ゆさゆさと揺り起こされた。
 目を開けてみると、すでに夕暮れ。風が少し冷たい。
 一階のテラスで日向ぼっこをして、どうやらそのまま、うたた寝してしまったらしい。

「ありがと……」

 風邪でもひかないかと琥珀さんが起こしてくれたのかと思ったら――。
 そこにいたのは、レン、だった。





刹那 の 風景 Only is not Lonely.




 レンは猫ではなく、女の子の姿をしていた。
 青灰の髪に黒いリボンがふわふわと揺れていて。
 黒いシックな装いはいつものままで、
 その朱い瞳からは何の感情も読みとれない。
 それでも。
   その瞳に仄かに感情の揺らめきが見え隠れしている。
 淡雪のようにすぐに消えてしまうような――そんな刹那の思いが透けて見えていた。


 ――って、そんなことを考えている場合じゃないって!


 慌てて、まわりを確認する。
 少女の姿のレンを見られたら、秋葉たちにどんな詰問を受けるか、と心配になってしまう。
 しかしその心配も杞憂らしく、誰の姿も見えなかった。
 そしてまた、ゆさゆさ、とレンが揺する。


「……ああ、ありがとう、レン」


 俺は礼をいって立ち上がろうとする。
 また、ゆさゆさ。
 まるで猫がじゃれついてくるようだった。
 まぁ実際は猫でもあるのだが――そんなレンの頭を撫でる。
 すると、ふるふると首をふる。


「――?」


 どうしたんだい、いったい、と尋ねようとした時、
 ちょこんと、膝の上に乗ったのだ。

 突然の行為に驚いている俺を無視して、レンは頭をあずけてくる。
 まるで安心して委ねるかのように――。
 かかる重み。軽くて温かい、その重みに、つい――
 まぁいいか、と俺も一度椅子に体をあずける。
 息をそっと吐く。
 そして見上げると、そこには広がる空。
 群青色。
 透き通るような蒼い空に雲がたなびいている。
 しかしそれも東の空は暗くなりはじめ、ゆっくりと茜色にそまろうとしていた。
 今は風はなく、この季節にしては温かい日差しに心地よさを感じていた。
 レンは動くことなく、ただ空を見つめていた。
 まったりとした時間。
 まるで温かい風呂に入っているかのような、たゆんだ時間。
 温かくて、まどろんでいるかのような心地よさ。
 膝にはレン。その重みが、その温かさが、このしっとりとした時間を醸し出していた。
 それでも、レンは見続けていた。
 空が、群青色から茜色、そして夜色へとかわろうとする、もの哀しげな色を。
 どこか遠くへといってしまうような、お祭りが終わってしまったかのような物寂しさを感じさせる、たゆんだ色を。
 ただ、じいっと。
 身じろぎもせずに。
 たぶん――瞬きもせずに。
 そんなレンを、俺はやはり瞬きもせずに見つめていた。
 レンは何を思っているのだろうか。
 レンは何を眺めているのだろうか。
 ふと思った。
 レンは何もしゃべられない。
 ただ必要なことを伝えてくるだけ。
 こんなに幼いのに。
 たしかに使い魔として、何百年も生きてきたのかもしれない。
 それでも――やはり幼かった。
 あのアルクェイドと同じ。
 白い吸血姫と同じ。
 何も――知らない。
 無垢である、ということは貴いことなのかもしれない。
 それでも――それは切なくて、どこか物悲しい。
 この空の色の様に。
 だからまた――空を見上げた。
 まだ星は見えず、天空はまだ太陽の支配下にあった。
 それでも夕暮れの、黄昏がゆっくりと忍び寄っていて、
 どこか――切ない。
 遊んでいる時に夕暮れになってしまったから、楽しいのにどうしても帰らなければならないような、諦め。
 盛り上がっている最中に、ふと我に返ってしまったかのような、よそよそしさ。
 使い魔としてのレンの気持ちでも流れ込んでいるのだろうか?
 それともレンに俺の気持ちが流れ込んでいるのだろうか?
 わからない。
 わからない。
 わからないし、考えてもどうしようもない。
 答えなんてないからだ。
 それに。
 答えなんて――いらない。
 ただ――この胸の奥を締め付けるようなもの悲しさが。
 楽しい時間はもうおしまいだとつげる閉幕の光景が。
 酷く――――――切なかった。
 そんな、なんともいえない切ない色。
 なのに空の色は切ないままに、色をゆっくりとでも確実に変えていく。
 蒼から紫、朱、茜、蘇芳、そして宵闇色へと儚くも華麗に。
 ただ――もの悲しさをもって。
 なのに一時とも同じ色、同じ輝きはない。ゆっくりとゆっくりと変わっていく、移ろっていく風景。
 移ろいゆくのだから、こんなにも切ないのだろうか。
 明日もまた太陽が昇って朝となり、そして沈むというのに。
 わかっているのに――――こんなにも、苦しい。
 だから。
 目を閉じた。

