火焔樹の花 小山 道夫 代表 ベトナム日記


2003年7月15日(火)

 終日曇り。
 朝から通院。新宿NSビルにある榊原記念病院へ。心電図を取り、血圧検査、その他の検診。高血圧とのこと。1か月分の薬をもらう。
 NSビルは東京都庁第2庁舎前にある。第2庁舎前には、中年男性のホームレスの人たちが「家財道具一式」を持って寝ていた。リストラされた人なのだろうか? 「明日はわが身」である。各地へ講演会に行く時、キャスター付きの小さなケースをゴロゴロさせて移動するが、ふと、このまま公園のベンチに寝たらホームレスになるのかな? などと考えることがある。

 「新釈 落語咄」(立川談志著:中公文庫)を読む。談志特有の言いまわしがあり、所々理解に苦しむ。何を言っているのか分からない。20代から30代の始め頃、毎晩のように落語を聞きに行った。渋谷の「ジャンジャン」(今、あるのだろうか?)で「立川談志独演会」を聞きに行った。小学校へ入る前の長男と次男を連れて。途中で気が付くとフラフラと長男が舞台に上がっていた。
 口うるさい談志師匠のことである。何が飛び出すか? とはらはらしたが、何も言わずに談志はへらへら笑っていた。
 個人の好みで言えば、談志は好きな咄家ではない。癖が強すぎる。しかし、談志が落語協会理事を辞して、協会からも脱退した頃から、談志の落語界に対する批判的な態度には共感を持って来た。今やテレビでも落語を見ることはなくなった。私たちの小・中・高校位までは、テレビでも寄席中継があった。
 一般庶民が落語を生活の中に取り入れ聞いていた。志ん生、正蔵、文楽、円生、三平、三木助、痴楽、など多くの咄家がテレビやラジオに出ていた。その後、社会の変化もあり、落語が庶民の娯楽ではなくなってきた。そうした事に対する危機感を談志は強くもっている。落語界の反政府分子である。反政府分子ではあるが、その主張は正当なものだと思う。しかし、当時の落語界の重鎮は、そうしたことに対してあまりに鈍感で、改革もしないまま、ずるずると今日まで来てしまった。談志を破門した師匠の「小さん」は人間国宝になった。落語家が人間国宝になったということは、落語が歌舞伎や能・狂言と同じ「古典」の高級芸術になってしまったのである。庶民のものだはなくなった。
 談志はこうして「堕落した」落語に生命を吹き込もうとしているのかも知れない。

 明日、成田からホーチミンへ帰国。
 この1ヶ月(30日間)で16回の講演会、2599人に話をした。
 以下、6月16日から7月15日までの行動記録である。

小山さん2003年6月帰国日程
2003年7月15日現在
06月16(月)帰国静養日
 17(火)P4 ソロプチミスト東京−東(20人) P6 支援者懇談
 18(水)A6:30 東村山倫理法人会モ-ニングセミナ-(30人)
P1:30 千葉県立八街高校(11人)
 19(木)羽田→札幌
 20(金)札幌国際大学講演会(150人)
 21(土)札幌
 22(日)札幌→置戸(宿泊)
 23(月)北海道立置戸高校講演会(200人)
 24(火)札幌
 25(水)札幌
 26(木)帰国静養日(札幌)
 27(金)帰国静養日(札幌)
 28(土)A10 大堀愛さんたちと懇談 P12 帯広芳村さんと懇談
 29(日)札幌→伊丹→和歌山
 30(月)和歌山青年会議所懇談(10人)→東京
07月01(火)A6:30 練馬倫理法人会モ-ニングセミナ-(20人)
 02(水)P1 千葉県立八街高校(11人) P6:30 高校クラス会
 03(木)休養日
 04(金)A11:30 富士宮市立第四中学校講演会(200人)
P1:30 富士宮市立大富士中学校(170人)
 05(土)A10 日本事務所会議 P1:30 小山・現地報告会(40人)
 06(日)休養日
 07(月)P2:30 大宮開成中学校講演会(750人) P6 夏ツアー打ち合せ
 08(火)講演会休
 09(水)P2:30 茨城県取手市聖徳中・高校(580人)
 10(木)P1 上原さんと「子どもの家」音楽室打ち合せ P6 支援者懇談
 11(金)P2:30 福島県船引町立船引南中学校講演会(270人)
 12(土)出国準備
 13(日)A8 菱幸運輸安全会議講演・感謝状贈呈式(100人)
 14(月)A10:50 横浜市 神奈川学園中講演会(37人)
 15(火)A10 通院
 16(水)成田→ホーチミン

 講演会 16回
 参加者 2599人


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2003年7月14日(月)

 今日は最後の講演会。午前10時50分横浜駅で山西副代表と待ち合わせだったが、私が品川と思い込んで数十分送れてしまった。これも加齢現象か。自宅から1時間半、神奈川学園中学校へ。2年D組の生徒さんが9月22日の文化祭でストリートチルドレンを取り上げたいとのこと。今日の講演会は、担当の佐藤道子先生が、先導し講演会となった。
 午前11時半、横浜市神奈川区の神奈川学園に到着。山西副代表と一緒。(写真@A)

@神奈川学園中学 A校舎

 午前11時半から午後1時半まで講演と話し合い。(写真BCDE)

B2年D組 C小山の講演

D講演会後生徒の皆さんと話し合い E生徒と佐藤先生
 

 2年D組37人でストリートチルドレンの実態などの調査を行い文化祭で発表するとのこと。私たちも出来るだけ協力したいと思っている。
 神奈川学園中学2年D組の皆さんはたいへん真面目にストリートチルドレン問題に取り組んでいた。


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2003年7月13日(日)

 今日は長年の「子どもの家」への支援者『菱幸運輸』へ感謝状贈呈式。
 午前7時自宅を出て、午前8時半100人の社員参加の安全会議に参加。
 菱幸運輸は120人(茨城県大洗営業所も含む)の運転手を抱え、20トン以上の大型トレーラーの物流運輸会社である。(写真@)

