Alpha-Lord Episode 0.0
黒い胎動
後編


 彼は寝たまま死にはしなかった。幸福かどうかは定かではない。少なくともそのまま死んでしまえば、その後余計な苦労をすることも苦しみを背負うこともないのだから。
 彼を起こしたのは第一種戦闘配備を命じる警報だった。耳障りな音、あえて人間の不快感を刺激するように合成されたものだ。その意味する所は、戦闘が回避不可能な距離まで敵が接近しているとのことである。
「さて、と…」
 起き上がった彼は、とりあえず大声を出してみた。
「おおーい、誰かいませんかぁーっ。戦闘配備でこんな所に人を閉じ込めておくほどこの船には人が余ってましたっけねぇー!」
 反応なし。彼自身が言っているように、みな忙しいのだ。その程度のことは覚悟していたので、彼はすぐに次の行動に移った。手近に有ったパイプを手にとって振り上げ扉に力いっぱい叩き付ける。それを繰り返す。その程度で、というよりも人間の腕力で軍艦の構造物が壊れはしないとは承知の上である。内部保安機構の警報を聞きつけて、兵士が一人やってきた。カイスよりも若いらしい、そばかすの見える男だ。恐る恐る中を覗き込む彼に対し、カイスはにこやかに話し掛けた。
「出して下さい、理由はあなたの上官が何か適当に考えてくれるでしょう」
 兵士は少なからず背筋を寒くしながら逃げ帰っていった。中の人間が明らかに錯乱していた方が、彼にしてみれば恐怖を誘われなかったに違いない。
 カイスとしてはかなり有効な手段を考えたつもりであったが、しかしそれでもかなりの時間を要した。その間、彼は気が向くたびに扉を叩いていた。
「どうも、お手数をおかけしました」
 扉を開けにきた艦内事務担当の年老いた少尉にそう言って、カイスは走り出した。待機所脇のロッカー室で「マフラー」を内蔵した耐圧、対重力、防弾などの機能を備える戦闘装甲服を着用する。これは運動性よりもディーフの操縦席に座った時の安定性を重視して設計されているので、そのシルエットはどこか中世騎士の甲冑を思わせる。
「このタイミングじゃみんな出た後だな…」
 着替えながらの呟きは救いようもなく暗かった。隊列を組むことなく単独で戦わなければならない。敵味方がめまぐるしく位置を変える戦場で先行する味方に合流するなど不可能だ。シュミレーションは何度もやったとはいえ、実戦経験のない彼には厳し過ぎる条件である。しかし少しでも安全な旗艦の中にとどまろうとは、彼はなぜか全く考えもしなかった。
 格納庫に飛び込んでみると、予想に反して出撃はまだ終わっていなかった。とはいっても最後の一機らしいものがカタパルトへと移動して行く最中である。それを見たカイスはヘルメットの中に驚きの叫びをこだまさせてしまった。出撃が終わっていなかったことに驚いたわけではない。それに関しては軍隊において行動が遅いということが致命的であると分かっていて安堵感を覚えたほどだ。問題は出ていった機体である。

「俺の機体! なんで…」
 所有権が有るわけではないが基本的にパイロットごとに乗る機体は決まっている。それぞれの体型、操縦の癖にあわせて調整を行うためだ。そのためここに機体番号が与えられており、目立つ所に複数書き込まれている。間違えようがない。それが、出て行ってしまったのだ。
「カイスか!」
「これは一体どういうことです!」
 無重量状態の中、文字通り飛んできたラフラッドにカイスは思わず詰め寄った。ラフラッドのほうでも無線越しに声を荒げる。発進態勢の格納庫は与圧されていないので直接の会話は不可能だ。
「主任の馬鹿が点検をサボってやがった! 不良部品のおかげで俺が見ていなかった機体は後四時間動かない。それでみな動ける機体で出ていったんだ」
 ラフラッドは三階級上の整備主任を周囲全員に聞かれるであろう共用回線で馬鹿呼ばわりした。もう敬意を払う気も起きないのだろう。いわれてみれば、格納庫のあちこちに解体されたままのベヒモスが転がっている。
「予備機があるでしょう!」
「それも使ってようやく数を合わせてんだ。ここには今動けるベヒモスは一機も…」
 カイスの視線が格納庫の隅に突き刺さった。まだ手付かずのフェイロン、さっきまで動いていたものが動かないはずがない。
「対艦火器を用意してください、急いで」
「あれを使う気か! 止せ、性能が違いすぎる、落とされるのが落ちだ」
「相変わらず洒落が下手ですね」
 なぜかカイスは平静だった。ラフラッドがいきり立つ。
「冗談を言っているのはどっちだ!」
「そんな時間はないんでしょう、だから早く準備を。せっかく軍人になったのに、座して死を待つなんてできませんからね。四時間経てばすぐに戻ってきます」
 からかわれた気もするが、結局ラフラッドは言われた通りにした。対艦低反動砲が二基、予備弾倉と共に装備される。カイスがシュミレーションや訓練で使ってみた限りでは、対艦火器の中でこれがもっとも使いやすい。そのあたりの好みを把握していてこその一流の整備士である。
 
