バレンタインもの

作:10=8 01(と〜や れいいち)

            




 主が屋敷を出てゆくのを見送り、一日が始まる。
 彼女自身の立場からして、このまま主についていってもよかったのだが、今
日ばかりはそうもいかない。
 踵を返し、屋敷の中へ戻る。

 それほど時間を要さずに彼女は目的地――キッチンへとたどり着いた。
 あの聖杯戦争から、相変わらずと言うべきか、何と言うべきか、朝食や夕食
を馳走になりに行くことが頻繁になったために、一人暮らしでそれほど使い込
まれていない厨房はさらに放置されてあるが、それでも汚いというわけではな
く、しっかりと整理整頓はされている。
 だが、今朝はそうもいかなかったようだ。

 厨房には何やらボールや金属の型入れ、へらなどが散乱してあり、その至る
所から微香。くすぐる匂いが鼻腔を緩やかに刺激する。
 散らばった道具、むせ返ると表現してもよい匂い。
 それだけで、そこは戦場であったと彼女は確信する。
 時代や様相、規模などは違えど、その本質は何かが戦った跡――あの茜色の
荒野に近い感慨を感じさせていた。

「……ふむ」

 とりあえず、一つ頷く。
 やはり考えることは自分と同じであったか、と彼女は納得。
 そのまま流れるような手つきで散らばった道具を揃え、冷蔵庫の中を確認
――あらかじめ主には内緒で購入しておいた材料は無事なようだ。教本も主が
使用していたものが好都合にもそのまま置きっぱなしにしてある。

「よしっ」

 そして。
 金の髪を持つ彼女は、再びその戦いの跡地を、戦地と化す。



 衛宮士郎は落ち着かない気持ちで登校していた。
 少し来るのが早すぎただろうか、十分すぎる程の余裕をもって登校してみた
もののどうにも落ち着かない。基本的に朝は早い方なのだが、それでも今日は
早くに家を出すぎた感がある……。

「しかし、どうしたんだろうな。桜のやつ……」

 つい先刻のことを思い出す士郎。
 今朝は桜が朝食を作ったが、朝食後に彼女はキッチンを占拠したかと思えば、

「先輩っ、お弁当を作りますから学校に行ってください」

 との言葉を、物凄い視線で言われた。
 弁当を作るから、学校に行ってくれ。
 いやもー、何が何だか。
 普段の桜は落ち着いた様子なのに、どうして今日に限ってあんな素っ頓狂な
事を口走ったのか。登校中、ずっとその事を考えていたがついぞ答えは思い浮
かばず、穂群原学園の下駄箱までたどり着いてしまった。
 まあ、とりあえず思考するのは教室に行ってからにすることにして――幸い
なのか皮肉なのか、時間は十分に余裕があるし――士郎は上履きへ履き替えて
振り向くと。

 どさどさどさどさどさっ。

 何かありえない光景を目にした。

「のおおおっ!?」
「うおおおっ……何だこりゃ? 一成……えと、おはよう」
「――うむ。俺にも現状が把握できん……おはよう、衛宮」

 互いに間の抜けた挨拶をして、それを見つめる。
 生じたのは山と呼んでいいだろう。現にそこには無数の箱によって小山が形
成されていたのだから。箱一つ一つは綺麗にラッピングされており、何かのプ
レゼント用だというのは一見して理解できた。

 だが、それが――下駄箱を開けた瞬間に、一気に飛び出て山を作ったとした
ら。
 靴一足程度しか入らない下駄箱から、小山が生じるほどの箱だ。

「あ、バレンタインのチョコか!」

 ふと思い至った考えに納得して士郎は手を打つ。
 成る程、確か今日は二月十四日。日本女性としては見逃せないイベントが控
えているではないか。大方、朝早く……それこそ衛宮士郎よりも早くに登校し
て、下駄箱の中にチョコレートを忍ばせたに違いない。

 つか、イマドキ漫画でもないぞ。
 このシチュエーション。
 どこのラブコメだ?

