宴の後で


  作:しにを

 



「こんなものかしらね」

 ふぅと溜息をついて琥珀は傍らの妹の方を向いた。
 皿の水滴を布巾で拭いていた翡翠は、ちょっと手を止めて周りを見る。
 先程まで二人の手を待っていた洗い物は姿を消し、代わって山のような皿や
グラス、鍋が整然と伏せられている。

「さすがに、疲れたね、翡翠ちゃん」

 こくりと翡翠も頷く。
 しかし、思い出したように背後を振り返る。

「あと少し……」
「うーん、それはいいわ。
 オーブンの受け皿とか、スープ鍋とかは、一晩水につけておくから。
 明日洗ったほうが効率いいし、すぐには使わないしね」

 翡翠はちょっと首を傾げて、そして最後の皿を置いた。
 よし、と琥珀はぱんぱんと小さく手を叩く。
 少し子供っぽい仕草。
 手の水滴が飛び散る。

「ご苦労様、翡翠ちゃん」
「ご苦労様、姉さん」

 二人で小さく笑う。
 琥珀はいつものように。
 翡翠も、常ならず柔らかい笑顔で。

「ねえ、翡翠ちゃん。お腹すいていない?」
「……少し」
「そうよね。夕食はそんなに食べなかったし、後片付けは結構大変だったし」

 そう言いつつ、琥珀は戸棚を開けた。
 大きなお皿を重そうに取り出す。

「お夜食」
「え?」

 テーブルにその皿を置くと、琥珀は覆っていたラップを取った。
 中から、一口サイズに切られたサンドウイッチ、生ハム、見事な焼き色を見
せている肉片、そして小さな色とりどりのケーキなどが現れる。

「これは?」
「半分は残り物だけどね、後で食べようかなと思って取り分けておいたの。
 どうせパーティの最中はそんなに口にしないでしょう。
 もちろん、翡翠ちゃんもつきあってくれるわよね?」

 一応疑問形にしながらも、テーブルに小皿を二つと、フォークなどをてきぱ
きと並べてしまう。
 そして、しゅんしゅんと音を立てるヤカンを手に取る。
 何に使うのだろうと、翡翠はさっきちらりと思っていたものだが、最初から
その為に用意していたのだろう、ティーポットに手際よくお湯が注がれる。

 ここまでされて、おやすみなさいも言えないだろうと翡翠は思う。
 もっとも最初から、姉の誘いを断るつもりはない。
 さあ、と引かれた椅子に翡翠は腰掛けた。

 湯気の立つ陶器のカップが置かれる。

「メリークリスマス、翡翠ちゃん。乾杯」
「乾杯」

 小さくカツンと音がする。
 いろいろと疑問が頭に浮かんだが、翡翠は口に出す事無く、良い香りのする
赤燈色を啜った。
 口の中に芳香が広がり、そして消えていく快感。
 なんで、自分が淹れたお茶とはこうも違うのだろうと不思議に思える。
 お茶の葉っぱを入れて、お湯を注いで、蒸らしてカップに注ぐ。
 何度見ても手順はまったく同じなのにと時折浮かぶ疑問。

 薄焼き卵とスライスしたトマトのサンドウイッチと、何層にもなった見た目
が綺麗なケーキを小皿に取った。
 これも、美味しい。
 姉さんは凄いな、と思いながら翡翠は口をもごもごと小さく動かす。

 そんな様子をにこにこと琥珀は眺め、自分でも七面鳥を突付いたり、キュウ
リのサンドウイッチを口にしたりしていた。

 それなりに和やかな雰囲気。
 ――もうイブじゃなくてクリスマスね
 ――クリスマスが終わると一気に年末って気分にならない?
 ――秋葉さまももう少し……
 ほとんど話すのは姉のほうであったが、翡翠も常よりは口数が多く返答する
ようになっていた。
 他愛の無い話題。
 少なくとも翡翠にとっては小さな世界の中の話題。
 それでも、琥珀は楽しそうで、翡翠も笑みを浮かべていた。

