風の夜に

作:しにを

            




 窓を小さく叩く音。
 僅かな音とも言えぬ音。
 数時間前、まだ日が落ちきらぬ頃から降り始めた雨。
 その水音に風が絡み始めていた。
 嵐と呼ぶにはあまりにささやかではあったが、時に弱く、時に強く、雨粒が
ガラスに弾けて散っていく。

 無害。
 ガラスを破る危惧は皆無。

 そんな判断を下すまでも無く、ことさらに気に病むべきものではない。
 現に玲二はほんの今しがたまで、ほとんど気付いてすらいなかった。
 ぼんやりと暗闇を眺めていて、ふと耳に留め、初めて玲二はその音を意識し
たのだった。
 だが同時に、玲二の耳はそれが十数分ほど前からの不規則な風と雨との奏で
る音を正しく聴き取っていた。それでいて意識するまでには到らず止めていた。
 今は、体と心とを休める時であったから。

 ただし、その不規則な音がわずかにでも不自然な濁りを持ったら、意識せず
とも玲二は身を起こしただろう。
 雨と地面の間に現れた未知のものの存在の可能性を感じ取って。
 もしかしたら単なる雨を避けた犬や、何かの拍子で転がった樽かもしれない。
 でも、そうではないかも知れない。
 風だけではない、廊下の不自然な静まり、地に落ちる雨の調べ。
 全て、何かに乱され異なる様相を僅かなりとも示したのならば、起こりうる
危機を回避する為に、玲二の体は反応する。
 
 生き残る為に。

 それは過去に学び、心身ともに深く刻み込まれたものであり、そして今の境
遇が研ぎ澄ましたものであった。
 己の持つ牙を自覚し極限までに鍛え上げる。
 誰を敵としてでも打ち倒せる獣の強さ。
 しかし同時に、臆病なまでの慎重さを共生させる。
 ほんの少しの違和感にもびくびくと注意を向ける繊細な迄の警戒心。
 どちらも必須だった。
 どちらも掛ける事無く自らの内に備えさせねばならなかった。

 第二の本能となるまでに。

 それが出来たから、自分はかつてファントムと呼ばれたのだ。
 今ここで生きているのだ。
 玲二はそう心で呟く。
 
 自分だけではない。
 彼女も。
 そう声ならず呟き、傍らに目をやる。
 穏やかな寝息をたてている少女を見る。
 そのままじっと見つめる。

 玲二自身は気づいているだろうか。
 その目が僅かに柔らかくなったのを。
 まったく無関係な者がその様子を眺めたとしても、玲二の少女に対する想い
の深さを感じさせめような、そんな暖かい視線。
 
 視線の先の少女。
 毛布に包まるようにして眠っている少女。
 小柄な体。
 ショートカットの黒髪。
 今の玲二にとって何よりも大切な、護らねばならないもの。

 エレン。
 最初のファントム。
 強く、武器の扱いに精通した少女。
 そして次なるファントムを、暗殺者としての玲二を育てた師。
 
 こうして見ていると、彼女が自分以上の純然とした強さを持つ存在とは信じ
られない。
 細い手、少年のような脚、無防備に見える寝顔。

 しかし、出会った時から今に到るまで自分はエレンに、いやアインに勝てる
と思った事はない。銃であれ、ナイフであれ、素手であっても。
 限定された状況であればわからない。でも本気のアインであればそもそも身
を不利な場所に置かないだろう。
 つと真剣に考えていた自分に玲二は苦笑した。

 今はアインとツヴァイではなく、エレンと玲二だった。
 
 玲二は手を伸ばして、少しくせっけのあるエレンの髪に触れた。
 指で梳くように何回か動かす。

 そのまま手が白い頬に触れ、首筋へと動いた。
 滑らかな感触。

 無防備だ。
 ここから殺意を抱いたら、いかにエレンでも防ぎきれぬだろうと思う。
 ナイフの一閃、いや素手とて致命的なダメージを与える方法を幾つも身につ
けている。
 それを知っていて、エレンは玲二に無力な姿を晒している。
 それが何故か玲二にはわかっていた。
 絶対に自分が害意を持たないと知っているから。
 自分がエレンを信じているのと同じだけ、エレンもまた自分を信頼している
から。
 