@菱幸運輸社屋

 菱幸運輸の熊谷会長は6年前から「子どもの家」への支援を継続してくれている。熊谷会長は社員への給料は毎月直接社員に手渡している。その際、一人一人の社員に「ベトナムの子どもの家の子どもたちにいくらでもいいから寄付をして欲しい」と呼びかけている。毎年数十万円の寄金を頂いている。
 熊谷会長は私と同い年。岩手県から集団就職で東京へやってきた。それから苦労を重ね今日の会社を興した努力の人でもある。
 大型トレーラーを使っている会社ということもあり、今日は交通安全についての講習会を行った。その一部を使い、私たちから社員の皆さんへ感謝状を贈呈し、「子どもの家」の子どもたちの様子などを報告した。
 社員の中には元暴走族のリーダーもいる。熊谷会長は「自分は社会貢献をしたい。そうした若者を多く受け入れ、自立できるように応援したいのです」と言っている。中々心のある会長である。数ヶ月前に長男に社長を譲り、会長となる。(写真A)

A熊谷新社長

 100名が参加する安全会議には、山西副代表と一緒に参加。(写真BC)

B100人安全会議 C安全会議2

 初めに私から社員代表に感謝状の贈呈を行った。(写真DE)

D感謝状 E感謝状贈呈

 その後、私が30分程、「子どもの家」の現状を話す。
 講演会後、社員代表の方からこの間集めた寄金の贈呈があった。(写真FGH)

F「子どもの家」への寄金贈呈式

G小山講演 H小山講演2

 最後に、神棚への礼拝をし、安全会議は終了した。(写真IJ)

I安全会議 J神棚礼拝

 安全会議終了後、菱幸運輸の社屋に戻り、全員でバーベキュー大会。会社から社員へ慰労の気持ちを込めての親睦会を行った。私と山西副代表も参加。午後2時近くまで社員の皆さんとの交流を楽しんだ。


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2003年7月12日(土)

 昨日は福島県郡山へ。船引南中学校でも「長崎の中1」事件が話題になっていた。この数日、この問題で心を痛めている国民は多いと思う。
 この問題が単に家庭の問題、学校の問題などとして処理できない問題であることは多くの国民が理解しているところである。だからこそ、心を痛めているのである。
 また馬鹿大臣の暴言。政府の「青少年育成推進本部」の副本部長、鴻池・防災担当大臣が公式記者会見で無教養を露呈した暴言。新聞に出ていた記者会見の要旨は以下の通り。

 「少年犯罪はまず親の責任。マスコミの報道の仕方にも問題がある。嘆き悲しんでいる両親ばかり映し、犯罪者の親を映していない。引きずりだすべきだ。14歳未満の子は犯罪者として扱われないんだから。保護のもとにある。親、担任、校長先生、全部前に出てくるべきだ。信賞必罰というか、勧善懲悪の思想があまりにも戦後教育に欠落している。節度というかそういうものが。その表れだ。戦後教育を受けた人がパパやママになりなっている。そういう人が校長や教頭、担任になっている。そういう人が政治家、財界人、役人になっている。これは大変です。
 こういった事件をきっかけに、こんなことをしたらえらいことになると自覚させるため、犯罪を犯した子どもの親は全部引きずりだすべきだ。森山法相は、少年法改正は3年前にしたから必要なし。世界と比べてこの程度という閣僚懇談会での発言だった。勧善懲悪、罰則を強化しないとびりびりこない。お天道様、ご先祖に両親は申し訳ないという教育をみな受けていない。厳しい罰則をつくるべきだ。親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいいんだよ。道徳心のある心を育てよう。沖縄も長崎も、数年前の神戸も。親を市中引き回しにするくらいじゃないと。そうすれば親も子どもも今後、気をつける。道徳の規範がない日本国民になってしまたから仕様がない。それは縛らないと。親に自覚を持たせないと」。

 聞くに堪えない言葉である。鴻池氏だけでない。大田誠一氏の「集団レイプ礼賛発言」、森前首相の「子どものいない女性には税金を上げない発言」、週刊誌等での報道では、オフレコ福田官房長官の「今時の若い女性は裸で町をあるいているようなものだ。襲ってくれと言わんばかりの格好だ発言」・・・・。
 人間としての知性のなさを自己表明する発言である。この種の知性と教養のない人々が政治をしているところに根源的な問題があるのだと言いたくなる。
 鴻池氏の発言に戻る。神戸、沖縄、そして長崎の事件が示していることは、単に学校や家庭を責めれば解決するような単純な問題でないところにその深刻さがあるのだ。長崎事件の親を市中引き回しにし、打ち首にして解決するような簡単な問題ではない。
 今、どんな家庭の子どもたちでもこの種の問題を起こす可能性をもっている。
 社会的な原因を内蔵している問題だからころ国民的な規模で悩み、解決のために多くの人々が努力し、知恵を出し合っているのである。
 鴻池氏の理屈で行けば、「両親、担任、校長」を引き出せと言うのである。その論理で行けば、教育委員会の責任者、そして遠山文部大臣、さらには、内閣総理大臣を市中引き回しにすることになる。そして、鴻池さん、あなた自身も政府の「青少年育成推進本部」の副本部長である。本部長の小泉首相とあなたこそ、青少年の育成を推進する最高責任者なのである。人のことをいう前に自分自身を市中引き回しに、青少年を健全育成する事実上の最高責任者として「切腹」すべきである。市中引き回し発言は、恥を知らない人間の暴言である。
 長崎事件の中1少年は地域の子ども会がなくなり、地域のまとまり・地域の教育力が弱くなったことも遠因になっているように思う。社会も大きく変わった。
 家庭だけでなく社会全体の学歴主義の中で親が「学力」に拘っていたのかもしれない。子どもたちは、日本の将来と未来に希望を見出せない、これは鴻池さんを含めた政治家と広くは大人全体の責任でもある。子どもたちは閉塞状態の中で模索している、こうした子どもたちの声と苦しみを大人や社会が理解できない状況もある。今、日本で神戸事件、沖縄事件、長崎事件などを家庭が悪いと簡単に切り捨てる人はいないと思う。家庭、学校も含め、社会の改革、政治が先導しての政治的な改革が必要なのである。
 今の社会状況、子どもたちの置かれた状況を放置しておけば、第2、第3の長崎事件が起こるのは必定のような気がする。
 まさに政治が先導して社会改革と長期的視野に立った対策を講じていかなかればならない時に、その最高責任者の鴻池「青少年育成推進本部」副本部長の「親を市中引き回し、打ち首」発言は、心ある人々に無力感を与えるだけである。市中引き回しされるのは、あなたなのだ。
 戦後教育を受けた人は、何か人間のくずであるかの様な発言には反論する気力すらでてこない。戦後教育を受けた一民間人である私ですら、家庭・学校・地域が悩んでいる現状の中で、何か出来ることをしようと年間100回もの全国講演会をしているのである。大半は学校講演会である。ボランティアの話、アジアやアフリカ、南アメリカの子どもたちの様子、世界の貧困問題などを子どもたちと語りあいながら、人間の生き方を子どもたちに考えてもらうようにしている。人間にとって何が一番大事なことなのかを話している。今、鴻池氏に求められているのは、政府の「青少年育成推進本部」副本部長として、子どもたちを巡る問題を総合的に分析し、政治としての諸施策を実施することである。
 この種の暴言を聞く度にこうした政治家を選んだ国民が馬鹿なのだと痛感しているところである。