「あ、美味しそうなもの食べている」

 そんな折の闖入者に、二人ともビクリとして顔を向けた。

「志貴さん」
「志貴さま」

 志貴が戸口に立っていた。
 二人のびっくり顔に、志貴も戸惑った顔をする。

「驚かせちゃったかな?」
「いえ、でも……」
「どうなされたのですか」

 うん、と頷きながら、志貴も座った。
 ほとんど反射的な動きで、翡翠はその前にティーカップを置き、琥珀もそこ
にポットから紅茶を注いだ。
 見事な連携の動き。

「あ、ありがとう」
 
 志貴はカップを手にして一啜りし、満足そうな顔になる。

「うん、美味しい。
 ええとね、目が覚めたんだよ。知っているだろうけど、かなり寝苦しい状態
だったから。……もしかして誰かに蹴られたか何かしたのかな?」

 ああ、と双子は頷く。
 パーティが終わった後、というかなし崩しにおしまいになった時、残ったの
は、志貴に重なり絡むような形で酔い倒れている秋葉、アルクェイド、シエル
という構図であった。
 競うように酒を呑み、志貴にも呑ませた結果。
 早々に志貴はダウンしたが、その体を弄ぶように引っ張りあいしながら残っ
た三人の酒宴は続いて……といった辺りまでは琥珀と翡翠も把握していた。
 それからしばらく経ち、静かになったと見て、片付けに掛かったのである。
 既にイブの夜は終わり、クリスマス当日となっていた。

「あまり何故か考えたくないけど、ほとんど半裸に近い状態にされていたし、
少し寒かったのかもしれない」
「すみません、毛布でもお掛けすればよかったです」
「暖房は入っていたし、翡翠が気にしなくてもいいさ。
 それで、台所に明かりが点いていたから、琥珀さんか翡翠でもいるのかなと
思ってね」
 
 志貴はそう言うと、大皿を物欲しげに見た。

「さっきあまり食べていないから、少しお腹減っているんだけど。
 少しお相伴に預かってもいいかな?」
「もちろんです」
「なんでしたら、冷蔵庫にはもっとありますから、何でも言ってください」
「そんなには、いいよ。じゃ、遠慮なくいただきます」

 志貴はローストビーフのサンドウイッチを取り、口に入れる。
 もぐもぐと咀嚼して飲み込むと、今度はハムとチーズを手にする。

「琥珀さんの作るものって、本当に美味しい」
「ありがとうございます」

 子供のような素直な感想に、琥珀もまた自然な喜色を浮かべる。
 つられるように、翡翠と琥珀も食事を再開し、また会話が始まった。

「それにしても……」

 蟹肉のサラダを突付きながら志貴が呟く。

「あれだけ壮絶な状態だったのに、夜のうちに全部綺麗にするんだね、琥珀さ
んと翡翠は」

 しみじみとした声。
 そして、志貴は二人の顔を交互に眺める。

「俺なんか、騒ぐだけ騒いで眠っていたのに……」
「それがわたし達のお仕事ですから」
「そうです。パーティの最中は充分に楽しく過ごしましたから」
「うん……」
「それに、秋葉さま達がお目覚めの時に、まだ昨夜のままなどというのは、メ
イドとして、恥です」
「姉さんの言う通りです、志貴さま」

 どこか、誇らしげにも見える琥珀、そして翡翠の顔。

「そうか。立派な仕事ぶりだよ、二人とも。
 そうだなあ、感心したから、二人にご褒美というか、クリスマスらしいプレ
ゼントをしようかな、うん、そうしよう」

 何やら考えながら、志貴は自問自答めいた言葉を口にした。

「プレゼント?」
「でも……」
「ああ、わかっているよ。禁止になっているのはね」

 これは志貴自身が言い出して、皆の同意を得た事だった。
 どこをどう工面しても、自分にプレゼントを差し出す面々全てにお返しをす
るのは、不可能。かと言って誰か一人だけにというのも出来ない。
 そう言ってプレゼント交換の禁止を志貴が宣言すると、秋葉達はやや不満げ
に頷き、ならば一方的にプレゼントするのでと心に誓った。
 しかし、志貴に何を贈るかで牽制し合いエスカレートする様子に、ついに志
貴は物品のプレゼント全面禁止を言い渡した。
 その代わり遠野家でクリスマスパーティを開いて、アルクェイドとシエルも
招待する。秋葉も含めて、自分がホストとして歓待するから楽しく過ごそうよ
という提案に、しぶしぶと三人は同意したのだった。

