夜ヲ巡ル少女

作：しにを

　　　　　　　　　　　　




　夜。
　もうすぐ『今日』が終わり、新たな一日が静かに始まろうとする頃。
　静かに、しかし確実に『明日』が『今日』に姿を変えつつある頃合。

　そんな時間に、少女は一人歩いていた。
　闇に紛れそうな、黒っぽい色の服。
　名前は知らなくとも「ああ、あれはキリスト教の……」と思い浮かぶ姿。
　カソックを着込んだいでたち。

　まだ繁華街の近くは明かりが点り、行き交う人や車も少なくない。
　そんな中で少女が一人で出歩くのは、少々危険に思える。
　特に人目を惹くほどの整った顔立ちをしていて、均整の取れたスタイルがそ
んな服からも覗えるのであれば。
　しかし少女は何ら己の身に降りかかる災厄を心配していない様子。
　まるで神の加護があると言わんばかりに。

　大柄な数人の男が歩いてくる。
　かなりの泥酔。
　あまり性質の良い様子では無い。
　性別を問わず、周りを行く人々は必要以上に近づかない。
　しかし少女は無造作に歩き、袖が触れ合うほどの近くをすれ違う。
　
　何も起こらない。
　少女の姿を気にとめなかったようだった。
　まるで少女の姿が見えなかったかのように。
　いや、少女の歩みを眺めると、それがあながち間違いでは無いと思えてくる。

　すれ違う数少ない通行人は、少々奇異にも映る少女を何ら気にしない。
　ぶつかりそうになってもそのまま歩いている。
　避けるのは少女の方。
　軽く体を逸らし、左右に一歩踏み出し、悠然と回避している。
　すれ違いだけではない。
　後ろから走ってくる自転車、または無造作に道路を横断した時に突っ込んで
くる自動車。
　いずれも少女に頓着せずに近づき、少女は背後にも目があるように、最低限
の動きでやり過ごす。
　まったく慌てる事のない優美ですらある動き。
　しかし、同時に信じがたいほどの速さ。
　一連の動きを眺めていれば、コマ落としの画像でも眺めているような気分に
なるかもしれない。

　少女は歩きつづける。
　繁華街。
　駅。
　学校。　
　公園。
　住宅街。

　脈絡無いようだが、彼女自身には何ら考えがあるのだろうか。
　まったく迷う事無く道を歩き、ときどき道を転じる。

　とある坂の上で少女は淀みない足の動き止めた。
　大きなお屋敷の前。
　閉じられた門の格子から遠く見える建物を見つめる。

　ある一室をじっと見て、既に明かりは無いと確認し、軽く頷く。
　もう用は無いと言うようにくるりと背を向けた。
　
　そして、妙な動き。
　頭の上の虚空を見上げる。
　星がまばらに見える空？

　いや、少女は辺りに光を投げる街灯を見ていた。
　とん。
　軽く膝を曲げ、伸ばす。
　脚を。
　そして体を。

　飛翔。
　跳躍ではなく、飛翔。
　体が浮き、飛ぶ。
　助走も無い軽い動き。
　なのに、彼女の身長を越え、さらに上へと飛ぶ。
　街灯のほとんど先端近くに手が届く。
　
　掴む。
　そして掴んだところを軸に、体が回転する。
　片手での鉄棒競技にも似た動き。
　しかし、それは重力のある処では不可能に思える軌跡を描く。

　ふわりと弧を描いた足が街灯の頂点に触れる。
　踏む。
　そして少女は手を離し、そこに立った。
　回転の動きはどう静められたのか。
　足場の悪さをどう支えているのか。
　そもそもそこまでどう飛んだのか。

　見物客がいないのが惜しいほどの曲芸、より的確に言えばマジックだった。

　しかし、観客無しの出し物はまだ終わっていないようだった。
　まったく危なげなく立っている少女が、そこから跳んだ。
　離れた電柱に降り立つ。
　そしてまた跳ぶ。
　別の街灯。
　跳ぶ。
　電線。
　跳ぶ。
　屋根。
　木の枝。
　ビルの張り出し。　

　距離や高さの違いを何ら問題にせず、少女はひょいひょいと跳ぶ。
　一時も止まらない様はむしろ、走っているようにすら見える。
　もっとも、もし物好きにも頭上を見上げた者がいても、この恐るべき速さは
見て取れないかもしれないが。