「う、うむぅ……衛宮。何か袋は無いか? 抱えて持っていける量でもないし、
放置という訳にもいくまい……うむぅ」
「あ、そうだな。俺、購買からビニール貰ってくる」
「ああ、すまん……しかし、これはいったい?」
「って、一成。バレンタイン知らないとか?」
「いや、さすがに知らぬまま人生を過ごしたわけではないが、俺のような未熟
者に渡す物好きがいるとは……うむぅ」

 どうやら一成は自分が女生徒に人気があることを自覚していないらしい。嫌
味にしか聞こえない台詞だが、一成が言うと嫌味どころか自然に聞こえて、む
しろ愛嬌のようなものを感じさせる。
 それを思うと表情が崩れるのを止められない。
 そんな士郎を目ざとく一成が見て、

「こら衛宮。何を笑っている」
「何でもない……でも、一気に出たときは圧巻だったなぁ」
「むう、確かに。だが驚くということは平常心が足りないということ、俺も修
行が足りぬか………渇」

 自らを律するように一声。
 遠坂がいなくてよかった、と一成が小さく口にするのに笑いながら士郎が同
意して、購買へ向かおうと踵を返しかけたとき――

「あら、随分と人気じゃない、柳洞くん」

 噂をすれば何とやら。
 遠坂凛本人がにやけた視線を向けてたりする。

「くうっ、遠坂っ! さては貴様が俺を色欲に貶めようとした罠かっ! だが、
この柳洞一成。この程度では匙一つも揺るぎはせぬっ!」
「ふうん。だとしたら、そのチョコを作った女の子達。かわいそーねー」
「うぐっ。だ、だが、仏に仕える身としては異教に身を染めるわけには……」
「じゃあ、棄てるんだ」
「たわけっ! 俺がそのようなことを―――」

 遠坂に掴みかかるような勢いで一成が吼える。
 このまま放置という訳にもいくまい。他の生徒だって登校してくるのだから。
だが二人は――とはいっても一方的に一成が唸っているだけのような気がする
が――収束を向かえる様子は無い。
 とりあえず、士郎はため息を一つ。
 そして、自分が出来ることをしに購買へと駆けて向かった。



 まずは細かく刻む。
 これは存外に簡単な作業であった。持つ道具は何であれ、刃物を使うのには
慣れていたから。
 続いてはそれを沸騰直前まで煮込む。
 普段とは異なった慣れない作業に戸惑いこそすれど、それほど大きな失敗は
していない……と、思う。混ぜるのも忘れていないし、ブランデーも少量入れ
た。加熱しすぎるなという注釈があったが、その心配は見る限り無い。
 が。

「ああっ! な、鍋に直接っ!?」

 彼女は自分の過ちに気づき、大慌てで鍋をコンロから離す。
 チョコを直接煮込んでどうするというのか。まずは生クリームを湯せんで弱
火にかけ、そこにチョコレートを入れるというのに。

「ああ……あううう………」

 見事に大惨事となってしまった鍋。彼女の主にどやされるかもしれない。
 とりあえず、その鍋を脇にやり、彼女は再び行程をやり直す。今度はしっか
りと手順通りに出来た。生クリームを湯せんで火にかけたし、そこにチョコも
入れた。バターも数回に分けて入れた。これで間違いは無い―――はず。
 そして用意したバットに流し込み。
 表面を平らに整え。

「後は二時間冷やす……と。思っていたよりも楽でしたね」

 失敗はしたが。
 冷蔵庫の扉を閉じて安堵の吐息を一つ。
 だが、この簡単さが逆に不安を煽る要素でもあった。
 上手くいっているだろうか。途中で肯定を間違えたりしていないだろうか。
作業中に水が入ると分離してしまうというらしいが大丈夫だろうか。

「…………………っ」

 彼女は今までに経験したことの無い不安に、思わず冷蔵庫を開けて様子を確
認したりする。
 ちなみに。
 二時間で、都合数十回は冷蔵庫が開閉された。



 昼休みになって、士郎は逃げ出すように教室を飛び出した。
 バレンタインデーと言えば、好きな人にチョコレートをあげるという、女性
の為のイベントのはずなのだが、その日の学校全体の空気の重さは並大抵では
なかった。
 亡者のように、辺りを徘徊する者。
 何度も下駄箱を開閉する者。
 やたら女子の会話に聞き耳を立てる者。
 無関係を装い、不貞寝する者。
 そのいずれもが、女性ではなく男性であったりする。
 バレンタインデーはどうにも女性の為のイベントではあるが、女性の為だけ
のイベントではないようだ。

