キスキス大好き・大吟醸!

作:しにを


 ※本作品は、『キスキス大好き!』 の続きになっています。未読の方はどうぞ。
 シエル先輩とキスした次の朝。  いつもよりずっと早く目を覚ました。  翡翠にも起こしてくれるよう頼んでいたが、それよりも早く目が覚めた。  目を覚ましたものの、朝から少し気が重い。  早めに学校へ行こうと思っていたのだけど、すぐに起きようという気分にな れない。  眠気はないがもう一度寝転がろうとして、ダメだなと溜息をついて起き上が った。  胸に後悔の思いが残っている。  昨日の行為に対しての、後悔。  シエル先輩への強い罪の意識。  この屋敷での生活に、少し麻痺していたかもしれない。  いきなりあんなキスをされれば、誰でも驚くのは当たり前だろう。  シエル先輩が俺の事を怒っているのは仕方ないとしても、先輩を傷つけてし まっただろうと思うと、頭を抱えて呻き声をあげたくなる。  ……。  ……いや、そうだな、こんな処で一人で転がっていても仕方が無い。  はやく学校へ行って、ともかくシエル先輩に謝って、説明をしないと。  起きて体を伸ばしている時に、翡翠がやって来た。  既に起きている俺を見て戸惑っている。  その驚き顔にキス。  着替えながらも、くちゅくちゅと舌を絡めていると、少し元気が出てきた。  居間へ降りて行くと、あまりに早い登場に秋葉もびっくりしたようだった。  ゆっくりと秋葉の舌を味わい、秋葉にもねぶられた。  言葉少ない様子や、キスの加減からいつもとの違いを察したのだろうか。  俺の顔を見ては怪訝そうな表情を浮かべる秋葉。  平静を装いつつ、それから朝食を一緒にとり、その後、また秋葉とキス。  どこか落ち込み気味な俺を気遣うような、秋葉の優しい唇。  いつもより弱く問い掛けるように唇を合わせる仕草が嬉しくて、舌で上唇を 舐めてありがとう大丈夫だよと答えた。  用事があって早い秋葉が、まだ心配そうに名残惜しげにしているので、最後 にぎゅっと抱き締めて強く舌を吸ってやった。  うん、なんだか秋葉にも元気付けて貰ったな、ありがとう、秋葉。  秋葉が出掛けてから少し後、いつもよりかなり早い時間に、出掛けのキスを 琥珀さんと翡翠双方にした。  今朝は、二人一緒に、並べての贅沢なキスをした。  立っている翡翠の、誘うような唇にキス。  隣に立つ、やはり素敵な琥珀さんの唇にキス。  何度も、キスを繰り返す。  ねっとりと長い、互いの唇が蕩けきるようなキスとは違う、短いけど熱烈な キス。これもまた、味わい深い。  そして翡翠と琥珀さんと交互にキスするが故の、唇が触れ合う時の新鮮さ。  別離の時を取り戻すように、貪欲なまでに絡んでくる舌の動き。  そしてまた、離れる時の何ともいえない寂寥感。  それを何十回と繰り返すのだ。  「うんん……、志貴さま、はぅぅんんッッ」  ちううう、じゅるる、ちぃぅうう……、ちゅッ、ちううッ、ちゅううう……。  翡翠の唇を、舌を吸う。  翡翠の息を、あえぎ声を、苦しげですらある声を、全て吸う。  翡翠の分泌される唾液を、あまさず啜りこむ。    至近距離で、目が合う。  互いに、キスの快楽に酔った瞳を見る。    翡翠の舌の裏側をたっぷりと舐め回して、唇を離す。  二人を結び、垂れ落ちそうな唾液の糸を、寸前で舌で受け止める。  翡翠はまだ、足りないと言いたげに唇を半開きにしている。  その無言のささやかな懇願は、なんとも言えず可愛い。  そのままずっと翡翠とつながって、どこもかしこも柔らかい口腔を味わい尽 くしたくなる。  でも、その想いを捨て去り、非情にも視線を移す。  ずっと焦がれている琥珀さんがいるから。  琥珀さんは、懇願するように俺を待っている。  心持ち唇を前に出して、吸われるのを待つように唇を軽く開いて。  それは翡翠と同じおねだりの形。  奇しくも同じ姿で俺のキスを待っている。  いや、奇しくも、ではないな。  こんな事は何度もあったから。  琥珀さんの舌を強く吸いまくると、翡翠も誘うように舌を出して、同じよう に痛いほど舌を吸ってくれと求めたり。  翡翠の唇を甘噛みしてあげると、琥珀さんもそれを望んだり。  琥珀さんか何かをすると、翡翠が同じ事を求める。  翡翠が何かをされると、琥珀さんも同じ事をしてもらいたがる。  今のもそうだ。  翡翠のお願いに、少し俺の心が揺らいだのを見て、琥珀さんは真似たのだろ うと思う。  何で翡翠も琥珀さんもそんな真似をするのか。  これは決して互いに反目しているのではなく、対抗心という言葉すらも、や や違うらしい。  翡翠と琥珀さんにそれぞれ訊ねてみたが、二人ともちょっと考えてからよく わかりません、と答えていた。 「翡翠ちゃんがしたのなら、わたしも同じようにするんです」 「姉さんがされたのなら、わたしも同じようにされたいです」  俺としては、別に問題はない。  