〜序章〜 『英霊の座』
ここは、天井が無いかのように暗く高い。 ここは、蛍火(ほたるび)のごとく漂う燐光に照らされている。 ここは、入り口が無く出口も無くて、果てがない。 ここは、その果てがない先へと吸い込まれるように川のような雲が流れている。 そして、この無限に続く回廊には無数のヒトガタの像が並んでいる。 その様は、静粛にして荘厳。 整然としてズラリと並んだその像達は、台座の上において静かに瞑目して佇ん でいる。 今にも動きそうな意志と生命力を内包したそれは真実“人間”だった。 けれどそこから永久に動くことはないのであれば、それはいくら“人間”であ っても像であろう。 そして、その像達の存在感はどこか突き抜けて圧倒的。 正や負の方向性の違いはあってもその存在感は、“神像”と呼ぶにふさわしい もの。 ――――ここは“英霊の座”。 かつて、雄大な竜を倒した勇者がいた。 かつて、到達不可能な魔の海域を乗り越えた冒険者がいた。 かつて、神の声を聞き故国を守るために戦場を駆け抜けた騎士がいた。 かつて、治める大地がある限り征服を続けた覇王がいた。 かつて、悩める子羊たる者達に愛を説いた聖者がいた。 かつて、愛や友のために、怒りや憎悪のために、名誉や誇り、信念のために、 己の欲、性(さが)のために、その命を賭して一生を輝かせた者達がいた――。 人の世界において偉業を成し遂げ、人の世界で奉られた者――通常の輪廻から 外れた人間だった英雄たちがいる世界。 “英霊の座”は、本来観測者が訪れることもなく、また誰にも観測されること なく存在して静かに英霊達の魂を悠久に鎮魂する場所。 けれど台座に据え置かれた英雄達のいるここは、神殿の雰囲気を纏おうとも博 物館めいている。 もし、誰かがここを訪れたのならこう思うだろう――蒐集物(コレクション)、 と。 それは間違いではない。 時間の概念がないここには、人の世界における序章から終幕に至るまでの歴史 の中から生まれる英雄たちが最初から最期まで収蔵されているのだから。 その中の赤い外套を身にまとった鋼を思わせる長身の青年。 その表情には何の色も無い。 他の英霊がいる中でもそれは異質であった。豊かな表情に満ちた他の英霊達に 比べ、何の未練も無く、成すべきことをして生をまっとうしたそれは、悲しみも 苦しみも無く、ただ透明な硝子のようだった。 その体が光に包まれる。 よく見れば、回廊の至る所で他の英霊の像も光り輝いている。 何も変化することのない不変の完成されたこの世界において起こるこの現象は、 英霊が守護者として機能しているためである。 それも一瞬。 光り輝く英霊の像はすぐに平穏を取り戻す。人の世界においてどれほどの時間 が過ぎようと、ここは時間の流れに縛られない世界であり、すべて一瞬の出来事。 私達という観測者がいなければ、そうした変化さえしない世界。 ――守護者。 霊長の存続を図る統合意思により、その霊長の存続を危うくする因子が人の世 界に現れたときのみ行使される抑止力、それが英霊による守護者。 ……そう、この時のためだけに私達は“ここ”にいる。 この悠久の時の狭間にいる、私達。 誕生を待ち続けるは、歓喜のこもった切望のため。 命を燃やすは、果てのない夢のため。 死を迎えるは、悲しき結末のため。 目覚めは遥か遠く、ここに至り。 ――――こうして私達は、束の間の夢を見る――――。 …………果たして目を覚ますのは何度目のことだろうか。 『夢を見る時が、目を醒ます』という、この馬鹿げた悪夢はそれこそ悪夢のよ うに続く。 こちらがもう終わりにしてくれ、と叫んだところで変わらない。 こうなって思う、死をもって終わりが告げられるのは、ある意味安息なのだと。 もはやそれに対する苦痛はもう感じない。すっかり麻痺してしまった。要する にそれに抗おうとせずに全てを受け入れてしまえば苦しくはない。 こうしてこの身が召還されるということは、私に用ができたということ。 今の私には、それをただ淡々とこなすだけの機械にすぎない。 あぁ、何度も体験したからわかる。 世界に散華した私が、再び“個”になる。もうすぐ……私が目を覚ます。 ――――ごうっ、と風鳴りの音を聞く。 それがきっかけだった。 風の蛇がまとわりつくような感触で己の形を思い出す。 