衛宮家の中だけに留まらず、春も深く桜舞い散るある日の気だるい昼下がり。
その日。受話器を耳に当てた瞬間に、最近やけに無言電話が多い理由をライダーは悟った。
まじまじと考える。目の前の人物に自殺願望が有るのかどうか。
「……やあ、久しぶりだね。ライダー」
高いだけでひ弱な体躯。涼し気に見えて卑屈な眼。器用にも増長と劣等感とを混合させた、その口調。
頭の先から爪の先まで、一から十まで気に障る。
「お久しぶりです、シンジ。覚悟は良いですか」
ダガーを構える。いっそ、自分を呼び出した場所が間桐邸だというのは好都合では有った。
これだけ大きい屋敷なら、きっと悲鳴は漏れないだろう。
「ちょ、ちょっと待」
取り敢えず。死なない程度に、自慢のすかし面を一発殴りつけてみた。
『慎ましやかに桜呼ぶ』
作:うづきじん
逆上してサクラに襲い掛かった挙句返り討ちに遭ったこの元・マスターが、奇跡的に命を取り留めたと聞いてはいた。
この身に受けた屈辱を思い出すに、止めを刺したい気は山々だったのだけど。
『あんなのでも、仮にも一応は桜の兄なんだし』
むしろ私より嫌そうな顔で言うリンに窘められ、抑制はしたのだけれど。
「わざわざ自分から私を呼び出したんです。これくらいの覚悟は有ったのでしょう」
この男にも、自分からサクラ達に顔を合わせたくないと思う程度には羞恥心と言うものが有ったのだろう。……何時ぞやの様に、直接衛宮家に足を踏み入れようものならこの程度では済まさなかったけれど。
滅多打ちにしたシンジは、床でのたうちながらも案外元気そうにこちらに視線を向けてくる。
「頼みがあるんだ」
「どの口でふざけた事を言っているんですか」
もう一発。
「……桜に、謝りたいんだ」
めげずに続けてくる。
……彼の体ももしかして蟲で出来てたりとかするのだろうか。
「今更何を―――」
「だから、ライダー」
侮蔑の言葉に被せる様に。
「こんな事、頼めた義理じゃないのは分かってる。でも、お願いだ」
血と傷の滲む哀れな顔に、潤む瞳を光らせて。
雨の中。紙箱の内にうずくまる、子犬の様な、その姿で。
協力してくれ、と。
見上げ、呟くその姿に。
……僅かながらも。
主の想い人の面影を見てしまった時点で、私の負けだった。
器だけは綺麗な、色の悪い紅茶を口に運ぶ。
……不味い。私の口が日々の生活で肥えているせいもあるのだろうけど。
「で、何が知りたいのですか」
身動ぎを一つ。不慣れな態で揉まれた肩は、むしろその前よりも凝っている様な気さえする。
……何時ぞやの様な邪念は無いにせよ、やはり人には向き不向きが有るとは思う。
やり慣れないことがそのまま他者への感謝と言うところが、つくづくシンジという人間の救われない所と言うか。
―――気を取り直し。
ソファーに座る私の前、跪く青年を見下ろして呟く。
「ああ。取り敢えず、少しでもあいつと打ち解けたいんだ」
真摯な瞳で見上げてくる。
「だから、聞かせてくれ。―――普段あいつ、衛宮の家で何をやってる?」
何を、ですか。
考える。朝昼晩と、間断無く霊的な脈が連なる彼女。
士郎の家で、何を一番にやっているかと言うと。
「……………………えっと」
駄目だ。
流石にこれを正直に答えるのは、幾らなんでも気が咎める。
「―――料理、ですね」
眼を逸らし。
遠く離れた次点を答える。
「そうか―――料理か!」
おお。シンジが燃えている。
「わかった、やってみる!僕の最高の料理を桜に食べさせてやる!」
そうすれば桜も、少しは僕を見直して―――などとぶつぶつと呟くシンジ。
……桜の舌は、私よりも遥かに肥えている。
まして、料理の出来など瑣末な問題とする位に大きな『調味料』を彼は果て無く持っている。
正直、相手が悪いにも程が有るとは思うけど。
「―――まあ、頑張って下さい」
我ながら無愛想に。吐き捨てた言葉はしかし、
「サクラだって、貴方の事は気に掛けているんですから。更正出来るのならば、それに越した事は無い」
自分でも驚く程本心からの、励ましの言葉だった。
一瞬。呆けた様に、私を見て。
「ああ。―――有難う、すまなかった、ライダー」
答える姿は、確かに。
―――不出来極まりないながらも、人の兄の姿だった。
「―――ライダー。相談があるの」
或る日の夜。士郎が家を空けた、その時に。
視線を逸らし、眉を潜め。向けられた言葉は、私の主のものだった。
「何でしょうか、サクラ」
その姿に、事態の深刻さを悟る。ここ暫くは幸いにも、目にしなかった表情。
……どうやら。相当な厄介事が起きたらしい。
この、好ましい主の平穏と幸福の為に。
―――そして。私自身の、少なくとも悪くは無い、この毎日を守る為にも。
「私に出来る事なら、何なりと」
信頼に、応えて見せましょう。
こくり、とサクラは頷いて。
「……昨日、ね……」
食卓の上。散乱と言って良い程に、賑やかしい食材の群れ。
綺麗に筋取りされた野菜や、神経質なまでに均等に刻まれた根菜。見るからに上等そうな、霜の入った肉の塊。
その傍らで、鍋を火に掛け油を注ぐ漢が一人。
「―――待っていろよ、桜」
凛や士郎に見られぬ様、投函した手紙に記した約束。その時間まで、あと少し。
不敵に微笑み。傷だらけの手で菜箸を握り締め、軽やかに躍らせる。
「僕が―――兄さんが、旨い料理を御馳走してやるからな……!」
一際強く、輝く瞳で言い放ち。
間桐慎二は、彼女の笑顔を強く脳裏に思い描いた。
毒味役兼代理人として、彼女の忠実なサーヴァントが疲弊した様相で屋敷を訪れるのは、また別の話。
終
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