火焔樹の花 小山 道夫 ベトナム事務所長日記


2002年11月30日(土)

 午前5時起床。午前7時自宅発。午前8時15分JR日暮里駅を出発し、スカイライナーで成田第1駅へ。午前9時10分着。
 成田空港は大勢の旅行者でごったがえしていた。子供の家の子供たちの生活費、スタッフ手当てなど数百万円を米ドルに両替。
 今回はJALマイレージのポイントをためてグレードアップしビジネスクラスとした。カウンターでビジネスクラスのチケットをもらう。
 さくらラウンジで30分ばかり休憩。午前10時55分発の飛行機に乗る。 日本ベトナム間は、日本航空とベトナム航空の共同運航。日本航空の切符を買ってもベトナム航空の飛行機に乗るようになることもある。
 今回は、べトナム航空の飛行機となってしまった。数年前にもJALマイレージを貯めてJALのビジネスクラスに乗ったことがあるが、 なかなかサービスもよく快適な旅行だった。
 今回はベトナム航空の飛行機となったが、正直サービスの悪い旅となってしまった。
 エコノミークラスと比べて座席が多少広いということが「利点」であるだけでサービスなどはあまりなかった。 JALだと小型のテレビがついているのだが。ビジネスクラスの乗客はたった4人。担当客室乗務員は3人。 しかし、終始ベトナムの美人乗務員は、カーテンの中に入っていて、3人でべちゃべちゃ話しているだけで、サービスをしない。
 最初に飲み物。ビールを注文。小さなおつまみが1袋ついているだけ。JALだと何種類課のおつまみがある。
 しばらくするとベトナム入国カードが配られる。座席のテーブルを肘掛から取り出すが壊れている。 入国カードを書き始めると、急に昼食用のテーブルかけを持ってきて、入国カードの記入をやめろという。 しかたなく、入国カードの記入をやめる。そのまましばらく待つ。昼食。大層貧弱な昼食。 どうしても以前乗ったJALビジネスクラスと比べてしまう。
 昼食を持ってきてから客室乗務員はカーテンの中で「お話し中」。基本的に客室乗務員の都合に客が合わせるという状況である。

 午後3時半ホーチミン空港(タンソンナット空港)に着陸。6時間20分の空の旅であった。
 ホーチミン市は31度の暑さ。日本からできるだけ薄着の防寒着を着てきたが、暑い。入管は5分で終了。 その後、スーツケースは直ぐにターンテーブルに乗っていた。入管に入ってから空港の外に出るまでたったの10分間。 この10年間何度もホーチミンの空港を使ったが、こんなに早く外に出られたのは初めてである。
 空港の外にはベトナム副事務所長のバオミンさんが迎えにきてくれていた。思いがけない出迎えであった。 ミンさんは、日本に行くためにホーチミン市にきていた。
 オムニサイゴンホテルでミンさんと30分ほど話す。フエの状況、子供の家の様子などの概要を聞く。 ミンさんは、訪日する外務部長、フエ市立病院院長などと、夜交流会をするとのことで分かれる。
 午後4時半、Mさんという若い日本人女性と懇談。Mさんは、現在ホーチミン市でストリートチルドレンなどの救済活動をし始めた所だそうで、 熱心にベトナムでのボランティア活動について質問。私の方は出来るだけ体験した事実を紹介する。約3時間ほど話し合う。 こうした若い(25歳だそうである)方がベトナムでボランティア活動をするということに敬意を表したい。 何とか活動がうまく進むことを祈る。午後7時半終了。
 部屋に戻り、ベトナム事務所の西山優子さんに電話。丁度、子供の家で日本語の教育中。明日の打ち合わせ。
 その後、ホーチミン市内に出て、日記を書き送信。


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2002年11月29日(金)

 今日が日本滞在の最終日。会からベトナムへ持ち帰る「子どもの家」の生活費・ベトナム人スタッフの給料・運営費などを銀行からおろす。 明日、成田で米ドルに両替。
 ベトナムへ帰国に当たって自宅の部屋の清掃・整理。「帰国」のための荷物の整理。 札幌の支援者か送られた寄せ書きの横断幕やフェルトなどをスーツケースに入れる。ケースの3分の1は横断幕など。 その他、当面ベトナム滞在に必要な諸物品を買いに行く。
 帰国準備に半日。帰国にあたって関係者に必要なメール送信。

 二ヶ月間、散髪を我慢する。日本で散髪をすると4000円前後かかる。ベトナムだと50円。腕時計の電池が切れる。 時計屋に行くと二日間待って1000円かかるとのこと。ベトナムだと路上の時計屋さんで100円程度で即、直せる。 多少でもお金を浮かせたい。日本での生活も出来るだけ無駄をなくし生活をしたい。寒いのでダウンジャケットを着ているが、 これもベトナムでの支援物資の中から「カビ」ていたものを日本に持って帰りクリーニングに出して着ている。多少ダウンの羽が抜ける。 講演会などスーツの上にこのダウンジャケットを着ていると、羽が抜け出てスーツにくっついてしまう。 ダウンジャケットを着るたびにスーツの羽を取らなければならないという問題はあるが、新しいものを買うよりは、と思っている。 自分の身の回りで出来る「無駄を排す生活」を出来るだけしたいと念願している。

 9月30日に帰国し、約二か月の日本滞在であった。講演会、支援者との懇談など結構忙しく毎日を過ごした。 この二か月間各地でお世話になった皆様方に心からお礼と感謝の気持ちを表したい。
 今回は札幌、新潟県柏崎市、茨城県水戸市・つくば市、土浦市、千葉県八街市、東京、横浜市、静岡市、京都市、神戸市、滋賀県、 大阪市、岡山市などへ伺い皆様方のお世話になった。
 日本はとにかく寒い。早くベトナムへ帰りたい。
 明日(11月30日)は朝7時発。成田からホーチミンへ。明日の日記はホーチミン市から送信するつもりでいる。
 今後とも時間があったらこの日記に目を通して頂ければ幸いである。

小山さん2002年10月帰国日程
2002年11月30日現在
09月30(月)帰国 
10月01(火)東京→札幌 
 02(水)(午後)札幌厚別中学校講演会(600人)
P4表現集団懇談
 
 03(木)(午前)札幌フェスティバル参加者懇談
(午後)長男家族と
 
 04(金)札幌 長男家族と 
 05(土)(午前)芳村さん懇談札幌→東京 
 06(日)日比谷国際フェスティバル(1日) 
 07(月)講演会(休) 
 08(火)A9心臓検診
P3船渡地区講演会打ち合わせ
 
 09(水)P1八街高校授業
P4八街市教育長・校長等懇談会
 
 10(木)P1:30NHK厚生文化事業団・久門様面談
18:30〜船渡地区市民講演会(50人)
 
 11(金)P3自治体国際化協会
P7大宮駅 スタディツア−事務局懇親会
 
 12(土)午後2(支援者との面談)水道橋 
 13(日)日本事務局会議(北区教育会館)13:00〜 
 14(月)講演会(休) 
 15(火)ピ-スボ-トUPA事務局講演会 19:00〜20:00(20人) 
 16(水)大阪府美原町教育委員会主催講演会(250人)
P6教育長等懇親会(20名)
 
 17(木)A9大阪府美原町立西中学校講演会(350人)大阪→東京 
 18(金)講演会(休) 
 19(土)A10具嶋弘様面談(大口寄金者)
P3茨城県大洗へ(泊)
 