これが思いのままに動く己の四肢なのだと自覚すると、肉体に縛られた重みを 感じる。 温かな血が全身を通い始めて、その鼓動を聴く。 その鼓動が、冷たい外気との差を感じて生きているのだとわかる。 五感に色がつき始める。 正直、急に与えられた刺激は目眩がしそうになるぐらいに強烈。 それが世界の“集合”だった私に、“個”である私に至るための最後の一押し となった。 大きく息を吸いこみ、己の内に満たすとそれを吐き出す。 「……ハー」 口から漏れる吐息は、産声。 それは再び私にこの世界に受肉したことを告げるものであると同時に、目の前 に広がる地獄への対峙の始まりを告げるものだった。 ――――落ちている。 かっと目を見開き、自分が比喩無しに落ちていることを確認する。 それもかなりの上空だ。まず人であればパラシュートがなくては、結末は語ら ずともわかるような高さだ。 どうでもいいが、召還するのであれば最低限ちゃんと地面に立てるようにして もらいたいものだと思う。 何かこれと同じようなことを体験した気がするのはどういうことか。 記憶に無いので、自分と言う他人が書いた記録をたどる。 ……どうやら私はまっとうな召還がされなかった時があるらしい。その時にず いぶんと理不尽な扱いを受けたことがあるようだ。 相当頭にきていた、と言うより……ショックだったんだろう、私は。 誇りとか、威厳とか、存在意義とかいろいろなことを真剣に振り返るほどに。 …………それにしても、罵詈雑言とともに部屋の掃除をしていたとは我ながら 情けない。 でも、やはり記録は……記録でしかない。 何のことやら実感が湧かない。 己が体感したものでなければ、それはいくら自分である者が体感したことでも 今の私にとっては他人事でしかない。 いくらそれが、なぜだか温かいと感じたとしても、なぜだか懐かしく感じてし まうのも――それはきっと気のせいなんだろう。 ……余分なことを考えすぎた。今はそんなことを考えている場合じゃなかった。 実際には瞬くほどの時間の感慨でしかなかったけれど、意識を切り替えて眼下 を眺める。 ――――朱い満月の夜の下。眼下は昼のように明るく、祭りが行われている。 揺らめく炎を背に、踊り狂う多くの影絵。 祭囃子は、助けを請う絶叫に悲鳴。 でも結局は、その影絵は踊りに疲れ、地面に沈む。 魔王に捧げるのであれば、最高の供儀であろうその禍々しき祭りに終わりはな い。 酷い。やはり酷い。 ぎりっ、と自然に奥歯をかみ締める。 ここは地獄だった。 上空という景観からか、その様がよくわかる。視力が良いのが幸いして見たく も無いものまでまざまざと見せつけられる。 一つの町が焼け落ちようとしている。 燃え尽き倒壊した家屋は数え切れず、累々と横たわる“ヒト”に似た“ナニ” か。 この辺り一帯は、すでに血と死に満ちた灼熱の地獄と化している。 ここはもはや人の世界ではなく、異界となっていた。 この地に流された血と、死によってもたらされた怨嗟が、“場”となり水蒸気 のように体感できるほどの“大源”(マナ)に満ちて、擬似的な魔界となってい る。 ――――キケン、キケン、キケン、キケン、キケン、キケン!!! その世界の住人であるアレを見た瞬間から、体は恐怖によって寒気を、心は猛 りによって灼熱する。 地面のいたるところからドロリとした黒い泥のようなものが湧き出し、ヒトの 形となったアレは、プルプルと揺れ――それは口も無いのにケタケタ哂っている ようだった。 それは、あっという間の出来事。 火中に逃げ惑う人達を見つけては、アレは津波のごとく襲い掛かる。 それが津波なら、その速度も津波だ。とうてい人間に避けられるものではない。 だから、アレに狙われた人間のたどる末路は、例外なくアレに呑まれるという こと。 人間を取り込んだアレは繭のようになり、血を吸った蚊の腹ように大きく赤く 染まる。 それも束の間のことで、激しい脈動が収まるとアレは嚥下するかのごとく一度 大きく蠕動する。 次の瞬間には、アレは元の黒々としたモノに変わる。 やがてアレは、ゆっくりと二つに裂けて……“二人分の”ヒトガタの泥になる。 ケタケタと哂うざわめきと、悲鳴が大きくなったのは言うまでも無い。 「……馬鹿者が、呼んではならぬモノを呼んだな」 自然と口から漏れた。 