二月十四日朝の出来事

作:しにを

            




 空気は寒いけれど澄んでいて、空を仰ぐと雲ひとつない。
 今日も良い天気になりそうだった。
 朝食はどうしようかなと考えつつ、新聞を取りに外へ。
 それを待ち構えていたように、外から声を掛けられた。

 慌てて外に顔を出すと、立っていたのは遠坂。
 士郎という声で、来訪者が誰かはわかっていたから、その点では驚きは無い
が、それでも何故という疑問が渦巻く。
 こんな早朝、来るのがあまりにもに早い。早過ぎる。
 必要とあればいくらでも早起きするけど、学校へ行かなくてもいい日には、
遠坂は少しばかり惰眠を貪っている。
 とか、本人には言えないけど。

 俺の視線を受けつつ、遠坂は横から敷地内に入り、くるりとこちらを向く。

「相変わらず早起きね。おはよう、士郎」
「おはよう、遠坂」

 朝の挨拶。
 別におかしい事は無い筈だけど、何か変だ。
 こちらは普段通りだし、となると俺ではなくて……。
 ふむ、と遠坂の様子を眺める。

 まあ、一目瞭然だな。
 ちょっと見には普段通りに見える。
 にこやかに笑っていれば、学校では何の違和感も無く過ごせるだろう。
 美綴とか、特に遠坂と親しいらしい知り合いを除けば。
 案外、一成辺りは目敏く反応しそうな気もする。

「道で車にぶつかりそうになったりしなかったか?」
「平気よ。……って、やっぱりわかる?」

 ああ、と頷く。
 途端に、遠坂の顔が変わる。
 何とも奇妙な表情。しまったなあと言いたげでもあり、ちょっと納得したよ
うでもあり。 

「ちょっと寝不足」
「そうか」

 ここまで歩いてきたのだから、起きてはいる。だが、遠坂は、何となく精気
に欠けるというか、どこか動いていない部分があるというか。
 ただでさえ、朝の弱い奴だ。
 この処、遅くまで起きている生活だから、こんな時間ではまだ半覚醒くらい
なのかもしれない。
 学校の方は通常授業も無くなり、週に一度出席するだけになっている。
 でも、自分の研究や修練の他に、俺への指導をしたりと、遠坂はやる事は幾
らでもあった。
 時には二人で街に出掛けたり、どちらかの家で何をするでもなく一緒の時間
を過ごす事だって、まあ、重要だ。
 俺もそう思うし、そんな時間を持たないと、何より遠坂が、不機嫌になる。
 それに加えて、そろそろロンドン行きの準備も始まっている。
 別にいつから行っても良いらしいのだが、それなら卒業したら早めに居を構
えて落ち着いた方が良いと言うのが遠坂の主張。
 それは前向きでもっともな意見だし、従者たる者に選択権は無い。

 そんな訳で、多忙で睡眠時間が削られたりもしている、遠坂の昨今なのであ
るが……。
 何で無理してまで、こんな早朝に俺の家までやって来たのだろう。
 どのみち、今日は午前中に来る事になっていたし、急用なら電話でもしてく
れれば良かったのに。
 そんな疑問を口にした。呼びつけてくれれば、すぐに行くのにと。

 まあ、そうなんだけどね。そう遠坂ははっきり答えた。
 ふむ。
 遠坂はちょっと考えるような顔で、けれど俺を正面から見ている。
 こっちは黙って待っているしかない。
 何か葛藤があったらしいが、それはすぐに決着がついた様子。
 にこりと笑う遠坂の顔に迷いは無い。  

「うーん、ここで駆け引きしても仕方ないし」

 手を前に差し出す。俺のほんの鼻先近く。
 魔法のように小さな包みが現れている。
 後ろ手で持っていたらしい。
 反射的に手を出し、綺麗な紙の包みを素直に受け取った。
 ぱっと遠坂の手が離れる。

