぐしゃっとかき乱している。  その感触の素晴らしさ。  髪の間から漂う芳しい秋葉の香り。  酔う。  おかしくなる。  もっともっと秋葉を味わいたくなる。  もっと、もっとだ……。  駄目だ。  止まれ。    これ以上続けたら僅かな理性の歯止めが砕け散る、という処でありったけの意志の力で 秋葉から離れた。  このままだと、秋葉に何をしていたかわからない。  翡翠と琥珀の見ている前だというのに。  今度は秋葉にキスの終わりを、咎められなかった。  ぼおっとした顔で秋葉が俺を見ている、いやその目は何も見ていないのか?  琥珀さんか近づき、突いたら倒れそうな秋葉を支えて、口元を布で拭いた。    俺は息を荒げながら、自分の口を拭った。  朝っぱらから酷く体力を消耗した気がする。  秋葉の香りが残る唾を呑み込み、大きく息を吸うと少し落ち着く。  狂い風は通り過ぎてくれていた。  何とか元に戻れた。    でも、これで終わりじゃないんだろうな。  だって、まだ……。  そう呟く声が聞こえたかのように、琥珀さんが振り向く。 「琥珀さんも?」 「はい。それとも志貴さんは私だけ仲間外れになさるおつもりですか?」 「いえいえ。でも、なんか疲れちゃって」 「あらあら。じゃあちょうど良いですね。私とキスすれば……」 「ああ、そうだね。でも、そんな理由でするのは……」 「変な処で気を回されますね、志貴さんは。うふふ。あくまで、私は志貴さんと朝のご挨 拶でキスするんです。その時、必然的に体液交換しますよね、それならどうです?」  言いながら琥珀さんが近づく。  琥珀さんの小さな唇が近づく。  妙に、どきどきする。  翡翠と秋葉とキスをしていながら、琥珀さんとこれから唇を合わせるという事に動揺し ている。 「ふふ、緊張なさらないで下さいな」 「だって、やっぱり平気じゃいられないよ」 「今日私となさるの二回目なんですし」 「二回目?」  え、どうして。  起きてから翡翠として、それから秋葉。琥珀さんとはまだ……。  もしかして、翡翠だと思っていたけど、実は琥珀さんだった……とか?  いやいや。二人ともいる以上、そんな事はありえない。 「どういう事、琥珀?」 「姉さん、いつの間に?」  あ、秋葉が元に戻っている。  驚愕の表情の秋葉。  翡翠ですら常に無く動転した表情を露わにしている。 「いつもより二時間以上も早く志貴さんの部屋にやって来た翡翠ちゃんには、ちょっとび っくりしましたけど、それでも零時から五時間ほどあった訳ですよね」 「琥珀、まさか……」 「いえ、秋葉さまを差し置いて、夜這いの様な真似は致しておりません」 「じゃあ、なんで」 「あ、姉さん、夜の……」 「あ。翡翠ちゃん正解。ええとですね、わたしは昨夜、たまたま夜の見回りの当番だった んです。たまたま最後に残ったのが志貴さんのお部屋で、志貴さんがまた明かりを点けた ままお眠りになっていないかなと、たまたまお部屋に入った時に、零時の時計が鳴りまし て。いつもはおやすみなさい、と声を掛けて帰るんですけど……。ああ、今日から変わっ たんだ、秋葉さまのご命令に従わないと、と」 「何がたまたまよ。それで寝ている兄さんの唇を奪ったと言う訳?」 「おやすみなさいのご挨拶をしただけです。志貴さんは眠ってましたから、憶えていらっ しゃらないでしょうけど」  そりゃ、憶えてないよ。  翡翠と秋葉の感触が残る唇をそっと触れてみる。  それは、ちょっと惜しかったかなあ。 「そう言う訳で、実質は二回目ですから、あんまり緊張なさらないで下さいな」  言いながら、気がついたら琥珀さんの顔がすぐ近くに。  ちゅっと軽いキス。  琥珀さんだといきなり舌を入れての濃厚なキスでもするのかと思っていので、ちょっぴ り意表をつかれる。  もちろんそれで終わりでなくて、小鳥が啄ばむ様に、軽く触れるだけのキスを何度も繰 り返す。  ほとんど肉体的な刺激は無い筈なのに、何故か唇がじんわりと溶けるような快感を覚え る。 翡翠と秋葉とのキスの後だとちょっと物足りない、でもその物足りなさも次のキスを求 める気持ちになって……。   「!! うん、んんンンンーーー」    いきなり強く唇を奪われた。  両手で頬を押さえられ、琥珀さんは強く唇を押し付けている。  唇同士が押し合い形を変え、隙間が開く。  琥珀さんの舌がそこだけ別の生き物のように動き、歯と唇の内側を舐める。  軽く、なぞるように触れているだけなのに、そんな処からも快感が引き出される。  