 20(日)P2茨城県つくば市文化祭講演会(80人) 
 21(月)講演会(休) 
 22(火)A10心臓通院(榊原記念病院)
P6支援者懇談
 
 23(水)休養 
 24(木)A10 板橋区徳丸幼稚園講演会事前打ち合せ 
 25(金)A8 人間ドック(1日) 
 26(土)P12 大学同級生懇談(新宿) 
 27(日)A7東京発→新神戸
P1神戸講演会(25人)
 
 28(月)講演会(休) 
 29(火)講演会(休) 
 30(水)A11菱幸運輸 
 31(木)P3文部科学省(高校倫理教科書検定立会い)
P6横浜馬車道ライオンズ
 
11月01(金)P2:30 心臓通院(心臓エコー) 
 02(土)家族 
 03(日)家族 
 04(月)静岡 P2静岡の会(40名) 
 05(火)P12静岡市長表敬訪問静岡→大阪 
 06(水)A10テレビ大阪「ボランティア21」スタジオ収録(大阪) 
 07(木)講演会(休) 
 08(金)親戚羽田出迎え 
 09(土)P2茨城県水戸市教育会講演会(40名) 
 10(日)A10日本事務局会議(神田)
P1小山さんを囲む会(神田)(70名)
 
 11(月)P6:30 高校同窓会『社会貢献賞受賞』祝う会 
 12(火)A10心臓通院
P7親類羽田見送り
 
 13(水)P1八街高校授業 
 14(木)A10徳丸幼稚園父母会講演会(70名) 
 15(金)A10横浜市立日野南中学校講演会(450名) 
 16(土)A11ピースインツアー打ち合せ
P2:30「ソロプチミスト東」(40名)
P5東京駅→岡山駅(岡山泊)
 
 17(日)A10重成さん懇談
P1京滋YOUの会主催講演会(70名)
 
 18(月)滋賀→京都
P3京都ソロプチミスト
P5:30京都ジャ−ナル取材
 
 19(火)A8:30社会貢献賞受賞式(赤坂全日空ホテル)
P6東京都教職員組合板橋支部高島地区教育懇談会(30名)
 
 20(水)A10外務省NGO懇談会
P6:30横浜馬車道ライオンズクラブ(横浜)(400名)
 
 21(木)講演会(休) 
 22(金)P12新潟県 鏡が沖中学校講演会(350名) 
 23(土)A9:50 栃木県宇都宮市商工会懇談
P6:30 支援者懇談
 
 24(日)家族日程 
 25(月)P7 弁護士事務所訪問支援打ち合せ(森ビル) 
 26(火)A10心臓通院 
 27(水)P1八街高校授業
P6平野代表と懇談
 
 28(木)P3法政大学大学院生懇談
P6木田・中村先生面談
 
 29(金)出国準備 
 30(土)出国 A11成田発→P3ホーチミン着(ホーチミン泊)
12月01(日)A6:50 ホーチミン発→8:10フエ着 

    ★ 講演会参加者 3025名
    ★ 講演会数 18回


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2002年11月28日(木)

 札幌の会の鹿又さんがテレビ大阪の「ボランティア21」を録画し、10本贈ってくれた。 毎回のことではあるが、ありがたいことである。改めて感謝。
 午前中、会の関係者に「ボランティア21」のビデオを送る。

 午後、池袋で法政大学学生二人と2時間半懇談。海外ボランティア関連の卒業論文作成のため。

 午後6時、十条で元帝京大学医学部教授の木田盈四郎先生、中村健先生と懇談。2003年3月2日から3月7日までフエに来られ、 フエ中央病院の小児科医師への研修、フエ医科大学での講義、地方診療所の医師への研修などを行うための打ち合わせ。
 木田盈四郎先生は、サリドマイド奇形の専門家。同時に枯葉剤・ダイオキシンの専門家でもある。 1980年頃、ベトナム政府主催の「ダイオキシンの人体に与える影響国際シンポジュウーム」に参加。 その後、毎年のようにベトナムへ渡り障害児の診断・診療実態調査を行っている。 私たちの会とは6年ほど前に知り合い、毎年2回ほどフエに来られ、障害児診断治療、医師への研修などを行っている。
 最近木田盈四郎先生が「ヒトの先天異常・理論と検証―サリドマイド・:ダイオキシンについての個人的体験」という本を出版した。(写真@)

@木田盈四郎先生の著書

 ダイオキシンの人体に与える影響、ベトナムのダイオキシンの問題など実践的な内容を理論化した本となっている。 ダイオキシン、枯葉剤などに興味のある方の必読文献でである。
 購読希望の方は以下にご連絡を。その際、「木田先生の紹介」と言えば1冊1500円で購入できる。

 問合せ先 財団法人「いしずえ」
 電話 03−5437−5491
 FAX  03−5437−5492
 〒153−0063 東京都目黒区目黒1−9−19


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2002年11月27日(水)

 朝9時半自宅発。千葉県立八街高校へ。自宅から都営三田線西台駅乗車。水道橋へ。水道橋からJRで錦糸町へ。錦糸町で乗り換え千葉駅。 千葉から更に乗り換え榎戸へ。榎戸から車で千葉県立八街高校。行程2時間半。12時半千葉県立八街高校着。

 1時過ぎから5時間目の授業。
今日の授業は生徒の皆さんにはかなりきつい授業である。来年1月に俳優の原田大二郎さんが来て詩の朗読授業をする。そのための事前授業を行う。
 内容は14編の詩の読み方の指導である。難しい漢字の読み方、文語体の言葉の読み方などの指導である。 生徒の皆さんはこうした授業が一番苦手である。 じっとして人の話を聞き、自分の頭で考え想像して授業を進めるということが一番苦手なのである。 一部の生徒を除き机にうつ伏せになったり、携帯電話でメールを打ったりとしていたが、それでも時々は話を聞いたり、 鉛筆で振り仮名を打ったりしていた。(写真@A)

@詩の授業をする小山 A詩の授業2

 今日は敢えてこうした授業に挑戦した。詩は以下のようなものである。
・ 山林に自由存す(国木田独歩)
・ 一個の人間(武者小路実篤)
・ 自分はいまこそいはう(山村暮長鳥)
・ 小景異情(室生犀星)
・ 汚れつちまつた悲しみに(中原中也)
・ ひとりぼっち(谷川俊太郎)
・ 夕焼け(吉野弘)
・ 橋(高田敏子)
・ 二十億光年の孤独(谷川俊太郎)
・ 雁(千家元麿)
・ 帆船の子(丸山薫)
・ 永訣の歌(宮沢賢治)
・ 自分の感受性くらい(茨木のり子)
・ コレガ人間ナノデス(原民喜)
生徒たちには相当難しい授業だった。

 6時間目は先週、福田もえ子事務所長代理が行った「子どもの家」へのメール送信で千葉県立八街高校の紹介をしたことに対する返事を受信。 会のホームページを見ることなどをして授業が終わった。(写真B)

Bパソコンで「子どもの家」と交信する生徒

 休み時間に何人かの生徒と話しをする。3年生。成田空港や浅草橋の酒屋への就職が決まったとのこと。嬉しいことである。 実際の社会に出て自分の頭と体験を通して成長していって欲しいと心から思った。

 午後3時過ぎに授業終了。一緒に授業を行った小山耕太副事務局長と千葉県立八街高校を出て榎戸駅へ。
 その足でJRの王子駅から北区教育会館へ。午後6時平野会代表と懇談。
 2003年度の総会に向けての意思統一。帰宅は午後10時半。


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2002年11月26日(火)