 さて。
 どうしたものだろう。
 昔の俺だったら、これはいったい何だろうかと頭を捻っただろう。
 遠坂の安堵の表情から、何か厄介事を、呪いのアイテムでも押し付けられた
と思ったかもしれない。
 しかし、今の俺は違う。
 さんざん、朴念仁だの鈍感だのと罵られ、教育を受けていたのは、伊達では
ない。
 教師の某人物に言わせると、やっと当たり前になっただけらしいが。
 と言う事で、これが何かは察しがついた。
 わざわざ、早朝から人を騙して楽しむ為にやって来たとは思えない。
 本日、2月14日。
 もっと端的に言えば、聖バレンタインデー。
 つまり、この包みは――― 
 
「チョコレート。遠坂から、俺に」

 思わず声に出た。
 ちょっと声の調子が普通と違う。僅かに感情の揺れ。

「ふうん」

 ちょっと驚いた遠坂の顔。
 ポーズでなく、本当に驚いたご様子。

「珍しい、士郎が、すぐに察しをつけるなんて。
 もしかして」

 覗き込むような視線。
 口元にいたずらっぽい笑み。
 不用意に飛び出したネズミを見る猫の表情。

「期待していたかなあ?」
「う……」

 からかうような笑みはより強く。
 それに従い、こっちは動揺を強くしてしまう。
 あー、ええと、うー。
 何かとっさの切り返しをと思ったけど、そんな事を考えるうちにさらに真っ
白に。
 で、出来たのは、素直に頷くだけ。

「あ、そうなんだ。
 ふんふん、衛宮士郎くんは、遠坂凛さんのチョコレートを期待して待ってい
たと。そーいう訳なのね」
「そうだよ、悪いか」

 軽く睨む。
 遠坂は平気な顔。
 優位に立った表情。
 ただ、それが嫌味でなく、嬉しそうな笑顔で、それが魅力的に見えるのは、
惚れた弱みなんだろうなあ。
 ふっといじめっ子モードになりかけた遠坂が、表情を落ち着かせる。
 同じ笑みでもずっと穏やか。

「喜んでくれたなら、頑張った甲斐があったかな。
 なんだそれ、とか言われたら、この場で死んじゃったかもしれないもの。
 うん、受け取ってくれて嬉しい。衛宮くん、ありがとう」
「え、あ、いや。俺こそ。ありがとう」

 反則気味な満面の笑顔に、しどろもどろになる。
 傍で誰か見ていたら、さぞ珍妙だったろう。

「手作りなんだから、一応」
「ふうん」
「感動が薄い」
「そんな事ないぞ。ただ、遠坂ならそうだろうなと思って。
 普段、俺より料理上手いのを誇っているくらいなんだから」
「うーん、それはちょっと失敗だったかなあ。
 手作りで、驚かせようと思ったんだけど。
 あのね、そんなにさらりと簡単にお手製チョコなんて作れるなら、こんなに
眠そうにしてないと思わない?」
「そうだなあ。でも、遠坂、魔術の鍛錬とか原書の書き写しとかで、結構……。
 ああ、わかっている。そんな顔するなって。
 じゃあ、チョコレート作ってたのか、夜遅くまでかかって」
「正確には夜遅くから、明け方にかけてね。
 出来てから仮眠は取ったんだけど、中途半端でかえって眠い。これなら完徹
の方が楽だったかな。
 だいたい、料理ならともかく、チョコなんて普段使わないもの、けっこう勝
手が違うのね。
 手の込んだお菓子なんてのは、自分で作るより、感じのいいお店で職人の腕
を味わうのがいいものだし。
 なまじな完璧志向は、自分で墓穴掘るわね」

 なんだか独り言がぼやきになっていく。
 やはりまだ本調子じゃないのか。

「そうか、ずいぶん、大変だったんだな。
 ありがとう、遠坂」
「え、あ、いいわよ。
 そんな顔しなくたって。好きでやったんだし。
 喜んでくれるかな、とか考えてかしゃかしゃやっているのも楽しかったから。
 士郎、喜んでくれたのよね?」
「もちろんだ」

 なら、いいやと言う遠坂はもっと嬉しそうに見えた。
 思わず抱きしめたくなるのを堪えるのに苦労するほど。
 ……。
 なんで、堪えなきゃいけないんだろう。
 とは言え、ちょっと時機を逸したかな。