それで二人が喜ぶのなら、まったくかまわない。  実際、翡翠にした事を琥珀さんに再現すると、琥珀さんが喜ぶと同時に、翡 翠も喜んで見つめている。その逆もまた然り。  琥珀さんの唇を吸う。  翡翠の唾液で濡れた唇を、さっきまで翡翠の舌を絡めねぶっていた舌を、ま ったく嫌がることなく、むしろ嬉々として琥珀さんは迎え入れる。  待たせたお詫びに、翡翠のものと混じった生ぬるい唾液を舌伝いで琥珀さん の口の中にたらすと、琥珀さんは味わうようにわざとぴちゃぴちゃと音を立て て、飲み込んでみせた。 「美味しい。志貴さんのと、翡翠ちゃんの混じっている」  俺と翡翠に、にこにこと微笑んでみせる。  その言葉と表情に負けて、また唇を貪る。  ちゅぷっ、じゅううぅぅぅ、ちいぅぅ、……ぴちゃ、ちゅうう……。  琥珀さんの唇。  甘い唾液、温かい舌。  擦れる頬と鼻の感触。  舌を琥珀さんの小さな舌の裏に伸ばす。  わずかに溜まった琥珀さんの唾液を啜る。  何十回、何百回、こうしていても飽きない。  きっと一日中こうしていても飽きないだろう。  いや、飽きないどころか、すればするほど飢餓感が増すような気すらする。  琥珀さんにキスしている時は、全て満たされる。  翡翠にキスしている時は、心の奥底まで足りる。  でも、唇を離すと、次を求める。  片時も離れたくなくなる。   「翡翠、ああ、翡翠……」 「うんん、志貴さま、んふ……」 「琥珀さん、琥珀さんの唇もっと……」 「ふふ、もっと吸って下さいな、わたしの舌も唇も。んん……ふぅんん……」  呆けつつも、僅かな理性で身を剥がす。  琥珀さんの抱擁から、死ぬような思いで身をほどく。    ちゅうう……、、ちうッ・……、れろ、ちゅうう、れろろ……。  離れつつも未練がましく、最後まで舌先で琥珀さんを求める。  琥珀さんもそれに応える。  別れを惜しむように、精いっぱい舌を伸ばしていた。 「……ん、はっ。はぁ、はぁ。これでおしまい」 「はい。わたしが一回多くしましたから、これで数は合いますね」 「ああ、そうだね」  翡翠とは、家を出る前の朝にする最後のキスがあるから、こういう時は琥珀 さんを最後にキスしないと納得してくれない。  ずるいですと言う時の琥珀さんの顔があまりに可愛いので、わざと翡翠で終 わりにしたくもなるのだが。 「よし。時間もだいたい予定通りだし、行ってくるね」  よし、気力充填。  くよくよしてても仕方ないという気分になっていた。  翡翠と連れ立って庭を歩く。  特に特別な言葉を交わす訳ではなく、ぽつぽつと学校の事や天気の事など口 にしたり、ただ黙っていたりもするけど、これはこれで和やかな大切な一時だ。  秋葉との朝の会話などと同じく、少し前にはおざなりにしていた事。  ぎりぎりまで寝ていてろくに朝食も摂らずに駆け出して学校に向っていた頃 には、味わえなかった事。  何て勿体無い事をしていたんだろう。   「たぶん、今日も早く帰れると思うよ」 「そうですか」  いつものような何でもない会話。  後は出掛け前の最後の口づけを、翡翠として外へ。  そう思っていたのだが、今朝は予定変更になった。  門まで近づいた時、いつもと違う展開が待っていた。  立っている人影。  それは……。 「シエル先輩、どうしたの?」 「シエルさま……」  門の前でシエル先輩が佇んでいた。  前にも何度か迎えに来てくれた事もあったが、先輩の登校ルートにある訳で は無いし、かなり珍しい。  特に、昨日の今日であるから。  翡翠も、ちょっと驚いた顔をしている。  もちろん俺も驚いていた。なまじ今日は早く学校へ行って先輩をつかまえて、 等と考えていただけに、その当人と意外な処で出会った事にすっかり気が動揺 している。 「シエル先輩」  もう一度言葉にした。  シエル先輩は、その声に顔を上げる。  先輩の目が俺を見る。 「遠野くん」 「先輩……。ああ、おは」 「待って下さい」  とりあえず挨拶をと思ったが、おはようと言い切る前に制止させられた。  そのまま会話を続けさせられる。  なんだろう? 「昨日、遠野くんは屋敷の中での挨拶は、キスに替わったって言いましたよね」 「うん」 「秋葉さんや、琥珀さんと、当然ながら翡翠さんとも、遠野くんはそういう行 為をしている訳ですよね」 「ああ、朝も夜も、今ではしているよ」 「翡翠さんと、これからキスしますよね」 「うん。出掛ける前にする処だったけど」 「わかりました。して下さい」 「え?」 「わたしはこの場にいないものと思って、いつも通りにして下さい」  ええと、何を考えての言葉なんだろう。  目を見るが、穏やかな顔をして、さあどうぞと促しているご様子。  良く意図はわからないが、その言葉に従う事にした。  翡翠が寄って来る。  そうだな、いつも通りにすればいいんだ。  俺が身を屈めるのに合わせて、翡翠が少し爪先立ちになって顔を上げる。    