 衝動的に玲二はエレンの体に身を寄せ、片手を彼女の背に回した。
 そのまま軽く抱き締める。
 うろたえそうになるほど細く軽い体。
 柔らかい体。

 ちょうど玲二の胸にエレンの頭部が触れる。
 力を入れ過ぎないようにして、腕の中の感触をただ確かめる。

「玲二?」

 もぞと動く感触。
 黒い瞳が不思議そうに、玲二を見つめる。

「ごめん、起こしちゃったな」
「ううん……、どうしたの?」
「風のせいかな、目が覚めて。
 それで、エレンの寝顔を見てた」
「……」

 無表情。
 しかし玲二はそのエレンの顔に、わずかな心の揺らぎを見て取っていた。
 強いて言えば恥ずかしそうな様子。

「私は、こんな天気は嫌いじゃない」

 じっと自分を見つめる玲二の視線を避けるように、エレンは窓を見つめ、そ
して口を開く。
 独り言めいた話し方。

「外にいるには楽しくないと思うけど?」
「そうね。でも温かい部屋にいて、風が窓を震わせて、時には雨や雪がぶつか
るのに耳を澄ませるのは、好き」

 変ね、と軽く笑う。
 玲二はそのエレンの横顔を見つめる。
 わかるような気もする。
 しかしエレンの、アインとしての日々を思い浮かべると、それが必ずしもそ
のまま受け取れる言葉だろうかと、玲二に訝しげな表情を浮かべさせる。

 エレンが顔を上げて玲二を見た。
 強い意志を感じさせる瞳。
 それを見て意識せずに玲二は、その小さな体を抱き締めた。
 その唐突な抱擁をエレンは拒まない。
 
「いつでも、エレンを温めてあげるよ。
 どんな凍りつくような夜でも、雨に打たれて立ち尽くす朝も……」

 傍にいたい。
 いつも共に、一緒に。
 その思いは常にある
 けれど今、玲二の中に湧き起こった感情は、少し似て非なるものだった。
 言語化すれば違和感があるだろうそれは、守りたいという衝動だった。
 最強のファントムを。
 自分より遥かに強い存在を。
 ああ、でもそれは間違っていないかもしれない。俺の傍にいるのはアインで
はなく、エレンなのだから。そしてエレンの傍にいるのはツヴァイでなく、玲
二なのだから。
 
 抱きしめたまま、玲二はエレンの花のような唇を求めた。
 エレンは意図を察して、拒まない。
 唇が合わさった。
 そのまま衝動的に、玲二はエレンの体を求めた。
 さっきの言葉とは反対に、腕の中のエレンの温もりが伝わる。
 服の上から、丸みには乏しい、けれどしなやかで柔らかい体を弄る。

 エレンの反応は乏しい。
 しかし、それが拒絶や無感動を表しているものではないと玲二は知っていた。
 玲二の知るもうひとりの女性とは違って、まだ未熟なだけだと。
 苦しみや哀しみ、喜びすら表情や態度に出す事を禁じていたが故の事だと。

 いつもの事だった。
 愛撫に対するわずかな体の強張り、震え、瞳に宿る色。
 それで充分すぎるほど、玲二はエレンの反応を知る事が出来た。
 そして玲二を受け入れようとする拙い動き。
 行為そのものから受ける肉体的な快感、それよりも深く強い喜びが生じ、玲
二の中を満たすのだった。

 およそ恋人同士が結ばれるのには相応しからざる状況下で、二人は初めて結
ばれた。
 硝煙と血の香りにつつまれての行為。
 死を間近にしての抱擁。
 いや、それはアインとツヴァイという名を持つ二人には相応しかったかもし
れない。
 自嘲ではなく、玲二はそう思う事もあった。