 その自分の言葉ゆえに、膝枕だの腕枕だの添い寝だの皆の望むままに志貴は
振り回され、絡まるように今まで眠るに到っていた。

「でも、何かモノをあげたりとかでなければ、いいんじゃないかな。
 二人に見せてあげたいものがあるんだ。
 そうだな、10分程したら、そこから外へ出てくれるかな?」
「はい」

 怪訝そうな顔をしながらも、翡翠と琥珀は返事をする。
 待っててねと言いながら、志貴は台所を飛び出し階段を駆け上がる。

「なんだろうね、翡翠ちゃん?」
「さあ。でも、志貴さまのプレゼント……」
「嬉しいよね」
「うん」

 弾んだ顔で琥珀と翡翠は言葉を交わし、きっかり時計の秒針が10回転する
まで留まり、待ちかねたように外へと出た。

「琥珀さん、翡翠?」
「はい、志貴さん、いますよ」
「志貴さま」

 頭上よりの声に頭を上げて二人は答える。
 風は無いが、温かい部屋から出た身には夜の空気が冷たい。
 どちらともなく寄り添い、志貴を待つ二人。

 部屋の中の飾り付けされたクリスマスツリーとは別に、庭には昨日の朝まで
はなかった樅の巨木がそびえ立っていた。

「また戻すから、飾らせてね」

 どうやったものかは二人には見当もつかないが、そんな事を言って珍しくも
アルクェイドとシエルが二人で嬉々として設置したもの。
 飾りこそ無いが、下からライトアップされた様は、夜の闇の中で深々とした
威容を誇り、見事な姿を見せていた。

 まるで最初からそこに根付いていたような樅の木。 
 その伸びた枝に映える明りにちらと散る影……。

「あら……」
「……雪?」

 突然、きらきらと光る粒が暗闇から降って来た。
 小さく、ゆっくりと落ちる何か。
 一つ、二つ。
 いや、その数は次第に増えていく。

 翡翠と琥珀はその羽毛のようにまう煌きに手を伸ばした。
 手で受けるとそれは僅かに冷やりとして、そして淡く消えていく。

「雪よね、翡翠ちゃん?」
「でも、雲ひとつ無かったのに……」

 夜空を見れば、澄んだ冷気にまたたく星の光が見える。
 さすがにこの辺りでは無数の光を湛えた夜空とはいかないが、それでも冬の
星が瞬いている。

 しかし、確かに下からの明かりを受けてしんしんと降る雪。
 最初は風花程度だったものが、今は後から後から数を増していく。
 
 翡翠と琥珀の立つ辺り。
 大きな樅ノ木の枝。
 そこに、白い飛沫がひらひらと舞い散っていた。

「綺麗……」
「綺麗……」

 期せずして、同じ言葉が双子の姉妹の口から洩れる。
 心奪われる眺めに、同じ表情が浮かぶ。

 数分だったろうか。
 振った時と同じく、その雪は唐突に数を減らした。
 それでもまだ空を舞っているのか、僅かに遅れて降るものがある。

「どうだった?」

 突然の声。

「志貴さま……」
「志貴さん?」

 はっとして双子は樅の木から、館に目を移した。
 今の今まで忘却していた声の主の姿を探す。
 しかし下から見上げても志貴の姿を見つけられない。

「屋根裏だよ」

 数歩庭へと歩いて、改めて琥珀と翡翠が振り返ると、開け放した最上階の部
屋の窓から志貴が手を振っていた。

「志貴さんが降らせたのですか?」
「でも、どうやって?」
「うん。種明かししちゃうと興醒めかもしれないけど……。
 屋根裏に冷蔵庫を運んで氷を大量に作っておいたんだ。
 それを、幾つも一度に砕いて……、削ってかな?」

 事も無げに志貴は説明する。
 しかし二人には、どうやったらそんな真似が出来るのかはわからない。
 志貴一人でその氷を無数の雪片の如くしたのだろうが、どうやって?