ちゅっ……、ちゅううう……、ちうう……。  幾分抑え目になっていたかもしれないが、いつものような熱意と強さで翡翠 と唇を合わせて、互いに唾液を混ぜ合わせ啜りあう。  舌を柔らかく吸い、絡ませあう。  どちらからともなく身を離す。  これ以上続けると、学校なんてどうでも良くなる。  これより短ければ、物足らず頭はキスでいっぱい。  絶妙な長さで満足感を得て、学校へ外へ出掛ける活力となるキス。  はあ、と満足の溜息が洩れる。 「本当に、気持ちよさそうですね、遠野くんも、翡翠さんも」 「うわっ」 「きゃっ」  忘れていた。すっかり俺も翡翠もキスに浸りきっていた。 「それでは志貴さま」 「うん……」  翡翠は俺とシエル先輩に一礼して、屋敷へと戻っていった。  ややいつもより早足。  ちょっぴり頬も赤かった気がする。    俺と先輩の二人になった。  さて、とシエル先輩と向き合う。  早く学校へ行って先輩と話をしようとは思っていたけど、実を言うと何をど う話そうかとあらかじめはっきり考え、整理していた訳では無い。  出たとこ勝負と言うか、学校まで歩いている間に、何か考えようくらいに思 っていた。    だから、予期せぬシエル先輩との対峙に正直、あせりすら感じていた。  言葉がうまく頭に浮かばない。 「ええと……」 「……」    先輩からは口を開かず、じっと俺の言葉を待っている。  こちらの言う事を聞いてくれようとしていて、それに見たところ怒ってもい ない。  そんな先輩の様子にわずかに安堵を覚えた。 「シエル先輩、昨日はごめん。いきなりで驚いたよね」 「驚きました」 「謝るよ。さっき見たように、翡翠や秋葉たちともキスばかりしてて、先輩を 見てたら我慢できなくなって。ごめんなさい、先輩」  自然と言葉が出てきた。  深く頭を下げた。    しばらく微動だにしないで地面を見つめ、顔を上げた。  先輩の様子を伺う。  無表情。  さっき怒ってはいないと判断したのが、少々疑わしくなる。  押し隠しているだけで、内心では凄く怒っているのだろうか? 「すまないと思っているんですね」 「はい。もうあんな事は絶対にしないから」 「そうですか。遠野くんが心から謝っているのはよく伝わりました」  ほっとした。  やはりこういう事は下手に言い訳して誤魔化そうとしないで、誠意を見せて 謝った方が相手の心を……、なんで先輩は冷たい目で俺を見ているんだろう。  ゆっくりとシエル先輩が言葉を口にする。 「でも、生憎ですけど、遠野くんの謝罪を受け入れる訳にはいきませんね」 「……」  冷たい口調。  ああ。  そうか……。  わざわざ自分から訪ねてくるくらいだものな。  そんな、頭を下げたくらいで、簡単に許す訳がない。  きっと先輩の方から絶縁を伝えに来たのだろう。  言葉を失って、呆然とシエル先輩を眺める。  シエル先輩は、表情を変えずに門を入り、近づいて来る。  ……。  え?   門を入った?  屋敷内に入ってきた?  えっ、ええっ、何で?  先輩が近づく。  一歩、二歩と。  間近に、あと一歩、いや半歩進めば触れ合うほど近く。 「せ、先輩?」 「朝の挨拶がまだですよ、遠野くん」 「え、ええええっ?」  冷たく俺を見据えていた顔が急に一変し、悪戯っぽく先輩は笑う。  そして、その、昨日もその感触を味わった官能的な唇を近づけ……。  俺の唇を奪った。 「な、んん……、ぅふうぅぅ……」  顔を突き出しての口づけ。  唇が触れ、ちゅっと啄ばまれる。  ちゅっ、ちゅっと先輩に唇を吸われる度に、頭が痺れる。  気持ちいい。  軽い柔らかいキス。  シエル先輩にこんな事をされているという非現実感。  さっきの翡翠とのキスとはまったく違う、受身でのキス。  呻く様に声が洩れ、口がわずかに開く。  すかさず先輩の舌が僅かな隙間から忍び込んだ。   たっぷりと唾液に濡れた舌が、俺の舌に触れ、官能的な刺激を与える。  先輩の唾液。さっき味わった翡翠とも、琥珀さんとも違う甘い先輩の味。  味蕾に直接擦りつけられる。  何度も、何度も。  美酒の如き唾液に酔っている間に、先輩の舌は積極的に俺の口腔の探索を始 めていた。  唇の裏から歯茎、歯と探っていき、舌の裏までを丹念に舌先で擦り、ほじる。  頬肉の裏の粘膜をれろれろと舐めると、今度は口蓋に貼りつく。  そして、舌を絡めてくる。  なんて動き。  完全にこちらからは何もせずに、ただただシエル先輩からの艶かしく気持ち の良い行為を享受し続けた。  するのは、悦楽の波に耐えかねて声を洩らすのと、先輩の舌から垂れ落ちる 唾液をじゅるじゅると啜りこむだけ。  くぢゅぅぅ、れろぉっ、ふぅンンン……、じゅる、ちう。じゅ……。  先輩が離れた。  ほんの数分間程度だったろう。  それなのに、何時間もキスしていたように、荒く息をつく。 