「そういえば、セイバーは一緒じゃないのか?」
「まあね。今日は家に残ってやることがあるみたい」
「ふぅん……」
「何、心配?」
「べ、別にそーいうわけじゃあっ!」

 場所は屋上。目前には遠坂凛。
 二月の風はまだ肌寒いが、昼間は思っていたほど寒いわけではない。丁度、
向き合うような形になって二人は弁当をぱくつく。
 顔面を真っ赤にして慌てふためく士郎と、その様子に満足したように笑う凛。
心配というほどではなかったが、気にならないといえば嘘であった。今のセイ
バーのマスターは士郎ではなく凛の為に、彼女の家にセイバーは暮らしている。
暇があるとセイバーのことを思っていたりする自分がいるのは事実であった。
 二人の会話は話題を変えてさらに続く。

「で、結局は桜とはお弁当食べなかったの?」
「ん、ああ……何か知らないけど、逃げられた」
「逃げられたって、士郎……桜に何かやらかしたんじゃない?」
「いや、どーしてそういう考えになる?」

 きっぱりと断言してくる凛に半眼で聞き返す。
 最初は弁当を届けに来た桜と昼食を取ろうと思っていたのだが、何故か彼女
は赤面したまま脱兎の如く逃げ去ってしまった。その間で士郎が彼女を止める
タイミングなど皆無であった。
 思い出しながら、首を捻る。

「俺だって理由が解らない……桜が逃げる理由があるのなら教えてほしいよ」
「ふうん……そーなんだ」
「む。なんか含みのある言い方だな」
「別に。気付いていないなら、それでいい」

 凛はそれだけ言うと、会話を中断して再び昼食にとりかかった。士郎は何か
言いたそうに凛を見つめるが、これ以上は尋ねても無意味だろう、と判断して
自身も弁当の残りにとりかかる。
 桜が用意した弁当は洋風のものであった。
 確か朝食は和風であったはずだから、残り物でなくわざわざ作ったのだろう。
そこまで弁当に手を込むのは、朝は時間に余裕が無い桜にしては珍しい。
 スクランブルエッグを一口。
 ポテトサラダを続けて一口。
 水筒の紅茶を流し込み一息。
 そして、残りのおかずとパン、紅茶を順序良く食べて、デザート代わりに用
意された菓子パンを食す。チョコクリームが甘ったるい味ではなく、ビターな
部分を残していて丁度いい甘さ。
 ふと、凛が弁当の菓子パンを見やって「成る程ねー」などと呟く。
 何のことか皆目検討も付かない士郎はとりあえず、

「欲しいのか?」
「違うっ! まったく……鈍感なのねー」

 聞くだけ聞いてみたが返ってきたのは、やれやれ、といった溜息だった。
 キョトンとした士郎に呆れながら、彼女はカバンの中を探り始める。

「ま、いっか……はい、コレ」

 カバンの中から取り出したるは、一つの小箱。丁寧にラッピングされていて
赤いリボンが印象的であった。
 それを凛は何気ない様子で士郎へと手渡す。本当に自然な動作のために、素
直に士郎もそれを受け取る。そこには疑問も疑いも何も無い―――何も感じさ
せないほどの自然さ。

「あ、ありがと……」
「一ヵ月後。楽しみにしてるから♪」

 凛のその言葉を聞いて、改めて中身が何なのかに気付く。
 この二月十四日に渡すものと言えば思い浮かぶ限りでは一つだけだ。まさか、
ここまで来て中身が今日の希望献立だったりはしまい。
 士郎の視線が不意に揺らぐ。
 こうして直接渡されることで、士郎もようやく「今日がバレンタインなんだ」
と実感できた。だが彼の胸に去来するのは、チョコレートを受け取った喜びで
も戸惑いでもなく、一人の少女の姿だった。
 金細工のように美しい髪を整え、凛々しく美しい容貌を持った少女。
 何故、彼女のことが思い浮かぶのだろう。