 あれから、何度か体を重ねた。
 玲二からエレンを求めた事もあったし、普段と変わらぬエレンの瞳から玲二
がエレンの心を読み取り、手を差し伸べた事もあった。
 快楽を求めると言うより、互いを深く感じる手段として肉体のつながりを二
人は求めた。
 時に己の弱さを、相手の弱さを補う為にも。
 
 超絶した強さを持つ二人の弱さ。
 おかしみすら誘えども、確かにそれは存在していた。 

 今もまた、流れるままに、エレンの衣服を優しく剥ぎ取り、自らの着る物も
脱ぎ去っていく。
 肌を合わせ、一つとなる為に。

 と、エレンが玲二を止めた。

「ねえ、玲二」
「うん?」

 しかしエレンは口ごもる。
 珍しいなと、玲二はエレンを見つめる。 

「私では、……満足していないでしょう?」

 エレンは玲二の顔を見て、言葉が足りないと判断する。
 玲二はエレンを見つめたまま。
 少し、この場には相応しくない冷静さ、あるいは落ち込みの様子で玲二への
言葉を続けた。

「私では女として、満足させてあげていないでしょう、玲二の事を?」
「な……」

 絶句をする。
 突然の言葉に、返す言葉を失い、玲二は何も返せない。
 死地にあっては文字通り致命的となる呆然とした瞬間。
 玲二には、ツヴァイにはあまりに珍しい状態だった。

 そんな玲二の様を見て、エレンはくすりと笑った。
 女の子みたいな笑いだ。
 まだ常態に戻らぬ頭で、玲二はそんな事をぼんやりと思う。

「こんな事には縁がなかったし、今でもよくわからない。
 だから、玲二を満足させてあげていない。
 でも、別の仮面をつける事はできるわ」

 否定の言葉よりも先に、エレンの言葉に玲二は眉を顰めた。
 訝しげに、何を彼女は言っているだろうかと。

「仮面?」
「ええ、日本であなたの妹役を演じたように。インフェルノであなたと一緒に
何度か偽装したように。
 まだあなたと出会わなかった一人の時にだって、別の顔をした事があったわ。
 見咎められずに色街に忍び込む為に、売人や、年端もいかない子供を求める
客相手の娼婦になったり。反対にこんな処は行き慣れていますという顔をして
高級ホテルや宝石店に出掛けたりとか……」
「ああ、そうだな」

 頷く。
 とても自然な、それ故にエレンを知る者の目を疑わせる演技。
 それは確かに仮面をつけるのにも似た、驚くほどの変貌だった。

「だから、こんな真似も出来るの……」

 そう言うと、エレンは玲二の胸を押し、目で横たわるように促した。
 玲二は唐突な行為に戸惑いつつも、素直に従う。
 エレンは体をするりと動かすと、仰向けの玲二に跨る。
 引き締まった玲二の脇腹に、エレンのほっそりとした腿の内側がこすれた。

「ツヴァイ、いえ玲二……」

 声はエレンのもの。
 殊更に変えてはいない。
 しかし、その発音、話し方。
 ただ、名前を呼ばれただけなのに、玲二は身震いした。
 その既知感ゆえに。
 そして、名前を呼ぶ。
 彼女の……。

「クロウディア……?」

 玲二の戸惑った顔に向けられる、艶然とした女の表情。
 それは確かに、玲二の心に今なお色濃く残る女性の姿。
 過ごした日々、体を重ねた夜の数だけで言えば、エレンよりも近しいとすら
言える女。

 クロウディア。

 体が先に反応した。
 目が玲二に命じている。
 今夜は、下僕ではなく、犬だと。

 その指示に従う。

 クロウディアは玲二を従わせ、意のままに動かすことを好んだ。
 組織の中での地位とは別に力なき存在である事の、心理的代償であったのか。
 ある意味、組織の力・強さの具現化たるファントムを自由にする事は、クロ
ウディアにとって肉体的な快楽以上に愉悦をもたらしたのだろう。

