「ぐぁ……、う…、はぁ…………」

 痛みではない。
 肉体を苛むのは痛みではない。
 では、何と言えばいいだろう。
 一指も触れられていないのに、体を蝕むこの衝撃を。

 体に与えられたダメージを伝える電波の信号、それが痛み。
 打撃であり、損傷であり、熱さであり、冷たさであり。
 それらが逆転している。
 頭に痛みの信号が、体の状態と無関係に起こっている。
 強制的に送り込まれている。
 
 毒電波。
 こんな全身を崩壊させるような毒電波の力。
 それに抗う力、打ち倒す力が俺にあるのだろうか。
 のた打ち回るどころではない。
 あまりの痛み、信号の奔流に、パンクしそうになっていた。
 体も頭も絶叫を通り越している。

 狂ってしまいそうだった。
 狂ってしまい、狂う……、狂う、狂う、狂う。狂ってしまう。
 どくでんぱのちからがあがった。
 狂い刻まれ狂い砕かれ狂い刺され狂い潰され狂い斬られ狂い壊され、
 あと少し、あと少しの天秤の傾き。
 それで、俺は遠野志貴でなくなる筈だった。

 それが、唐突に止んだ。
 いや、まだ頭の中に無数の蟲が這いまわっている。
 ありえぬ音が頭蓋骨の中から響いている。
 僅かな正常は、濁りに侵食され続けている。
 けれども、今までのが暴風雨だとすれば、まったくの凪に等しい。
 痛みを感じる部分すら壊れたのかと錯覚しそうなほど。

 だが、それに安堵している暇は無かった。
 そんな事を意識する余裕はなかった。
 俺は目の前のものを見ていた。
 奴もまた同じものを見ていた。

 信じられないという表情。
 衝撃の色。
 きっと、俺も同じ顔をしている。
 発した者と、受けた者が、同じ表情で、それを見ていた。

 奴と俺の間、ずっとこちらに近く。
 倒れていた。
 動かず、伏したまま。
 月島……、瑠璃子ちゃんが、そこに横たわっていた。

 どこをどうしたのだろう。
 俺では理屈はわからない。
 ただ、瑠璃子ちゃんが庇ってくれた。
 それだけはわかった。
 自分が盾となり、俺を守ってくれた。
 ひれだけはわかった。
 俺が受ける電波を、自分が受けてくれた。
 それだけはわかった。

 俺は何と言っただろう、あの時に。
 任せてくれと。
 そう言ったのではなかったか。
 こんな常識外の事には、少しは慣れているからと。
 泣きそうな瑠璃子ちゃんに、そう答えたのではなかったか。

 助けてと言われたのに。
 助けてあげると言ったのに。
 助けられたのは、この俺の方だ。
 
 瑠璃子ちゃんは言った筈だ。
 俺の中には、何かがあると。
 兄さんの電波の力にすら対抗できる、何かがあるのだと。

 ならばあるのだ。
 絶対にあるのだ。
 瑠璃子ちゃんが言うのなら、俺の内に何かがあるのだ。
 
 底知れぬほど暗いもの。
 恐慌を起こす怖いもの。
 正視し得ない嫌なもの。
 でも、そんなイメージを俺は知っているのか。
 あの毒電波に匹敵するほどの、具現化するような爆発的なイメージを。

 さっきまでの中でも考えていた。
 必死に脳内を探していた。
 でも、足らなかった。
 俺にあるのは、この壊れかけた体だけ。
 それも、いつまでももたない。
 瑠璃子ちゃんが助けてくれた体も、時間の問題。
 下を向いている狂気の眼は、すぐに憎しみを加え、こちらを向くだろう。
 飛び掛ろうにも、既に遅い。
 それで済むなら、もうずっと前に事は決していた。
 あれほど身近な死が、今度こそ俺の身に。
 虫けらのように殺される。もう容赦はない。
 死ぬ。
 死ぬのだ。
 俺は死ぬのだ。

 待て。
 死?
 死、身近な死?

 ああ、そうだ。
 あまりにも近すぎて気付かなかった。
 確かに、俺のうちに地球を破壊する爆弾みたいなものは無い。
 ただ、知っているだけ。
 見る事が出来るだけ。
 だったら、それを。
 崩壊のイメージ、脳を浸食し壊していくイメージならば、知っている。
 わざわざ生み出す必要すらない。
 片時も離れる事のない、
 それは、遠野志貴の見ている世界。

 脆弱な世界。
 触れるだけで壊れ、崩れる世界。
 線と点に満ちた―――

 死の姿。

 眼鏡を毟り取った。
 カツンという音が妙に耳に響く。
 後は見るだけ。
 見たくなくとも、否応無く目に入ってくる。
 廊下に蜘蛛の巣のようにひび割れが広がる。
 黒い点があちこちに氾濫している。
 暗い、月明かりのみの廊下なのに、間違いなく、それは顕在している。

 月島の姿を視る。
 妹に向けられていた視線が、何かを感じたのか、こちらへ向く。
 狂気に光る瞳。威圧の姿はそのままに。
 しかし……、ああ、こいつも同じだ。
 どんな力を持っていようと。
 毒電波の力をどこまでも広げようとも。
 あまねく、死からは逃れられない。
 直死の魔眼は、等しく、万物の死を顕在化する。
 見つめる。
 月島の死を見つめる。
 それを、送り込む。瑠璃子ちゃんに教えられたように。
 
「なんだ、何を……」

 声。驚愕、恐慌。
 突如、始まった。
 頭を割らんばかりの、電波の嵐。
 点と線とによる侵食で、さらに頭がぎしぎしと締め付けられるように痛む。
 脳を直接かき回され、砕かれ、焼かれるような痛み。

 しかし、目は閉ざさない。
 しっかりと見つめる。
 奴を。奴の立つ足元を。
 そこより広がり行く世界。
 学校だけではない。この街も、そのまた外の街も。
 いや、どこまでも広がっている。
 陸を越え、海を走り、地球全体が全てこの線を縦横無尽に走らせている。

 こんなにも壊れやすい。
 世界は、こんなにも死にやすい。
 ちょっと触れれば、あっさりと壊れてしまう。

 その事実をそのままに、叩きつける。
 かつて遠野志貴が受けた絶望と恐怖。
 救いがなければそのまま狂い、生きていく事すらできなかっただろう陥穽。
 
 受け取れ。
 受け取れ。
 受け取れ。 

 なんびとものがれられぬしを。

 しのすがたを。

 そのめをそむけずにはいられないくらやみを。

 ひとにはたえられないきょうきのいざないを。




 受信が送信を上回る。
 自分の脳への負担、どこかが焼き切れそうな感覚。
 それすら他人事のように、一個の機関と化す。
 遠野志貴は死を見続け、送り続ける。
 そして―――






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