「………士郎?」
「ああ、何でもない。来月が楽しみだって台詞、遠坂らしいと―――ぐえっ!」

 咄嗟に出た皮肉は、凛の強烈な蹴りを呼び込んだ。




 一応の完成を迎えて、彼女はようやく一息つく。
 出来上がったそれを一口味見してみるが、悪くは無い―――と思う。正直、
美味く出来たかどうか自信は無かった。果たしてこれでいいのかどうか。
 とりあえず問題は無いと判断し、ココアにまぶしてそれを袋に詰める。
 さて。
 問題があるのはここからかもしれない。

 袋に詰め込むだけならば何てことは無い。だが、それを綺麗に見栄え良くラ
ッピングするとなると話は別だ。
 彼女にはこういった経験は皆無。
 とりあえず、袋の口をリボンで結んでみる。

「………」

 何か変だ。こう、全体のまとまりに欠けていて、偏りがあるような。
 納得がいかずに、一旦解き再び結びなおす。
 これも駄目だ。
 窮屈に結びすぎてしまった印象がある。
 またやり直し。
 これもアウト。なんか、可愛くない。
 やり直し、駄目、やり直し、失敗、やり直し……

「うん」

 と、何度目かの挑戦でようやく満足のいく結びができた。この結びはそうそ
う意識して出来るものではない。偶然の産物に彼女は大いに満足し、何度も頷
く。
 だが、さすがに結ぶのに時間をかけすぎただろうか。もしかすると、中身の
方が溶けてしまっているかもしれない。そういえば冷蔵庫を何度も開閉してい
たし。

「――――ふぅ」

 念のために中身を確認するが、説けた様子はなかった。それどころか、外気
に触れても数時間もちそうな程に冷たい。
 ひとまず、安堵の吐息。

「あ」

 彼女の安堵がふと、途切れる。
 その視線は先ほどの袋。何故か、その口は開いたままになってたりする。い
や、先ほど開けたのだから当然のことだ。
 さて。
 満足の結びが出来るまで、次はどのくらいの回数を重ねるだろうか。




 一日の授業全てを終え斜陽が傾きかけた頃。
 教室にはまだチョコレートを諦めきれぬものが残っていたり、放課後にタイ
ミングを見計らってチョコを渡そうとする者がいたりと悲喜交々といった感じ。
 藤ねえがそんな様子を見て「お前らさっさと帰れー!」だのと吼えているが、
チョコを渡す相手のいない藤ねえの様子に、皆は憐れみや同族意識にも似た視
線を送る。

 とばっちりを受けないように早々に教室を抜け出す士郎。
 下駄箱へと向かう間の廊下にも、死屍累々とした男子生徒が漂う。
 拙い、ここは淀んだ空気を発している。
 チョコをもらえない男達の怨念が、そのまま身体へと憑依して起こるバレン
タイン特有の怪奇現象だ。

 なるべく意識しないように別のことを考えるようにする。
 今日の献立はどうしようか。セイバー達が来るとか言っていたから、和食よ
りも洋食の方がいいかもしれない。いや、手が込んでいれば彼女はどんな料理
でも喜ぶ。それこそ和洋折衷お構いなしだ。
 そう考えると逆にメニューを考えるのも困りものだが、辟易といった感情は
無く、むしろ楽しく感じてすらいる。

「え、衛宮……今、帰りか?」

 と、下駄箱で投げかけられる弱々しい声。
 振り向けば、そこには顔面を真っ青にした一成が立っていた。午前中とは別
人の顔に思わず怯む。

「ど、どーした一成?」
「いや、昼休みに……貰った……を、喰いすぎ、限界、まだ、余りが」

 断続的に紡がれる言葉から推察するに、朝のチョコレートを一生懸命昼食時
に食べていたのだろう。一個や二個ならなんとかなるだろうが、山のようなチ
ョコだと並大抵の精神力でないと不可能だ。

「何も、全部食べなくても……」
「確かにそうだがな……ここから二時間の帰路を考えると、荷物が少ないにこ
したことはない……」
「それでダウンしてたらプラマイゼロだろ」
「うむ……そこですまないのだが、この調子だ。少々、生徒会の仕事を手伝っ
てはもらえないだろうか」