思わず。声を洩らし少し口を開けたところに、するりと琥珀さんは入り込む。  ちろ、れろ、れろ……、ちゅるる、じゅ……。  琥珀さんの舌の動きは、翡翠とも秋葉とも違っていた。  傍で見ていて意図的に変えたのだろうか。  舌を絡ませあい激しく動き回るのではなくて、むしろ舌を避ける様に歯茎や頬の内側の 肉、舌の脇の粘膜など、周辺部分をちろちろと舌先でくすぐってくれる。  こちらから舌を絡めようとしても、ちょっと触れるとかわされてしまう。  しばらくそうして舌の追いかけっこを楽しむ。    と、琥珀さんの舌が引っ込んだ。  唇は離さない。  そして心持ち顔を後ろに傾け、俺が上になる形になるよう導く。  ?  目に何かを期待する色が。  ……これかな。  舌の裏に溜まった唾液を、口をすぼめて、舌で押し出すように琥珀さんの口に送り込む。  琥珀さんは……、嫌がっていない。   「んんっ、んううんっ、うんッッ」  琥珀さんが流し込まれた生温い俺の唾液を飲み込んでいる。喉に手を触れると、嚥下の 動きが感じられた。  嬉しくて、何度も唾液を分泌させ、琥珀さんに飲ませる。  琥珀さんも嬉しそうに、それを飲んでくれている。  その度に、喉の手に震えが伝わる。  しばらくそうしていて、琥珀さんの手がゆっくりと離れた。  秋葉とのキスとは違う満ち足りた気持ち。  名残惜しげにゆっくりと唇を離す。  舌だけを前に出し、先端を絡めたまま。  もう完全に離れる少し手前で動きを止める。  僅かな残心すら消化してしまおうと、舌先だけで互いを舐めあう。  ぼとぼとと二人の唾液が糸を引いて下に落ちるが、構わず舌での遊戯を続ける。  痙攣しそうになってようやくキスをやめた。  ふう……。  琥珀さんは目をきらきらと輝かせて、まだ余裕ありげにしている。  翡翠と秋葉は、真剣な顔で俺と琥珀さんを見ていた。  改めて、皆の見ている前で、その全員と唇を合わせたのだという事実に、狼狽する。 「どうでした、兄さん? まだ、ご不満はありますか?」 「いや、ないよ。うん……、よかった」  俺の返事に、秋葉はにこりと微笑み、それから重々しく頷く。   「では、これからお願いしますね」 「ああ、規則だからな、従うよ」 「結構です。琥珀、翡翠、兄さんの言葉を聞いたわね」 「はい。ちゃんと憶えておきます、秋葉さま」 「はい、志貴さまに遵守頂く様注意いたします」  気がつくともう7時近い。  いったいどれだけキスしていたんだろう。    それから、久々に早起きしたので、秋葉と朝食を共にして、身支度を整えた秋葉と「行 ってまいります」「気をつけてな」の会話の替わりにキス。  秋葉を見送った後、今度は俺も出掛ける準備をして琥珀さんと翡翠にお出掛けのキスを して、学校へ向った。  これが、遠野家での新しい生活の始まりだった。                 ◇   ◇   ◇  当主制定規則第258条が施行されてから数日。  問題なく平穏な日々が続いている。  どんな異常な事でも、それが繰り返されると人間は慣れ、違和感をすり減らして日常と して受け入れてしまうのだろうか。  遠野家の中では、限られた人間、閉鎖空間の中では、それはより効果的になるのかもし れない。  この中では誰も異を挟まない。なんでこんな素晴らしい事を止める必要がある?  誰にも迷惑をかけず、皆が喜んでいるのに。  もちろん俺を含めて。    今ではこれこそが、キスキスキスの生活が日常だった。  朝は翡翠に起こされる。  前には翡翠はじっと俺が起きるのを見つめていて、よくはわからないが、俺が起きる兆 しを見せると声を掛けて目覚めを促していたそうだ。  でも、今は違う。  俺が指定した時間に翡翠の手で、いや唇で、起こしてもらっている。  一度寝たふりをして確認してみた時はこんなだった。  馬鹿みたいに眠りこけている俺に、翡翠は優しく目覚めのキスをする。  俺の名前を呼びながら、何度となく唇でノックして、俺の唇を振るわせる。  ついで舌で俺の唇を濡らしていく。  とろとろと翡翠の甘い唾液を垂らし、それを伸ばすように唇の合わせ目に塗り込める。  妙なくすぐったさに唇が開くと、待ちかねたように翡翠の舌が滑り込む。  たっぷりと唾液にまみれ滴るような舌を俺の舌に重ねる。  俺の舌にのみ集中して、翡翠の舌は動く。  あまり激しくはなくとにかく接触し、ぬめぬめとした粘膜を擦り合わせるような動き。  