 今日は休養日だったがこの日記を書いてますます疲れが溜まってしまった。長崎事件だけでやり切れない気持ちになっているのに、その上鴻池氏の暴言を知り、一層疲れが増してしまった。もう、一杯飲まなければどうしようもない、と自分に言い聞かせ、美味しい鮭とばをおつまみにし、生ビールと吟醸酒を飲んでいるのである。
 唯一の楽しみは、阪神と札束新聞社系球団をテレビで見ることである。
 札束球団も惨めな状態で「同情」を禁じえない。連日のさよなら負け。大変ですね。ご苦労様。虎さんけちけち球団は、勝率7割以上で前半戦を終わった。このまま一直線に進んでいくのか、あの阪神だから、またいつもの病気が出てくるのか?未だに一抹の不安と病気再発の期待をもって見守っているのである。

 明日は日曜日であるが、朝9時半から江戸川の大型トレーラー会社で短時間の講演。その後、長期間にわたる「子どもの家」への支援に対する感謝状の贈呈式を行う予定。


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2003年7月11日(金)

 朝、昨日の日記を書く。午前10時、上野駅へ。東北新幹線で2時間弱、福島県「郡山駅」へ。駅には、福島県船引町立船引南中学の小松先生が出迎えに来てくれていた。
 車で40分。船引南中学校へ。今日は、学校とPTA主催の講演会である。
 校長室で教頭先生、PTAの責任者としばらく懇談。
 今日の講演会は昨年8月にJICA主催のベトナムスタディーツアーに参加された船引南中小松先生の紹介である。昨年、JICA(国際協力事業団)が全国の学校の先生を選抜し、スタディーツアーを企画実施した。そのプログラムの中に私たちの「子どもの家」参観・交流が入っていた。
 今日は船引南中の参観日。午後2時過ぎまで授業参観が行われ、そのまま学校とPTA主催の講演会となった。講堂には全校生徒200人と保護者の皆さん70人ほどが参加。(写真@ABC)

@講演をする小山

A講演を聴く生徒1 B講演を聴く生徒2

C話を聞く生徒

 1時間半の講演会を行った。講演会では、ビデオを使いながらストリートチルドレンの様子、何故私がベトナムへ行ったのかなどを話しながら、一度しかない貴重な人生を有意義に過ごそう、勉強が出来るとか出来ないとかいう以前に、人間が生きるということが大事であり、人との繋がり、社会との繋がりの中で生きていくことが大切だという趣旨の話をした。人間の幸せとは何かを考えようと。
 講演会終了後、何人かの生徒から質問。ベトナムでストリートチルドレン支援活動をしてどんなことが大変だったか、喜びは何だったか・・・・。
 生徒会長のお礼のことば、JRCの生徒から花束贈呈、生徒が集めた「子どもの家」への寄金16820円の贈呈式。(写真DE)

D保護者も参加 E寄金贈呈

 午後4時過ぎ講演会終了。学校から駅までの交通が悪く、タクシーで新幹線の郡山駅まで(30分)。
 午後7時半過ぎ自宅着。約1か月近くの講演会、懇談会などが続き,今日は相当身体の疲れを感じる。夕食の買い物。にら、小松菜(大きな1把99円は安い)、焼き魚、納豆、なす・きゅうり・大根のぬか漬け。
 小樽の小さな酒蔵「亀甲蔵」で買った『吟醸』を飲む。(写真F)

F亀甲蔵「大吟醸」

 一杯飲みながらも長崎の補導された中1生徒のことが頭から離れない。


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2003年7月10日(木)