 犬と下僕。
 主人の命に従い、歓心をかう為に奉仕する下僕。
 主人の思うがままに、一方的に可愛がられる犬。
 
 玲二にとってもそれはある種の補完行為になっていた。
 殺伐とした日々に対する心の防衛だっただろうか。

 組織の力の一端であると同時に、組織に繋がれた存在。
 獰猛な牙と四肢を持てども、狼ではなく飼い犬である存在。
 その事を、いっそ戯画化したような行為。

 束の間、力事を喪失して無力な存在に成り下がり、女主人の命じるままに従
う事――、それは自虐的な慰めを玲二に与えた。
 そしてなにより、クロウディアの望むように、喜ぶように振舞う事は、玲二
にとっては喜びだった。

 隔絶した過去の愛人の事を玲二は思い出した。
 普段は、意識することがなかった記憶の中から。

 エレンが細い指を玲二の唇に触れさせた。
 玲二が口を開けると、そのまま中に入れる。
 命令の言葉もなく、玲二は指をしゃぶった。
 いつものように。
 いや、当時よくしたように。

 指への奉仕をさせながら、エレンは空いた手で玲二の体を探るように触れた。
 頬をなで、顎の下をくすぐり、首筋から胸にかけて指先で線を描く。
 指を熱心に舐めながら、玲二はその指先を目で追った。

 クロウディアの形良く延ばした爪を思い出す。
 多彩に自分の演出として、綺麗に手入れし染めていた爪。
 それと比べるとエレンは、短く切っている。
 当然の事だった。
 しかし、指が肌を這う動きは酷似している。
 鎖骨を越え、胸板を撫で、そして乳首に辿り着く。

 笑み。
 玲二をぞくぞくさせる笑み。

 いきなり摘まれた。
 指の腹で押し潰すような強さ。
 呻き声が洩れそうになる。
 しかし、誤って指を噛まないように、玲二は必死でそれを押し殺す。
 何度も強く、玲二を押し潰し、一転して優しいと言っていいほど繊細な動き
に代わる。
 親指と人差し指が、転がすように突起を弄ぶ。

 腰が動いた。
 触れ合う柔らかい肌が、玲二の下半身を擦り、そして止まる。
 玲二の漲ったペニスがエレンの尻の谷間に触れていた。

「こんなになっている」

 目によらず、触れ合う感触と熱さで、犬の様子を感じとって、エレンはくす
りと笑った。
 後ろ手に、それに触れる。

「入れて欲しい?」

 問い掛ける主人の声に、玲二は指を口に含んだまま頷く。
 エレンは指を抜くと、玲二の胸に両手を置いて膝立ちになった。
 そのまま、玲二の勃起を導く。

 すでにぬめぬめとした秘裂が玲二に見て取れた。
 いつもは、何もせずにこんな風にならないのに……。
 わずかに驚き、そしてそれ以上に期待で胸を満たす。

 あてがわれ、
 エレンの細腰が沈んだ。
 きつい、そしてぬめる狭道の感触が玲二を迎える。

 火傷しそうなほどに熱い。
 そして痛いほどに握り締められているよう。
 さすがにこの感じはクロウディアとは異なる。
 柔らかく蕩けるように男を包み込み、誘い込んだ上でゆっくりと握り締める
クロウディアに比べれば、ずっとこなれが足りない。
 果汁が溢れんばかりの果実と、まだ青い実との違い。
 しかしそれ故に、挿入の行為自体に掛かる摩擦の生む快美感は、玲二に呻き
声を上げさせるほどだった。
 
 玲二が動いているのであれば、ここでいったん止まっただろうが、エレンは
段違いの抵抗を無視して、そのまま腰を落す。
 さらに、奥へと飲み込まれる。
 先端が、柔肉と違った何かにあたった。
 全て飲み込まれた。
 先から、根元まで全て。
 さすがに少し辛そうにエレンの動きが止まる。
 ゆっくりと息を吐き、吸う。
 三回、四回と。