 昨夜は遅く帰宅。夜遅く夕食を摂りながら「日記」を書いていたが、パソコン操作を誤り、 「高野道郎メモリアルジャパンプロジェクト」の皆さんの写真を削除してしまう。

 今日は久々に一日自宅で休養。朝から明日の「千葉県立八街高校」の授業を考える。 3学期、原田大二郎氏が詩朗読の授業を行うので、事前学習として難しい漢字の読み方、語彙の意味などを大雑把に学習することがねらいだ。
 しかし、単純に授業と言ってもほとんど「なぎ倒し状態」か「携帯メール送信状態」である。 そうした生徒の心の中にある「学びたい」という気持ちにどう火をつけるかが課題である。
 この8か月間の経験だと、話を聞く持続時間は5分。ビデオなどに集中する時間は約10分が限度である。
 今日は1日、明日の授業をどう展開していくか、をあれやこれやとかんがえた。 33人の生徒たちがせっかくの授業に来るからには、2時間の授業をした後、来て良かったと思えるような授業をしたい。

 久しぶりに朝日新聞を時間をかけて読む。 読売巨人の渡辺恒雄オーナーが近鉄でFA宣言した中村紀洋選手に対し次のような事を言ったとの記事が出ていた。
 「現場とフロントが欲しいと言うから黙っていたが、 モヒカンや金髪は巨人のカラーに合わない。 本音を言うとああいうタイプの人間はいらない。 あんなのが巨人の4番や三塁手をやっていたら、子どもたちがまねをするじゃないか?いなくても勝つよ。」
色付けは小山
 野球界の「盟主」を名乗るチームのオーナーとしてはあまりに品格のない言葉ではあるが、それはさておき、 「巨人のカラーにあわない」といっているが巨人のカラーとは、札束を積み上げ、各チームの4番打者のほっぺたを引っぱたき、 有力選手を囲い込み、何人もの有力選手の人生をだめにしたチーム。江川の空白の1日でずる賢く江川を取り込み、 桑田問題などを起こしてでも「自分だけが良ければいい」というカラーが、『巨人カラー』だったではないのか。
 お金がすべて、お金さえあれば何でも出来るという「バブル時代の生き残り」チームが巨人である。 私は個人的にはモヒカンも金髪も日本人には似合わないとは思っているが、それでも、「金・金・金」、 金にものを言わせて球界の盟主を名乗るチームよりは、中村のモヒカンや金髪の方が無害であり、よっぽどましである。
 渡辺恒雄オーナーは、中村のモヒカンや金髪を子どもたちがまねをするので、教育上問題があるようなことを言っているが、 モヒカンや金髪を真似をしても、子どもたちの心は歪まない。しかし、金で全てを解決する球界の盟主の手法は、子どもたちの心を最も歪め、 お金唯一の世界へと子どもたちを引き込むものである。
 そして、現実的には野球が子どもたちの心の中にそれほど影響を与える時代は既に過去のものとなっている。

朝日新聞29面の株価一覧表を見る。
大手建設会社株が軒並み百円割れ。(11月25日の終値)
株価が100円を割ると倒産寸前というのが世間の常識。
・飛島建設  22円
・長谷川工務店  54円
・三井建設  33円
・住友建設  46円
・ハザマ  17円
・熊谷組  14円

また銀行の大型合併で出来た「みずほ」が131円、「UFJ」が115円と100円割れ寸前である。

 バブルで土地を買占め、ぼろもうけをした銀行と建設会社の慣れの果てである。 公的資金を50兆円も注ぎ込んだ銀行とその銀行から借金の棒引きをしてもらい何とか存立している建設会社。 バブルの夢が淡くも消えたその末路。  佐高信「佐高信の政経外科」(光文社)を読む。
バブルの戦犯でしこたまもうけた大手銀行の社長(頭取)の退職金は銀行が公表していないそうである。 政府の発表で分かったものでは、「長銀元会長の杉浦敏介氏」の退職金は9億7千万円だっだそうである。
 「週刊東洋経済」によれば、1996年1月27日時点での推定退職金は次のようなのだそうだ。
・ 日本興業銀行頭取 黒澤 洋氏 5億円
・ 第一勧銀会長 宮崎邦次 4億2千万円
・ 同 頭取 奥田正司氏 2億3千万円
・ さくら銀行会長 末松謙一氏 5億3千万円
・ 同 頭取 橋本俊作氏 3億2千万円
・ 三菱銀行会長 伊夫伎一雄氏 5億9千万円
・ 同 頭取 若井恒雄氏 4億7千万円
・ 富士銀行頭取 橋本徹氏 2億5千万円
・ 住友銀行会長 巽外夫氏 6億4千万円
・ 同 頭取 森川敏雄氏 3億6千万円
・ 三和銀行会長 渡辺あきら氏 3億8千万円
・ 同 頭取 佐伯尚孝氏 2億円

総計53億6千万円。
これらの会長、社長はほとんどが今日退職している。推定以上の退職金を手に入れて退職したものと思われる。 銀行の大赤字を出した張本人たちが、ぬくぬくと大金の退職金をもらい、安穏な生活を送っている。 誰一人、責任を感じて全ての私財を吐き出し、赤字に充当し、4畳半で生活している人などいない。
 ちなみにアメリカでもバブルを経験し、銀行関係者などを中心に800人が罪を問われ刑務所に。 2000人が全財産没収という措置を取った上で『公的資金の注入』という税金投入を行っている。

 53億6千万円という金額でベトナムのストリートチルドレンを1年間救済(一人年間3万円)するとすれば、 17万8千人のストリートチルドレンを助けることが出来る。

 新聞によれば、みずほ銀行が大リストラと給与の10%削減を打ち出したという。
 経営者方針と運営が出来る経営者にこそ責任がある。一般従業員には、バブル期に地上げ屋を雇い、土地買占めをする権限はなかったはずである。
 日本の大企業責任者は、自分の政策上での誤りで企業が傾いたとき、その付けを労働者に転嫁し、自分はぬくぬくと生活をしている。 こうした人間としての「道義」と『倫理』がなくなったところに今日の日本の根本的な問題があるのではないだろうか?

 大手建設会社と大型合併銀行の株価が100円割を起こしたり、起こそうとしていることを考えると、 「責任者が責任を取らない、無責任大国日本」が見えてくる。
 この種の人間ほど、「人間は真面目に生きなければならない」などと文部省(現在が文部化学省)の委員などになって、 偉そうなお説教を垂れるのである。子どもたちにお説教を垂れる前に、何億円という退職金を全て返済し、4畳半で清貧の生活をすべきである。
 18万人近くのストリートチルドレンを救えるお金を「横取り」し、50兆円もの税金も横取りし、何の責任もない銀行労働者の首を切り、 給料を引き下げながら、自分は安穏な生活を貪っている大手銀行の「お偉いさん」たちの破廉恥な行為を見ていると、日本の大企業が日本を破壊し、 おとしめているように思えてならない。
 私たちの会には多くの中小企業の経営者が支援者としてサポートしてくれている。こうした中小企業の社長さんと付き合ってみると、 人間的にも心のある方が多い。ストリートチルドレンのことを自分のことのように心配し支援を行っている。自分の企業に全ての責任をもっている。 倒産すれば、私財を全て投げ出しても責任を全うしている。中には、自分の命と引き換えに生命保険をかけている中小企業経営者もいる。
 『鯛は頭から腐る』。渡辺恒雄巨人オーナーが高笑いし、大手銀行会長や頭取が高額退職金を横取りし安穏な生活を貪っていても、 こうしたトップが腐ることは、鯛の腐敗の始まりである。