「先輩……」 「遠野くん」  見詰め合う。  ああ、今の先輩の目にも酔ったような色がある。   「先輩、怒ってないの?」 「何をです?」 「昨日の、先輩に俺がいきなりキスした事。いつの間にか先輩いなくなっちゃ ったから、怒らせちゃったなって思ってた」 「怒っていませんよ。突然でびっくりしましたけど」  少し先輩の目が柔らかく、優しくなる。  その表情に凄く、凄く安堵する。 「それに、今謝ってくれたでしょ。少しくらい怒っていたとしても、あんなに 素直に頭を下げられたら、遠野くんの事許さない訳がありません」  ほっとした。  力が抜けるほどに。  かなり今の今まで心配していたんだな、と改めて気がついた。  すっかり気分が軽くなっている。 「よかった。……あれ、でも先輩、許してくれないって、そう言ったよね?」 「ああ、あれは、謝る必要が無いからそう言ったまでの事です。  それに……」  それに、何だろう。  先輩の頬が少し赤くなり、僅かに視線が横にずれる。 「昨日の事に関しての謝罪を受けちゃったら、もう遠野くんからキスしてもら えないじゃないですか……」 「……」  ほんのちょっと前に、じゅるじゅると濃厚なキスをしたのと、同じ人とは思 えない。  自分の一言ですっかり羞恥の色を浮かべている。  可愛い。  シエル先輩、可愛い。  反射的に体が動いた。  一歩を踏み出し、先輩の顎に手をやる。 「俺もまだシエル先輩におはようの挨拶、していなかったよね?」 「は、はい」  キスしやすいように、先輩がくっと顔を少し上にあげる。  薄く唇が開き、誘うような形を取る。    今度は俺がシエル先輩の唇を奪った。  今の今まで触れていたというのに、改めての先輩の唇は、新鮮な魅力に溢れ ていた。  される、とする、の違いの為か。  先輩もあれほど大胆にしていたのが信じられないほど、すっかり受身になっ て、従順に唇と舌を俺の好きにさせてくれている。  じゅる、じゅるる、ちううう、じゅる、ンふうぅ、ちゅぷ、じゅるるる……。  さっきのお返しに、意識して次々と唾液を送り込む。  舌から舌へと伝わらせるように流したり。  ほぼ真上から被さる形で、引っ込めた舌からぼたぼたと先輩の口腔へ落とし たり。  先輩の頬や歯や舌を俺の唾液で染め上げる様に、舌を絵筆にして何度も何度 も塗りたくってみたり。  そうした行為を全てを先輩は受け入れ、嬉しそうに喉を鳴らして唾液を嚥下 している。  ぞくぞくするような、征服感にも似た快感が走る。  もっと、と口を空けて舌を覗かせる先輩。  いいよ、いくらでも飲ませてあげる。  少しだけキスを中断して、舌をもごもごとさせる。  その間の、先輩のおあずけを食った犬のような瞳。  舌で窪みを作って泡立った唾液を先輩に見せる。  先輩は近寄って唇を近づける。  先輩と舌が触れ、咥えられてしまう。  そして先輩がちゅうちゅうと舌を吸うにまかせる。  抱き締めた体の柔らかさを忘れるほど、その熱心な舌吸いは俺の頭を真っ白 にした。  じゅる、じゅるる、じゅる……、ちゅうう、じゅる、んん、ちゅううう……。 「ふう……」 「は、あうう、遠野くん」 「ああ、おかしくなるかと思った」 「それはわたしの台詞です」 「……学校行こうか」 「……そうですね」  口元と顎をべたべたにして陶酔している先輩を見ていると、また続きをした くなるので、意思を堅固にして顔を背け、一緒に外へ向った。   アドバンテージの時間は使い果たして、多少急がないと遅刻しそうな時刻だ った。  一歩外へ出ると頭が切替る。  屋敷の規則の外のモードに。   「遠野くん」  先輩の声。  さっきの甘えるような、とろけるような声ではなく、いつもの理性的な先輩 の声。  横を見ると、さっきの名残の消えた、清潔感の漂う普通のシエル先輩に戻っ ていた。 「なに、シエル先輩?」 「外ではしないんですよね、まして学校とかでは。たとえ二人きりでも……」 「うん。あくまであれは遠野家の中の決まり事ですから、学校とかであんな真 似はしませんよ」 「そうですよね。でも、遠野くんのお家に行ったら、またして貰える……、う うん、しなくちゃいけないんですよね?」  確認を求める声。  その辺、どうなんだろう。  遠野家当主の胸三寸なんだろうか。 「それははっきりさせるけど、俺は先輩とキスしたいな。先輩は嫌じゃない の?」 「もちろんです」  よかったよ。  あの唇を知ってしまったら、嫌だと言っても我慢できないかもしれない。  改めて気がついた。  昨日に限らず、先輩の唇を目にする度に、どれだけ心を奪われ、そしてそれ を意識の底に抑えつけていたのかを。  これを失いたくはないな……。                ◇  ◇  ちゅうう、ちうっ。れろっ、ちうぅぅ……、ちゅっ、ちゅっ、ちううーーッ。  普段よりも長く激しいキス。  