もはや手遅れ。 完全ではないものの、アレは実体を持った第六架空要素――“悪魔”のなりそ こないに違いなかった。 “天使”や“悪魔”は、“善”と“悪”の両極に立ち人を超越した存在。 彼らは“善”と“悪”の両極に立つが故に、人を律して導き、堕落させて罰す る側の存在であり、それは本来人の目に触れず現象として力を振るうだけである。 そうした存在が、人の世界において実体化するとなると、彼らはその役割を体 現する存在となる。 彼らはあらゆる意味で純粋。その役割に従い――そう、この呼んではならぬモ ノは人に驕り高ぶらせないようにするという側面の意味をもって、ただ破壊と災 いをもたらす。 そのようなモノなど天災と同じ。もとより人を超越したアレは、人の手に余る。 それを役割にしているアレならば、たやすく人の世界を呑み尽くそう。 守護者が呼ばれるのは、こうした人の業によって人の世界に脅威となったモノ が現れ、すでに誰も救うべき者もなく、この惨状を救える者もいなくなった死地 だ。 そして、速やかに霊長の存続にとっての脅威となるものを力ずくで排除するの が何回も繰り返されてきた守護者である私の役目。 ――――それを自覚したためか、……頭に自分の知らないことが流れ込んでく る。 世界と繋がっている私は、このようになった背景を無理矢理汲み取らされてい るのだ。 「……ここも、そう……なのか」 更に奥歯を噛み締めてしまう。 ……このような地獄も、よくある話。 ――――抑圧され、奪われ続けた人間達が、我が身を守るために抵抗しただけ だったんだから。 そうした者達が本気で抵抗を始めたら、双方はただ相手を打倒せんとする血み どろの抗争になる。 ……そうした不幸な例なら世界の至る所にあったし、実際にそれを見てきて、 その当事者になったこともある。 ただ、その抵抗の手段に刃物や銃、爆弾なんてものを使わず、魔術――そんな ものにすがるほど追い詰められてしまっていたのか、それを用いてしまったこと がこの惨劇の始まりだったのだろう。 幸か、不幸か。 ここには積年の怨念が積もり“場”としてふさわしく、召還に臨んだ者がそれ だけの素養を持ち、その召喚に応えたモノが呼んではならぬモノだっただけのこ と。 本来誰しもが与えられた生きることの正当な権利が、呼んではならぬモノによ って侵略者を殺す形で達成されたが、その等価交換として我が身を滅ぼす義務に なってしまったようだ。 『助けたい、……、…………』 風の音に混じって、この耳に飛び込んだのは何かの空耳か。 『助けたい、みんなを、…………!』 いや、聞き間違いではない。 あまりに真っ直ぐな声。切実で、純真な響きをもった声。 自然と視線はそちらに向けられる。 「っく!」 視覚が痛みを覚えるほどの歪みを発見する。 間違いなく……アレの本体。 黒いローブを纏ったアレは、間違いなくこの元凶に他ならない。 今もそのローブの下からは、あのヒトガタの泥を吐き出し続けている。 その傍らには少年が、一人。 アレはゆっくりとではあるが、その少年に近づきその触手めいたものを伸ばそ うとしている。 一目で命の危機に晒されていることがわかる。 『助けたい、みんなを、僕は“正義の味方”なんだから!』 驚いた。 これほどの地獄に晒されてもなお己を失わず、今まさに命尽きようとするとき に己よりも他を救おうとする願いは、強い意志だった。 かつては、私はそれと同じ願い――意志を胸にしていたこともあった。 ――――不意に、無骨な剣戟の音を聞いた気がした。 それがきっかけになったのか、かつての誓いを思い出す。 いつ、それを誓ったのかよく思いだせない。 誰に、それを誓ったのかもよく思いだせない。 どうして、それを誓ったのかもよく思いだせない。 ……でも、その誓いだけはこうして胸に――心に残っている。 ――――誰もが傷つかないで、苦しまない世界にすること。 その少年の願いと意志は、この地獄の前ではあまりに小さく儚い。 ……けれど、それは何と尊くて美しい願いであることか。 その奇跡に、私は召還された。 ――――ならば、オレがするべきことはひとつ! 「――I am the of my sword. (体は剣でできている)」 瞑想し、もはや自身と一体と化した呪文を紡ぐ。 