 今日、三楽病院から「脳ドック」結果通知書が届いた。脳腫瘍、脳動脈硬化、脳血栓狭窄、脳萎縮等の検査。異常なしとのこと。
 ということは、この「物忘れがひどい」と言う現象は、正常な老化現象と理解していいようである。
 今年の夏に目がくらんで倒れた経験をし、父、祖母と脳溢血で亡くしているので、注意して防げる病気は防ぎ、 あと10年間はベトナムの子どもたちと付き合って行きたいと思っている。そのためにも出来るだけ健康な体でいなければならない。

 明日は、東京のMXテレビ(メトロポリタンテレビ)で会の活動を紹介する
「ボランティア21」が放映される。AM8:30〜9:00

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2002年11月25日(月)

 箱根は雨。寒い。ログハウスの山荘が何故安く泊まれるか理解した。 この種のログハウスは夏のもので冬泊まる所ではない。空いているログハウスを有効に使うという「経営合理化」のためと分かった。 しかし、我が家に取ってはこうした人のいない紅葉の終わりごろ、安値(1泊5500円)で泊まれる箱根プリンスホテルはありがたいのである。 教職員互助組合とは関係なかった。訂正。

 朝食後読書。一昨日池袋の地下本屋で買った「コメント力を鍛える」(有田芳生:日本放送出版協会)を読了。
 コメント力とあったので短評の仕方を書いた本かと思ったが、人生論だった。 有田氏は現在読売テレビの「ザ・ワイド」のコメンテーターをしている。オウム真理教、統一教会問題でも良くテレビに出ていた。 本の中で有田芳生氏の師であった川端治氏(山川暁夫)が「節談説教」に興味を持っていたことが書かれていた。
 私も1980年頃、「演芸評論家」をめざしていた時代に講談の悟道軒円玉師に教えらて初めて「節談説教」を知った。 当時、名古屋の住職であった祖父江しょう念師を紹介され、テープなどで説談説教を聞いた。 これは仏教の教えを一般庶民に伝えるための「お説教」である。祖父江師の声は、丁度バナナの叩き売りの声であった。 南無阿弥陀・南無阿弥陀仏という言葉から始まる。
 はじめはひそひそ、途中で可笑しく、最後は泣けるような話し振りだった。 その頃、浄土真宗の「親鸞上人一代記」を説教で話すテープなど落語・講談の源(みなもと)となったと言われる「語り」を随分聞いたものである。
 川端治氏は私が大学時代にその論文を読んだ記憶のある政治評論をする人としか思っていなかったが、 同時期、私と同じことに興味を持っていたことを知り嬉しくもなり、驚いた。
 話は、「コメント力を鍛える」に戻るが、一読の価値のある本である。 物事の考え方、見方を書いたもので、昔なら「人生論」「私的哲学論」と言っても良いように思う本である。 特に教育に興味のある方は、示唆に富む本でもある。
 第4章の5 で「観念を一度捨てて、現実を見直してみる」は、非常に示唆に富んでいる。 『暮らしの中で意識(観念)を時々リセット(組み直し)することは、生きていくうえで必要なプロセスである。 なぜなら、人間は生きている時間が堆積するほどに思い込みや偏った考え方がさび(錆び)のようにこびりついてしまうことがあるからである。 ・・・・・ヘーゲルはこうした実践を「脱皮しない蛇は死ぬ」という比喩で表現している』
 人生を長く経れば経るほど、固定観念でものごとを見るようになってしまう。 色眼鏡で見るともいえる。しかし、実際に話してみたり、会って見ると全く違うことも多い。 私は、人や物事を見る時、固定概念で見ないよう常々気をつけているところである。

 昼食は箱根湯本の「はつ花」で蕎麦。箱根に来るときは必ずここで蕎麦を食べる。海苔などのらない「もり」が一番美味しい。
 11時半頃であったがかなり人も入って来た。タバコの匂いがする。 直ぐうしろの「おやじ」(私もおやじではあるが)がたばこを吸っている。 このたばこの匂いでおいしく食べていた蕎麦がいっぺんにまずくなってしまった。

 箱根湯本駅に着くが1時間ほど早い。駅前の日本茶専門の喫茶店で緑茶と抹茶を飲む。美味しい。 するとまた後ろで「たばこ攻撃」。せっかく美味しい緑茶を堪能しているのなんと無粋な人間だろうと、不愉快になる。
 駅前の商店を冷やかしながら歩く。前のおやじがやはり咥えタバコで歩いている。私の顔にタバコの煙がひっきりなしにかかる。うんざりする。 日本ほどタバコ天国はない。狭い室内でも、食堂でも、飲み屋でもどこでもあたりかまわず、タバコを吸いまくる。 私は人前で平気でタバコを吸う行為は、人前で平気で放尿するのと同じくらい、下品な行為だと思っている。
 たばこは個人の嗜好だという人もいるが、一歩下がって個人の嗜好だとしても、個人の嗜好を、逃げられないところで押し付けられるのは、 本当に困ったことである。私はたばこの匂いを嗅ぐと気持ちが悪くなるのである。たばこ野蛮国家日本。

 ロマンスカーで新宿へ(80分)。午後3時半自宅着。
 家で一休みし午後5時半自宅発、虎ノ門へ。 午後7時、東京清和法律事務所で高畑満弁護士など「高野道郎メモリアルジャパンプロジェクト」関係者と懇談。
(写真@)※デジカメで同上プロジェクト関係のみなさんの写真を撮ったのだがパソコンへ取りこみに失敗。写真がなくなってしまった。お詫びします。
 高野氏はJALベトナム事務所で仕事をされ、その後早期退職し、ホーチミン市などで日本食堂などを経営していたそうである。 1997年、ホーチミン→プノンペン間のベトナム航空機に搭乗、同航空機の墜落で亡くなられた。 2000年9月3日「高野道郎を偲びつつ高野メモリアルジャパンプロジェクトを立ち上げる会」が行われ、高野氏の友人たちで同会が結成された。
 今回、高野メモリアルジャパンプロジェクトとして、ベトナムの会(JASS)への何等かの支援をしたいとの有難い話があり、懇談となった。 懇談には、山西副代表も参加。会の歴史、活動分野、実績などを話した。 高野メモリアルジャパンプロジェクト側は、今日の話を聞いたうえで、今後、何らかの支援が出来るかどうか検討したいとのことだった。
 大変真面目な皆さんで、例え今後、会への支援などがあとうと無かろうと、こうした方々にお会いできたことだけで有難いことと思えた。 これも何かの『縁』(えにし)である。人間のネットワークでもある。人との出会いを作ってくれたベトナムの子どもたちに感謝。
 午後10時半、自宅着。


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2002年11月24日(日)

 今日は日曜日。朝、家を出て、家族(妻、次男)で箱根一泊旅行へ。
 新宿で昼食。しめ鯖、なまこ酢、かきの南蛮漬け、鯛の塩辛でビール。久保田千寿を飲む。その足でロマンスカーで箱根湯本へ。 タクシーで「箱根プリンスホテル」へ。小泉首相が良く泊まるホテルだそうだ。東京の教職員互助組合関連のホテルで廉価で宿泊した。 プリンスの山荘(コテージ)に泊まる。山小屋である。
 寒く、風邪が強い。ホテルに午後4時頃着くがそのまま3時間程寝てしまう。
 このところ睡眠不足。この旅行は「睡眠旅行」。


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2002年11月23日(土)

 午前8時半に家を出て上野へ。山西副代表と新幹線で宇都宮へ。宇都宮駅で三和電機福田社長と合流し、車で40分、茂木町へ。(写真@)

