定期試験の後

作:しにを

 




「うん、国語も数学も良い点数だな。
 驚いたよ、秋葉。うん、本当に驚かされた」

 答案用紙を見ながら、そう呟いた。
 自然と口から出てきた言葉。
 先に見せられた地理と化学のテストは満点。
 この二つにしても、ほぼ満点に近い。
 普段のテストだとしても立派なものだけど、定期試験でこの点数はかなり凄
いと思う。
 勉強も出来るとは聞いていたけど、本当に優等生なんだ、そうしみじみと実
感させられる。

 ふと、顔を上げた。
 答案用紙を眺めている間、秋葉が黙ったままだったのがなんだか気に掛かっ
ていた。
 もしかして、秋葉としてはこの点数でも不本意なのかな。
 満点以外は意味がありません、とか言い出してもおかしくない。
 だが、予期に反した姿が、視界に入った。
 妙にもじもじとしている姿。
 何とも言い難い、珍しい姿。

「どうした、秋葉?」
「何でもないです」
「そうか?
 とにかく、いろいろと忙しくて大変なのにこんなに勉強も頑張っていたんだ
な、秋葉は。
 うん、本当に偉いぞ」
「あ…ふぅ」

 声とも呼吸音ともつかぬ変な音が秋葉の口から洩れる。
 不審に思ってまじまじと見つめる。
 顔が少し赤い。
 恥ずかしがっている……、ううん、少し違うな。
 何と言うかもう少しこう、照れている、そうだ、照れているんだ。

「だって……」

 俺の視線に問う色を見たのだろう。
 訊かれもしないのに、秋葉が言葉を紡いだ。

「褒められる事なんて、慣れていないんですもの」
「はぁ?」

 何を言っているんだろう。
 俺とかはわかる。
 さして目立った特徴があるでもなし、勉強にしてもスポーツにしても、そこ
そこの出来。
 でも、秋葉は違う。
 遠野グループの若き当主。
 学校では文武両道で、生徒会活動までしている。
 習い事もそつなくこなし、黙っていさえすれば立派なお嬢様。
 兄の目から見ても、たぐい稀な美少女だと思うし……。

 あまりに出来すぎて陰口を叩かれる事はあるかもしれないが、それ以上に賞
賛には事欠かないだろうに。
 でも、嘘をついているようには思えない。
 この嬉しそうで、恥ずかしそうで、さらに何かが混ぜ合わさったような表情。
 それが演技で無いとすれば、秋葉に促しかけるモノがある訳で、それは……。
 秋葉の言うように、俺の言葉、秋葉を褒めた言葉以外にはありえない。

「秋葉は子供の頃からずっと成績が良かったんだろ。
 それなら、今初めてというのは信じられない」
「それは、遠野家の者として恥ずかしくないように頑張りましたから。
 でもそれ故に、当たり前になってしまったんです」
「当たり前……、成績が良いと言う事がか」
「はい」

 なるほど、俺とは立ち居地が異なっている訳だ。
 出来て当たり前、少しでも調子を崩せば、それを責められるといった……。

「と言っても、先生に褒めて頂く事もありますし、お父様だって良くやったと
言ってくださりました。
 でも、今の兄さんみたいにちゃんと試験の中身を見てくださったり、そのま
まの言葉を下さるのは新鮮で……。
 ただ兄さんに報告して、お言葉を頂きたかっただだったんですけど」
「そうか」

 部屋まで来て下さいと言うから何かと思ったら、そんな意図だったのか。
 おもむろに試験用紙なんか差し出すから、何かと思った。
 
「じゃあ、もう一回、言ってあげるよ。
 よく頑張ったな、秋葉。
 見た所、難しい問題も多かったけど、よく勉強して解答したのがわかる。
 俺は兄として誇りに思うぞ、秋葉」
「……」

 幾分芝居がかっていたかもしれないけど、効果は絶大だった。
 熱でもあるんじゃないかと思うほどの顔。
 そして受け止めきれずに、狼狽の様子。

「はい、兄さん」

 そう秋葉が小さく答えたのは、しばらく待ってからだった。
 よし、これで珍しくも兄として役目を果たしたなという満足感。
 と、その俺に秋葉がもう一枚、二つに折った紙を差し出した。
 恐る恐るといった様子。
 ええと?
 用紙は見慣れたもの、さっきの答案用紙と……、これもか。

 受け取った。
 秋葉が軽い躊躇いと怯えに似たものを見せている。
 何があるのだろう。
 こちらまで、秋葉の様子が伝染し、恐々とゆっくりと紙を広げる。
 ……。
 英語の答案?
 そうか、そう言えばまだ見ていなかった。
 どれ……。
 おや?