その間も唾液はとろとろとろとろと注ぎ込まれる。  唇はぴたりと塞がれ、少し息苦しい。  鼻で呼吸は出来るが、口に唾液が溜まっていると、必要な空気が少なく感じる。  唾液を飲み込む。  翡翠から分泌された唾液を。  ふっと翡翠が息を吹き込む。  奇妙な感触。  苦しいような気持ちよい様な……。  そこで寝た振りを続けられず、思わず目を開けてしまった。 「志貴さま、いつから目を覚まされていたんです?」 「え、気付かれてた?」 「はい。いつもと反応が違いましたから」 「そうか、どんな事して起こしてくれてるのかなって、興味あったんだけど」 「今みたいな感じです。これで起きてくださる場合もありますし、それでもお眠りの場合 は、この後に……」  突然翡翠は真っ赤になった。 「やっぱりダメです」 「ええっ、何で、教えてよ」 「……秘密です」  どうやら上手い狸寝入りの技能を身に付けないと、翡翠がこの後どうやって俺を起こし ているのかは確かめられないらしい。 「仕方ないな。じゃあ、お目覚めのキスが終わった処で、おはようのキス」 「はい、志貴さま」  ベッドから出て、端に腰掛けて少し顔を上に向ける。  翡翠が身をかがめて顔を近づける。  ちゅっ、ちゅっ、ちうう、……ちゅぷ、ちゅううっ……。 「うんんっ、翡翠、んんふッ」 「んふっ、んん……、し、き、さまんんんっ」    こんな風に最近は翡翠の協力で、早く起きている。  俺も目を開くと前のようにぐずぐずせずに、ぱっと起き上がる。  朝の時間を少しでも無駄にしたくないからだ。  下へ降りて行けば、秋葉と琥珀さんが待っているのだから。  最近は、秋葉と朝食を共にすることが多い。  今までは俺が起きるのが遅いせいで一緒に朝食というのが、ほとんど出来なかった。そ れは秋葉の不満になっていたのだが、その問題は今では解決している。  朝だからそんなに込み入った話をする訳でもないが、なんて事のない言葉を交わすだけ でも秋葉は嬉しそうだし、俺としてもこうした時間を持つのは楽しい。  今まで、随分と勿体無い事をしていたんだなと思う。  秋葉の顔を見ていると、早起きして待っていてくれたのにすまなかったなとも思う。  もっとも、3回に1回は俺が降りて行くと、先に秋葉は食事を済ませてしまっている。  学校の用事でいつもより早く出掛けるという場合もあるが、食事の時間をより長いキス の時間に充てたいと、秋葉が望むから。  それはそれで、秋葉との交歓の時としてこちらも拒む理由は無い。    例えば、こんな風に。 「兄さん、先に朝食になさるのでしたらそれでも……」 「いいよ、俺は後でも時間があるから、秋葉に、おはようを言う方がずっと大切だ」 「じゃあ、合わせて私の、行って参ります、も受け取って下さい」  そんな会話をしながら秋葉の顎に手をやる。  ソファーに座って秋葉はじっと俺の唇を待ち受ける。  身をかがめて秋葉の淡い薄紅色の唇を奪う。  朝はどうしても時間が少なめになるから、じらさず最初から情熱的に舌で秋葉を貪る。  少し紅茶の香りのする秋葉の唾液を掬うようにして、替わりにこちらの唾液を送る。  嬉しそうに秋葉は喉を鳴らす。  もっとじゅるじゅるれろれろと激しく唾液の交換をしたいが、すでに登校準備を整えて いる秋葉とそんな真似をする訳にもいかない。  唾液で制服がびしょびしょになるようなキスは帰ってからにでもしようと思う。  こぼさぬように唇をぴたりと合わせて、主として互いの舌に対して悪戯する舌戯の応酬 を繰り返す  先端同士をちろちろと飽く事無く舐めあい、表面同士をこすり合わせあう。  軟体動物の交合の如くぬめぬめと。 「秋葉さま、そろそろお時間です」 「はぁ、はぁ、で、では兄さん」 「うん、しっかり勉強するんだぞ」 「はい」  秋葉はこうして機嫌良く学校へ出掛ける。  俺も出掛ける準備を始める。  朝食を取る前に琥珀さんに感謝のキス、鞄を持って来てくれた翡翠にもキス。  玄関口では、時間の許す限り、二人にキスをする。  公平に半分ずつ時間を取ってする事もあれば、二人に並んでもらって、交互に短いキス を繰り返す事もある。  姉に舐められて濡れている唇を妹のそれと重ねたり。  妹の唾液に塗れた舌を姉の口腔深くに差し入れたり。  一見同じようで違う二人の唇を楽しむ何ともいえない贅沢。  その後は翡翠に門まで送って貰う。  遠野の敷地の端。異世界との境界線が、遠野家の門だ。  