 確かにチョコの食べすぎで一成は吐息が甘ったるい。こんな調子では仕事も
はかどるどころか能率が悪くなってしまうだろう。役に立てる自身はないが、
いないよりはマシというところか。

「了解。今日はバイトも無いから手伝って―――」
「あら、駄目よ衛宮くん」

 不意に遮る第三者の声は遠坂凛のものだった。振り向かずとも、二人はそれ
を確認する。下駄箱の出口で軽く肩を上下させている様子から、どうやら凛は
一度校舎を出たようだったが再び戻ってきたらしい。

「どういうつもりだ、と―――」

 体調を考えずに身を乗り出す一成を、凛は相手にもせず通り抜け士郎の前へ。

「士郎。校門でセイバーが待ってた」
「ええっ?」
「行ってやりなさい」
「え、その、でも、ええ?」
「いいから行くっ!」

 聞き返すがよりも早く、凛が士郎の背中を思いっきり蹴飛ばしていた。
 一成も「セイバーさんなら仕方が無い」とかなんとか呟きながら、納得した
様子で頷いている。
 遠くなっていく士郎の後姿を見つめつつ、凛が心の中でひとりごちる。

 彼は気付いていないとでも思っていたのだろうが、凛はそこまで鈍感ではな
い。士郎のセイバーに対する感情くらいは知っている。
 案外、士郎自身が自分の気持ちに気付いていないだけなのかもしれない。
 それに、セイバーが今朝から何をしているのかも大方予想が付く。可愛らし
いことに、材料もちゃんと用意して冷蔵庫に隠してたりと本気のようだ。
 まあ、今日はサービス。
 今後は正々堂々だ、相手が自分のサーヴァントだろうが関係ない。

「まあ、頑張りなさい」

 それは士郎に向けられた言葉なのか、はたまた―――




 彼女の主――凛は彼女の肩をそっと叩くと、そのまま校舎内へと戻っていっ
てしまった。呼び止める暇もなく、あっという間に後姿が小さくなってゆく。

 間違っていたのかもしれない。
 漠然とした感情が大きく圧し掛かる。そもそも凛という存在がいながら、何
を自分は自惚れたことをしていたのか。これでは迷惑をかけてしまっているだ
けだ。
 これではまるで少女のようではないか。
 いつ来るのかという期待。もう帰ってしまったのではという不安。いざ逢っ
たらどうやって渡すべきかという緊張。
 全てが滑稽に思えてきた。自分はそういった事とは無縁の位置に属する存在
だというのに、何故こんなことを。

 もう帰ろう。
 そう思ったとき。

「セイバー!」

 脳内を覆う思考が一気に霧散した。
 離れていた現実感が、その聞き慣れた声によって一気に舞い戻る。

「シロウ?」

 見やれば、人ごみを掻き分けて出てきた士郎の姿がそこにあった。
 自然と集まった生徒の視線が士郎へと集中する。そのあまりの圧力に士郎は
一瞬だけ怯むが、それだけ。すぐに姿勢を直すと、何も言わずに彼女の―――
セイバーの掌を握って人ごみを抜け出す。

「ちょ、し、シロウっ」
「いいからっ、早く行くぞっ」

 駆け出す二人の背後からは「衛宮の女だったのかー!?」だとか「チョコ貰
うのかよ、けっ」とか「衛宮コロス」だのと悲哀と憎悪に満ちた言葉が投げか
けられる。
 それから逃げるように――実際、逃げていたのだが――校門を去り、深山町
を駆け抜け、なんとか交差点までノンストップで走りきった。全力というわけ
ではなく、小走り程度であったためにそれほど息は上がっていない。

「……………」
「……………」

 お互いに無言で向かい合い、立ち尽くす。
 言いたいことはあるはずなのに、何を言うべきかが出てこない。
 士郎がどこか戸惑ったような表情を見せている間に、セイバーは感情を落ち
着けて頭を下げた。

「シロウ、ご迷惑をおかけしました」
「ば、ばかっ、そんな事で謝るなって」
「ですが……その、わたしが待っていなければシロウが罵倒されることもなか
ったでしょうし……」
「あー、あれね」

