対峙。
 黒衣の少女と、赤い髪の少女が視線を合わせていた。

「あなたがやったのですね、翡翠さん」
「いいえ。あるいは、はい」
「あなたの主人を、あなたの姉を、あなたの愛する人を何故……」
「望んだからです、シエルさま」
「何を?」
「さあ? 知りませんし、興味もありません」

 その言葉の通り、無表情に言葉を紡ぐ。
 シエルは冷静だが、翡翠を前にするとはるかに感情豊かに見えた。

「私は命じられた通りに動くだけです」
「志貴さん達が命じたのですか?」
「お訊ねになったらどうですか、シエルさま」

 意味を図りかねて、シエルはじっとメイド服姿の少女を見つめる。
 違う。
 どこか違う。
 この少女を、わたしは知らない。

 視線を落とす。
 志貴が倒れている。
 秋葉が倒れている。
 琥珀が倒れている。

 絶命。
 間違いなく命を失っている。
 惨たらしい変死体。
 もう疑問の余地無く死んでいる。

 わからない。
 何故、翡翠が落ち着いているのか。
 シエルが屋敷を訪れた時、平然として翡翠は部屋の掃除をしていた。

 狂気は感じない。
 あまりのショックに日常に固執して、非日常から目を背けているのではない。
 むしろシエルには、翡翠があまりに理性的だとすら目に映った。

 しかし、その会話。
 おかしいのか。
 どこかおかしくなっているのか。
 シエルにはつかめなかった。

 そして、この屋敷の中で控えめに佇むこの少女の事をほとんど知らなかった
事に改めて気がつく。

 シエルさま。
 そう、翡翠の方から話し掛けた。

「全世界を殺す事は、己を殺す事に等しくありませんか。
 自分自身を殺す行為が、世界を殺す行為であるが如く」
「何を……」

 わからない。
 何を意味する言葉か。
 ここに倒れている三人に関係すると言うのか?
 シエルはためらった挙句に口を開いた。

「あなたは、誰です?」
「翡翠です。ご存知ではありませんでしたか?」
 
「では、あなたは何です?」
「今のわたしは探偵です」
「探偵?」

 なんと異質な響き。
 シエルは初めて見るかのように、翡翠を、そのメイド服姿の探偵を見つめた。

「わたしの存在意義は、探すことです」
「何をです」
「さあ、それはわたしを求める者次第です。強いて言えばおさまりの良い真実
でしょうか」
「真実?」
「はい、人はそれを求めるようですね。真実さえ明らかになれば、全てが解決
するとでも言うように。
 暴かなくても良い事実も、闇に落とさねばならぬ事実もあると言うのに。
 知らずにいる事がどれだけ幸せかわかっていたとしても……」

 深い真理を語るような声。
 シエルは知らず、体を振るわせた。
 底の知れぬ深淵を覗き込んだような、本能的な恐怖を感じて。
 探偵の声は続く。

「しかして、真実とはそれだけの重みを持っていながら、軽いものなのです。
 積み重なった事実の履歴は、ただの一語で覆ってしまう。
 信じぬものには、何の効力も持たない。
 ならば……」

 二人の視線が絡み合う。

「その人にとって都合が良い信じられる真実を用意してあげればいい。
 信じれば、それは真実なのです」
「え?」

 なんだ、その飛躍は。
 おかしい。
 でもその論理はシエルには馴染みの思考。

「事実を捻じ曲げ、別の事実を人に与える。
 シエルさまもそれはお得意でしたね?」
「私は……」

 恐怖。
 何の威圧も含まない静かなその瞳に、シエルは怯えた。

「洗脳」

 なんと禍々しく響くのだろう、この言葉は。
 こののシエルから見れば無力な少女の口から発せられていると。

「人の記憶を消し、別の記憶を植え付ける。当人は気づかない。
 薬で、魔術で、シエルさまはそれをなさる」
「何で、それを」
「わたしもまた、虚を実に、実を虚にする事ができますから」
「翡翠さんが、洗脳を?」
「姉さんのように薬と暗示を用いる術はありませんが。
 それでもわたしは、その力を持っています。
 だからわたしは、洗脳探偵と呼ばれているのです」
「洗脳……、探偵?」

