火焔樹の花 小山 道夫 代表 ベトナム日記
2004年1月19日(月) 朝6時半自宅を出て午前7時50分発で新大阪へ。2時間半。 午前11時から午後2時半までテレビ大阪で「ボランティア21」の取材の」打ち合わせ。(写真@)
テレビ大阪常務常務取締役大原氏、エルセラーン化粧品広報部長岩見氏、ディレクター米谷氏、テークワンプロデューサー秋葉氏、 放送作家辻壽々代氏、広告代理店奥谷氏と。(写真A)
出来るだけ良い番組を作りたいということでで意見は一致。詳細な取材の打ち合わせをした。 午後2時半新幹線で東京へ帰る。人生には偶然の出会いがあるものである。 新幹線で富士市付近に来た時、私はどうしても富士山の写真を撮りたくてデッキに出た。結局富士山は曇って撮れなかった。(写真B)
座席に戻ったら、隣の初老の方から上品な声で「写真は撮れましたか?」と声をかけられた。 私は「残念ながら曇っていて撮れませんでした」と答えた。 これがきっかけで少し話してみると、初老のご老人と隣の方は、元都議会議員の朝倉篤郎氏と元小金井市議の若木はつ江氏だった。 ご両氏とも既に76歳、77歳になっていた。今から37年前、東京学芸大学時代お世話になった方々だった。当時、両氏とも40代。 隣には現参議院議員緒方靖夫氏の秘書和田氏もいた。 かれこれ1時間半程、東京学芸大学時代の昔話、現在の政局などを話し合って盛り上がった。(写真C)
往復5時間、打ち合わせ3時間。かなり疲れた。 東京駅から巣鴨駅へ。車内では70代と50代の男性が大声で携帯電話をしている。 座席の前の40代の女性はハンドバッグからやおらビタミン剤かなにかサプリメント薬を取り出し飲んでいる。 私の隣に座った10代の女の子は、化粧とブランド品で全身を固めていた(ような気がする。私はブランドを知らない)。 私の隣に座るとバッグから菓子パンを取り出しパクつく。甘い匂いが車中に蔓延する。車中の人は、だれもこうした「無法」を黙殺している。 白々しい空気が車内に漂う。どう見ても車内の誰もが、こうした無法と無関係だ、私は関係ないとの態度である。 ウーン、この10年間、東京に帰るたびにこの種の異様な出来事に出会う。 正直、私は日本、強いて言えば東京のこうした異常な空気自体を吸いたくない。 変な社会と空気が存在し、それが異常にも「常態化」しつつある。どこか変である。私が住む東京ではもはやなくなったようである。
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2004年1月18日(日) 晴天。寒い。 午後1時から日本事務所会議。24名参加。亜細亜大学海外事情研究会の学生さんも3人参加。(写真@)
日本事務所会議では2003年度総会の議案を討議。2003年活動を振り返って、2004年の活動方針等。 (写真ABCDE)
日本事務所会議には、年末に「子どもの家」でピアノコンサートをしてくれた上原祥子さんもお母さんと参加。 ベトナム事務所員ラームさんの弟ホアン君も参加。ラームさんから頼まれたテト正月のお土産を渡す。(写真F)
また、私の最後の勤務校である舟渡渉学校の教え子の手島君とお母さんも参加。(写真G)
会議終了後、例の通り反省会を盛大に挙行。帰りは、手島君の車で自宅まで送ってもらった。 明日は午前6時半に家を出て新幹線で新大阪へ。 テレビ大阪で「子どもの家」取材ディレクター、台本作家と打ち合わせ。
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2004年1月17日(土) 一日寒い。午後から夕方にかけて雪。寒い。寒い。ホーチミン市は33度だった。 午前中、家で休む。午後、札幌の長男宅へのお土産を「アメ横」に買いに行く。家族3人です。(妻、次男) 土曜日ということもあり、アメ横にはたくさんの人出があり、「人酔い」状態。 最近は東京に帰り、雑踏に入ると「人酔い」状態になる。 寒いのでお風呂に入り、早く寝る。 昨日、陸上自衛隊がクエートへ出発。今日、クエート着。先遣隊長は「歴史的な出来事」と語っていた。 日本はいつから戦争好きな国家になったのか? こうした問題をNHKは何も批判せずに「垂れ流し報道」をしている。
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2004年1月16日(金) 午前7時過ぎ、無事成田到着。「渡航書」の日本人は別室へ。短時間に入国許可が出る。 午前10時半、自宅着。その足で池袋シャンサインの都庁別館に行き、パスポート申請を行う。 自宅着午後2時過ぎ。昨日から2日間の長い「パスポート騒動」であった。 東京は寒い、寒い。部屋にいても寒くてじっとしていられない。 テレビ大阪の米谷さんから電話。テレビ大阪に岡本文良著:『ベトナムの「子どもの家」』を郵送する。
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