「――Steel is my body, and fire is my blood. (血潮は鉄で、心は硝子)」 英霊となったこの身は、すでに雷などといった自然現象と同じ。 「――I have created over a thousand blades. (幾たびの戦場を越えて不敗)」 雷が、雷となって天と地の間を駆け抜けると同じように、錬鉄の英霊エミヤが 行うことは、己の心である剣を生み出すこと。 「――Unknown to Death, Nor known life. (ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない)」 オレにはこの地獄を無かったことに、ここのみんなが平和に暮らしていた頃の ように元通りにすることなんてできない。 「――Have withstood pain to create many weapons. (彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う)」 これから助けようとするもの、そして既に命を無くしたものために、これから 殺めようとするものから決して目をそらさない。 「――Yet, those hands will never hold anything. (故に、生涯に意味はなく)」 ……そう、オレにできることは、この地に満ちる悲しみ、無念を背負うことぐ らいしかできないんだから。 「――So as I pray, “unlimited blade works”. (その体は、きっと剣でできていた)」 ――――血のような朱い禍々しい満月の夜、僕は“正義の味方”に出会った――――。 『――その心意気は認めるが、今はどいていろ』 そんな響きが聞こえて、空を、中天を見上げる。 今夜は、満月。 星空に魔王みたいに君臨している血のような朱色の魔の月。 月は、“異界の門”と教えられたことがあるのを思い出す。 ……それは本当のことだったんだ。 ――――だって、だって……本当にありえないものが見えてしまっている。 町を覆う火事から立ち上る熱気と煙で、星は揺らいで霞んでいるはずだった。 でも、見上げた星空の光は瞬くこともなく地表に真っ直ぐ降り注いでくる。 錯覚ではなく、本当に隕石かと思った。 そしてその星の光は、真実閃光となってヒトガタの泥だけを容赦なく串刺しに していく。 その凄まじさは、周囲一帯を砂煙に包んで、燃え盛っていた炎までいっしょに 吹き飛ばしかねない。 その轟音と爆風に耐えながら、周囲を見る。 天から降り注ぐ星の数ほどの閃光はまるで豪雨。 それが町全体を覆うように降り注いでいる。 串刺しにされたヒトガタの泥達は声にならない苦悶の断末魔をあげて、実体を 無くすように呆気なく消えていく。 その閃光の正体は――剣。 謂れはわからない。けれど、地面に突き立つ無数の剣、その全てが聖剣魔剣の 類いのものなのだと、剣自身が訴えている。 やがてその降り注ぐ剣の豪雨が収まる。 視界を遮る砂埃も、ごうっと吹いた風に振り払われる。 ヒトガタの泥が一掃されたたことで、辺りに満ちていた怖気も軽くなっていた。 でもアイツだけは、あの剣の豪雨に晒されその身を剣に貫かれていながらも生 き残っていた。 そのアイツの姿を、赤いモノが遮る。 それが、先程見た月からありえないもの――人が、それこそ音もなく天使のよ うに降り立って僕とアイツとの間に立つ。 信じられないけれど、現実に起きているなら認めないといけない。 ――――無数の剣が降り注いでヒトガタの泥を消滅させ、月からその救い手が 降りてきたことが“奇跡”だとするなら、次に起きたことは“魔法”だと思った。 その人の足元から、炎が円冠状に広がる。 僕を含めてその広がる爆風のような炎から逃れることはできず、一瞬にしてそ れは僕を包み込んでしまう。 熱くはなかったと思う。けれど思わず目を瞑ってしまっていた。 逆にその炎が通り過ぎた時から、あれだけ熱かった炎の熱気を感じずに、砂気 を含んだ強い風を頬に感じて恐る恐る目を開ける。 ――――世界が、ナニかで塗り替えられていた。 空には、ギギギ、と不気味な音を立てながら回る歯車。 縦横に走るひび割れた地面から、溶岩のごとく噴出する熱くない幻の炎。 