二月十四日夜の出来事

作:しにを

            




「お茶のおかわりを、お持ちしました」
「ああ、ありがとう」

 志貴は礼を言いつつ、湯呑みを手にした。
 湯気の立つ熱いお茶をすする。
 琥珀はお盆を手にしたまま、そんな志貴を見つめている。

「志貴さん、何かお持ちしましょうか。
 お食事前のほんの間食程度なら……」
「いや、いいよ。
 もう少しくらい待つよ。
 琥珀さんと翡翠はちゃんと夕飯食べたんだよね。
 俺たちに遠慮なんかしなくていいんだから」

 志貴が視線を向けると、琥珀はゆっくりと頷く。

「あ、大丈夫ですよ。
 翡翠ちゃんとは、さっきお夕食頂きましたから。
 秋葉さまからのお気遣ですし、志貴さんには申し訳ないですけど、お先に」
「全然、申し訳なくないから。
 しかし、秋葉も用意周到だね」
「そうですね。
 お台所占領するからと仰って、夕食の手配は済ませたって。
 まさか、あんな豪華なお弁当が届けられるとは思いませんでしたよ」
「そうだなあ。俺はよく知らないけど、あそこって一流の料亭なんだろう?」
「超一流ですよ。さすがに、とても美味しかったですよ」
「へえ」

 興味をそそられた様に、志貴は声を出す。
 そして、その後でどう気を回したのか、琥珀さんの料理も毎日すごく美味し
いよ等とフォローとも何ともつかない言葉を口にした。
 それはどうもありがとうございます。そう、さらりと流して、プロの板前の
仕事振りについて、琥珀は簡単に感嘆混じりの説明をする。

「それにしても、お店でだって、ふらりと行っても食べられないような格式の
お店なんですよ。お弁当なんて、まずやらない筈の処なんですけどね。
 やはり遠野家って、こんなところでも力あるのでしょうね」
「凄いな」
「秋葉さまが、ご自分で注文なさったので、わたしもぜんぜん知らなかったん
ですよ」
「まあ、朝から力入っていたよな。いったい何が起こるかと思ったもの」
「はい。わたしも翡翠ちゃんも吃驚しちゃいました」

 二人で、早朝の出来事を思い出す。
 かれこれ十数時間ほど前。
 志貴が早起きではないまでも遅すぎる程ではない、そんな微妙な起床をして、
居間に下りた折。いつものように、陶磁のカップを手にしていた秋葉が、兄の
姿を見つけてやおら立ち上がったのだった。
 完全に目覚め切っていなかった志貴が、瞬時に覚醒するような強い視線。
 何かの勢い。びしっと突きつけられる人差し指。
 何をした、何をしたっけ、俺?
 そんな疑問が渦巻き、混乱していき、志貴の足は、知らないうちに後ずさり
しそうになっていた。

「てっきり、怒られるんだと思ったんだ」
「お心当たりでも?」
「…………いや。ないよ」

 微妙な間は何かしらと、琥珀は口にせずに呟く。

「まさか、いきなりあんな事言われるとは思わなかった」
「はい。ええと……
“兄さん、今日は私から手作りのチョコレートをお渡ししたいと思います。
 ですから、早く帰って来て下さい。約束してくれますね?”
 だったですよね」
「声色使うの巧いなあ。そうそう。
 ああも威圧込みで言われたら、頷くしかないよな」
「あら、選択の余地があったら、お断りしたんですか?」
「まあ、それはないけどね。
 しかし、なんで秋葉、わざわざ……」
「そうですねえ、宣誓する事でご自分を追い詰める効果とか。もちろん志貴さ
んとの約束を取り付けるのが主目的でしょうけど」
「そうだね」
「こっそり準備して裏目に出るより、まっすぐな行動の方が秋葉さまには合っ
ていますよ。
 実際、志貴さんも期待されて、こうしてまっすぐ帰宅されていますし」
「さすがにね。でも、秋葉の奴、どうやって帰って来たんだ。
 早引きした訳じゃないのに、あんな早く。自家用ヘリコプターでも使ったか
と思った」
「案外、冗談では無いかもしれませんね。お車では、あれほど……」
「うーん」

 しばし沈黙。

「しかし、そこまでして、詰めで失敗する辺りが、秋葉かな」
「学校とはオーブン一つとっても勝手が違いますし。練習はなさっていたみた
いですけど、本番用の洗練された食材とは微妙な差がありますから。
 完全に一人でやるからって、最初は近寄らせても貰えませんでしたからね」
「まあ、根性は買うけどね」
「あ、でも、さっき見ましたけど、失敗といっても、そんな酷いものではなか
ったですよ。必死にチョコレートケーキを隠そうとなさってましたけど、加減
の違いだけで、手順はしっかりしているようでしたから。
 秋葉さまは、料理に関しては手馴れていないだけで、練習なさればかなり要
領よく出来ると思います」
「そうだね。何やらせても、けっこう上達するよな、あいつ。負けず嫌いだし」