ここからあと一歩足を、という処で、いつも翡翠と短いキスをする。  舌を絡ませつつ一呼吸、二呼吸の短いディープキス。  それで、遠野家の朝は終わり、俺は学校へ出掛ける。  学校では、前からの日常が待っている。  授業。  有彦やシエル先輩との会話、じゃれ合い。  街で少し過ごしてみたり。  そうしている時は、こちらこそが当たり前の世界で、遠野家の当たり前が、少しだけ不 思議に思える事もある。  しかし、戻ればそんな違和感は消失する。  お出迎えの翡翠にキス。  琥珀さんにもキス。  時に台所仕事や力仕事でもあったら手伝って、お礼替わりにキスを受ける。  部屋にこもって宿題などしていると、琥珀さんがお茶など持って来てくれる事がある。  そうした時は普段とは違う事をする。  例えばこんな風に。 「アイスティーですけど、ミルクか何かお入れしましょうか?」 「うーん、ストレートでいいよ。シロップもいらない。その代わり、琥珀さんに……」 「はい。志貴さんに飲ませて差し上げればよろしいんですね?」  頷く。  琥珀さんはにっこりと笑って、グラスを手に取る。   ストローに口をつけてちゅーっと吸う。  少し頬を膨らませ、唇を閉じて俺に近づく。  俺は椅子の向きを変えて身を乗り出す。  ちゅっ、じゅるじゅるじゅる……。  んんむ、とぷン、ごくん。 「美味しいですか?」 「うん、琥珀さんに飲ませて貰うと凄く美味しい」 「まだ、ありますからね」  ちゅーっとまた口に含む。  5回ほどに分けて、琥珀さんの口移しによるアイスティーを堪能する。  紅茶自体の香りに色づけされている琥珀さんの味。  ブランデーをたらした紅茶のように、よりいっそう紅茶の味を楽しませてくれる。  その美酒がどれだけ混入していたのか、酩酊感すら少し感じてしまう。  そして……。 「おまけですよ、志貴さん」 「え?」  もう空なのに?  何か口をもごもごさせている琥珀さん。  不思議に思いながらも、琥珀さんの唇を受け入れる。  琥珀さんの舌が俺の舌に……。  痛い。  ……?  いや、冷たい。  琥珀さんが口の中に含んで、キスしながら口移しで俺にくれたのは、グラスに残った氷 だった。意表をつかれたので痛みと錯覚するような刺激を感じた。  ブロック氷を口移しにしても琥珀さんは離れない。  舌を俺の中に差し入れたまま、悪戯するように蠢かす。  氷をねぶりながら、俺の舌や頬肉に押し付けてみたり、俺が舐めていると弾くように邪 魔をしてみたり。  俺もそれに乗って逆襲に転じてみたり、どんどん小さくなっていく氷の争奪戦を行った りと戯れる。  最後は氷を間に挟んで二人で舌を交差させ舐めあった。  冷気で感覚が少しおかしくなっていたのに、琥珀さんの舌の感触は鮮烈だった。 「はい、おしまいです」 「ありがとう、美味しかったよ、琥珀さん」 「気分転換になったのでしたら、嬉しいですけど」 「転換しすぎかな。でも、疲れもなくなっちゃったみたい。もう少しでこっちは終わるか ら、そうしたら居間に行くよ。秋葉もそろそろ戻るしね」 「はい。お勉強頑張って下さいね」  出て行く前に、もう一度だけちゅっと唇を触れさせるだけの軽いキスをする。天使の羽 根のように軽いキスを。  それは何だか凄く新鮮で余韻があった。  そうこうしていると秋葉が帰宅する。  嬉しそうに駆け寄り、寸前で澄まし顔になる。 「兄さん、お帰りでしたか」 「ああ、秋葉を待っていた」 「え……」  顔を赤くする。  こういう処は可愛いな、と最近は素直に思える。   「ほら、ただいまの挨拶がまだだぞ。遠野家当主ともあろう者がそんな無作法だといけな いんじゃないかな」 「は、はい。すみません、兄さん。では……」  椅子に座った俺に近づき秋葉は身をかがめる。  朝、出掛けにしたのとは逆の体勢。  秋葉の綺麗な顔が目をきらきらとさせて近づいて来る。  何に例えればよいのだろう。  その艶やかに色づく唇が近づく様を。   「兄さん、うんふっ……」 「っんん」  唇が触れた。  その感触だけで身震いする。  上から覗き込む様な感じで、秋葉の髪が頬や、顎、上半身に垂れてくる。  朝とはまた違う香り。  一日過ごした後で、秋葉の匂いが強く濃くなっている。  キスしながら髪に手を伸ばした。  さらさらと手の中で流れる。  でも、僅かに、ほんの少しだけ艶が増したように朝よりも、さらさらした感じが弱まり 手に残る感覚がある。    ちゅ、ちううう……、ちう、ちゅう、んふふっ、ちゅる……。 