果てたように放心する秋葉、その小さな頭を後ろ手で支えてやって、開いた 口をさらに可愛がってやった。  歯を擦るように、歯茎をぬめらすように、舌を何度も動かした。  喘ぐ秋葉の舌を絡め取り、露の如く浮かぶ甘露をあまさず啜り込む。  唇を唇で何度も擦り合わせ、洩れる吐息ごと小さな唇をちゅっと吸ってやる。 「いい、ああ、兄さん……、にい、さ…、………」  息も絶え絶えとなって、ようやく身を離した。  そんな様子でも、秋葉はうっとりとして俺を目で追っている。 「はあ……。秋葉」 「……兄さん」 「凄いですね、秋葉さんも遠野くんも」  脇からの声に、二人揃って驚いたように顔を向ける。  先輩が柔らかい笑みを浮かべながら、こちらを見ていた。  すっかり失念していた。  キスしている時に秋葉以外の事なんか頭から消えてしまう。   「ふふっ、こんなに垂らしちゃって」  言いながら先輩は近寄って、俺の口の横をぺろりと舐めた。  秋葉のものとも俺のものともしれない、こぼれた唾液を。  そのまま、ちゅっと唇を合わせた。  先輩とのキスを、しばし堪能する。  今度は先輩で頭の許容量がいっぱいになっていく。  数分、そうしていて、唇を離した。  気持ちよかった。  続けざまに別の相手とキスした時の、違いを味わう時の快感。  秋葉の唇という極上の……、秋葉?  そうだった。秋葉はどうしてる……?  秋葉は、と見ると口元をハンカチで拭いながら、仕方ないですねといった柔 和な表情でこちらを見つめている。  まあ、琥珀さんや翡翠を交える時もこんな感じだし、逆に自分とキスしてい る時は他の事を何も考えないで集中している、という事で、ないがしろにして るとは思わないでいてくれるようだ。 「もうすぐご飯ができますから、お待ちくださいね」  琥珀さんが顔を覗かせ、また戻る。  美味しそうな匂いがさっきから漂っている。 「どうもシエルさんが来ると、琥珀が料理作るのに熱を入れるようですね」 「それは、わたしが大喰らいだと言っているんですね」 「いえいえ。とんでもありませんわ。ええ、ちっとも」 「でも琥珀さんのお料理って本当に素晴らしいですね。お店とかやれば人気で そう。こんな処で秋葉さん達にだけ腕を振るうのはもったいないですね」 「こんな処……?」  一見、言葉に刺が見えるが、和やかに秋葉と先輩は話している。  表面だけでなく、それなりに自然に穏やかなやりとり。  以前の二人の関係を思うと、少々驚きを禁じえない。  あの日以来、徐々にこんな関係に移行していた。  シエル先輩を連れて帰宅し、秋葉の戻るのを待って話をした日から。    思い出す。  ほんの数日前を。  シエル先輩と連れ立って戻り、琥珀さんと翡翠に話をして、わかりましたと いう顔で頷いて貰い秋葉を待った。  その間は不安を紛らわす為もあって、先輩と、そして琥珀さんと翡翠とキス を繰り返した。  琥珀さんと翡翠に見られているから、先輩のキスはさっきと違っていたし、 シエル先輩の目があるから、二人のキスも普段のそれとは少し違っていた。  僅かな緊張と興奮。  これは、いいなあ。  秋葉はどうなるんだろう。  そんな事を思いながら、三人の唇を味わっていた。  そして秋葉の帰館。  何はさておき腕に跳び込みキスをねだる秋葉、そして俺はいつものように要 望に十二分に応えた。  ちうう、ちゅう、れろぉ、、ちゅっ、ちううーーッッ、ちゅっ、じゅる……。  長く、激しく続けた。  髪の中に手を入れ、何度も何度も梳いてやりながら、唇を合わせ続けた。  一息ついて、乱れた呼吸を秋葉が宥めている時に、横合いからシエル先輩が 姿を現した。 「え、なんで、兄さ……、ん、んんっ……」  驚きの声ごと秋葉の唇をまた吸う。  多少離れようと動きつつ、視界に入り視線を向けるシエル先輩の方に自分も 目をやりつつ、次第に秋葉はキスに溺れていった。  通常より深く。  忘我の様で、俺の舌と唇を受け入れ、すっかり陶然としてしまった。  それを見つつ、時々、秋葉の顔を先輩に向ける。  そうすると、ふっと夢から覚めた様に先輩の姿を再認識するが、舌の動きを 早め、とろとろと唾液を注ぎ込んでやると、さっきより興奮を深めつつそれに 没頭、あるいは逃れてしまう。  キスを終えて、舌と舌を銀糸で結びながら離れた時には、すっかり出来上が ってしまっていた。  そのタイミングで、秋葉に、いや遠野家領主に陳情した。  挨拶はキスで行う規則の、来訪者への適用を頼み込んだ。   「つまり、シエルさんともキスをする、と言う事ですか?」  幾分かは目をとろんとさせて、ぼんやりとした表情で秋葉は答えた。  そんなありさまであったが、声は理性の色を湛えていた。わずかに眉も吊り 上げているように見える。  やっぱりキスの後のどさくさで首を縦に振らせるのは無理だな。  そう判断した。  琥珀さんが言ってた通りだ。