 決して悪くはない点数。
 赤点なんてとんでもない。立派な及第点以上。
 でも、相対的に悪く見える。
 他が良すぎるだけに、格落ちと言うか、酷い点数にすら思えてくる。

「なあ、秋葉…」
「すみません、兄さん」

 え、びっくり。
 先に秋葉に頭を下げられた。
 形だけでなく、きちんと後頭部が見えるほど。
 そしてゆっくりと顔を上げる。
 後悔、恥辱、そんな表情。

「秋葉は英語得意だったろう、どうしたんだ?」

 そんな自分を責めるような顔をされていると、何だか訊き難いが、疑問が大
きかった。
 むしろ理系科目の方が不得手とか言っていた筈だし。
 
「勘違いをした場所があって。そこを間違えた為に、設問全てが……」
「どれ……、ああ、これか」

 問題と答えを見比べる。
 ふうん、アルファベット書かせても、字が巧い人間は綺麗に書くんだ。
 間違った部分には、答えを記したのと同じ筆跡で、朱文字が加えられている。
 正答と簡単なメモ。
 ああ、なるほど。関係代名詞の解釈違い。そうだな、秋葉が間違えたように
も意味が取れる。
 そうなると、John・Smith氏の目的地がまったく逆になるんだ。

「まあ、これはしか…」

 言いかけて言葉が止まる。
 秋葉の表情に。
 何で、がっかりした顔をしているんだ?

 もしかして。
 いや……。
 でも、この俺が黙ってからの期待を滲ませた顔。
 これは、ああ、そうだな。
 わかった。

「何をやっているんだ、秋葉」

 我ながら厳しい声。
 顔も多分、それに似合ったものになっている筈。

「兄さん」
「つまらないミスだな。
 確かに引っかかりやすいかもしれないけど、英文を良く読んでみればわかる
筈だ」
「はい……」
「設問でわざわざ何を訊ねているのか見れば、何かおかしいと思わなければな
らない」
「仰る通りです」

 しおらしい秋葉の態度、か細い声。
 言われるまでも無く、自分がいちばんそう痛感しているだけに言い訳は無い。
 意気消沈している。
 まったく秋葉らしくない。
 でも、これはこれで秋葉の姿。

 しばらく黙る。
 それから、口調を変えて秋葉への言葉を再開する。

「普段、秋葉は努力しているんだから、こんな処で変なミスしたらつまらない
だろう?
 次は頑張ろうな」
「は、はい」
「トータルだと立派な成績だな、偉いぞ、秋葉。よくやった」
「兄さん……」

 出来るだけ優しく秋葉をねぎらう。
 ぱっと秋葉の顔に輝きが戻った。

 満足したようだな。
 家族から褒められるのと同じ位、叱られるのも珍しいのだろう。
 自分からそれを望みたくなる位。
 ちょっと無理して叱ったら、しおらしくしつつも喜んでいたものな。
 そんな、怒られて嬉しいものか?
 普段なら文句ひとつ言われると逆に怒り出すのに。
 変な奴だなあ、秋葉?
 まあ、可愛く見えない事もない。

 今度から少しはテストとか気にしてやろう。
 張り合いが出れば秋葉に取っても良いし、これくらいならふがいない兄でも
年長者としての役目が果たせる。
 とりあえずは、学期末の成績表かな。

「あの、兄さん……、まだ、お時間ありますか?」
「うん? まだ何か試験でもあったのか?」
「いえ、今ので終わりです。
 あの……、ヴァイオリンが」
「ヴァイオリンが何だ?」
「この間、先生に褒めていただいた曲があるんです。
 良かったら、聴いて頂けませんか?」

 とても断われない表情。
 それに、別に断わるつもりもない。

「そうだな、弾いてもらおうか。
 秋葉がどんなに上達しているのか、聴いてみたい」
「はい、兄さん。ちょっと待っててくださいね」

 いそいそと支度をする秋葉。
 なんだか良くわからない時間ではあるけど、まあ、こんなのも悪くは無い。
 秋葉も喜んでいる事だし。
 椅子に背を沈めて、秋葉が弓を手にするのを眺めた。

 低いそれでいて豊かな旋律が、部屋に流れ始めた。
 
  了










―――あとがき

 秋葉誕生日記念SSです。
 特に内容は、その辺の関連ありませんけど……。

 ただ、胸を張って誕生日SSだと言えば言える事実がひとつ。
 このSS、9/22に書き始めております。
 そして完成も9/22です。
 秋葉の誕生日に創作されたのですから、誕生日SSでしょう。
 本来用意していた別作品がどうにも間に合わなくて、慌てて書いたとかいう
事実があったとしても。

 とりあえず、志貴との当たり前の一日を。
 おめでとう、秋葉。

  by しにを(2003/9/22)



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