 結びついてはいけない組み合わせ。
 異端の形。
 洗脳探偵と名乗った途端に、翡翠は翡翠でないものに変わった。
 
「人は、言葉を使うと同時に、言葉に使われるのです」

 翡翠は独り言のように呟く。
 しかしそれは聞かせる為の言葉だ、シエルは悟る。

「単なる音の組合せに意味を持たせ、その意味を外れると、それを認知できな
い。意味を見出そうとして、消化が出来なくなる」

 不思議なリズムの物言い。
 呪詛の如くとうとうと語る少女。

「単に音の組合せに美を快を発見してしまった人間という種は、その外れに醜
を不快を感じざるをえない」
 
 感情のこもらぬ声。

「単語をつなぐ助詞、それの狂いで、文章はその意味を喪失する」

 翡翠は自分の言葉に頷くと、初めて気づいたかのようにシエルを見つめた。

「誰が志貴さま達の命を奪ったのかとお訊ねになりましたね。
 でも、残念ながらその答えは無いのです」
「答えが無い?」

 何だかシエルはいつの間にか迷子になったような心細さを感じていた。

「はい。最初から志貴さまも秋葉さまも、姉さんも死せる者として存在させら
れたからです。だから殺した者はいないのです。
 強いて言えば……、いえやめましょう」

 止めろ、翡翠を止めろ。
 シエルの中で警告の声があがった。
 しかし、シエルは翡翠の言葉を待った。
 聞きたかった。
 何を言うのかを。

「シエルさまは私に言った……、あなたがやったのですね、翡翠さん、と」

 味わうように、目をつぶる。

「でも、わたしは犯人ではないのです。
 そして、この世界にはわたしとシエルさましかいない。
 と、なると……」

 翡翠の目が開く。
 妖しく光っている。

「残された者が犯人となるわけですね。
 それが真実です」
「何を、言っているのです」
「ああ、恐ろしい。志貴さまを、秋葉さまを、姉さんを無惨に……。
 シエルさまは何でこんな惨い事を……」

 下手な素人芝居の役者だってもっと感情のこもった台詞回しだろう。
 翡翠の指がぐるぐると回る。
 見てはいけない。
 シエルはとっさに目を閉じる。
 すると言葉がより染み入るように脳に届く。

「シエルさま……。
 あなたを、犯人です」

 壊れた。

 その言葉だけで、シエルは壊れた。
 高い魔法能力も、不死身に近い体も、異端を狩る技も。
 何も彼女を護らなかった。

「ご満足いただけましたか。
 犯人を探し出しました、お望みのままに」

 どこか嬉しそうに洗脳探偵は、埋葬機関第七位だった者に問い掛ける。
 仕事を無事に完遂したと言いたげな表情。
 返事は無い。
 シエルは何も答えない。

 しかし、翡翠は仕事振りを誉められたと言うように、一礼した。
 そして次の指示を待つ。
 何も無いと判断し、提案をした。

「それでは、少しお休みになられたら如何かと存じます」
 
 否定は無い。
 即ち肯定。
 そう、翡翠は判断した。

「お部屋を、お連れします」

 その言葉通り、部屋が連れられた。
 部屋と言う概念を逸脱したが故に、部屋たる存在を崩壊させながら。
 今まで、翡翠とシエル先輩のいる一室と化していた俺は、それに巻き込まれ、
遠野志貴たる個を喪失した。

 意識が飛んだ。
 無に、帰した。

 完全に修復不可能なほど壊された。
 完全に。

 
 だから、遠野志貴は終わる。
 この物語も幕を閉じる。

                            ……END



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