　と、止まった。
　急ブレーキにも、まったく慣性の法則が働かないように揺れすらしないで体
が停止する。
　疾走のスタートからはだいぶ離れた街灯の上。
　住宅街の一角。
　
　少女は無造作に足を一歩踏み出した。
　すとんと落下する。
　少しふわりとした動きを伴いながら。
　そしてほとんど音も無く地に降り立つ。
　けっこうな高さからの落下に何ら衝撃はなかった様子で、平然としている。
　
　何が彼女の気を引いたのだろうか？
　街灯に照らされた道路に少女は視線を向けていた。
　チョークか何かだろうか。
　少しいびつな丸が幾つか書かれている。
　子供の落書き。

　少女は、足元の石を軽く蹴った。
　丸の一つに転がり止る。
　それを見て、少女は片脚を上げて、とんとんと跳ねた。
　けんけんの動き。
　
　何度か繰り返す。
　楽しそうに。
　少女はつまるところ、石蹴り遊びをしていたのだった。
　昼間は、近所の子供が遊んだのだろうか？

　少女がしているのは、そんな石蹴り遊び。
　それを童心に戻ったような仕草で少女は楽しんでいた。
　さっきまでの瞠目すべき体技が失せ、微かによろけそうになりながら。
　本当に、束の間ではあっても、子供に戻っていたのかもしれない。

　最後に、ぽんと大きく蹴った石は電柱に当たり止った。
　少女はふぅと溜息をつき、背筋をぴんと伸ばした。
　どこか笑っているような顔。
　どこか悲しんでいるような顔。
　
　しばしじっと佇み、頭上を見上げる。
　そして、また飛んだ。
　街灯の上に立ち、再び高所を跳び、駆け、飛ぶ。
　しかし、どこか先ほどまでと違う。
　まるで、ステップを踏んでいるような、不思議な動き。
　先ほどの遊びを引きずっているかのような動き。
　さすがにけんけんで宙を舞う真似はしない。
　しかし時に小刻みに歩いてみたり、わざと横に跳ねてみたり。

　かなりの高さ、そして速さ。
　それなのにある意味余計な動きを入れて、でも少女に危なげなところは無い。　
　さっき同様の恐るべき動きで町を駆け巡る。

　どれだけ空を駆けただろうか。
　少女は足を止めた。
　さっきのような唐突感はなく、ぴたりとした停止。
　そして地上に戻った。
　ゆっくりと舞い降りるような優美さで。
　
　少女は屈んだ姿勢からすっと立ち上がる。
　そしてぽつりと呟いた―――、おしまいと。
　町中を、そして頭上の空間を、延々と一人歩きを続けた挙句の言葉。
　特に成果も何も無くただの徒労のようだが、少女には疲れは無い。
　むしろ喜びに近い表情。
　ほっとしたような色も窺える。

　しかし、それはそうであったろう。
　何故なら少女は喜んでいたから。
　何も起こらなかった事を。
　今夜の行動がただの徒労に終わった事を。
　それはつまり、この辺りが平穏だったという事を意味していたから。

　少女の雰囲気が変わった。
　わずかに石蹴り遊びをしていた時を除いてずっと纏っていた硬質の何かが消
えて、どことなく柔らかい感じになっていた。
　歩き方も、ゆったりとしたものになり、夜の町の逍遥を楽しんでいるかに見
えた。
　広く辺りを見回す目つきも、そこかしこの風景を眺めるともなく目を向ける
ものに変わっている。
　そうしていると、常人離れした体技で頭上の道無き道を駆け巡っていたとは
とても見えない。
　姿勢の良い姿、整った顔立ちはそれはそれで人目を惹くであろうが……。

　少女はどこからともなく眼鏡を取り出した。
　視力という見地からは、特にそんなモノを必要としない事は明白であったけ
れども。
　どこか大切なものを扱うように、眼鏡をかける。
　眼鏡を掛けた表情は、さらに柔らかいものとなっていた。
　穏かな笑みすら浮かべて、少女は歩いている。
　ゆっくりと。
　と、その目が一点を見つめ、足も動きを止めた。
　
　公園というほど立派ではない一角。
　砂場とブランコ、そして木々などで構成された幾ばくかの空間。
　その片隅のベンチに、少女の視線が向けられた。
　何者かの存在。
　街灯に照らされてそこだけが、光っているように見える。
　
　少女はつかつかとそこへ近づく。
　声を小さく洩らす。
　それが聞こえたとも思えないが、反応があった。
　ベンチに腰掛けていた先客が振り向く。
　金髪の髪の少女。
　夜目にも輝いて見える髪が軽く揺れ、彼女の目が少女に向けられた。
　だが、それだけ。
　立ち上がろうともせぬし、供応たる意を示してもいない。
　さりとて、拒絶するでもない。