 長崎での男児殺傷事件で強く衝撃を受ける。昨夜、眠れず。中学1年生・12歳の男子生徒が補導されたとのこと。昨日テレビで中学校の校長、教頭が記者会見をしていた。「学力は非常に高い。期末試験は500点満点中465点。」「成績がトップクラス。読書好き」、「特に問題はなかった」・・・・。
 昨日聖徳大学付属中高校での講演会に行く途中、取手駅で1時間ほど時間を調整。駅の本屋に入ると、入口に「陰山メソッドによる学力がつく百マス計算」「漢字繰り返し練習」などというコーナーがどんと据えられていた。
 補導された12歳中1の「学力」は非常に高かったそうだ。百マス計算、漢字繰り返し練習などをすれば、この中1生のような「学力」は付くのかも知れない。しかし、今問われていることは、この種の「学力」が本当の学力だろうかということである。12歳の補導された少年は、この種の「学力」は確かにあったとしても、人間としての『生きる力』=「本当の学力」はなかったように思う。
 私は「子どもの家」でストリートチルドレンや様々な事情で「子どもの家」にやってきた子どもたちに学力をつけようと努力してきた。私が「子どもの家」での活動で学んだ学力とは、「生きる力=自立して生活できる力=自分で働き収入を得て自活できる力」だと思っている。その根底には、人間としての総力=生きる力こそ本当の学力であるという認識を持っている。
 ベトナム事務所や「子どもの家」では多くの日本の若者や不登校、引きこもりの若者を受け入れている。彼らは共通して「生き方」を求めている。人間としてどう生きるのかを真剣に模索している。
 今、「子どもたちに学力がなくなった」「新指導要領に総合的学習が入って来たので学力がなくなる」などと一部のマスコミや教育界で言われている。そして、上記取手駅の本屋などの真ん中に「学力がつく」などと称し陰山メソッドで「百マス繰り返しドリル」「漢字繰り返しドリル」が大量に宣伝されている。その帰結は12歳少年のような極々狭い「学力」、偏った学力に傾斜していくように思われ、心痛む思いがする。
 殺された4歳児に哀悼の気持ちを表すと共に、12歳男子生徒自身も殺人と言う行為を行った過ちを持ちつつも、「犠牲者」の一人であるように思われてならない。12歳男子生徒が狭い意味での「学力」があったことで、学校も家庭も善し(よし)としていたとしたなら、12歳の男子生徒が心の中で叫んでいた叫び声を聞く姿勢がなくなっていたように思われる。見せかけの「学力」に目を奪われずに、子どもたちや若者の心の中からの叫びに家庭や大人が目を向けなければならないように思う。今、私たち大人が子どもたちを見つめ、真の学力、生きて行く力、自分の力で自活できる力をどのようにつけて行くのかを考えなければならない時機に来ている。それは、子どもたちを人間総体としてとられること、人間としてどう生きるのかを大人が子どもたちに訴え話し合うことこそ今一番求められていることである。学力とはそうした中でうまれてくるものではないだろうか? 学校や教師、大人、社会は子どもたちの心の叫びにもっと敏感になるべきである。
 「子どもの家」での10年間は、学力とは何かを私に教えてくれた。

 午後1時、池袋で「子どもの家」支援者・音楽家の上原さんと3時間ほど懇談。内容は、上原さんを中心に「子どもの家」の音楽室で音楽教育を推進するプロジェクトの件。上原さんは「子どもの家」へも訪問され、「子どもの家」の子どもたちへの強い愛情を持っている。子どもたちに音楽を通し、音楽を楽しむことを通して、人間的な成長を願っている。(写真@)

@「子どもの家」音楽教室の打ち合わせ

 今回の懇談で「3段階」でプロジェクトを進めようと話し合った。
第1段階は上原さんたちが、各種音楽のCDを「子どもの家」に送り、子どもたちに色々な音楽に接してもらう。
第2段階は、「子どもの家」の音楽室で「リトミック」を中心に音楽を体で楽しむ機会を作る。
第3段階では、ピアノが好きな子どもたちにピアノ教育を行うというものである。
 私としては、こうしたプロジェクトは大歓迎である。同時にこうしたプロジェクトを通して子どもたちに音楽を体感させ、音楽が好きな子どもたちの能力を発掘し、希望する子どもたちには、フエ芸術大学音楽学部付属高校への入学を勧めたいと思っている。付属高校からはほぼ自動的にフエ芸術大学の音楽学部に入学できる。その後、中学や高校の音楽の先生になり「自立=自活」できるようにした。私たちが「子どもの家」でめざしているのは、一人一人の子どもたちの能力を引き出し、子どもたちに見合った将来像を一緒に考え、将来は自分の力で生きていける子どもたちにしたのである。
 上原さんに感謝。

 午後6時、教員時代の友人と懇談。学校現場の実情、子どもたちの様子、教育界の現状などの意見交換。午後11時まで。


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2003年7月9日(水)

 昨夜、阪神にマジック点灯。49。
 今日は茨城県取手にある「聖徳大学付属中学校・高等学校」での講演会。
 午後12時に取手に行くことになっていた。インターネットで路線を調べると常磐線に障害がありダイヤが乱れているとのこと。予定より2時間早く自宅を出る。西台→巣鴨→日暮里→取手。午後12時着の予定だったが1時間程早く取手着。駅の本屋で探していた本を何冊か買う。「いま、抗暴のときに」(辺見庸:毎日新聞社)、「ベトナムの少女」(デニス・チョン:文春文庫)。
 取手駅からタクシーで20分。聖徳大学付属中高校。静かな田園の中にある環境抜群の学校である。
 昭和8年に創立。中学校に特別進学コース、音楽コースがあり85名の在籍、高校には普通科、体育科、音楽科674名の在籍。短大、大学、大学院をもつ総合学校である。(写真@A)

@聖徳大学付属中・高校正門 A正門

 今回の講演会は中・高で全員女生徒。校長室で校長先生、教頭先生と懇談。
 その後、昼食に招待される。昼食は全生徒と全教職員が一同に会して摂っていた。学校に昼食専用の食堂と炊飯施設・職員を擁していた。(写真BC)

B昼食メニュー
 
C全生徒・教職員一緒に昼食を摂る

 午後1時半から午後3時まで90分の講演。生徒は中高校生約750名。
 非常に熱心に話を聞いてくれた。学校側の手の行き届いた指導の様子が良く分かる。私立だからこそ出来る教育指導の結果かも知れない。(写真DEFG)

D750人の生徒 E講演する小山

F講演する小山2 G講演を聞く生徒

 講演会後、生徒さんからいくつか質問があった。最後の生徒さんからのお礼のことば、花束贈呈。(写真H)

H質問する生徒

 この後、生徒有志の皆さんが集めた文房具の支援物資の贈呈を受けた。(写真I)

