私のまわりにはたくさんの衣装。
 小さい頃の服から、最近気に入っている服まで、様々に並んでいる。
 ここは実家の自分の部屋。
 今、私はその押入から昔の服を引っ張り出しているのだ。
 それもこれも、いつものように橙子師の言いつけ。
 なんでも魔術にたずさわる者にとって、衣装というものは重要なんだそうだ。
 集中力を高めたり、魔術の力を上げたりする効果があるらしい。
 炎の力を上げるために、赤一色の服で統一していた魔術師もいるんだとか。
 まあ、橙子師が人の悪い笑いをしていたから、またからかわれたのかも知れ
ないのだけれど。
 からかわれて、新しい服を買って笑い飛ばされるのも業腹だったから、こう
して実家にしまい込んである服を引っ張り出しているのだが、どれもいまいち。
 どうも、魔術師にふさわしいような服なぞ、ひとつとしてない。
 それも当たり前か。
 今まで魔術なんていうものに関わってきたことはなかったのだから。
 そんな風にして、重なり置いてある服をたたみ始めると、ひとつの黒い服に、
目がとまった。





「孤独な色」

作:のち







 その服は黒一色に染まり、その他の色を一切拒んでいる。
 ワンピースのそれは、見ようによっては今の制服によく似ているかも知れな
い。
 だが、胸元の透けるような黒いレース。
 そして襟と袖の黒い飾り刺繍が、礼園の制服との違いを主張していた。
 それは喪服。
 いわゆる、葬儀の時に着る服である。
 だけど、結局、一度たりとしてこの服に袖を通したことはなかった。
 それは苦い思い出を含んでいたから。
 幼い頃の、ある思い出が。



 隣のおじいさんが亡くなった時、隣人のつきあいということで私たちも葬儀
に出席することになった。
 親たちは特に親しかったわけではなかったけれど、私たち子どもたちがお世
話になっていたから、だそうだ。
 その上、兄さんはおじいさんの亡くなった第一発見者だったから、それに出
席するのは当然と見られていた。
 その頃はまだ制服などを持っていなかったし、正装などという上等なものも
持っていなかったので、急遽親たちに連れられて、喪服を仕立てられた。
 とはいっても、仕立屋さんで作られたわけではなく、子供用の洋服店で買っ
た、量産品だったのだけど。
 可愛らしい服が並び、色も原色や淡い色が立ち並ぶその店で、その黒一色の
服は場違いなほどに目に付いた。
 デザインは一応子どもが着ても可愛らしく見えるような作りにはなってはい
たけれど、黒という特殊な色がそれを台無しにしていた。
 喪服。
 それは一種の独特の雰囲気を持つ服。
 だから、普段着と一線を画していてもおかしくはない。
 当然の事ながら、そんな服を見ている子どもはほとんどおらず、この一角に
は私と兄さんぐらいしか子どもはいなかった。
 子どもの目線というのは、大人の目線とは違う。
 高さが違うだけで、こんなにも印象が違うのかと疑うほどに。
 両親が離れている間、私たちは黒い服に囲まれて、ただそれを見上げていた。
 遠くから人の話し声や歩く音は聞こえていたけれど、まるで私たちだけがこ
の一角に閉じこめられたような錯覚を覚えていた。
 そう、この世界には私と兄さんしかいないような、そんな錯覚に。
 その頃、兄さんは私よりも指3つ分ほど大きくて、私が顔を上げないと、兄
さんと目を合わせることはできなかった。
 目を合わせないということは、心の動きに気付かれないということ。
 兄さんに思慕の念を抱いていた私にとって、それは都合のいいことだった。
 特に、その頃は兄さんへの思いに気付いて間もない頃だったから。
 実際、その頃の私の印象を聞くと、うつむき加減で付いてくる妹、という印
象だったそうだ。
 そう、このころの私はいつも兄さんを見ていて。
 顔を見るのは、気恥ずかしくて、自分の心を見透かされるのが怖くて、胸元
を見るのが精一杯だった。
 そんな私に気付いているのかどうか、兄さんはハンガーのこすれる音を立て
て、黙々と単色の服を物色していた。
 かしゃりかしゃりと、静かな物音をたてて、ひとつひとつを丁寧に見ていく
兄さん。
 白いTシャツに、ジーパンという、同年代の子どもたちと大差ない格好をし
た兄さんは、どうもこの場所から浮いているように見える。
 ここは、特別な場所だから。
 兄さんは普通の人で、普遍の人。
 どこにでもいるのにもかかわらず、どこにもいない人。
 そんな人とこの非日常的な世界は、どうしても相容れないように私には思え
た。
 だけど兄さんは動きを止めずに真剣な表情で服を見続ける。
 まるでそれが葬儀の一部かのように。
 そうしている兄さんの表情が、かけがえのないように思えて、私は黙って見
つめていた。
 そうしていると、一着の女の子用の喪服を取った。
 ついと、兄さんが私を見てこう言う。

「これなんかどうかな?」

 なんのことはない。
 兄さんは私の服を探していたのだった。
 よく考えてみれば当然で、このあたりには女物しかない。
 如何に私が兄さんしか見ていなかったかが、よくわかる。
 そんな私の葛藤を知らないかのように、兄さんはそれを私に突き出した。
 いつまでもそのままでいられないので、赤面しながら、その黒い服を見てみ
ることにする。
 当たり前のことだが、特に他の服と差はない。
 喪服というものに、さほど個性はいらないのだから。
 むしろ、喪服という時点でそれは特別なものとなるのだろう。
 それを着ているということだけで、まわりに特別だということを見せるため
の服なのだから。
 無言でそれを受け取り、兄さんに向かって小さくうなずく。
 それを見て、満足したのか、そのまま兄さんは両親のいるところへと足を向
けた。

