蒼香の差し出した緑色の硝子瓶を手に持つ。
 ひんやりとした感触が涼しげで、何とも心地よい。
 それをそのまま、口に付けて、中身を飲もうとする。
 けれど、そこからは予想されたようなものは出てこない。
 それどころか、水滴ひとつ落ちてこない。
 どうなっているのかしら、と口を離してそれを眺めていると、硝子瓶を通し
て蒼香が笑っている顔が見えた。






「まあるい、ビー玉」

作:のち







「悪い、悪い、そう怒るなって」

 そんなふうに蒼香は謝っているけれど、笑いをこらえながらだとほとんど言
い訳にしか聞こえない。
 ときどき蒼香は、こんなふうにして私をからかう時がある。
 なんでも羽居だと当たり前すぎて面白くないけど、私だと本当にびっくりし
たりするので、からかいがいがあるのだそうだ。
 そんなことで誉められても、いい気はまったくしない。
 むしろ怒るのが、当たり前だと思う。
 実際、私は蒼香につんけんした口調で、弾劾する。

「あなたねえ!」

 そんな私を押さえるように両手を胸の前で開き突きだして、笑いながら謝る
蒼香。
 なんで、この子はいつもこんなふうに人を食ったような謝り方しかできない
んだろう。
 まあ、しおらしい蒼香というのも、似合わないとは思うけれど。

「まあ、まあ、そんなことより、飲み方を教えてやるから」

 そう言って、私と蒼香の瓶、両方を持って机の上に置く。
 そうしてスカートのポケットから薄桃色のプラスチックの道具を取り出す。
 道具というよりも、なんだか何かの蓋のように見えるそれを、先ほどの瓶の
口に着けて、その上に左手を置く。
 そして右手をさらにその上に柔らかく重ねて、瞬間、力を込める。
 ポン、と言う小気味良い音が鳴った後、緑色の瓶の口から泡があふれ出した。

「ほら」

 そう言って、それを私に手渡し、もう一本も同じようにして、それを蒼香が
持つ。
 ちょっと、手が濡れるのが気にくわないけれど、蒼香が美味しそうに口を着
けているのを見て、自分も同じようにそれを煽る。
 ほんの少しだけの甘さと、シャンパンよりもきつい炭酸の刺激が喉を通って
いった。

「……美味しいわね、これ」

 そう感想を漏らすと、蒼香は嬉しそうな顔をして笑う。
 実際、複雑な味はしないけれど、非常に単純で、簡素なその飲み物は、今の
ような暑い日には喉に心地よい。
 カラン、と瓶から涼しげな音がするのもまた、良かった。

 蒼香の話によれば、これはラムネという飲み物だそうだ。
 今ではあまり普通に売ってはいないけれど、縁日などでは欠かせない飲み物
だという。
 蒼香の実家はお寺で、子どもの頃に縁日の手伝いをしては、これを貰ってい
たという。
 今日、ちょっと外に出ていたら、これが思いがけずに売っていて、思わず買
ってしまったんだそうだ。

 そんな蒼香の話を聞きながら、ひとくち、ふたくちとそのラムネを飲んでい
く。
 そう言えば、こんなふうにして話す蒼香は珍しい。
 いつもなら、あんまり子どもの頃の話などはしないのに。
 夏という季節が、そんなふうに気持ちを浮つかせているのだろうか。
 気が付いたら、私も子どもの頃の楽しかった話を蒼香にしていた。

 すっかりラムネを飲み干して、その瓶からは水滴すらも消えている。
 結構な間、そうやってとめどめもなく話をしていたようだ。
 窓からは少し赤みがかった太陽の光が差し込んで、ラムネの瓶からは緑色に
輝く影が伸びていた。

 そんな瓶を再び手に持って、蒼香がそれを覗いている。
 そして、私にも同じようにしてみろと、言う。
 どうしてそんなことをするのか、理解できなかったけれど、とりあえず言わ
れるがままにその口から、覗いてみた。

 緑色の光が内部で乱反射して、きらりきらりと刻一刻と変化しながら幻想的
な模様を創り出している。
 まるでそれは、緑水晶の万華鏡。
 ほどよい明かりは眼に優しく、心に暖かく、それでいてとても涼しげな世界
が広がっていた。
 思わず目を離して蒼香の顔を見る。
 先ほどと変わらない、人を食ったような笑いをして、私を見ている。
 その笑いは、なんだかとても楽しそうに見えた。

「最近はペットボトルでできているやつもあるんだけど、あんなのじゃこんな
ふうにはいかないんだ」

 そう言いながら、蒼香は再び瓶を覗き始める。

「ラムネって、飲み物としてだけじゃなくて、こんなふうに楽しめるものだか
らな。あれじゃ味気ない」

 覗いたまま、今度は瓶をくるくると回していく蒼香。
 からり、ころりと音が鳴っていく。
 それが不思議で、私も同じようにしてまわしながら覗き見る。
 中で、何かが動いているのが見えた。
 そんな私に気付いたのか、蒼香はにやりとして、自分の持っている瓶を床に
寝かす。

「そして、こういう楽しみもあるんだ。……見てろ」

 何をするのか、興味津々で見ている私の前で、蒼香はどこから持ってきたの
か、手のひらに収まるぐらいの石を取り出す。
 そしてそれを瓶の下に置いて、おもむろに思いっきり踏みつけた。

 ぱりん、と軽い音がして、破片が飛び散る。
 宙に舞った硝子の破片が日に差されてきらりきらりと煌めくのが、何故か雪
のように見えた。
 そうして蒼香はかがんで、その破片の中からひとつ、緑色のカタマリを取り、
私に渡す。
 それはまあるい、緑色の硝子玉だった。

「これが中で栓をしているんだ、ラムネっていうのは。だから、最初みたく、
押し込んでやらないと飲めない仕組みになっているのさ」

 眼をぱちくりとしている私に、笑いながら説明していく蒼香。
 そんな彼女は女の子にあまり見えない。
 かと言って、男の子にも見えない。

「たまに、これが欲しいだけで買うやつもいるんだぜ」

 そう言って、にっと笑う蒼香はとてもいたずらっぽそうな顔で。
 そう、男も女もない、そんな子どもの顔に見えた。
 そんな蒼香がおかしくて、思わず吹き出して、笑ってしまう。
 笑っている私を、最初は不思議そうに見ていた蒼香も釣られて笑う。
 笑っている自分も、目の前で笑っている自分の友人も、何もかもがおかしく
て。
 いつまでそうしていたのか、笑いが収まった後には、硝子の破片で散乱した
部屋だけが残っていた。

「で、この片づけはどうするの?」

「……すっかり、忘れていた」

 そう言って、また二人して思わず笑いあう。
 いつまでも、いつまでも。
 緑色をした、丸い玉を、大切に手に包んで。

 
  了








 2003年8月4日

 のち


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