@宇都宮駅に着いた山西副代表

 茂木町で町の商工会課長さん、繊維会社小林社長、三和電機大越工場長とお会いし、 フエの生活困難な若者を研修として茂木町の企業で受け入れてもらえないかとの相談。(写真ABC)

A栃木県茂木町商工会の皆さん

Bフエからの研修生受け入れの話し合い C三和電機福田社長、商工会矢野さん

 茂木町などでは数十社で現在150名程のベトナム人研修生を受け入れているそうだ。 生活困難なベトナムの若者に技術研修を行い、ベトナムで実際に生かしてもらうということも、必要なことである。
 今後、茂木町長、町商工会などと相談し、フエの若者を研修生として受け入れる方向で検討してくれるとのことである。
 午後4時まで関係者と話し合い。急いで宇都宮駅へ。午後5時半、山西副代表と一緒に上野駅。 上野駅で山西さんと別れ、池袋へ。午後6時半、池袋で30年ほど前に一緒に北区で仕事をした仲間と懇談。 午後9時半まで。午後9時半から岩辺泰吏元代表と交流会。午後11時半まで。自宅着午前12時30分。

 午前12時半に帰宅すると私の部屋に「誕生日おめでとう、お祝いにテレビをプレゼントします」との張り紙があり、新しいテレビが置いてあった。
 考えて見れば今日11月23日は私の50数回目の誕生日である。四捨五入すると60歳となる。
長男、長男の嫁さんとその娘、次男、妻と5名の連名の誕生祝プレゼントであった。(写真DE)

D誕生祝いの家族まらのメッセージ

E誕生祝いのテレビ



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2002年11月22日(金)

 今日は朝から寒い。朝8時、自宅を出て日暮里駅へ。11月30日ベトナム「帰国」のスカイライナーの切符を買う。上野へ。 上野駅で明日(23日)山西副代表と行く宇都宮への新幹線切符を買い、その足で上野から長岡行きの新幹線に乗る。 約2時間、長岡駅着。小泉首相が就任の頃言った「米百俵」の観光用俵が置いてあった。今年から「米百俵祭り」を始めたそうだ。 何でも町興しということなのか?(写真@A)

@長岡駅の米百俵 A米百俵まつり

 長岡から柏崎へ。柏崎駅には田岡先生が待っていてくれて、「新潟県柏崎市立鏡が沖中学校」の講演会へ。
 田岡先生は今年の夏JICAA主催の教員海外視察団の一員として「子どもの家」を訪問された。 その縁で田岡先生の勤務されている柏崎市立鏡が沖中学校で講演をすることとなった。各地にこうした熱心な先生がいるのである。
 松田紀孝校長先生と懇談。(写真B)

B校長先生・田岡先生・PTA会長

 午後1時半からPTA主催の講演会を行う。参加者は400人の全校生徒、希望する保護者、先生方。
 ドキュメンタリー人間劇場と「子どもの家」卒業生のNHIさんが参加した福岡での英語スピーチコンテスト (NHKBS1)のビデオは事前に生徒たちは観ていた。(写真CDEFG)

C鏡が沖中生徒1 D講演を聴く生徒2

E講演を聴く生徒3

F講演を聴く生徒4 G講演を聴く生徒5

 途中JICA作成の「子どもの家」関連のビデオ上映も含め90分の講演会を終わる。その後、生徒さんからの質問となる。 生徒さんたちはかなり積極的に質問をしてくれた。この中学校はなかなか講演をしやすい学校であった。 生徒さんたちが積極的に話を聞く姿勢を持っていた。これは日頃の学校教育の成果だと思う。(写真HIJK)

H質問する生徒1 I質問する生徒2

J上映されたJICAビデオ K舞台上で講演する小山

 生徒の質問の中に「今後のベトナムの経済はどうなっていくと思いますか?中国などの現状も踏まえて意見を聞きたい」というものがあった。 この質問は、相当水準の高い質問である。今まで相当の回数中学校で講演会を行っているが、こうした質問は初めてであった。 こうした質問が出来るということは、ベトナムの現状、とりわけ「ドイモイ政策」についての基礎知識と、 ドイモイがもつ矛盾(貧富の格差の増大、社会主義の理論と市場経済の結合という新しい社会主義理論の構築中) の本質をしっかり掴んでいなければ出ない質問だからである。
 講演会が終わり、校長室で校長先生、PTA会長、教養部委員の皆さんと懇談していると中3の堀井君という男子生徒が校長室にやってきて、 私に質問したいことがあるとのこと。私の隣に座る。『「子どもの家」の子どもたちは笑っていますか?』という質問であった。(写真LM)

L鏡が沖中PTA教養部のお母さん方 M校長室に質問に来た中3の堀井君

 ある国際ボランティア団体が新聞に「里親になろう」という大きな広告を出している。その広告には、男の子が泣きべそで写っている。 日本の多くの人は、ストリートチルドレンといえば、この子どものイメージを想像するようである。 可愛そうな、面倒を見てあげなければならない子どもたちというイメージである。
 しかし、実際のストリートチルドレンはもっと元気で積極的でエネルギーに溢れている。例えて言えば「はだしのゲン」のような子どもたちである。 堀井君の質問は、ある意味でこうしたストリートチルドレンのイメージについての質問だったように思われる。 私は「笑ったり、泣いたりしているよ」「ただ、いつも誰かに助けられなければ生きていけないひ弱な子ではないよ」と話した。 堀井君は別れ際に「でも、小山さんが一人でベトナムへ行き、こうした活動をはじめたから子どもたちは、笑顔になれたと思う」と言って帰って言った。
 子どもたちの感想文の中に「自分たちは何が出来るだろうか考えた。お金を寄付したりすることも大事だが、 世界にストリートチルドレンがいること、そして私たちは何でもある豊かな生活をしていることをしっかりと理解することが大事だと思った。 そして、自分の日常生活を見直して行きたい」(要旨)と。
 たった1時間ほどの話ではあったが、しっかりと私の話やビデオの内容を受け止めている生徒がいることに驚き、嬉しくなった。 「今時の子どもたちは」ということは簡単であるが、その前に「今時の大人たちが何をするのか」が問われているように思えた。

 午後4時半過ぎ、柏崎駅へ。柏崎市は人口8万人の静かな町である。JRの中では海岸に一番近い駅のようだ。 そういえば北朝鮮に拉致された蓮池さん夫妻も確か柏崎だったように思い、PTAの方に聞いて見ると「学校から車で10分位の所ですよ」とのこと。 隣が田中角栄の西山町。
 柏崎駅は小さな地方の駅のように見えた。駅構内の片隅に小さなボール箱が置かれていた。拉致支援のブルーリボンが置いてあった。 駅の構内には列車を待つ人が数十人いたが、ブルーリボンを着けた人は、一人だった。何か拍子抜けしたような気持ちである。 10本ほどリボンをもらい、長岡行きの普通列車に乗り込む。(写真NO)

N柏崎駅
 
O柏崎駅切符売り場の片隅にあったブルーリボン

 長岡から新幹線で上野へ。更に山手線、都営三田線を経由し、午後9時自宅着。夕食を摂る。自宅から柏崎まで片道4時間。
 明日は、朝から宇都宮へ。


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2002年11月21日(木)

 今日は久しぶりに休養日。2週間続いた仕事と5日間連続「午前様」ということで相当きつかった。 とにかく少しでも時間があればボーっとしていた。
 今日、自宅にADSLを入れる。メールなど速く入るようになった。