 そしてエレンは動き始めた。
 緩やかに、優雅に。
 動物的な交わりというより、それこそ舞踏ででもあるように。

 信じられなかった。
 これはクロウディアの動きだった。
 わざと扇情的に腰を上下させ、粘音を響かせて官能を高める事もあったが、
こんな風に、ゆるゆると腰を前後に揺するだけの時、彼女の本当の性戯の冴え
が現れた。
 それと同一と言わないまでも、ほぼ同じ快感をエレンは生み出している。

 すぐにも果ててしまいそうだった。
 玲二は快感に声を洩らしつつも、体を強張らせて射精衝動を打ち消した。
 
 クロウディアはこういう時に決して醒めてはいなかった。
 熱い息を吐き、見下ろしつつも男を満足させる喜びの色を目に浮かべていた。
 しかし。
 一方で、彼女は決して溺れはしなかった。
 抱き合い、歓喜の表情を浮かべようと、クロウディアはどこか冷静だった。
 性的には放埓さを見せても、根はノーマルであり、むしろその手の行為を好
んでいないのではないかとすら、思わせた。

 今のエレンもそう。
 驚くほどそれを堪能し、同時に完璧な余裕を持って、己と繋がっている男に
艶然とした笑みを晒す。

 エレンの手が、力の入れられた玲二の下腹部を弄る。
 同時に、外から確かめようとでも言うのか、自分の玲二が挿入された下半身
に触れる。

 玲二の耐える表情に、心地よげに反応する。
 しばしそれを眺め、許可を下す。

「さあ、いいわよ、玲二」
「あぁぁ」

 体が動く。
 下から腰が突き上がり、びくと震える。
 意識して自らに与えた拘束から逃れ出たように。

「エレン……」

 エレンもクロウディアの仮面を落としたようだった。
 一転して、体が力を失ったように、崩れ、玲二の胸に倒れ込む。
 痺れるような快感に、玲二は我を忘れた。
 エレンもまた、小さな胸を玲二に擦りつけるようにして、小さく歓喜の声を
洩らした。

 しかし、そのまま玲二が達しようとした時、エレンは身を起こした。
 かろうじて、いや今仮面を取った事すら計算しての事だったかのような、平
然とした態度と淀みない動き。
 腰が浮き、玲二との連結が解かれる。

「エレン……」

 さっきとは違う、慌てた問うような声。
 それにエレンは答えず、ただ微笑んだ。
 クロウディアを思わせる笑み。

 ぞくりとする。
 その先までが玲二には予想できた。

 果たして、エレンは再び結合しようとも、逆に終わりにしようともせずに、
玲二のリアクションを待っている。

「続けて……、エレン」

 懇願。
 苦痛ならばどれだけのものにも耐えうる体が、快楽の喪失感には苦も無く白
旗を振り上げる。
 驚くほどの必死さ、切迫感が声に込められている。
 しかし、エレンは、まだ待っている。
 冷たく、男を見つめている。

「お願いだから、続きをして……、下さい」

 懇願。
 みじめな哀願。
 男としての尊厳を放棄する行為。
 しかしクロウディアは、エレンは、侮蔑的な表情を浮かべない。
 嬉しそうな、最高の誉め言葉を受けたがごとき笑みを浮かべる。
 男を蕩かすような笑み。
 安堵と期待とを男に与える微笑。

 エレンの体が動く。
 驚くほどに優雅な動き。
 シーツに身を横たえ、玲二を誘う。

「来て、玲二、お願い」

 おねだり。
 抗う術の無い誘い。
 知らず引き寄せられる魅惑。
 高みから与えるのでなく、同じ位置からせがむ事が、男に激しい喜びを与え
るのを知っての行為。

 受け身でいる事から解除されていた。
 それに気づいたのか、どうか。
 玲二は這いより、そのままエレンに挿入した。
 あっけなく数回の動きでそのまま果てる。
 体全てが液体化したような脱力感。
 重さをそのまま受けたエレンが微笑む。

