雨と泥

作:秋月 修二

            



 雨脚が強い、昼というのに薄暗い日和だった。屋敷を出ると、泥が跳ねることも構わず、
志貴は足早に木々の中を駆けて行く。時間を惜しんでいるという訳ではない。ただ、傘を
差していないので、反射的にそうしてしまうのだろう。
 目指しているのは、反転し、堕ちた秋葉のいる離れだ。
 入り口に着くや否や、志貴は後ろ手に戸を閉め切ってしまう。靴を脱ぎ、床を踏んだ時
点で、彼はようやく自分の身なりが汚れていることに気付いた。ふと目を細め、苦く笑う。
ハンカチも何も持っていないため、水を拭うことも出来ない。
 結局、そのまま中へと上がる。いつもの廊下を通り、いつもの部屋へ。障子を開け放つ
と、彼の予想とは違って、秋葉は眠っていた。何となく拍子抜けした気持ちになるも、す
ぐさまその目が釘付けにされる。
 寝乱れた秋葉の両脚が、左右に割れた着物の間からすらりと覗いている。下着を着けて
いないので、淡い陰毛や、その下の秘めやかな部位も露になっている。髪の毛と着物の色
は、等しく美しく赤い。
 彼女の意識は無く、あったとしても最近はろくに身じろぎもしない。そのため、赤い海
の中に白くとろりとした液体が漂っている、といった態であった。
 その光景に兄は唾を飲み込み、息を殺す。そして部屋の中に入り、妹の間近に腰を下ろ
した。起こすわけにはいかない、といった大義名分を内に掲げてはいるものの、本能は早
遠くなった肉欲を思い起こしている。
 女の中に秘められた魔に魅入られたか、志貴の手は宙をうろうろと彷徨う。触れるか触
れないかの位置を、微かに震えながら。
「秋葉。――」
 声を出そうとしないでのはない、出せずにいるのだ。けれど、唇はしかとそう動いた。
呟きに、反応は無い。音になっていないことに加え、相手は寝ている。当たり前の結果で
あった。
 寝ているのならば、と思わないでもない。久方振りに愛しい女を貪りたい、と願うこと
も、男としては逸脱していない。しかし、正気の無い女に、妹に対してその仕打ちをして
も良いものか。
 無論、良くはない。ないからこそ――余計その気にさせられる。
 目で犯しているだけで、下半身は熱く滾るような勢いを得ていく。逡巡は次第次第に薄
れていく。せめて触れるくらいは大丈夫だろうか、いや、だが。――
「ん?」
 焦燥感に駆られた目が、ふとあるものを見咎める。ジーンズに、糸のようなものが数本
まとわりついている。髪の毛だ。赤く、長いものとなれば、今ここで寝ている人間のもの
に決まっている。常ならば志貴はその色艶に心奪われて、陶酔の度合いを強めていただろ
う。しかし、床に転がるそれは、彼の衣服に触れて汚れてしまっていた。
 目の醒めるような赤は、泥にまみれて光を失っている。
「……しまったな」
 綺麗だったものが、堕す瞬間を見た。その原因となった。穢してしまった、という感が
胸中で渦巻く。指先で髪の毛をつまみ、縁側から外に投げ捨てた。
 穢してしまった。或いは、穢れてしまった。
 何故だろう、彼は瞼にうっすらと込み上げるものを自覚した。その拍子に、性欲はどこ
ぞへと消え去ってしまっていた。


     (了)

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