「とりあえず、寒いから戻るよ。
 二人も冷えるから、部屋に入って」

 そう言うと志貴は引っ込んだ。
 翡翠と琥珀は窓が閉まるのを見届け、もう一度雪化粧の樅の木を溜息混じりに眺
めて、志貴の言いつけに従った。







「志貴さん」
「志貴さま」

 降りて来た志貴を琥珀と翡翠は並んで迎えた。
 目がきらきらと輝いている。

「ありがとうございます」
「志貴さま、綺麗でした」
「本当は、パーティでの余興にと思って準備していたんだけどね。
 あんなにいきなり泥沼の呑み会になったから、出しそびれちゃって。
 でも、二人にプレゼント……、っていうには辛いな」
「いえ、素敵なプレゼントです」
「はい、志貴さま」
「そ、そう?」
「わたし達二人の為だけにして下さったのでしょう?
 それならば立派な贈り物です」
「わたしも姉さんの言う通りだと思います」

 強く言う二人の言葉に、志貴は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
 まあ、二人が喜んだならなどと照れ隠しに呟く。

 そんな志貴を見つめて、琥珀は翡翠の耳に何事か囁く。
 目を見開く翡翠。
 さらに琥珀は言葉を続け、翡翠は小声で姉に答え、小さく頷く。

 何を?
 志貴は二人のやり取りに当然興味を抱いたが、邪魔しにくい雰囲気に問い質
しはしなかった。
 ただ、悪戯っぽい表情の琥珀と頬を赤くした翡翠を眺めるに留めた。 
 やっと姉妹の間で何らかの意見の合意を得たのだろう、琥珀がにこやかに志
貴に対し口を開いた。

「素敵なプレゼントを頂いたので、二人でお返しをしたいなと思いまして」
「お返し?」
「あ、物じゃないですよ、それはルール違反ですから」
「ふうん。じゃあ何かな?」
「翡翠ちゃん」

 いきなり話を振られたが、段取りが出来ていたのだろう。
 もじもじとしながら翡翠が志貴に近づく。

「志貴さま、お耳を」
「ん? ああ……」

 ここには三人しかいないのにと思いながら、志貴は身を屈めた。
 翡翠が赤い顔を近づける。
 小さな唇が、志貴の耳元で動く。

「……えっ!?」

 志貴が予想通りに仰天した顔になるのを、琥珀はにこにこと眺めている。
 翡翠も、琥珀の言った通りを口にして、火が出そうなほど紅潮している。

「あれ、もしかしてお嫌ですか、志貴さん?」
「嫌じゃないけど、冗談だよね?」
「あ、翡翠ちゃん。せっかく翡翠ちゃんが勇気を出したのに、志貴さんったら」
「……」

 琥珀は非難するような声。
 翡翠もすがるような瞳で志貴を見る。

「わかった。でも翡翠も……、いいの?」
「はい、志貴さまに喜んでいただけるなら」
「まあ、今夜くらい特別な夢でも見たと思ってくださいな」

 琥珀と翡翠がどちらともなく志貴の両脇に寄り添う。

「志貴さま……、参りましょう」
「夜は短いですよ、早く行きましょう」
「……」

 幾分まだ信じられないような、いいのかなと自問するような、そんな顔をし
た志貴をむしろ引っ張るように、双子の姉妹は階段を上った。
 そしてどこか弾んだ足どりで歩む。

 志貴に二人がかりのプレゼントを堪能して貰う為に。 
 志貴の部屋へと……。
 
 
  《了》







―――あとがき

 当初、これは予定に無かったのですが、結局書いてしまいました。
 あまりお話として抑揚も何もありませんが、まあクリスマスですから。

 いや、パーティはいいけど片付け大変だなあ、とかその辺の発想から。
 あとは何と言うか……『シザーハンズ』?

 好きなんですよ、冒頭のもったいぶった機械とか。
 お話もね。
 観た事無い人は機会があったら一度ご覧に……、って主旨が変わっている。

 あ、志貴の部屋で何をするのか?
 さあ?
 徹夜してモノポリーでもするのもいいし……。
 一般向け作品ですので。

 まあそう言う事で、メリークリスマス(『リンダ・キューブ』のシナリオ1
を思い浮かべながら)

  by しにを(2002/12/24)
 


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