I文房具の支援物資贈呈

 聖徳太子の考えを教育理念にしている聖徳(せいとく)大学付属中学校・高等学校は、生徒さんたちの日常生活の中にその理念が実践されているように思えた。久しぶりに爽やかな気持ちで帰宅。自宅6時過ぎ着。
 長崎の幼児殺人事件の犯人が中学1年生(12歳)だとのテレビ報道を見て呆然とする。


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2003年7月8日(火)

 終日小雨。
 昨日は大宮開成高校講演会の反省会で痛飲。
 今日は一日休養日。この間、お世話になった方々に手紙を書く。メールの返事。

 「のり平のパーッと行きましょう」(小学館)読了。面白い。
 懐かしい喜劇人の名前が出てくる。エノケン、ロッパ、金語桜、トニー谷、柳沢真一、森繁、小林桂樹、山茶花究、八波むと志、加藤大介、小泉博、藤村有弘、千葉信男、渥美清、中村八大、永六輔、中島弘子、フランキー堺、大宮敏光、有島一郎、伴淳・・・・。
 こうした伝記風の本を読んで見て、三木のり平が何を考えていたかが良く分かる。父親が大学の精神科医,母親が芸者さん(本妻ではない)の子どもとしして花柳界で生まれ、戦前、新劇に入り、千田是也などと共に活動。左翼活動で警察に捕まり、留置場に入っていたという経験を持っている。
 群れるのが嫌いで、いつも独立独歩で人生を歩んできた。親友は、金原亭馬生(志ん生の長男)、志ん朝(次男)、関西の南都雄二位しかいないと言っている。一言居士で、喜劇について一言意見を持っている。東宝の「社長太平記」「社長道中記」「社長漫遊記」などの社長シリーズ、「駅前シリーズ」の宴会部長の三木のり平を小学校から中学時代良く見ていた。本来は舞台美術の専門家だった事も知った。
 「江戸むらさき」の絵は、のり平の自筆。一読の価値有り。

 今日、阪神に「マジックナンバー」(49か50)が付くのか?


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2003年7月7日(月)

 雨の七夕。
 昼、JR大宮駅前で宇都宮大学国際学部長の藤田先生と懇談。
 内容は、宇都宮大学「国際学部大学院国際学研究科国際交流研究専攻」(仮称)の学生の実習としてフエの「子どもの家」やベトナム事務所などで20日間ほどの実地研修の件。国立大学で国際学部をもっている数少ない大学の一つである宇都宮大学大学院でこうした取り組みをしたいとうことは、画期的なことだと思う。私は、国際交流、国際ボランティアなどは大学の机上だけで勉強が完結するものではないと思っている。実際に現地で活動しているNGO,NPOなどは、何に悩み、どんな問題と闘いながら活動をすすめているのかを体験することは、今後の研究にも大いに役立つことである。こうした方向に向け研究を進めようとしている宇都宮大学国際学部長の藤田先生を始め学部・大学院の先生方の先見の明を高く評価したい。現地での実習体験を授業と認定しようという取り組み進めている国立大学はないのではないだろうか。
 藤田先生はベトナムの研究者である。現在、こうした計画を文部科学省へ許可申請を行っている。2時間弱の懇談は大変有意義なものだった。

 懇談後、急いで大宮開成高校での講演会に向かった。日本事務所教育担当の人が同行。(写真@AB)

@大宮開成高校正門 A大宮開成高校

B講演会場「清心館」

 大宮開成高校の前身は1942年に創立。1959年学校法人開成学園となる。
以下、学校案内より。
募集は
● 「特進選抜コース(男女20名)」(国公立。早稲田、慶応、上智など)
● 「特進コース(男女30名)」(国公立。立教、明治・・・)
● 「進学選抜コース(男女105名)」(4大文系、理系)
● 「進学コース(男女185名)」(日大、東洋、駒沢、専修・・)
● 「総合コース(女子160名)」(大学、短大、専門学校、就職・・)
● 「家政科 (女子50名)」

 今日の講演会は1年生580人を対象としたもの。午後2時50分から40分間の授業。(写真CDEF)

C講演会の様子1 D講演会の様子2

E講演会の様子3 F講演会の様子4

 600人弱の生徒となるとかなり大勢の生徒である。講演会の冒頭7分ほど「ドキュメンタリー人間劇場」を上映。その後、ストリートチルドレンの様子、ベトナムの歴史(殖民地主義、アメリカのベトナム侵略戦争・・)などを話す。海外ボランティアのめざすもの、私が何故こうした活動をしているのか?などを話す。
 講演会終了後、希望者との懇談を行う。30名の生徒が参加。「海外ボランティアをするのに資格は必要か?」、「ベトナムでボランティアをして一番何に困ったか?」など等の質問が出た。午後5時まで懇談。(写真GH)

G大宮開成高校生徒との懇談会
 
H大宮開成高校生徒との懇談会2

 その後、日本事務所教育担当と反省会。


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2003年7月6日(日)

 パソコンの調子が非常に悪い。メール送信が出来ない。

 昨夜は「現地報告会」後の深い反省会で痛飲。反省する。
 今日は1日休養。とは言っても支援者の方へのお礼状書き。
 「子どもの家」でピアノ教室を計画している方から送られた希望のピアノ教室の様子を撮ったビデオを見たりと、あっという間に1日が終わる。

 阪神がまた勝つ。札束新聞社系球団とは13ゲーム差。
 先日、テレビのスポーツコーナーでアナウンサーが「セリーグの火を消さないようにしたいです」との発言。
 阪神が勝率7割で絶対的な強さを誇っているのでセリーグは面白くなくなった、これでは、セリーグのゲームを見る人はいなくなるとの趣旨。
 かつて札束球団が9連勝した時にはこんな馬鹿な発言はしなかったのに。
 今日のTBS「サンデーモーニング」でも喝親分が、パリーグが面白いと発言。
 自分に喝を入れろと言いたい。大半の野球解説者は札束球団に買収されているようで、阪神の強さを解説もしないし、またそこから学ぼうともしていない。18年ぶりに阪神が勝っているのだから、「阪神は立派だ」と何故言えない、などと怒っている。この怒りが本当の怒りになる事を祈る。最後は、例年の阪神パターンとなっては、怒りが更に阪神に向かうと言うものだ。