 秋葉の成績や、数々の習い事を思い浮かべ、志貴は頷く。
 琥珀も、そうですねと同意の言葉を重ねる。

「と言う事で、最低限のアドバイスはしましたから、次は成功なさると思いま
すよ」
「そんな手の込んだもの作らなくてもいいのに」
「それだけ、志貴さんへの想いが深いんです」
「うん、まあ、嬉しいけどさ。
 それにしても、お腹すいたな」

 照れ隠しのようだが、それはそれで事実だった。
 帰って来てから、志貴は何も口にしていない。

「ふふふ。でも、食べないんですよねー。
 秋葉さまが一生懸命やっているから、待っているんですよねー。
 らぶらぶですねー」
「……」
「あら、志貴さん、お顔が……」
「いいじゃないか、そんなの」
「誰も悪いなんて言ってませんよー」
「……あれ、ところでさ、翡翠がさっきからいないけど、どうしたの?」
「あ、話題変えようとなさっていますね。
 翡翠ちゃんもお菓子作りにチャレンジ中です」
「あーん、そうなんだ。……え?」

 驚愕の表情で志貴は、翡翠の双子の姉を見つめる。
 琥珀はそれを見て、苦笑混じりの顔になっる。

「そんなに、驚かれましても。
 翡翠ちゃんも、普段、お世話頂いているお礼にって、手作りのチョコのお菓
子を。
 ……あーあ、翡翠ちゃん、志貴さん、あんな顔なさっている」
「え、あ、そうじゃなくて。
 翡翠には一方的に世話されていると思うんだけど」
「翡翠ちゃん、志貴さん、何か必死に取り繕って……、冗談ですよ。
 ええと、安心させて差し上げましょう。
 志貴さんには、秋葉さまがおられますし、わたし達姉妹は連名でささやかに
と思っているんです。
 それで、二人で一つ作っているところです」
「二人で一つ?」
「はい、基本作業とか、最後の型を使ったり削ったりは翡翠ちゃんにも協力し
て貰いますけど、火を使う処とか、配合や味付けはわたしが。
 あらら。
 露骨に安心なさるんですね、志貴さん。翡翠ちゃんに言っちゃおうかな」
「ちょっと、それは止めてよ」
「冗談ですよ。
 それで、志貴さん、秋葉さまの次で良いですから、こっそり受け取ってくれ
たら、わたしも翡翠ちゃんも凄く嬉しいです」
「もちろん、ありがたく頂戴するよ。
 翡翠が頑張ってくれているんなら、それはそれで嬉しいし。
 琥珀さんから貰うってのも、嬉しい。
 それじゃ、二人のも楽しみにしているよ」
「はい、期待して下さいね。
 じゃあ、わたしは翡翠ちゃんの方に行きますね。
 あまり離れていると、翡翠ちゃんが創作意欲に目覚める心配もありますし。
 何より、秋葉さまも、もうすぐ手が空きますから。
 お二人の方がよろしいですよね」
「う、うん」

 それでは、と琥珀は立ち去りかけ、ふと立ち止まる。

「ところで、志貴さん、気がついておられます?」
「え、何を?」
「さっきからずっと、わたしとお話している時も、何度もお台所に目をやった
り、そわそわしたり」
「え?」
「それに、何より話している間中……」
「間中、何かな?」
「わくわくと言うか、にやけていると言うか。
 では、お邪魔虫は去りますから、お幸せに」

 ぱっと顔に手をやる志貴を見て、くすくすと笑うと、琥珀は今度こそ部屋を
出て行った。
 恋人を待つ幸せ者を一人残して。
 そして志貴は一人取り残され、黙って待つ事になった。
 広い部屋は急に静けさに支配された。

 ただし、静寂は耐えがたいほど長くは続かずに済んだ。
 さほど待つ事無く、弾んだ足音が近づいてきた。
 軽い、少女の足運び。
 志貴は顔を向け、立ち上がる。

 互いを呼ぶ、何とも言えない情感に満ちた声。
 そして……。


   FIN









―――あとがき

 バレンタインもの、夜の部です。
 と言っても、18禁なシーンなどは皆無ですが。

 一応、最後なので、統括。
 今回、三作品を同時に公開しました。タイトルなどで関連付けしていますが、
見ての通り、バレンタインデーの一幕と言う以外、繋がりはまったくありませ
ん。時間軸も違いますし。
 ただ、書いている方のお遊びですが、凛、鮮花、と来て、最後は秋葉、わり
と似ている三人の書き分けが出来るかなあという、意図もがあったりします。
 結果はどうでしょうか。 
 秋葉が出ないのに秋葉SS名乗ると、異論ありそうですが……。

 ところで大崎瑞香さんが、やはり「月姫」「空の境界」「Fate」で三つ書く
とか仰られたのには、一人焦ったりもしたなあ(笑 

 とりあえず、間に合って良かったなと。
 お読みいただき、ありがとうございました。

  by しにを(2004/2/14)


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