秋葉さまにそんな真似は通用しませんと琥珀さ んは笑って言っていた。  そして困った俺にそんな搦め手でいくよりもですねと……。  秋葉の問いにはっきりと頷き、秋葉に正面から頼み込んだ。  遠野の敷地内だけという規則を厳守し、学校や街中では絶対におかしな真似 はしないと秋葉に誓った。  先輩も、毎夜は来ません、それに秋葉さんに隠れて遠野くんと過ごすような 事はしませんから、と秋葉に頭を下げた。  じっと秋葉は聞いていた。  もっとはっきりと反感を示すかと思ったが、秋葉は否定せずに何か考えてい るようだった。 「そんなのダメですよね、秋葉さま。  シエルさんに見られながら、志貴さんとキスするのなんて嫌ですよね」  おっ?  思わぬ処から声がした。  いや、秋葉が帰ってきた以上は出て来ない方が変ではあるが……、琥珀さん だった。  でも、なんで、突然そんな事を。  さっきはシエル先輩のこと賛成してくれたのに。 「琥珀……」 「遠野家の規則には、お客様と言えども従って頂かないといけませんが、これ はデリケートな事ですし、当主たる秋葉さまのご判断だと思います。  そうですよね、志貴さん?」  厳しい顔の琥珀さんに言われると、当惑しつつも頷くしかない。 「わたしも翡翠ちゃんも、シエルさんの視線を感じながらキスしていたら何だ かいつもと違って変でした。秋葉さまもシエルさんの視線が気になった筈です。  外の人に、唇を合わせて、音を立てて、志貴さんに可愛がっていただいてい る処を見られるなんて、せっかくの志貴さんとのキスが台無しで、集中できま せんでしたよね?」 「えっ。それは……その……」  何故か赤くなってしまった秋葉。  何やら琥珀さんの言葉に同意するのに、抵抗があるような? 「私は……、そんなに嫌じゃ、むしろ……」  ごにょごにょと呟いていた。  ああ、何とはなく琥珀さんの意図がわかって来た。  琥珀さんはあの時、ちょっと考えて口を開いた。  シエルさんの事を意識させながら、いつもより秋葉さまと長く……、その後 できちんとお願いなされば大丈夫ですよ、そうアドバイスしてくれたのだ。  さっき琥珀さんも言っていたが、他者の目があるとずっとキスをしてて感じ てしまうのだそうだ。  シエル先輩も同意して、こんな事を言っていた。 「遠野くんに神経が全部向っていたのが時折ふっと醒めて、見られていると思 うと恥ずかしさと一緒にぞくぞくとしちゃって、その感覚から逃れる為にもっ とキスに集中して……、凄かったです」  その言葉に琥珀さんと、翡翠までが頷いていた。  秋葉もきっと同じなのだろう。  秋葉も、俺が想像するよりずっと、今のシエル先輩による効果が大きく刻み 込まれたんだな。  そしてそれを意図的に思い起こさせる琥珀さんの言葉。 「規則に例外を設ける必要はありません。シエルさんも遠野の中では従って貰 います。その代わり、今言った通りに節度ある行動を遵守なさって下さい」  シエル先輩と共に頷いた。  よかった……。 「秋葉さまも、随分と寛大ですね」  本来の用件である幾分温くなったお茶を並べながら、秋葉に追従めいた言葉 とも不平ともつかぬ言葉をかけ、そして琥珀さんはにこりと俺たちを見て微笑 んだ。  ナイスフォロー感謝です、琥珀さん。  それがシエル先輩ともキスを楽しめる日々の始まりだった。  それ以降の、秋葉と琥珀さん、翡翠の三人に、シエル先輩を加えての唇と舌 と唾液に満ちた日々、夢の中でもお目にかかれないような毎日。   「でもさ、先輩は秋葉に毎日は来ません、とか言ってなかったっけ?」 「そんな事は言ってませんよ。わたしは毎夜と言ったんです。朝、夜と交互に 来ればなんら問題ないですよ」 「え……、なるほど」  後でそう言うと、いえいえと手を振り、悪戯っぽい目で詭弁を弄す先輩。  それとも何か問題ありますか、と首を傾げる。  いえ、当方にそれを論破する気などありませんから、問題なしです。  とりあえず言葉の通り、平日については朝から迎えに来てくれる日と、放課 後一緒に家まで帰って夜まで過ごす日を、先輩は使い分けていた。  厳密に交互と言う訳でなく、朝夜合わさる日も多分にあるのだけど。  ただ、ちょっとシエル先輩って凄いなと思ったのが、来た日にはほとんど絶 対と言っていいほど秋葉と顔を合わせて、きちんと挨拶をする事だった。  朝にしても夜にしても、秋葉が屋敷にいない時間帯というのはあるのだけど、 そこを狙って現れて、秋葉のいない間に帰るという事はまずしない。  まあ泥棒猫みたいにこそこそする真似はしたくないですから、と笑っていた が、これは秋葉の感情を軟化させるのに貢献していたと思う。  最初は隔意ありげに接していた秋葉も、今では多少なりシエル先輩と温和に 対するようになっていたから。  俺としては精神衛生上、非常にありがたい。  そんなこんなで、今ではシエル先輩がいる時にはこんな風に一日を過ごして いる。  