「んふふっ……んん、ッッ」  秋葉の好きなように唇と舌を吸わせていたが、お返しに入る。  今までは秋葉からの「ただいま」で、ここからは俺の「お帰りなさい」だ。  秋葉の舌をなぞる様に舌を動かす。  舌の表から裏へ、そしてまた表へ。  円を描く様に、いや螺旋を描く様に舌を動かす。  舌の先から奥の根本目掛けて。そしてその逆の回転を描いてまた先端へと戻す。  ぢゅぷ、ちゅう、ちうう、ちゅぷ、びちゅ、うぷぷ。ちゅう、ちゅうう……。  キスしたまま、ゆっくりと立ち上がる。  秋葉の背に手を回して軽く抱き締めながら、回れ右をする様に体を入れ替える。  さっきまで俺が座っていたソファーに秋葉を座らせ、俺の方が上からかぶさる様に顔を 寄せる形になる。 「秋葉、もう少し浅く座って、背中を倒して」 「はい、これでいいですか、兄さん」  ちょっとだけ唇を離し、秋葉に指示する。  それに従順に秋葉は従ってくれる。  目でいいよと答えてこちらからキス。  舌を差し入れ、しばらくくちゅくちゅと舌を絡め合い、そして唇を少し離す。  少し驚いた顔をして、俺の目に秋葉は意図を察する。  唇と唇に少し隙間を空けて、秋葉も舌を突き出す。  そう、それでいい。  舌だけを交差させ、絡ませあい、互いに貪りあう。    ぴちゃ、ぴちゃ、ちゅぷ、……ちゅぱ、じゅりゅ、じゅぷ……。  ぽとっ……、ぽと、ぽとと……。  舌から滴る唾液が、唇の隙間から、こぼれ落ちる。  幾分かは秋葉の顎を伝い、大部分はそのまま下に落ちる。  俺の唾液が、秋葉の唾液が、混じり合いつつ、秋葉の制服を、伝統ある浅上のセーラー 服を濡らしていく。  もとより、何着も制服のストックはあるから何ら問題は無いのだが、その制服を汚す行 為は俺に説明不能な興奮と悦びを感じさせる。  秋葉も何も抵抗なく、むしろ嬉々として唾液が落ちるに任せている。  秋葉の舌を堪能し、制服を汚し、そして朝には出来ない事をもう一つする。  官能的な秋葉の髪を、指を突っ込んで弄んでいるそれを、ぐしゃっと握る様に乱す。  流れる様な秋葉の髪をぐしゃぐしゃにする快感。  もちろん、秋葉の髪を引っ張って痛みを与える事のない様に、気を遣っている。  それでも秋葉は幾分痛みとも悲しみともつかぬ色を目に浮かべる。  自慢の髪を無理に乱される事に抵抗があるのだろう。  それでも俺が望むと、秋葉は好きにさせてくれる。    二回、三回、いやもっと、場所を変えては秋葉の髪を手折り、曲げ、捻り、乱す。  そして、一転して、丹念に手で髪を梳いて整える。  壊してしまった芸術作品を元に戻そうとするかの様に。  秋葉は今度は嬉しそうにしている。  ぽとぽと、ぽとぽと、と唾液を垂れ流しながら、秋葉の髪に触れ続ける。 「はぁ、秋葉」 「に、兄さん、……」  どちらとも無く離れる。   「秋葉の髪、いいな。でも、こんなに酷くしちゃった」 「平気ですよ、どうせこれから着替えて整えますから。それに兄さんに触って頂くのは、 嬉しいです……」  可愛い事を言う妹に、軽いキスをしてやる。  それから和やかに夕食の時間を迎え、団欒の時を持ち、また「お休みなさい」のキス。  秋葉と、琥珀さんと、翡翠の全員に。  他の二人の見守る中で、交互にたっぷりと時間をかけて。  疲れ果てそうなものだが、琥珀さんと翡翠の感応者の力故か、ぽかぽかと体が暖かい状 態で寝床に向う。    何も特別なことの無い平日は、こんなキスに満たされた一日になっていた。                 ◇   ◇   ◇  キスを妹とメイドと交わす喜ばしくも爛れた日々。  だが、それもあくまで遠野の家の中だけのお話。  一度外に出れば、また別の価値観の世界に移る。 「おはようございます、遠野くん」 「あ、先輩、おはよう」 「これ、作って来たんです。口に合うかわからないけど」 「うん、美味しいよ、ありがとう」 「それじゃ、遠野くん、さようなら」 「また明日ね」  挨拶も、感謝の意も言葉で表す。  それでいいのだ、外では。  こんな言葉を交わすだけで良い筈だった。  ……だが、今朝は違った。  学校で、シエル先輩と会ってから、ずっと気になって気になってしかたがなかった。  先輩の唇が。  先輩の歯が。  先輩の舌が。  廊下で立ち話をした時も、お昼を一緒に取っていた時も、放課後に教室でお喋りしてい る今もずっと。  気がつくと先輩の口を見つめていた。  唇がさまざまに動き形を変える様を。  