「兄さんは、選ばないの?」

 受け取った服を抱えて、そう兄さんに聞く。
 その言葉が届くと、兄さんは出した足を止める。
 そして、こちらを振り返りもせずに、呟くようにひとりごちた。

「僕は、着ないから」

 こちらからは彼の表情をうかがうことはできない。
 だけど、その言葉の響きだけで、沈痛な顔をしているのが分かる。
 それは、おじいさんが亡くなったことを悼んでいると同時に、何故か、自分
をあざ笑っているかのような声だった。
 その言葉を残して、彼は足を進める。
 静かに、いつもように、普段の足取りで。
 そこが学校の帰り道だったとしても、おかしくないような、変わらない歩み。
 そんな普通の姿が、この場にはとても、異質に見える。
 この特別な場所では。
 ハンガー掛けに整然と並ぶ喪服は、胸元をこちらに向けている。
 葬儀に粛然と向かう人々の列のように。
 そんな黒い壁に取り囲まれた廊下を、兄さんは静かに歩く。
 ひとり、ぽつんと、昂然と。
 まわりに押し流されることなく、ただひたすらに、自分自身の足で歩む。
 その白い背中は酷く寂しく、孤独に見えた。

「兄さんには、黒が似合うと思うの」

 そう口にしたのは、いつもの私らしくなく、発作的なものだった。
 理路整然と、説得力のある言葉ではなく、ただの思いつきを外に出しただけ
の、私がもっとも嫌う言葉。
 何故そう思ったのかを問いつめられれば、なんとなくとしか答えようのない、
感性のみに従った言葉。
 だけど、兄さんはふと振り返って、一瞬唖然とした顔をしたあと、年不相応
な笑みを浮かべて、こう言った。

「うん、そうかもね」

 そして、顔を前に向けて、また歩を進める。
 私はその背中を身動きひとつできずに、ただ見つめ続けていた。



 壁に突きだしてある、フックにその喪服を掛ける。
 茶色い壁を背景に、夕日が差しているのに、その服は黒く、静寂に満ちてい
る。
 その一点のみ、まったく別世界。
 まるで、他と交わることを拒否するように、そこにあり続ける。

 あれから兄さんは黒い服を好んで着るようになったけど、結局葬儀にはいつ
もの服で出席した。
 いつもは聞き分けのいい兄さんが、両親の言葉にもガンとして首を縦に振ら
なかった。
 あの人は時として、本当に他人の言うことにまったく耳を貸さないほど頑固
になる。
 思えばあの時が、そんな一面を始めて見た時だった。
 私はと言えば、兄さんと違って出席すらしなかった。
 なんだか、あの後、兄さんと一緒にいるのが怖かったのだ。
 私が私でいられなくなること、怒っている両親と兄さんが一緒にいるところ
を見ること、そして何よりも、あの人の孤独を見るのが怖かったのだ。

 だから、私はこの服に袖を通したことはない。
 そして忘れ去り、押入の奥にしまい込んでいた。
 私の記憶と共に。

 橙子師の言葉を思い出す。

「魔術にたずさわる者、神に仕える者が黒装束を身に纏うのには意味がある」

「黒という服は、決して自らを揺るがせない、決意の表れだからだ」

「この色の服を着ている限り、自らを崩さず、外界に惑わされず、ひとり、そ
の道を進むということを示している」

「なあ、お前はどうなんだ? 鮮花」

 スカートのホックをはずすと、そのままばさりと音を立てて、地面に落ちる。
 胸のボタンをゆっくりとはずしていき、ブラウスを脱ぎ捨てる。
 そして、壁に掛かってある喪服を手に取り、ハンガーから取り外す。
 じっとそれを見つめて、おもむろに着始める。
 子供用のワンピースは、すでに私には小さすぎて、どうしても途中でつっか
かかる。
 だけど、それを無理矢理押し込み、袖を通す。
 甲高い、いやな音を立てて服が破れる音がする。
 肉体労働のような行為を繰り返し、なんとかそれを着ることはできた。

 そのまま部屋にある鏡台に向かう。
 子供用の服に身を包んだ私の姿は、あまりにも無様。
 スカートは意味をなさず下着が見え隠れしている。
 襟は襟の役目をなさず、胸元は破れて、おなかのあたりまで避けている。
 袖は破れきっていて、ほつれた糸がいやに目立つ。
 街で歩いている、水着のような服を着ている女の子のことを、私は軽蔑して
いたけれど、これでは馬鹿にできない。
 まるで、馬鹿みたいな格好。
 だけど、それを脱ぐ事はせずに、鏡に映った自分を見つめる。

 夕日が差し込んで、橙色に染め上げた部屋には、沢山の服が無秩序に敷き詰
められている。
 白い服、黄色い服、赤い服、青い服、色とりどりの服に囲まれて。
 私はその真ん中に立っている。
 ぼろぼろの黒い服に包まれて。

「哀れな格好」

 くすりと笑って、ひとり呟く。
 そしてまた、服を脱ぎ、ハンガーに掛けて、大切に畳み、鞄に入れる。
 いつまでも、それを、持ち続けるために。








 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 後書き

 魔女と言ったらやっぱり黒服。
 あとは黒猫とデッキブラシがあればいい(笑い)。
 まあ、最初はそういう感じで書いていたんですが、途中で悪い癖が出て変更。
 どうやら私は自分のプロットを完膚無きまでに壊すことが好きみたいです(笑い)

 鮮花は初挑戦なので、秋葉とどういうふうに違いを出すかが課題だったんですが
……目に見えるような違いは出せなかったようで(汗)。
 ちゃんと鮮花に見えるかなあと、ちょっと不安です(笑い)。

 さて、とりあえずこのへんで。
 それでは。



 2003年7月17日

 のち


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