 はは、と渇いた笑いを零す士郎。あれはバレンタインの日の男性特有の現象
なのでさして気にする必要は無いと思う。だが、セイバーは律儀で真面目な性
格だ、はたしてそれで納得するだろうか。

「ま、まあ、気にすることないって」
「そうでしょうか……」
「ああ、それに謝るのはこっちの方だって。遠坂を迎えに来てたんだろ?」

 セイバーの表情に僅かな翳りが生じた。
 ほんの一瞬のそれが、射し込む斜陽に溶け込む。
 その表情は微笑んでいるようにも見え、どこか悲しんでいるようにも思え、
虚ろに揺らめく。どういう表情をしていいのか解らない、といった風に。
 だが、それもあくまでも一瞬のこと。
 彼女が軽い深呼吸をして、彼に向き直る。
 確かに自惚れていたかもしれない、間違っていたかもしれない。だからとい
って自分の気持ちを偽る訳にはいかなかった。例えこの後にどんな結果が待っ
ていようとも、そこから逃げることはしたくない。逃げてしまえば、自分の想
いが無碍になってしまうから。

「シロウ―――その、これを……あのっ」

 しどろもどろになりながら綺麗に包装された袋を手渡す。戸惑いや不安は無
くとも、緊張の類は残っていたようだ。
 一方、それを受け取る士郎は、

「あ、え、へ? お、俺にっ?」

 と、セイバー以上にしどろもどろになりながら、それを受け取った。
 中のチョコレートを取り出し、一口。

「ん、美味い―――」
「ほ、本当ですかっ」
「ああ、生チョコか。口の中でちゃんと蕩けて、うん、美味しいよ」

 よかったぁ、と喜びよりも安堵の声で一息つけるセイバー。
 士郎を見やると、本当に美味しそうに、幸せそうに微笑んでいた。
 それを見ると、自然と笑みが零れる。

 そこでセイバーは胸の中に広がる穏やかな気持ちを実感した。それまでは胸
を穿つような不安であったり緊張であったりしたわけだが、今は士郎の笑顔に
よって全て解放された感がある。
 そうだ、この笑顔が見たかったのだ。
 その為に慣れない手料理を頑張ってこなし、包装にもこだわりを持って何度
もやり直し、わざわざ校門で待っていた。それもこれも、全ては彼の笑顔のた
め。

「ありがとう、セイバー」

 士郎は自然とその言葉を紡ぐ。
 彼もまた胸の中に温かい気持ちを感じていた。どんなに自然を装って今日を
過ごしても、やっぱりセイバーのことが頭から離れない。バレンタインデーだ
ということもあるだろう、だがそれ以上に―――

「俺―――やっぱお前が好きだ」

 本当に自然に出た言葉に、セイバーが赤面する。
 射し込む陽射しは夕闇へと変わろうとしているところだった。群青色と茜色
が交じり合った境界が空に大きく広がり、迷い無く、はっきりとした士郎の言
葉とその笑顔を美しく彩っていた。

 踵を返し、帰路へと戻る士郎。
 その後をそっと歩きながら、セイバーは士郎の後姿に小さく呟く。彼にも、
自分にも、誰にも聞こえないように。
 私もです、と。

 少女である自分も悪くない、そう思いながら後姿を眺める。
 夕日に揺れる陽炎に幻視するのは、士郎と凛が並び歩く姿。

 いつか自分もそこに並ぼう。

 セイバーは一つ頷くと、その後姿に向けて大きく一歩を踏み出した。

                            <了>










「後書 → 反省」


 よかった所
・2月14日までに書ききれた。
・凛に心が移りかけたけど、セイバーで書ききれた。

 よくなかった所
・長い。
・展開にメリハリが無い、たるい。
・纏まりが無い。
・なんか強引っぽい。
・三人称なのに主観が混じったりして変。
・キャラが掴みきれてない。
・凛グッドなのに凛ないがしろ。
・桜は?

 とまあ、こんなSSでしたが、読んでいただけた方ありがとうございます。

 ではでは
 士郎×セイバー派の10=8 01(と〜や れいいち)でした。


  BGM:Lies and Truth(L'Arc〜en〜Ciel)


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