 久し振りにゆっくりと新聞・テレビを見る。 ジャイアンツがペタジーニを獲得。読売新聞の渡辺恒雄社長は「巨人ばかりが強くなって・・・ワハハハ」とテレビで高笑い。
 夕方テレビで相撲を見る。二横綱、二大関が休場している。 戦後日本のスポーツを代表する双璧だったプロ野球と相撲がこの体たらくである。

 この数年、日本で起こっている様々な不祥事などを考えて見ると、戦後50数年、 日本社会の各種組織が『金属疲労』を起こしているのは明らかである。
 政治は既に金属疲労の末期症状である。「政党支持なし」が60%も占めている。 これは政党政治そのものが国民から否定されていることを示している。 これに対し、政党は危機感が薄い。今までの経験でことが済むと考える老練な政治家や党幹部が未だに君臨していることも原因の一つかも知れない。
 雪印乳業から始まり、東電、日本ハム、日本信販など大企業の道徳的な堕落は口にするのも馬鹿らしいものがある。
 外務省の体たらく。60%もの外務省職員がホテル代やタクシー代などを誤魔化し、3億円ものお金をちょろまかしていた。 S宗男氏に牛耳られても誰も「抵抗」する気概すら持たない官界。
 政財官という日本社会を支える基盤が大きく揺らいでいる。

 金属疲労現象は政財官だけではない。スポーツ界も同じである。 既に私が教員をしていた10年前、子どもたちは野球をしないでサッカーをしていた。野球を支える底辺が既に10数年前に崩壊いていたのである。 イチロー、野茂、松井とアメリカ大リーグに行ってしまった。日本のプロ野球はその存立そのものが危なくなっている。 巨人のオーナーである渡辺恒雄氏に代表される金属疲労人間は、結局プロ野球が崩壊して初めて自分たちの過ちに気づくのであろう。
 二横綱、二大関が休場しての相撲は、一種の詐欺である。こんなにお客を馬鹿にしたものもない。 しかし、相撲協会はこうした事態にそれほど危機感を持っていないようである。

 日本の全ての組織が金属疲労だということを組織の責任者は自覚すべきである。

 明日は新潟柏崎市の中学校での講演会。


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2002年11月20日(水)

 午前10時、外務省主催の懇談会に山西副代表と参加。
 この懇談会は「ODAA改革懇談会」に伴う「ODA総合戦略会議」(川口外相諮問機関)の具体化の一つである 『ベトナム国別援助計画改定』のNGO関係懇談会である。
 これはODAの総合的な見直しの一環として、今後ベトナムへの日本からのODA支援をどう考え、具体的にどう実施していくのか、 その具体案を出す取り組みの一環である。
 大野健一政策研究大学院大学教授が中心となり、具体案を考えるものである。 今日は、特にベトナムに関係しているNGO関連の代表者を呼び意見を聞くというものであった。
 参加者は外務省の関連室長、JICA代表、大野教授。(写真@)

@外務省・JICA代表・大野教授

 NGO関係者は10数団体。大野教授からベトナムの現状分析等の簡単な叩き台が出て、忌憚のない意見を言って欲しいとのことであった。
 最初に私が発言し、現地に10年滞在した率直な意見を述べた。(写真A)

A発言する小山

@ 大使館やJICAは現地で活動しるNGOの意見をもっと聞くべきだ。 私たちはフエに関しては、かなり詳しく現地の状況、ニーズを知っているのに今まで意見を求められたことはほとんどない。 実際に大使館やJACAが行っているフエでの支援で「無駄」や「疑問に思う支援」がある。 これは、現地の実情を知らないで大使館やJICAが支援を行っているからである。 地元人民委員会等の「要請」だけで支援を行うのは大いに問題がある。
A 大使館など日本の機関がハノイにいてフエまでこない。ハノイの大使館、ホーチミン市の総領事館などの関係者はもっと中部にきて欲しい。
B ベトナムが社会主義国であり一党独裁国家だという基本認識がない。
C ドイモイについての現状認識が甘い。

 私は、NGO・民間ボランティア団体は政府や行政に対して一定程度「距離」を持ち、ある程度の「緊張関係」が必要だと思っている。 政府や行政が行うことに「その通り、ごもっとも」では、民間の自主的な活動をしている意味がない。 そうした気持ちから率直な「苦言」を呈した訳である。

私の意見を引き継いで、国際マングローブ生態系協会、メコンウオッチングなどの団体も率直な意見を述べていた。
 また、他の団体からは、現地大使館などとうまく協力して活動しているとの発言もあった。(写真B)

BNGO懇談会の様子

 約2時間程の懇談会を終わり、新宿へ出て列車の切符を買い帰宅。しばらく休み、午後3時半に自宅を出て、横浜市の磯子へ。

 午後6時から「横浜みなとライオンズクラブ35周年・横浜みなと馬車道ライオンズクラブ発足式典」に参加。会場は、横浜プリンスホテル。
 自宅から磯子まで2時間ちょっとかかった。
 会場には400人以上の方々が参加。大変な数である。(写真CD)

C会場正面 D400人の参加者

 会場には、「ベトナムのストリートチルドレンに希望の教育を」との垂れ幕も掲げられていた。(写真I)

Iストリートチルドレン支援の垂れ幕

 35周年記念と新しいクラブの発会式とうことで、テレビ神奈川社長、神奈川新聞社長などの来賓挨拶があり、 ご挨拶という中で私の方からベトナムストリートチルドレン支援のお願いを行った。 会場には、15個ほどのストリートチルドレン支援の募金箱も置かれていた。
 式典終了後、馬車道ライオンズの皆さんが募金箱を持って募金を呼びかけてくれた。総額11万7千2百45円+15ドルの募金が集まった。 有難いことである。多くの参加者に感謝。(写真EFGH)

E寄金の様子
 
Fストリートチルドレンへの寄金呼びかけ

G寄金呼びかけA H寄金をする参加者

 この横浜ライオンズクラブの会員である巻口さんという方が私を横浜ライオンズクラブに紹介してくれた。 私が始めて教員になり勤務した小学校が東京駒込の「滝野川第7小学校」だった。私が最初に教えた子どもたちの中に写真店の息子がいた。 遠足や運動会などは、この写真店のお父さんが写真を撮ってくれた。その時、写真店の助手をしていたのが巻口さんだった。
 そらから30年位して、突然巻口さんから連絡があり、横浜ライオンズクラブとの出会いを作って頂いたという経過である。
 横浜馬車道ライオンズクラブは、今後も「子どもの家」への支援を続けてくれるとことで、大変有難いことだと感謝している。
 改めて巻口辿彦さんにお礼を申し上げたい。(写真JK)

J巻口氏と小山
 
K馬車道ライオンズ
松本憲八会長より支援金

 午後11時半帰宅。長い一日ではあった。この数日、帰宅が遅く相当疲れが出ている。 2週間連続仕事が続き、さすがに体が固まってしまった。明日は、1日休養日。


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2002年11月19日(火)

 昨夜、京都からの帰京が午前12時。就寝は午前1時半。
 今日は「社会貢献賞」の受賞式。社会貢献支援財団主催、内閣府・文部科学省・総務省・外務省・厚生労働省・国土交通省後援、日本財団協力。
 授賞式のリハーサルがあるとのことで朝8時半に赤坂の全日空ホテルへ。1時間程のリハーサルがある。 午前9時半頃、太平観光の北垣会長、山西副代表、福田もえ子事務所長代理、福田勝夫・洋子夫妻、小山耕太副事務局長、山田事務局員(記録)と合流。
 10時45分、授賞式が開会された。常陸宮夫妻の入場があり、堀田力副会長挨拶、曽野綾子表彰選考委員長挨拶。 その後、受賞者28名へ表彰状と副賞の贈呈。副賞は100万円。会へ寄贈した。続いて、小泉内閣総理大臣祝辞(代読)。 参加者は数百人。(写真@ABC)