 日本帰国3週間。かなり疲れが溜まる。
 江平さんから電話。家で転び肋骨(?)を骨折したとのこと。
 今日、お会いする予定だったが。江平さんの早期回復をお祈りする。

 明日は、大宮開成高校での講演会。


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2003年7月5日(土)

 午前10時から北区教育化会館で「日本事務所会議」。20名の参加。
 内容は以下。(写真@AB)

@日本事務所会議

A獨協大学ゼミからも参加
 
B山西副代表、寒河江日本事務所長

@
 大口支援者報告(山西副代表)
 ・ 東京赤坂ライオンズクラブより「子どもの家」の総合ペンキ塗り改修費用の寄付
 ・ 具嶋様から多額の寄金
 ・ フジゼロックスより寄金  ・ カナダバンクーバーロータリークラブより2600ドル寄金
A
 総会以後の現地の活動進捗状況(小山代表)
 ・ 現地の自立に向けた人的自立活動の前進―ミンベトナム事務所長、セン「子どもの家」委員長の活動
 ・ 現地財政自立活動の前進―地球の歩き方ツアーの成功、日本語学校の開設、研修生派遣支援プロジェクトの前進
 ・ ベトナム国内の貧富の格差の増大―ナムカム事件の詳報。マフィアと警察、検察、刑務所、共産党一部幹部の癒着の実態。
B
 当面の要望(小山)
 ・ 福田もえ子副代表のベトナムでの任務の変更
 日本語学校設立・運営・一層の拡大発展、財政収入増加等の要請から日本語学校の責任者として活動して欲しい。今後の現地自立を考えると日本語学校をしっかりと運営することが大事になってきた。同時にベトナム事務所の運営等へのアドバイス。
 ・ JASSをNPO法人とする件を加速して欲しい。プロジェクトチームを編成して欲しい。(山西、田中、独協大学の3名の学生)
 ・ HPの改革―会活動の内容がかなり古い資料となっている部分がある。その部分を改定し、最新の資料、活動を記載したい。ベトナム事務所で改定する。
C
 千葉県立八街高校経過報告(小山耕太担当)
 ・ 1学期の授業が終わり、先日学期末試験をした。平均点は80点台。
 ・ 昨年よりも真面目に授業の取り組んでいる。
 ・ マブベの会の大極さんたちや原田大二郎氏、西山優子さんなども授業をしてくれ、生徒や聴講生に喜ばれた。
D
 JASS夏のツアー(森田、加藤教育担当)(写真C)

C教育担当の皆さん

 ・ 昨年より申し状況は良い。現時点で約9名の参加希望がある。ツアーを成功させたい。

 午後1時受付開始、午後1時半から「現地報告会」が行われた。参加40名。
 独協大学の梛尾(なぎお)さんが司会。(写真DEF)

D現地報告をする小山 E現地報告会参加者

F参加者に会活動を説明する福田副代表

 私の方で現地の活動報告。最初に最近放映されたテレビ番組を紹介。
 千葉テレビで放映された千葉県立八街高校の「国際ボランティア養成講座」。
 7月4日外務省提供・テレビ東京で放映された「宍戸開の地球サポート」。
 その後、ベトナム事務所で撮影したビデオを上映しながら、現地自立活動の進捗状況を報告した。
 国際ソロプチミスト東京―東の大岡博子会長、教え子の手島守君、京都から税田さん、昔北区滝野川第7小学校で1年、2年と教えた中村けやきさんのお母さん(圭子さん)など多くの方々にお越し頂いた。
 途中休憩が入り、内田さん、柳沢さん、高橋花博士がベトナムコーヒーを参加者に提供。(写真G)

Gコーヒーなどを提供する内田・柳沢・高橋花博士

 2月2日総会まで長年日本事務局長をしていた大西さんと会計部長をしていた船崎さん夫婦のお子さんがお祖母ちゃん、叔父ちゃんと一緒に来場。しっかりと話を理解し、話も出来るようになっていた。(写真H)

H前事務局長・会計部長の大西・船崎さんのお子さんとお祖母ちゃん

 午後5時から現地報告会の反省会。途中、「はまゆう」がきれいに咲いていた。(写真I)

Iはまゆう



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2003年7月4日(金)

 朝7時半に自宅を出て東京駅へ。新幹線で新富士駅。新幹線に乗った途端に睡魔に襲われうつらうつらする。途端に隣席の社長風の男性が携帯電話で話し出す。うるさくて目を醒ます。ちょっとデッキへ行って電話をすればいいのに。悲しい社会になったものだ。
 10時半に新富士駅着。駅には富士宮4中の先生が迎えに来てくれていた。感謝。途中昨夜の豪雨のためか、通行できない道があったようで道路は渋滞。
11時過ぎに富士宮4中着。牧野校長先生としばらく懇談。11時30分から12時20分まで50分間の講演。対象は1年生200人。生徒さんは良く話を聞き、ノートを取っていた。質問もかなりでた。(写真@A)

@富士宮4中講演会1 A富士宮4中講演会2

 講演会終了後、1年4組に招待され給食を摂る。久々の学校給食。カレー風味のご飯、野菜の煮物、ミニトマト、肉・貝などの串焼き、牛乳。なかなか豊かな献立だった。(写真BCD)

B富士宮4中で給食をご馳走になる

C1年4組の生徒と一緒に給食を摂る D給食を美味しそうに食べる1年4組の男子生徒

 食後、急いで富士宮市立大富士中学へ。この中学には、8年前から私たちの取り組を支援してくれている望月美登里先生がいる。今日は、富士宮市長さんも私の講演を聞きにくるとのこと。大富士中で校長先生と懇談していると市の職員の案内で小室直義・富士宮市長さんが来校。数分懇談し、講演会へ。
 大富士中も1年生170人に講演。
 冒頭、市長さんの挨拶。続いて、ドキュメンタリー人間劇場の一部を上映。
 午後1時半から2時20分まで約50分間の講演。(写真EFG)