　カソックの少女は特に気にした様子を見せない。

　二人の間で言葉が交わされる。
　平静に。
　少なくとも眼鏡の少女は。
　金の髪の少女は違う。
　挑発的に語り、その受け答えに驚嘆し、表情がころころと変わる。

　金髪の少女が少々意地の悪い顔で話し出す。
　そんな顔をしても、むしろ魅力的に見える。
　聞き手の少女は、澄ました顔で聞いている。
　その、二人にとって重要な異性についての話を。

　金髪の少女は、その関係の深さを誇示したつもりであった。
　だが意図に反しあっさり流され、しかも逆に信頼の深さをあてつけられた。
　それは、疲れぬ筈の金髪の少女をもぐったりとさせる。
　
　別に勝ち誇ったようでもなく、今度はカソック姿の少女が口を開く。
　その姿に相応しい、諭すような言葉。
　決して高圧的ではなく、柔らかく促し同意を引き出すような物言い。
　ベンチの少女はおとなしく耳を傾けている。
　その様子を、もしも普段の二人のやり取りを知る者が見たのであれば、奇異
の念を抱いたかもしれない。
　さらに金髪の少女が、反発することなく素直に頷いた事に対しても。

　束の間二人の間に、共感さを交えた空気が生まれる。
　数瞬の静寂。

　そしてベンチの少女の表情が少し変わる。
　僅かに、悪戯っぽく。
　僅かに、忌々しそうに。
　僅かに、羨ましげに。

　婉曲な言い方で、少女は因縁深いカソック姿の少女に告げた。
　ある人物とさっきまで一緒だった事。
　その人物は今、ある処へ向かっている事。
　少女の愛する少年が、少女の部屋へ向かっているという事。

　どこまで言葉で伝えきれただろうか。
　皆まで言う前に、カソックの黒は闇に紛れていた。
　最初から公園には一人しかいなかったかのように。

　ぶつぶつと金髪の少女は呟く。
　別れの挨拶の一つもしたらどうだ、と。

　そして耳を澄ませる。
　常人には聞き取れぬ声が聞こえる。

　カソックの少女の疾走。
　少年のどこかわくわくと弾んだ靴音。
　その両者が出会い、そして……。

　そこで金髪の少女―――、アルクェイドは会話を聴くのを止めた。
　ふぅと似つかわしくない溜息を洩らす。
　カソック姿の少女―――、シエル
　シエルとアルクェイドとの想い人である―――、志貴。
　その二人の世界を覗き見るような真似は無粋であろうと。

　アルクェイドの表情は、やれやれと少しばかり苦笑するようだった。
　やっかみにも似た羨望の思いを抱く自分に対しての苦笑。

　きっと二人で甘々な会話をしているんだろうなあ。
　そんな事を小さく呟く。

　実際のところ。
　そのまま耳を傾けたとしても、すぐさま耳を塞いだかもしれない。
　それは、二人の恋人の会話は、アルクェイドの予想を飛び越えていたから。
　虫歯になりそうなほど、それは遥かに甘く。
　二人にとってのみの世界を形作っていたから

　　《了》









―――あとがき

　こちらの作品はサイトの５０万ヒットの企画作品で、過去作品の改変といっ
たテーマでリクエスト頂いて書いたものの一つになります。
　出題者は、東晃弘さん。
　リク内容は、元作品「夜警」に対し、「少女→シエルになると雰囲気・リズ
ムが変わるし、唐突でギャップがある」ので「変化する際にワンクッション置
く」か「最後まで名前を出さずに通す」（一部意訳）でした。
　
　後者で進めてみたのですが、最後だけ名前を出してしまいました。
　雰囲気は、そのままでいけたと思うのですが……。
　まさかとは思うけど、アルクェイドとシエルと書いておかないとわからない
かなと危ぶみまして。

　僅かばかりあちこち言葉を足したり引いたりして、あとは終盤をある意味は
しょった形での変更ですが、読んで違いを感じますでしょうか？

　※元作品は、こちら。　併せて御読みになるのも一興かと。


　　ｂｙ しにを（２００３／６／１２）

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