@堀田副会長挨拶 A曽野綾子選考委員長挨拶

B堀田氏より表彰状と副賞を頂く C常陸宮殿下のおことば

 午後12時に閉会となり、引き続き、記念写真の撮影。

 午後12時20分から受賞祝賀パーティー。
 マラソンランナーの有森裕子さんの乾杯の挨拶があり、立食パーティーが始まった。(写真D)

D有森裕子氏乾杯の挨拶

 丁度有森さんと同席となり話し合う。有森さんは、カンボジアで地雷撤去のマラソン大会を行っているそうです、 機会があったら是非ベトナムにもお越しくださいと話が進んだ。(写真E)

E有森氏と小山

 その後、堀田力副会長と話し合う。堀田さんとは、さわやか財団の機関紙で対談をしたことがあり旧知の仲。 昨年まで東京都教育委員会から1年間派遣され、 堀田氏の秘書をしていた私の友人である本間信治氏(会の里親)が大島の学校へ派遣されていることなどを話した。(写真F)

F堀田氏と小山

 その後、曽野綾子さんと国際支援の問題、支援を利権と考える現地の特権階級のことなどを話し合った。(写真GH)

G曽野綾子氏と懇談 H曽野綾子氏と懇談2

 パーティーには、太平観光の北垣会長、山西副代表、福田もえ子代理、福田勝夫ご夫妻、小山耕太副事務局長、山田事務局員も参加。午後1時半閉会。(写真I)

I着物で参加した福田 もえ子
ベトナム事務所長代理

 その後1時間程、全日空ホテルのロビーで山西副代表、福田 もえ子ベトナム事務所長代理と当面の諸活動についての打ち合わせ。 午後3時終了。急いで、帰宅。とにかく疲れた。自宅で前日11月18日のベトナム事務所長日記を書く。 しばらく休息し、引き続き、夕方5時半から夜の講演会へ。

 午後6時に高島第6小学校へ。全教・東京都教職員組合板橋支部高島平ブロックの教育講演会。
 参加者は30名。私のベトナムでの活動をビデオで紹介し、 数年前から行っている不登校・引きこもりの子どもや若者をベトナムの「子どもの家」へ招く活動を紹介。 ベトナムから見た日本の教育・子どもたちのことなどを話す。午後8時半終了。(写真JKL)

J都教組板橋支部講演会

K都教組講演会の様子 L講演している小山

 その後、参加者と懇親会へ。懇親会終了午後11時過ぎ。
 今日は本当に疲れた。

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2002年11月18日(月)

 昨夜2時半まで「懇親」。今朝は8時に起き17日の日記を書く。その後、中村代表お手製の煮込みうどんをご馳走になる。美味しい。
 中村さんの運転で近江八幡駅まで。JR近江八幡から京都まで。 京都着午後2時20分。改札の出口で国際ソロプチミスト京都―西山の神川さん、須田さんが待っていてくれる。その足で京都駅の喫茶店へ。 JASSの今後の活動予定、10年後の予定、ソロプチミスト京都―西山の今後の支援などについて2時間半話し合う。 京都ソロプチミスト西山は、6年前に「子どもの家」へ6部屋を寄贈してくれた。同時に3人の子どもたちの支援もしてくれている。
 今後一層の支援を話し合った。

 その足で英字新聞「京都ジャーナル」の取材を受けるために「一乗寺駅」へ。 地下鉄に行き一乗寺駅を見るが載っていない。京都を詳しく知らない私は待ち合わせの場所である「一乗寺駅」が地下鉄にあるものと思い込んでいた。
 駅員に聞くと3つか4つの路線の乗換えが必要だとのこと。このままでは約束の時間に間に合わない。 駅員に聞くと地下鉄で20分程の駅まで行き、そこからタクシーで行くのが一番早いとのこと。
 地下鉄とタクシーを乗り合わせて『一乗寺駅』に着く。中西さんという方が待っていてくれた。車でインタビューをする家まで連れて行ってくれる。 京都ジャーナルの記者は中西シェリーさんというカナダ人。豊島さんという方が通訳として協力してくれた。案内されたシェリーさんの家は純和風。 シェリーさんは、和服を着て日本茶を出してくれた。彼女は日本に8年間滞在し、現在京都の女子高校で英語を教えているとのこと。
 ベトナムへ行った動機、活動、子どもたちの様子などの質問があり、通訳の豊島さんが要領よくまとめて通訳してくれる。ありがたいことである。
 ベトナムでの活動や千葉県立八街高校のことなど、教育の話などをしシェリーさんの家をでる。 「京都ジャーナル」は英字季刊誌でアジア地域で読まれているとのこと。(写真@)

@シェリー中西さん、通訳の豊島さんと小山

 8時14分京都駅発の新幹線の切符を予約していたので、タクシーを呼び、7時半にシェリーさん宅をでる。 清水寺がライトアップされているそうで、その近くが大渋滞。京都駅に着いたのは8時12分。 駆け足で改札を通り抜け、ホームの着いたのは発車3秒前。とにかく8時14分の新幹線に滑り込む。しばらくは息が切れて大変だった。
 午後11時、東京駅着。11時40分自宅着。 明日は、社会貢献賞の授賞式。朝8時半に会場の赤坂全日空ホテルに行き、予行演習をするとのこと。式典は午前11時から。疲れが取れない。


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2002年11月17日(日)

 昨夜岡山泊。(写真@)

@岡山駅

 今朝10時、岡山駅前のホテルグランヴィア岡山ロビーで重成幸雄氏と会う。(写真A)

A重成氏小山

 重成氏は7年前から1か月か2か月に1回ずつ10万円の会への寄金を続けて来られた。 5年ほど前に私は、「是非お会いしてお礼を申し上げたい」との電話を差し上げたが、 「新幹線代もかかるから、無理して来なくてもいいです」との返事を頂き、今日に至ってしまった。
 重成氏は丁度私と同年代であった。重成氏に長期間にわたる子どもたちへの寄金(総額500万円以上)へのお礼を申し上げ、 「どうして重成さんは7年間も見ず知らずの会や子どもたちに寄金を続けたのですか?」という不躾な質問した。
 重成氏は香川県の貧しい家に生まれ中学校を卒業した後高校へ行くことが出来ず、岡山の三井造船に臨時工として入社。 三井造船は会社内に高校を持ていたそうで、その高校に入り、旋盤工の仕事をしながら高校で勉学に励んだそうだ。 高校で400人の生徒に「生徒会長」を勤め、会社では労働組合活動を始めたが、 会社ににらまれ「学校でタバコをすった」と言うでっち上げの理由で高校退学、会社を解雇され、不当解雇ということで裁判に持ち込み、 4年間不当解雇撤回闘争を行ったが、最終的に和解し退社。郷里の香川に帰り、土建業を始め、今日に至ったとのこと。 現在75名の社員を抱える土建会社の社長として活動している。 自分がストリートチルドレンを支援し続けるのは、自分の過去と重なったこと、そして自分自身、 不当なことや不正を許せない性格なのだと笑って話していた。
 1960年代の中ごろは、日本中が動労運動、学生運動が高揚し始め、大きな政治的な高揚期にあった。 重成さんもそうした中で正義感と貧しさを憎む気持ちから動労運動に参加し不当解雇されたという苦しい経験の中で、 一人一人の人間の存在の大切さを知り、重成さんの人生の指針としているようである。
 長期間の寄金のお礼を申し上げたが、軽く笑い、そんなことはたいしたことではないですよと言われていた。 私と同年齢ということもあるが、何か共通したものを感じ、すがすがしい1時間の懇談であった。
 私は11時20分岡山発の新幹線で京都に行かなければならないので、急いでお別れの言葉を申し上げ新幹線に飛び乗った。 重成さんは、「子どもの家」の子どもたちの卒業後の仕事のことも心配されていて、自分でも何か仕事見つけたいと言われていた。