E大富士中講演会1 F大富士中講演会2

G大富士中、生徒からの質問

 講演後、生徒さんたちが自主的にクラスで集めた寄金を贈呈。5クラスで4万円弱。ありがたいことである。(写真H)

H大富士中1年各クラスからの寄金を受け取る

 講演会終了後、急いで富士宮市長室へ。小室市長さんと30分程懇談。娘さんもベトナムへ行かれたことがあるそうだ。子どもたちのこと、ボランティアのことなどを話す。市長さんとは、望月先生の紹介で懇談することとなった。
 市長室から見た富士山は、裾野までくっきりと見えた。この季節富士山がくっきりと見えることは稀だそうだ。(写真IJK)

I小室直義富士宮市長との懇談
 
J市長、望月美登里先生と記念撮影

K市長室から見た富士山

 その後、じばらく望月先生のお宅で懇談し、望月ご夫妻に新富士駅まで送って頂き帰京。いつもながらの望月先生のご好意に感謝。


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2003年7月3日(木)

 今日は1日休養日。とは言ってもこの2週間ほど家を留守にしていたので、手紙の返事、メールの返事など結構ある。

 この10年間ベトナムに住み、時々日本へ帰国していた。最近、帰国するのが嫌になった。今回も帰国し、テレビや新聞を見ると「人殺し」事件が毎日のように起こっている。異常な日本である。4才の男児が突然連れ去られ屋上から投げ捨てられる。 家族4人が突然殺され、海に捨てられる。路上で寝ていた若者を注意した男性が頭を狙い撃ちに殴られ殺される。この種の事件が毎日のように報道されている。いつから日本が殺人国家となったのか。日本へ帰り、この種の報道を聞くのがとても辛い。異常な日本である。愛国心など呼号するする人々はこうした殺人国家日本をどう愛せよというのか?
 殺人が日常化している中で、自民党の政治家が「正直に」女性差別発言を恥じずに連発している。太田誠一氏、森全首相に加え,週刊誌の報道では、福田官房長官までも「女性が挑発的な服装をしていれば、男性はしょうがない。私だってどうなるか分からない。情状酌量的なものが必要だ」との趣旨の発言をしたと報道されている。国全体が異常になっている。
 悲しい我が日本である。私は愛国心とか立派なお説教を垂れる政治家やお偉方を根本的に信用していない。
 明日は、早朝から新幹線で新富士へ。富士宮市の中学校での講演会、富士宮市長との懇親。
 夕方、7月5日の現地報告会の最終ビデオを作る。


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2003年7月2日(水)

 今日は千葉県立八街高校での授業。朝自宅を出て、都営地下鉄西台駅→水道橋(徒歩5分)→JR水道橋→錦糸町→千葉→榎戸、全行程2時間半。午前12時半に榎戸駅に着く。教頭先生が車で駅まで迎えに来てくれる。午後1時前、千葉県立八街高校着。(写真@A)

@千葉県立八街高校校門 A総合学科校舎

 午後1時20分より千葉県立八街高校「国際ボランティア養成講座」一学期の期末試験。小山耕太先生が作った試験問題に8名の生徒3名の聴講生、千葉県立八街高校国語の先生が取り組む。(写真BCDE)

B小山耕太先生が期末試験用紙を配布 C期末試験に取り組む生徒
 

D国際ボランティア養成講座生徒 E国際ボランティア養成講座生徒

 2時間目は私が「ODA」「NGO」「自立」など現在海外ボランティアの課題について話す。その間に小山耕太先生が採点。
 生徒の平均点は80数点、聴講生を加えると平均点90点以上。
 今回は何とか生徒に良い点をとってもらおうと、事前学習もした。
 問題はベトナム語、ベトナムの地理、ストリートチルドレン関連、一学期の感想、2学期・3学期への希望。
 生徒たちは真剣に試験に取り組んでいた。「全員総居眠り状態」の昨年に比べると非常に真面目に授業に対していた。地元の大人の聴講生の方が3人受講していることも良い影響を与えている。
 帰りも駅まで教頭先生に車で送ってもらう。教頭先生の話では、今まで年間100人の退学者があったが、こうした外部講師を呼んでの授業を始めてから,昨年度は60名の退学者まで退学者が減ってきた。
 今年は、現在まで10名以下とのこと。この調子でいけば、今年は極少数の退学で済む可能性がある。私も往復5時間近くかけて千葉県立八街高校へ行っているが、生徒たちに何か影響を与えられれば、嬉しいことである。

 午後5時過ぎ東京駅。午後6時半から駒込で高校時代のクラス会。
 我が高校も石原都知事の高校再編構想の中で廃校となる。
 私たちは3年間クラス替えがなかった。そうしたこともあり、お互いの結び付きは強い。高校を卒業してそろそろ40年近くになる。今日は7人の参加。
 団塊の世代の皆さんは非常に個性が強い。
 高校時代一番しっかりとしていたN子さん。当時のクラスリーダー(女裏番長)私などこわくて口も聞けなかった。(写真F)

Fクラス「女裏番長」と小山

 野球部の迷一塁手。現在作家のK君。現在、自由業はK君と私だけ。(写真G)

G元野球部一塁。現在作家。

 「災害は忘れた頃にやってくる」の名言で有名な寺田寅彦の孫のT子さんと私がベトナムで毎日見ているNHK「首都圏ネットワーク」の美人与芝アナのお父さんである元プレーボーイ親父。(写真H)

H左:寺田寅彦の孫、右:NHK首都圏ネットワーク与芝アナの父親

 豊島区立文成小学校で3年、4年と同級生だったF子さん。私は、5年から板橋区立稲荷台小学校へ転校(この小学校も既に廃校)。その後、高校でまた同級生となる。孫が2人もいるとのこと。野球部長だったG君。私が帰国すると毎回,同級生に「全員集合」の声をかけてくれる。(写真I)