時折覗く舌を。  美味しそうにカレーうどんを啜っているのを見た時には、頭がどうにかなるのではない かとすら思った。  あの唇にキスしたら、いったいどんな感触なんだろう。  キスしたい、先輩に。  ちょっと動けば、あの唇が。  ふっくらとした唇が。  自然に動きかけた体をはっとして止めた。  抑制が働かなければ、ふらふらと先輩に抱きついていたかもしれない。  周りに大勢いるというのに。  どうしたんだろう、今日は。  秋葉が学校の行事とかで普段より早くて、ちょっとしかキス出来なかったからか。  起きるのも少し遅めで、十分に翡翠や琥珀さんともキス出来なかったからか。  それでも何回もしてきたのに、まだ足らないのか?  これまでは家の中と外で完全に意識が切り替わっていたのに。 「遠野くん、何処か調子悪いんですか?」 「え、ああ、ごめん、ちょっとぼんやりしてた」  しまったな、今日はこれで何回目だろう。  最初は俺がぼんやりと先輩の言葉を聞き逃すと、わざと咎める様な顔をして俺を慌てさ せていた先輩も、今では本気で心配して顔を曇らせている。  少し、顔を近づけて先輩はじいーっと俺を見つめる。 「何か心配事でもあるなら、言って下さいね。私じゃあまり頼りにならないかもしれませ んけれど。何か力になれるなら……」 「ありがとう、シエル先輩。でも、心配事とかじゃないから」  シエル先輩の優しい言葉に、心から感謝の意を込めて礼を言う。  でも、本当の事は言えない。  先輩の唇が気になっていますなんて。  キスしたくて仕方ないんですなんて。  頭が、おかしくなりそうですなんて。    そんな煩悶を抱えた俺を見るシエル先輩。  何でもないと俺が言う程に、かえって俺を気遣う色が深くなっている気がする。  勘の良い人だし、何を思っているのかはわからなくても、俺が嘘をついている事は気が ついている。そして、嘘をついているという事に気を回している。  ……仕方ないな。 「朝から少しふらふらしているんだ。力が抜けて、集中力がいつもより欠けると言うか。 琥珀さんにも見て貰ったけど、特に異常もないし、病気とかじゃないんだけどね。授業も 全部出たしさ」  嘘を言ってしまった。  先輩は目に見えてほっとした顔をしている。 「そうでしたか。あ、でもそんな時にうるさく何度も大丈夫かって訊かれるのって、気分 悪いですよね、  そうとは知らずに、最初は私の話聞いてないんですかなんて、怒っちゃったし。  ごめんなさい、遠野くん」 「頭なんか下げないでよ。先輩が心配してくれるのって嬉しいんだし」  ちょっぴり罪悪感。嘘をついて、それでさらに先輩に恐縮されてしまうなんて。  少し嬉しくはあるのだけど……、ごめん、先輩。 「じゃあ、遠野くん、こんな処でぐずぐずしてないでもう帰った方が良いですね」 「そうだね」 「お家なら、琥珀さんもいますし」  その通りだ。  うん、帰れば、翡翠や琥珀さんが待っていてくれる。  キスを我慢しなくていいんだ。 「お家まで送って行きますから」 「え、悪いよ」 「ぼんやり歩いていて車にでもぶつかったらどうするんです。そんな事になったらわたし、 死ぬまで自分の事呪いますよ」 「わかったよ、一緒に帰ろうか」 「はい」  二人で遠野家に向かって歩く。  取り留めない話をしながら道を、坂を歩く。   もう戻りさえすれば……、そう思うと楽になった。  外の風も、頭を冷やしてくれる。   「……で、ですね。つッ」  先輩が顔をしかめる。 「どうしたの、先輩?」 「ちょっと舌を噛んでしまって。馬鹿みたいですね」  言いながら、紅い舌をチロと外に出す。  濡れた、柔らかそうな、美味しそうなシエル先輩の舌。  あああああ!!!  ……ダメか。  もたないか、屋敷まで?  その後は俺の口数は少なくなり、先輩がちらちらと俺の様子を心配そうに窺っていた。  その顔を見ると意識するので、なるべく先輩の方を向かない様に歩いた。  もうすぐ、もうすぐだ。 「大丈夫ですか、遠野くん」 「平気だよ。でもありがとう、シエル先輩、気を遣ってもらって」 「当たり前ですよ。遠野くん、無理して遠慮なんかしちゃダメですよ」  心配そうな顔で覗き込む。  申し訳なくもあり、嬉しくもあり。  ああ、先輩の唇。  柔らかそう。  ぷくりとして、言葉を口にする時に動いて、うん、いいなあ。  どんな感触だろう。翡翠みたいかな、琥珀さんか、秋葉か。それとも全然違うのか。 