乾いた砂を巻き上げる強い風。 命の息吹が何も感じられない、ここは荒涼とした剣の墓標が並ぶ荒野。 アイツもこの世界に戸惑っているのか、それとも目の前に立つ男を恐れている のか、じりじりと後退する。 ……そう、この世界において悠然と立っていられるのは月から降り立ったあの 人だけ。 燃えるような赤い外套を着た長身の男。 あの人は後ろを振り返り、一度、僕を一瞥する。 後は任せろ、とその横顔は語っていた。 浅黒い肌をしたこの人は白髪だったけれど、僕から見ればお兄さんといった感 じの青年。 ――――振るえが、この全身を砕きかねない強い憧れが、止まらない。 僕はその背中を見たときから、もう目を離すことができなくなっていた。 立ち上がって歩くことができない今の自分が恨めしい。 そうすることができたなら、歩き出したあの人の後についていけるのに。 いつの間にかあの人の両手には、無骨な黒と白の短剣が握られている。 間合いに入ったのか、あの人はアイツを見据えて対峙する。 それだけで世界は一変する。 あの人から放たれるモノは、まさに剣の持つただ在るだけで他を圧倒する研ぎ 澄まされた刃の輝きそのもの。 ―――そして、この世界にある全ての剣が、我を持て、敵を討て、と唱和する。 その圧力に耐えかねたのだろう、アイツはブルブルと震え出す。 その震えが狂ったかのように激しくなりそれが最高潮に達した時、アイツは一 瞬の平静を取り戻し――抑圧された子供がする反発にも似て、無数のヒトの一部 でできたその触手を全身から迸らせる。 それはまるで、おとぎ話の妖木。 世界を覆いつくさんばかりに伸ばされた枝は、その全てがあの人に向けられて 濁流のように伸びてくる。 ――――その瞬間、あの人は閃光となった。 「ぉおおおおおおお!!!」 見ていた僕の体までアツくなるような咆哮をあげて、あの人はアイツに向かっ ていく。 ……きっと、あの人は負けない。 アイツは“人間”では勝てないけれど、あの人なら勝てる。 だって、あの人も“人間”を超越したモノだとわかる。 あの人は“理想”。 “願い”を体現する“理想”。 でなければ、こんな夢みたいな奇跡、起せるわけがない。 目の前には、人が割って入ることのできない次元の戦いが、神代の戦争が繰り 広げられている。 全方位、致死的、無尽蔵、すべての法則を無視して熾烈さを増していくアイツ の攻撃に、あの人はもはや僕の目に追える速度を越えて加速していく。 何度も見失う。 それでも、あの人の後ろ姿だけを、ただ必死に目で追いかける。 目をそらすことなんて、できない。 幾度もなく折れる、剣。 貪られる、足。 砕かれる、腕。 焼かれる、肌。 抉られ、穿たれる、体。 怨嗟の慟哭に凍てつく、心。 ――――そんなにもなっても、あの人は前進を止めない。 あの人は、その歩みが止まりそうになるたびに咆哮をあげる。 負けぬ、と魂で戦っているのだと思う。 きっと、あの人にとってはアイツは倒すべき敵ではなく、あの人が戦っている のは己自身。 その姿は遥か遠くを目指して走り続けているよう見えて高潔だった。 ……その姿は、いつしか滲んできた。 滲むのは当然。 僕は、思わず涙していたんだから。 …………涙してしまう、この感情はなんだろうか。 ――――憧憬、嫉妬、歓喜、恐怖、快感、絶望、痛み、同情、無力感、悲しみ、 怒り、歯がゆさ、寂寥……。 ぐるぐる回ってもう自分でもよくわからないけれど、僕は切なくなるぐらいに 感動しているんだと思う。 悔しくなるぐらいに、あの人は僕の目指すもの。 その姿は、とても頼もしい。 ……でも、同時に寂しそうに見えるのは……なぜなんだろう。 涙で滲んだ視界のすみに、透明に光るもの――剣戟の火花か、それともあの人 の涙か、それが見えてしまっただからだろうか。 ……錯覚だったのかもしれない。 あの人が涙するような理由は僕にはわからない。 あの人の背中が寂しそうに見える理由もわからなかったけれど――あの人は、 僕ができなかったことを奇跡として起した“憧れ”そのもの。 ――――そう、僕には、あの人が“正義の味方”に見えたんだ――――。 次頁へ
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