I左:小3・4年から同級生、右:クラス会永久幹事長

 宴会の途中で長野で不登校・引きこもりの子どもたちの世話をしているT子さんに全員電話。相当長電話だった。クラス会とは不思議なものである。集まるとその場で高校時代に戻ってしまう。また、高校時代ほとんど交流のなかった人とも話しが出来、交流が出来ることも良い。G君とT子幹事長のお陰でこの数年,相当の回数でクラス会を行っている。全員、相当の酒量を記録し散会。8月末には、長野の安曇野旅行をするそうだ。


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2003年7月1日(火)

 昨夜9時過ぎに東京自宅へ。12日ぶり。急いで日記を書く。日記用の写真を整理し、山西副代表に送信したが、パソコンの調子が悪いのか、全部を送信するのに一時間以上かかる。結局、日記と写真を送信し終わったのが、午前12時過ぎ。12日間の旅行中、札幌、置戸、札幌、伊丹、和歌山と回った。
 とにかく疲れる。急いで寝る。しかし蒸し暑くなかなか眠れない。うとうとしている間に午前3時半。午前4時半に起床。今朝行う「練馬倫理法人会モーニングセミナー」講演会(40分)の講演内容を整理し文章化。急いでシャワーを浴びる。太平観光北垣会長が午前5時半、車で自宅近くまでわざわざ迎えにくれくれる。毎回の事だが感謝。(写真@)

@朝5時半太平観光北垣会長が車で迎えに

 午前6時過ぎに練馬区光が丘の「第一ホテル光が丘」に到着。朝なので道は空いていた。(写真A)

A会場の第一ホテル光が丘

 午前6時半、「練馬区倫理法人会モーニングセミナー」が始まる。このセミナーは練馬区に会社をもつ社長さんたちが、朝食前に勉強会を開いているもの。
 参加企業は19社・20人。
 私の話のテーマは「21世紀を担う子どもたち」。
 この10年間のベトナムでの取り組みを紹介しつつ、日本の不登校・引きこもりなどの子どもたちを私たちの会がどのように考え、付き合ってきたかを具体的に紹介。「最近の子どもたちはなっていない」などと嘆く暇があれば、自分の出来る所で子どもたちのために何かをしていこう、と呼びかけた。(写真BCDE)

B練馬区倫理法人会モーニングセミナー C練馬区倫理法人会2
 

D練馬区倫理法人会3 E練馬区倫理法人会4

 7時半過ぎにセミナー終了。その後、参加の社長さんたちと会場ホテルで朝食。9時過ぎまで朝食を摂りながら懇談。
 帰りは、西武池袋線の高野台駅まで送ってもらい、池袋→巣鴨→都営三田線西台まで。午後12時過ぎに帰宅。西台駅から自宅の途中に小さな公園に大輪の紫陽花(あじさい)がきれいに咲いていた。(写真F)

F自宅近くに咲いている紫陽花(あじさい)

 昨夜から今朝にかけてほとんど徹夜状態だたこともあり、頭と身体が動かない。急いで昼食(ひやむぎ)を作り、短時間の昼寝。
 その後、7月5日(土)に王子の北区教育会館で行われる「現地報告会」で上映するビデオの作成。今回が2時間のデジタルビデオテープ3本をベトナムから持ちかえる。これを20分から30分のビデオに編集する。
 まず、一本ずつデジタルテープを見る。各テープにどんな場面が入っているかを記録する。その後、台本を作り,報告会参加者に「子どもの家」のどんな活動を紹介すべきを検討する。
 台本が決まると、各デジタルテープから必要な場面をVHSにダビングして行く。各場面の時間を計算しながら全体を20分から30分にまとめるのは、意外に難しい。
 夕方、この数日の新聞を読む。
 共産党の筆坂書記局長代理がセクハラ問題で参議院議員を辞任。清潔と人権、女性の権利擁護を主張してきた伝統ある政党の不祥事だけに腹立たしさを感じていたが、新聞報道によると、いつもながら自民党の政治家が馬鹿な「女性差別」発言を連発している。これは、間違っての発言ではない。本当に2人の議員が思っていることを正直に言ったまでのことである。
 自民党の太田誠一議員が、早稲田大学等の学生による集団女性暴行事件を例に、「最近の若い男は元気がない。集団レイプ事件は良い事だ」との趣旨の発言をした。同じ会合で失言・暴言首相で名を馳せた森全首相が久々に登場。少子化問題で「たくさん子どもを作った女性を将来ご苦労様と言って福祉を上げるべきだ。子どもを作らない女性が好き勝手に生きてきて、将来税金で面倒を見くれというのはおかしい」という趣旨の発言をしている。スケート選手だった橋本聖子議員も同席していたが、その場で何も抗議すらしていない。自分たちをこれほど馬鹿にされていながら、何も抗議すらできない橋本聖子議員の馬鹿さ加減も情けないが、太田議員、森全首相もこんな暴言を吐いた以上、当然議員辞職をすべきである。共産党が筆坂議員を果断に処分したことを小泉首相は見習うべきである。小泉首相は自民党総裁である。党の議員がこうした女性蔑視、差別発言を連発しているのである。総裁として、果断な処分をすべきである。
 集団レイプをすれば強い男という太田氏の男性観・女性観。この程度の人間が議員となっている我が国会である。選んだのは有権者。議員が馬鹿なのか選んだ国民が馬鹿なのか?
 子どもを産みたくても産めない社会・経済状況の日本を作った戦犯である自民党の太田氏、森氏たちは自分自身の責任にたいする自覚が全くない。「あなたたちは、若者が子どもを喜んで産めるような社会制度を整備することが仕事なのではないですか? 子どもが産めるような社会を作る仕事を放棄して勝手なことをいうな」とこちらが、「暴言」を吐きたくもなる。
 私の親戚でも子どもが欲しくてもできない夫婦がいる。涙ぐましいほど、検査などをしている。
 たまに日本に帰ると不思議なことが多い。こんな暴言を国権の最高機関である国会議員が公の場で発言しているのである。何故、国民はこの2人の暴言に対し、強く抗議し、議員辞職を求まないのか?


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