「……くん、遠野くん」 「あ、ごめん、ぼんやりしてたよ」 「着きましたよ、遠野くん。まだ部屋まで遠いですけど。ええと、翡翠さんか琥珀さんが いれば良いのですけど」  ああ、もう門をくぐったのか。  ……。  もう、遠野家の敷地内か。  そうか、もう遠野の家の中なのか。  じゃあ……。 「シエル先輩」 「はい?」 「遠野家にいる時は、お客とはいえ家の規則に従って貰わないといけないと思うんです」 「は? まあ、そうでしょうね。でも何でそんな事を言い出すんです、遠野くん?」 「ええとですね、説明するより……」  もう、まどろっこしい事をしていられない。  もともとすぐ傍にシエル先輩は立っていたから、体の向きを変えて顔を近づけると、す ぐにシエル先輩の魅惑的な唇に触れる事が出来た。 「え、あ、きやっ、と、遠野くん、何を、と……、んッんんん……」  ああ、シエル先輩の唇。  ずっと頭から離れなかった先輩の唇。  キスしてる、先輩とキスしてるんだ。  うんん、シエル先輩の唇はシエル先輩の唇以外の何物でもない。  触れた時の柔らかさも、擦るように小さく動かした時の何とも言えない感触も、秋葉と も誰とも全然違う。  驚いたように眼鏡の奥の目が開いているが、シエル先輩は体を突き飛ばすとか、拒否の 色を浮かべるとかはしていない。  そう判断すると唇を合わせるだけでなく、動き始めた。  舌先で先輩の唇を舐める。  合わせ目を舌でなぞる。何度も唾を塗りつける。  先輩の口が開いたと見て、迷わず舌を差し入れた。 「ん……ッッッ……」  くぐもった声が僅かに洩れる。  構わず舌を動かすと、先輩は少し顔を動かす。  眼鏡がぶつかって小さく音がした。  シエル先輩の口の中。  歯を舐め、裏側を走らせ、ぬめぬめとした口蓋を味わう。  先輩の舌に交差さるように、根本まで舌を伸ばす。  舌を縦に丸めるようにして、先輩の甘い唾液をすする。  ずりゅ、じゅ……、ちゅぷぷ……、じゅるる、ぴちゃ……。  先輩はすっかり無抵抗で、むしろ俺に協力するように舌を動かしてくれる。  手が俺の背に回っている。  口だけに集中していたけど、シエル先輩の体が、特に大きな柔らかい胸が押し当てられ ている。  先輩が今度は舌を伸ばしてくる。  試しに俺の唾液を送り出すと、躊躇いなく、それを啜り込んでしまう。  先輩、キス上手い……。  こちらから何かすると、きっちりとお返しがある。  背の高さも翡翠たちと違うから、立ったままでも少し角度が変わって新鮮。  このまま、ずっと先輩とこうして……。    うん? うわああ。  唐突に先輩に胸を押されて、引き剥がされた。 「先輩、ちょっと乱暴」 「そ、そんな事言ってる場合じゃありません」 「いらっしゃいませ、シエルさま」  うん?  いつの間にか翡翠が出迎えに来ていた。  ああ、俺は後ろ向いてたから気づかなかったけど、先輩はキスしてる処を翡翠に見られ て慌てて……。   「帰ったよ、翡翠」 「はい」 「あの、遠野くん、翡翠さんも……?」  平然としている俺と翡翠にシエル先輩が怪訝な目を向ける。   「どうかしましたか、シエル先輩?」 「どうって、その……、遠野くんが私に、キスして……」 「うん、先輩の唇凄く良かった。先輩は嫌だった?」 「そんな事無いです、わたしも。……そうじゃないです。翡翠さんに見られて、なんで遠 野くん平気なんです」  翡翠に近づく。  顔はシエル先輩の方を向きながら。 「遠野家の規則でね、おはようとか、さようならとかの挨拶、今は少し拡大解釈されて他 にも適用されているけど、単に言葉じゃなくて、キスで思いを伝えるんだ」 「キスで? な、何です、それは。何を言っているんですか」 「変かな。でも翡翠も別におかしいと思っていないだろう?」 「はい、志貴さま」 「じゃあ、翡翠さんとも?」  返答の代わりに翡翠に顔を近づけた。  まだ「ただいま」も「お帰りなさいませ」をしていないし、言ってもいないから。  実際にしてみせるのがわかりやすいだろう。  翡翠はシエル先輩の目を気にする事無く、顔を上げて唇を前に突き出す。  シエル先輩とのキスで濡れた唇を、翡翠の唇に重ねる。  シエル先輩に続いて翡翠ともキス。なんて贅沢なキス……。    ちうう、ぴちゃ、……ちゅぅぅ、ちゅっ……。  唇をついばみ、舌を絡ませる。  先輩とは違う翡翠ならではの素敵な感触。  一旦、顔を上げてシエル先輩を見た。  どんな顔をしているだろう、と悪戯っぽく思った。 