 遠くから葉擦れの音がして、耳をくすぐる。
 かすかな土臭さと植物独特の匂い。
 思わず、うっとりとする。
 膝の上にはレンがいて。
 屋敷では琥珀さんが夕食の準備をしていて。
 翡翠が細々としたことを片づけていて。
 秋葉がこちらへ向かっているだろう。
 膝の上のレンが柔らかく、そして温かい。
 たぶん、夜更けにはシエル先輩の巡回を手伝って。
 たぶん、明け方にはアルクェイドがまたやってきて。
 ドタバタの毎日。
 切なくなんて、なかった。
 物悲しくなんて、なかった。
 ただのセンチメンタルな――なにか。
 それが去来しただけに過ぎない。
 じんわりと、じんわりと温かさが躰の中に染みいってくる。
 アルクェイドが、シエル先輩が、秋葉が、翡翠が、琥珀さんがいる。
 そして学校にいけば有彦がいて、高田君がいて――いつもの毎日。
 骨の芯まで温かさが染みこんでくる。
 なにより、今、ここにレンがいる。
 レンの重みが、レンの温かさが、レンの鼓動が――俺を暖めてくれるじゃないか。
 使い魔だから、心のどこかでつながっている、もう一人の俺。
 七夜志貴という、退魔の狂える殺戮衝動ではなく、遠野志貴としての平々凡々として日常としての側面に。
 レンは、そんな俺を救ってくれるために――まぁ勘違いだけど――夢を見せてくれた。


 ――あの熱い夏の日を。
 ――あの楽しい日常というものを。


 一陣の風が通り抜け、さらさらとレンの髪が俺の顔をくすぐる。
 甘い香りがした。
 その甘い香りを何に例えればいいのか――。
 とにかく、レンらしい柔らかい香り。
 それがふわっと広がって、そして消えていって。
 すると、レンが胸の上でごろりと動いた。
 ――ん、と思って目を開けると、レンがその赤い瞳でこちらを見ていた。
 その大きくて無垢なくせに妖艶な憂いのある輝きに、心が鷲掴みにされる。
 マスターなのに、その使い魔に心がこんなにもかき乱される。
 幼女で、淫婦で、純真で、猥雑で――でもキラキラとしているそれに理性どころか、魂さえも吸い込まれそう。
 そして、ゆっくりと視線が逸らさせる。
 まるで、

 こちらを見て

 と言われたかのよう。
 つられて、そちらを見ると――。

































  視界いっぱいに広がる































錆びた黄金色。
































 錆びた黄金色にレンも俺も何もかもつつまれていた。
 次の刹那。
 それはまるで夢幻かのように消え失せ、ただの夕闇が戻ってきた。
 ほんの一瞬の出来事。
 刹那の風景。
 ただ沈みいく太陽がみせた一瞬の煌めきだったのか――。
 何かの加減なのか、わからない。
 でも、それは。
 それは、レンと見たことがある景色。
 それは、レンのただひとつの記憶。
 それは、ただひとつの思い出。
 それは、あの――それだけで幸せだった風景。
 ため息をつくしかできないもの、だった。

 知らずに、レンの頭の上に手を置いていた。
 レンの体がビクンと動く。
 その小さな手は俺の服を握りしめていた。
 硬く強く、でも震えていて。
 怖そうに、寂しそうに――まるで二度と置いていれないかのような迷子のように。
 強く、強く、関節が白くなるぐらい――必死に。
 その瞳は心配そうに、こちらを伺っていた。
 なにかを伺うかのように。
 頭をゆっくりと撫でる。
 さらさらとした髪の毛の感触とともに伝わってくるのは、怯え。
 安心しきって委ねきった――依存しているといっていいものが消えてしまった時にしか感じられない、胸をかきむしるような苦しい喪失感。
 胸の奥にある鈍痛は、ただ涙をこぼすことしかできない悲しみ。
 失われたものへの情。
 そして、また失うということへの怯え。
 置いていかれるという恐怖。
 それを
 その小さい手が、
 その小さい朱い瞳が、
 その小さい体が、
 震えながら伝えてくる。

 それがレンには何の感情であるのか、わからないのかもしれない。
 寂しさ。
 ひとりぼっち。
 孤独。

 いつしか微笑みかけていた。
 そしてポンポンと頭を叩く。
 ここにいるよ、って。
 消えないよ、って。
 一緒にいるから、って。
 優しく、柔らかく、囁くように。
 まるで愛撫するかのように。
 幾度も、幾度も、それこそ数え切れないぐらいポンポンと叩いた。
 心を染みいるまで、何度でも、何度でも。
 レンの瞳にはなんともいえない不思議な輝きをたたえている。
 アルクェイドと同じ朱色の瞳はかすかに震えていて。
 不安そうに、心配そうに――でも幸せそうに輝いていた。
 ようやく安息をみつけたかのように。
 愛する親元に辿り着いた迷子のように。
 だから笑って話しかけた。
 ただ柔らかく。
 ただやさしく。
 ただただ、愛おしげに。


「また――」


 睦言を囁くように、そっとそっと。


「――また、一緒に見ような」


 その朱色の瞳を大きく見開く。
 綺麗な感情の色。
 その瞳には溢れんばかりの感情の波が押し寄せていて。
 急いで、こくこくと幾度も頷いた。
 とても大事な約束かのように、幾度も――。

 そんなレンをただ愛おしく撫で続けた。



- Fin. -


 あ と が き

 この作品は第四回人気投票支援SSとしてTYPE-MOON様に投稿した作品です。
 あのときは締め切りにおわれ、書き殴ったところがありまして、今回のTYPE-MOON様からの削除という機に加筆訂正しました。

22nd. January. 2003 #87
12nd. March.2003. 改訂


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