 まだ、でしょう?
 そう無言で語っている。
 石像ですら釣り込まれるであろう艶やかさ。
 
 玲二は融けるような快感の残滓を振り払い、新たな、もっと深い快楽を求め
動き始めた。
 エレンの口から小さく悦楽の声が洩れる。
 歓喜の色が、その瞳に煌く。
 ベッドがリズミカルに、時に不規則にきしみ、そこに二人の声が混ざった。








「あんなの、どこで憶えたんだ?」
「隠し撮りしたフィルムで……」

 交合の跡を留めたまま、まだ二人は裸でベッドに横たわっていた。
 軽い疲労と快楽の残滓と共に。

「そんなのどうやって」
「彼女のコレクション……、他にもたくさん」

 クロウディアが?
 玲二は愕然としかけ、そしてさもありなんと思い直す。
 まさかという思いは無い。
 そんなものを持っていたとしても不思議ではない。
 むしろ、そんな行為は実にらしいなと内心で呟く。
 おそらくは保険として所有していたのだろう。その秘密の記録を彼女なら剣
にも、楯にも自在に用いる事が出来る。

 むしろ、そんなものをエレンがいつ、そして何故という疑問が玲二の頭に浮
かぶ。言葉を投げようと、傍らの少女の方へ顔を向ける。
 すると、同じく自分を見つめるエレンの視線がぶつかった。
 玲二の開きかけた口がそのままに止まる。無表情になったエレンの顔は、そ
んな問いを簡単に投げられない雰囲気を持っていた。
 思いつめたような顔が玲二を見つめている。

「少しは楽しめた、かな」
「え?」

 不安そうな顔。
 自分が相手に何をしたのか、男に対して女としてどれだけの効果があったの
か、まったく自覚が無い表情。
 もちろんだよと素直に答えれば良いのか。どれほどの肉体の悦びを与えてく
れたのかを細かに告げれば良いのか。
 それとも?
 玲二はしばらく迷い、答えた。

「たまにはいいかもしれない。
 でも、やっぱり俺はいつものエレンが好きだな」
「そう……」

 直接の回答からは少し外れていた。
 しかし、エレンにはそれで答えになっていたのだろう。
 残念そうな、嬉しそうな、エレンの複雑な表情。
 胸の中で玲二はくすりと笑った。
 
 急に少女への愛しさが込み上げる。
 さっきのクロウディアに対するものとはまったく根源を異なる感情。
 快楽そのものよりも、共有を、結びつきを望む想い。
 その心の動きのままに、玲二はエレンを抱き締めた。もう一度、エレンを求
める。
 今度はクロウディアではなく、彼の良く知っている愛するエレンを。
 さっきと一転して、戸惑った表情のエレン。
 しかし、耳元で玲二が一言、二言囁くと、僅かに頬にを染めて頷く。
 玲二の動きに抗わず、ぎこちなくも玲二の愛撫に答えてエレンの裸身が動く。
 二つの体が絡み合うように重なった。

 唇が合わさり、吐息が混ざり合う。 
 窓の外の風音は、いつの間にか静まっていた。
 もはや、二人には聞こえなくなっていたけれど。


  了













―――あとがき

 と言う事で、『ファントム』SSでした。
 もともと某所の某祀り用に書いたものですが、とりあえず準備中が続くよう
なので、今回使わせて貰いました。……かなり補修が必要だったし。
 快く了解していただいた、しゅらさんに感謝です。

 なんで、『ファントム』なんだろうかと言いますと……、何故でしょう?
 エロゲでの男が受けとの趣旨の企画だっので、あえて文句なく強い存在を対
象にしてみたかったからだったかな。時間が経ち過ぎてちょっと記憶不鮮明。
 でも虚淵作品のヒーローは強くとも、完全無欠でないところが魅力となって
いるので、その意味ではアンマッチかもしれません。
 
 むしろへっぽこ活劇やらせるよりはいいかもしれませんけど、イメージ壊さ
れた方すみませんね。

 ともあれ、お読み頂きありがとうございました。


  by しにを(2002/12/18)
        (2004/1/12改訂) 


二次創作頁へ TOPへ