早朝、大抵は迎えに来てくれても、門の前で比較的軽いキスをして学校に行 くだけだが、翡翠とのキスで目覚めて下へ降りると、既にシエル先輩が秋葉と お茶を飲んでる場合がある。  そんな時には、秋葉と先輩に秒針が5回転する程度の短いキスを、おはよう のかわりにして、今日の予定などをお喋りした後、秋葉と学校へ行く際の挨拶 のキスをする。  その間、先輩はじっと邪魔をしないように、琥珀さんと話をしたり、こちら を少しだけ羨ましそうな顔で見つめていたりする。  朝はとにかく時間が少ないから、完全に集中しきるのを秋葉は好んでて、そ うやって邪魔されない限りは、秋葉も寛大になれるようだった。  その後、俺も朝食を取り、身支度を終え、翡翠と琥珀さんとのキスをすませ て、学校へと向う。  翡翠と先輩と三人で門まで行って、二人にを交互にキスする事もあれば、翡 翠とは玄関でキスをすませて、先輩と門まで歩きながらのキスをする事もある。  学校では、そんな先輩との関係を微塵も見せずに過ごす。  一応真面目に授業を受けて、一緒にお昼を食べたり、とかしながら。  そうやって普通に先輩と過ごす時間も楽しい。  先輩と共に帰る時は、坂の上までは他愛のない話をしつつ歩く。  二人とも頭の中でキスへの渇望と期待を募らせながらも、口には決して一言 も出さずにいる。  そうして我慢した後の悦びの大きさも知っているから。  お互いにそんな状態なのを知っていて、ただ時折相手の口元に向ける視線で のみ、互いの身の入れ方を垣間見るだけ。  そして、遠野の規則に従って過ごす遠野の領域へ足を踏み入れる。  キスへの禁忌も抵抗も何もかも消えた領域へ。  帰りを待って佇んでいる翡翠。  たいていは戻るや否や翡翠とキスをして、シエル先輩ともキスをする。  二人の甘い唾液を味わい、ふう、と一心地つく。  そして、二人に挟まれて、交互に唇を合わせつつ屋敷へと歩く。 「志貴さま、あ、んんふッ……」  ちゅっ、ちううう、ちゅぱッ……ぴちゃ……。 「遠野くん、わたしにも、え、はい、こうですか? んふ……」  じゅるる、ちぅぅ、れろぉ、ちぅぅ、ちゅっ……、じゅりじゅるる……。  変化をつけながら、二人を相手にして過ごす楽しい一時。  先輩の唇が翡翠の唇を引き立てる。  翡翠の舌が先輩の舌をよりいっそう味わい深くする。  気分によっては別な方法を取る事もある。  二人同時に相手にする享楽をあえて捨てて、シエル先輩とのみ唇を合わせキ スをする、ある意味凄く贅沢な行為。  翡翠の見ている前で、翡翠の事を無視するように。  魅力的な翡翠の唇も舌も放棄して。  ちうう、じゅるる……、んふぅぅ……、ちゅぅぅ、ん、ちうううぅぅ……。  見せつけるようにキスをして、そのまま先輩と屋敷へと歩く。  とぼとぼと付いてくる翡翠。  最初のすがるような表情が、だんだんと失望に変わる。  玄関で、先輩と唇を離した時には、すっかり泣きそうになっている翡翠。  それでも自分から主人におねだりする様な真似はせず、黙って従っている。  可哀想な事をしているなあと思いつつも、どこか凄く興奮を感じてしまう。  軽い、いけない加虐の悦びが沸く。 「おいで、翡翠」  自分の暗い部分を悟ると、蔑ろにした分を埋め合わせをすべく、翡翠を抱き 締めてあげる。より激しく舌を動かし、翡翠の唇を舌を翻弄する。  濃厚なキスに翡翠は耐え切れず、それでも俺の体に必死にしがみ付いて、離 れようとはしない。 「ん……、あああ、志貴さま、んんんッッ…、…………、! ……」  じゅるる、ちゅぅぅううう、ぴちゅ、じゅるる、ちううう、ちう……。  声とキスの音が混ざり、その二重奏は俺の頭を麻痺させる。  あるいは、逆にシエル先輩を無視して、翡翠とのみ甘いキスを繰り返して歩 く事もある。  さすがにシエル先輩は泣き出しはしないが、「遠野くん酷いです」と言いたげ な恨めしそうな顔で、こちらを横目で見つつどんよりと歩を合わせる。  翡翠は、申し訳なさそうな顔をしつつも、キスに酔う。  これもまた贅沢極まりない行為。  後ろ髪引く先輩とのキスにそっぽを向くなんて。  我慢させて焦らして、玄関でようやくシエル先輩にチェンジ。  待った分、渇いていた分、先輩は激しく自分から舌を絡ませる。  口の中に入れて舌を自由にさせてあげると、先輩は俺の舌を嬉しそうに唇で 挟んで刺激したり、自分の舌をねろねろと擦り合わせたりしながら、ちゅうう と強く吸う。  眼鏡がかつんと当たるのにも構わず、顔を密着させ、舌吸いに夢中な先輩は、 常の真面目で冷静な姿を良く知っているだけに、頭がおかしくなりそうなほど 興奮を誘う。  その表情も、熱心さが迸る様も、凄く魅力的だった。  秋葉が帰宅するまでの時間は、琥珀さんを加えて皆でいろいろ趣向を凝らし て、楽しんでいる。  本当に、シエル先輩も加わってくれて良かったと思う。  