 新幹線車中で駅弁昼食を済ませ、午後12時50分、京都駅に着く。中央口で「京滋YOUの会」の藤井さんと待ち合わせ。 所が京都駅は日曜日と紅葉の見頃とあって大変なひと出。とにかく人がつながり歩けないほどの混雑状況だった。 中央口ということろがどこかも分からず、何とか看板をみて中央口までたどり着く。人ごみの中、藤井さんと出会う。ほっとする。
 その足で京都駅内にある「京都府国際センター」の講演会に。 既に「京滋YOUの会」の会の中村会長や大学生の会員などが会場設営をおこなっていた。
 午後2時に「京滋YOUの会」主催の講演会開始。 司会は島崎加奈子さん。現在は京都外国語大学で勉強をしている学生さんであるが、 3、4年前に私が茨城県の鹿島市にある「鹿島学園高校」で講演会を行った時の高校1年生であった。 その後、先生と一緒に「子どもの家」の訪問も行い、縁があって京都が国語大学に入り、「京滋YOUの会」の会の仕事を手伝っているとのことである。 人間のつながりとは本当に不思議なものである。
 中村代表の挨拶、山本憲吾スタディーツアー団長の報告があり、私の現地報告となる。参加者は60名以上。 特に新しい方・若い方が多く参加していた。(写真BC)

B中村代表 C山本憲吾ツアー団長

 当初私は「京滋YOUの会」の会員中心の会と想像し、会の現状と今後の方向について話すつもりであったが、 初めての方が多く参加しているとい実情を踏まえ、話す内容を変更した。
 私は何故ベトナムへ行ったか、ストリートチルドレンの実情など「そもそも」の話を三分の一ほどした後、 10年の到達点の一つとして「子どもの家」卒業生のニーさんの「アジア英語スピーチコンテスト」参加のNHKBS―1の様子を放映。 更に今年夏の「京滋YOUの会」スタディーツアーの様子をビデオで紹介。 最後の2003年2月2日会総会で話し合う会改組小山私案について説明した。何人かの方の質問があり、4時半頃会は終了した。(写真DE)

D講演会参加者 E講演する小山

 会終了後場所を移し、「京都センチュリー」内の喫茶店で会参加者と懇親。 大阪から来られた姉妹で、今年の夏ベトナム旅行をしたが、多くの物ごいの子どもたちがいて衝撃を受けた。 日本人に観光会社のガイドさんに話したら、ベトナム「子どもの家」を支える会を紹介され、自分たちで何が出来るか相談に来たとのこと。 なかなか暖かい心をもった姉妹である。ベトナムに買い物旅行に行って、ベトナム社会や実情などにほとん無関心で帰国する人もいるが、 こうして心を痛める方もいる、人様々である。
 ボランティア貯金の視察団長として「子どもの家」を視察されたある大手企業の部長さんご家族も参加された。 来年1か月ほど、娘さんが「子どもの家」でボランティアの手伝い・体験をしたいとのこと。
 その他、様々な思いを持って講演会に来られた方々が20名ほど集まり懇談。 午後7時まで。
 午後7時から会員の車で滋賀県永源寺町にある「京滋YOUの会」代表中村さんの山荘へ。 午後9時過ぎ到着。山荘に2003年1月に講演会を予定している滋賀県大津市の中学の先生が待っていた。 昨年と今年娘さんが「子どもの家」へ来てピアノや歌を教えてくれた滋賀の川瀬さんのお母さんも参加。 乾杯のあと彦根中学講演会の打ち合わせ。2003年1月30日の午後とする。
 その後、中村代表、川瀬さんなどと午前2時半まで『懇親』。長い1日が終わる。(写真FGH)

F中村代表山荘 G山荘懇親会

H滋賀の山荘から見た紅葉


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2002年11月16日(土)

 午前10時、高田の馬場で福田もえ子事務所長代理と待ち合わせ。久しぶりに会う。その足でピースインツアーの事務所へ。 2003年2月2回、3月2回合計4回行う「地球の歩き方ボランティア体験ツアー」の打ち合わせ。 ピース・イン・ツアーが企画し、地球の歩き方が募集する、主に大学生を対象とするボランティア体験ツアーである。 フエの「子どもの家」でのボランティア体験、ベトナム語入門講座、 アールオイ山岳民族交流など普通では出来ないボランティア体験が組み込まれている。もちろん観光も入っている。(写真@)

@ピースインツアー打ち合わせ

 日程は以下のよう。
@ 2003年2月9日東京発18日帰国
A 2003年2月23日東京発10日間
B 2003年3月9日東京発18日帰国
C 2003年3月16日東京発25日帰国

標準日程
第1日目 東京→ホーチミン市
第2日目 ホーチミン市→フエ市
     着後 小山道夫ベトナム事務所長『国際ボランティアと「子どもの家」支援活動』講演
 午後 「子どもの家」訪問
     子どもたちとの交流
第3日目 フエ大学・ハイバーチュン中高校視察
     フエ市立語学学校(ベトナム語入門講座)
第4日目 「子どもの家」訪問
     朝8時半 市場へ昼食用食材買出し
      昼食つくり
      昼食 「子どもの家」の子どもたちと一緒に
      子どもたちと遊び、交流
      自分の希望分野での実験体験
      日本語教育、コンピューター教育、絵画教室音楽教育への参加
第5日目  フエ観光(王宮、ドンバ市場、ティエンムー寺、カイディン帝廟)
第6日目  アールオイ山岳少数民族家庭訪問
第7日目  自由行動
第8日目  フエ→ホーチミン市 ホーチミン市観光
第9日目  終日自由行動  夜ホーチミン市発成田
第10日目 午前成田着

費用 188000円
● 連絡先 ピースインツアー
      電話 03−3207−3690
      FAX 03−3207−6343
      Eメール matsu@pitt.co.jp

1時間半程ピースインツアーの松永社長と打ち合わせ。

その後、もえ子事務所長代理と昼食を摂りながら打ち合わせ・相談。

 午後2時45分 ホテルニューオータニへ。(写真AB)

Aホテルニューオータニ Bクリスマスツリーが飾ってあった

 国際ソロプチミスト東京―東の例会出席。同会は、5年前、フエ市に障害児医療センターを建設し、その後増設してくれた。 この5年間、障害児医療センターの年間運営費用40万円も拠出してくれている。2002年12月で5年間という運営費寄贈年月が切れる。
 今日の例会に出席し、この5年間の障害児医療センターの大きな実績と今後の支援をお願いした。(写真C)

C国際ソロプチミスト東京ー東例会@

 例会終了後、関係者と喫茶室で更に突っ込んだ打ち合わせを行う。

 その足で急いで東京駅へ。午後4時53分初の新幹線で岡山へ。午後8時14分岡山着。3時間20分乗車。かなり疲れる。
 明日は、長期間会への支援を続けてくれている重成さんに岡山でお会いする。


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