「でも、ただでさえ、ロンドン行きの準備やら、事前の提出物やらで、時間取
られているんだろ。
 そんなに気合入れなくても。
 だいたい、俺達は……」
「何かなあ」
「…………恋人同士だし」
「照れてとは言え、そんな台詞言うようになるまで教育するの、苦労したなあ」
「教育ね。まあ、成果は出ているようだな」
「どうかしら。
 ともかくね、私は釣った魚にもとびきりの餌を与える方なの」

 そうですかと魚としては頷くしかない、きっぱりとした物言い。

「だからね、朝一で来たの。
 士郎に一番にあげたかったから」
「別に他から貰うあてが……まあ、無くも無いけど」
「そうでしょう。桜とか、先生だっているし。
 まさか、受取拒否しろなんて言えないし、それなら誰よりも早く来るしかな
いじゃない」
「だったら、呼べばよかったのに。
 遠坂に言われたら、真夜中だって飛んでいくぞ」
「え」

 意外そうに俺を見つめ、そっかと呟く。

「でも、いろいろ考えながらここまで来るのも楽しかったしね。
 意外と少女趣味なんだって、自分がおかしかった」
「そんなものなのか」
「そんなものなの。
 それにね、ちょっと力入れたのは……、来年の今頃はロンドンでしょ」
「ああ、そうだな。きっとそうなっているよな」
「向こうで何年過ごすのか、まだわからないけど、それだと最初で最後の機会
を逃しちゃうから」
「最初で最後って、何が?」
「だから、バレンタインデーにチョコレートなんていう、俗で、でも素敵なイ
ベント。
 向こうじゃそんな風習は無いじゃない」
「なるほど。日本独特だよな」
「そうそう。
 10代のうちに、誰一人にもチョコレートあげられなかった人生ってのも、
後で思い起こして痛恨のダメージになりそうでしょ」
「それはそうかもしれ…、え、嘘だろ。
 今まで誰かにあげた事ないのか?」
「ないわ。本当よ。
 魔術師たるもの、なんてしゃちこばっていた訳じゃないけど、他人と距離は
少し置いていたし、あげたいと思う人はいなかったから。
 だからね、衛宮くんが初めて」
「俺が……」

 呆然として遠坂の顔を見る。
 手にした小さな包みが、急に鉄に変わったように重みを増していた。

「そう、初めてだなあ。好きな男の子の為に、チョコレート準備したりする事
なんて。
 告白なんてのが無いだけマシかもしれないけど、結構ドキドキしていたんだ
から。
 正直、今こうしているの、自分でも不思議な気分」

 ふふ、と小さく笑う遠坂。
 ちょっと恥ずかしそうで、でも晴れやかで。
 何とも新鮮で魅力的だった。

「さてと、ほっとしたら、何だか疲れちゃった。少し中で休ませて貰うわ。
 朝食はいいから、9時頃に起こしてね。
 午前の魔術の修行は少し遅れるけど、その分、集中みっちりでやるから」

 それだけ言うと、風のように身を翻して門をくぐる遠坂。
 俺一人残して。
 それを、ああ、とか間抜けに答えるしか出来なかった。

 卑怯だ。
 あまりにも卑怯だ。
 あんな告白はあまりにも卑怯だ。

 どうしようもなく火照った頬を持て余す。
 遠坂がそんな様子を見逃すわけも無くて。
 それをそ知らぬ顔で、触れずに目の前から消えてくれたのは、あいつの気遣
いだろう。
 
 しばらく、ここで立ちんぼうだな。
 急に貰った時以上の宝物になったチョコレートを、大事に手に持ちながら。
 幸せそうに、恐らくは間抜け顔で、俺は立ち尽くしていた。

  了










―――あとがき

 と言う事で、初「Fate」SSです。
 なおかつバレンタインものです。
 セイバーでなくて凛です。
 凛トゥルーエンド後のお話です。

 本当は見ての通り、あまりに中身の無い他愛ないやり取りだけですので、形
にするのどうしたものかと
思っておりました。
 が、書き掛け途中で、凛グッドエンド後が舞台のバレンタインSSをご寄稿
頂きまして、(10=8 01さんの「バレンタインもの」)書きたい衝動が
掻き立てられました。
 内容が良くて刺激されたのと、凛派としては書くしかという展開が(笑
 
 お読み頂きありがとうございました。

  by しにを(2004/2/14)


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