「ね、シエル先輩。あれ、先輩?」  キスし始めた時は、顔を赤くして俺と翡翠を見つめていたのに……。  先輩の姿が無い。 「シエル様はお帰りのようです」 「そうか、どうしたんだろう、びっくりさせ過ぎちゃったかな、やっぱり。まあ、明日ま た話をすればいいか」  ふむ、と門の向こうの見えない先輩を見ていると、控えめな声が聞こえた。 「志貴さま、あの……」  翡翠がもじもじとこちらを見ている。  ああ、わかっているよ。  俺も同じ気持ちだから。 「うん? 短すぎて物足りないか、よし、部屋までキスしながら戻ろうか」 「は、はい。嬉しいです、志貴さま」  翡翠が笑顔を見せる。  普通の人間の尺度から見ればさして表情の変化がないように見えるが、凄く嬉しそうに しているのがわかる。  再び、翡翠と唇を合わせ、そして舌を絡める。  身長差があるから、歩きながらは難しいけど、道々立ち止まっては激しくディープキス を繰り返す。何度も、何度も。  歩きながらぴちゃぴちゃと唇と舌の感触を反復し、残った唾液を味わい、そして物足ら なくなると、立ち止まって本物の唇を求める。  こちらから唇を奪ったり、翡翠のほうから背伸びをしてみたり。  何て幸せで気持ちいい毎日だろう。  こんな生活が始まる前は、なんて味気なく潤いの乏しい日々だったのだろう。  秋葉に感謝だな。  最初、秋葉がおかしくなったのかと思って、反対しようとした自分は馬鹿だった。  翡翠の唇を舌を、唾液を、柔らかい体を、吐息を楽しみながら、ふと思う。  屋敷の中には琥珀さんがいる。  秋葉もしばらくしたら帰って来る。  それにシエル先輩も加わってくれないかな、と。  用事があってここ数日、顔を見せていないアルクェイドもどうだろうかな、と。  あの二人とこうするのも、楽しいだろうなあ。  皆でキスするのは、素晴らしいだろうなあ。  欲望には限りは無いのだろうか。  翡翠の唇で満ち足りているのに、俺は頭の片隅でそんな事を考えていた。  でも、その空想はきっと具現化する……。     《FIN》 ―――あとがき  とりあえず、ここまでで終わりです。  当初予定の半分なのですが、力尽きました。あと、ここ迄で終わりだと、18禁になら ない辺りがちょっと面白いなと思うので。キスだけで全員着衣ですからね。    さて、本作品は、02年4月26日発売の、『KISS×200 とある分校の話』 (WINTERS)にインスパイアされて書いたものです。  実は発売日には存在すら認識していませんでしたが、全キャラ○○ありの『水月』、名 作『ビ・ヨンド』テイストの『うたわれるもの』等を差し置いて、何日か経ってゲーム屋 で手に取りレジに出したのはこれでした。  他のより安かったし、買い逃すと後で入手困難っぽい雰囲気が漂い(最後の一つでした) 、何よりあまりにあちこちで高評価・大絶賛の嵐だったので、心奪われていたのです。  珍しく積まずにすぐにインストール&プレイ。  結果は、大当たり。感動するほどエロでした。エロゲーがエロであるという、ある意味 当たり前な事実に感動しました。  正直、文章、ストーリー、絵、音楽など、部分部分はハイレベルでは無いと思います。  でも、そんな事はどうでも良くなります。むしろ、これでなければダメと、認識が変わ りすらします。この辺、『月姫』にも一脈通じるものが……。  あれほどのキスへの壮絶なこだわり、エロ表現のレベルの高さ、音声、フェチぶりを見 せられると、それで充分で、これ以上何を望む、という気分に。    で、狂った頭で、『月姫』でこれをやりたい、と思いました。……リスペクトかパクリ か少々微妙な処ですね。  さすがに志貴を教師にして遠野家の面々+アルクェイドに授業、同僚が知恵留先生、な んて設定にはしませんでしたが。  ……そっちの方が良かったか? いやいや。  興味がある人はぜひプレイして下さい。ただし感動のシナリオとか、泣きとかは求める のが間違いですよ、念のため。  それとタイトルはもちろん「ボクハ、ゴムガスキダ・・・」のゲームより転用?      続編というか後編は書きます。今度は微妙に18禁になる予定です。        by しにを (2002/5/23)                       *で、書きました(追記:6/30)
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