心の底からそう思う。    秋葉が帰って来た時には、秋葉だけを見つめてくちづけを交わす。  誰にも邪魔させないで、そして周りの目を過剰なまでに意識しながら。  秋葉の唇を味わい、舌を吸い、唾液を交換し、思う存分長い髪を弄ぶ。  自分だけがキスされ、酔っている状況を悦んでいて、それでも一人でそんな 痴態を家人や外の人間の目に晒しているのを恥ずかしがっている。  その秋葉の姿は、本当に、俺を狂わせる。  本当に、頭のネジが少し緩んだら、とんでもない事をしてしまいそうなほど。  気が済むまでキスをして、秋葉はいったん部屋に戻り、それからしばらくし て夕食の時間。  琥珀さんの手の掛かけた料理に集中して、皆で賛嘆の意を示す。  この時だけは、舌も口も、会話と味覚という役割だけを担う。  夕食が終わり、琥珀さん達も片付けを終えて、皆が居間に集まる。  楽しい時間の始まり。  よく考えると、これからのキス、キス、キスの時間の法的根拠は不明なのだ が、誰一人異議を唱えないから、まあいいのだろうと思う。  確か挨拶の代わりだった筈だけど……。  じゃあ、やめましょうかと秋葉が言ったら、多分暴動が起きる。  俺が言ったら……、怖い、考えたくも無い。  いや、俺自身が、秋葉の、琥珀さんの、翡翠の、シエル先輩の唇を取り上げ られたら、多分死んでしまう。  魂の餓死。冗談抜きで、そう思う。     さて、宵闇の時間。  シエル先輩が加わるまでは、どうしても秋葉を頂点として、翡翠と琥珀さん が従うという主従関係を引きずる構造があった。  秋葉が優先権を主張して長時間に渡って俺とキスしたり、順番を勝手に自分 に替えたりする訳ではなく、公平で寛大な女主人振りを見せてはいたが、どこ か秩序めいたものがあったと思う。  しかし、シエル先輩の参加で、少しその構造は変化した。  翡翠と琥珀さんはともかく、秋葉はシエル先輩に対してどこか対抗意識を持 ったようだった。  シエル先輩は控えめにしていたと思うが、良い意味での緊張感が時に漂った。  より料理を味わい深くするスパイスとしての適度さ。  自分の番が来ると、誰にとも無く見せつけるように、よりキスに熱を入れる 秋葉。  それは琥珀さんと翡翠にも伝染していた。  シエル先輩という他人の目、それはやはり影響が大きかった。    そして、そういう意識とは別に、シエル先輩の存在による一番の変化。  当然ながら、同じ時間で三人とキスするのと四人とするのでは、かけられる 時間が異なってくる。唯一の男である俺にとっては、バラエティを増やす変更 は諸手を上げて歓迎すべき事だったが、秋葉や琥珀さん達には不満が少なから ずあった……、と思う。  それを解決する為に、二つの方法が取られた。  一つめの対策は、一人辺りの時間は減るけれど、埋め合わせするようにより 濃厚にキスをするというもの。  もう一つは、前は基本的に一人を相手にキスの時間を長く取っていたが、そ れを二人同時を相手にする形で、短いキスを交互に繰り返すというもの。  以前から朝の時間の少ない中で、琥珀さんと翡翠に対して行っていたが、そ れが意外に悦びが大きいので、二人だけでなく秋葉とシエル先輩にも適用を広 げてみたのだ。  これは、かなりの楽しみを与えてくれた。  翡翠と琥珀さんを相手にする時の双子ならではの楽しみ。あわせ鏡を見てい るように、同じ顔をした少女が、右と左から唇を寄せてきてのキス。  一見、そんな違いはないようでいて、そうして比べると、少し翡翠の方が唇 が柔らかく、少し琥珀さんの方が舌の感触が滑らか、そんな事がわかる。  二人に交互にキスしながら、そんな違いを堪能する。  もう一対の、秋葉とシエル先輩の組み合わせもまた良い。  競い合うように舌を使って、相手より気持ちよいキスを俺に味合わせてくれ ようとしたり、唇を奪い合ったりといった有様で、それは少し面映いながらも 心の中では嬉しさを感じる。  そうしているうちに、少しの唇の外れる時間も惜しいとばかりに、離れてい た顔をが近づき、ついには二人とも頬をくっつけるようにしている様。  唇を滑らせるだけですぐに、秋葉と先輩の唇に触れられる贅沢さ。  それを存分に享受して、秋葉、先輩、また秋葉とちゅっ、ちゅっと何度も唇 を合わせては動かす。  もちろん組み合わせはその二つだけではなく、シエル先輩と翡翠、秋葉と琥 珀さん、またその互い違いの組み合わせ、それぞれに違った妙味があり、まっ たく飽きる事はなかった。  そうして二人同時を続けたら、また一人に対してありったけの情熱を注いで  キスをしたり、逆に三人、四人を一時に味わうような真似をしたり。  まったく不満などなかった。  不満などある訳がなかった。  でも、それはあった。  ただ、一つだけ不満が、いや切実な問題が、本当に困った問題があったのだ。
次頁へ 二次創作頁へ