対機動兵器用の火器は固定装備の機銃のみ、この状況下で雑魚を一々潰していても埒があかない。一か八か、主力艦を叩くのだ。単独行動で力を発揮する唯一の道、しかし分の悪い賭けで負ければ死が待っている。四時間したら帰ってくるなど、相手を納得させるための方便でしかない。
「行こうか、フェイロン」
 同調が終わってカイスはゆっくりと目を開けた。その視界に、ラフラッドが姿をあらわす。
「死ぬなよ!」
「了解」
 カタパルトに向かいながら通信回線を発進管制室にあわせる。この時既にカイスはラフラッドのことを頭から追い払っていた。
「管制官殿、これより出撃します、現在の状況を」
 通常の発進手順にのっとって呼びかける。返ってきたのは戦闘中とも思えない素っ頓狂な返事だった。
『え、何、まだ出てなかったの』
 女の声だった。聞き覚えがある。確か名前はティーラス、階級はカイスよりもだいぶ下の中級曹であったと思う。基本的に出撃は階級の高いものから行うので、彼女はカイスをパイロットの中で最も階級の低い初級曹と勘違いしているのであろう。初級曹は中級曹の一つ下だ。先ほどから妙に悪戯っぽい気持ちになっているカイスは、相手の勘違いを訂正しようとはしなかった。そんなことでもしていなければ、精神の平衡が保てないのかもしれない。
「機体の整備が今終わったのでありますそれを手伝っておりましたので状況も良く分かりません」
『仕方ないわね全く…』
「は、申し訳有りません」
『まあいいや、敵は空母一、戦艦二、巡洋艦四、駆逐艦十二からなると思われる。輸送船は随伴していない模様。所であんた命令がなんだか分かってる?』
「いえ、承知しておりません」
『仕方ないわねぇ、…ディーフ部隊は前面直援、以上』
「了解でありますティーラス中級曹殿、わざわざありがとうございます」
 適当に相づちを打ちながら、カイスは命令の意味を探っていた。実の所敵国ダルデキューアでは、戦艦、空母などという古典的な艦船の名称を用いず、それぞれ「A級戦術艦」「機動母艦」などと呼称している。それが先進的かつ合理的だだ、とでも思っているらしい。だからティーラスが読み上げた内容は、厳密には正しくない。しかしそれを承知で、カイスを含むアストラント軍の人間は自分たちの艦船に相当する名称を与えるのが常だった。元々同じ種類とされる型の艦船でもその性能には様々なものがあり、細かい相異を気にしていては概括することができないのである。
 敵は小規模ながら一通りの艦船をそろえている。火力、防御力、制空能力、機動力全てに一定の能力を有するバランスの取れた編成だ。芸がないともいえるが、その分隙もない。この場においては火力という点で、戦艦を欠くアストラント軍が大きく不利だ。

 直援とは襲いかかってくる敵の機動兵器から艦船を守る、すなわち守りの態勢だ。不利な状況で守りに入って良いのは基本的に援軍が期待できる場合のみ、そうでなければ数の力に押されてずるずると消耗してしまう。逃げるか、思い切った攻撃に出るか二つに一つだ。このような命令、出した人間は錯乱しているとしか思えない。
 わずかに自分の思考に入っていたカイスを、ティーラスのやや弾んだ声が現実に引き戻した。

『あら、あたしの声を覚えてるの? 上官の声をきっちり覚えてるなんて出世するわね。それともあたしが女だから覚えてたって言うんなら、もてるでしょ』
 ティーラスもこの危機的な状況が分かっていないはずはないのにそんなことを言う。人間、追いつめられたからといってそれに応じて真面目になれるものではない。
「はは、ありがとうございます。発進位置に着きました、指示を願います」
『了解、カタパルトへの固定を確認した。カウントダウンに入る、三十秒前、…二十五秒前…』
 内臓式カタパルトの入り口が開き、先行する味方艦の発する噴射炎が視野を焼く。その先に、敵艦の艦影が見受けられた。近い。そろそろ戦艦主砲の射程に入る。この入り口の開いた状態で直撃を受ければ、カイスはフェイロンごと蒸発し母艦ザイトゥーンも大きなダメージを受ける。そうならないようにするには、祈るしかない。祈る対象を持ち合わせていれば…。とりあえず、すぐには敵の攻撃は襲い掛かってこなかった。
『十、九、八、七、六、…』
 張りのある声でカウントダウンが続く、フェイロンの手の表面装甲同士が擦れ合う振動が機体内部に響いた。
 がくん、と不意に船が揺れた。
「何だ!」
 被弾ではなく、もっと大きく緩やかな揺れ、しかし艦の衝撃吸収機構の限度は超えている。急速回頭、とカイスが悟るまでに一瞬の間があった。
『発進中止、パイロットは現状のまま待機』
 管制官も鋭い声を発する。その声に異常な緊張が聞き取れた。
「何事ですか」
『艦長が突然進路を変えさせたんだ。くっ、なんでこんな所に! まさか…』
 状況がつかめない、不安に駆られてカイスが声を荒げる。
「だから何です、我々に状況を伝えるのがあなたの仕事でしょう」
『ハッチは開いてるから、今分かるはずだよ』
 巨大な壁が、開放された扉によって切り取られた視界を塞いだ。古びたモスグリーン、輸送船の外壁だった。重力波通信、電磁波無線、そして発光信号、あらゆるフェイロンの回線に投降信号が流れ込んでくる。その輸送船が、そして周囲に固まっているその他全ての輸送船からそれは発せられていた。
 投降したものを撃ってはならない、それはアストラント、ダルデキューアの双方で守られている最低限のルールだ。破るものも必ず現れるが、発覚した場合には銃殺されかねない。それにダルデキューアの側にしてみれば、その中に民間人が詰め込まれている事が分かっており撃つ事ができない。そもそも彼等が追撃を行ったのは、外交上の巨大なカードとして五万の民間人を無傷で手中に収めよとの命令を受けたからだった。民間人をいわば人質に取るのも戦時国際慣習法上問題はあるのだが、戦闘区域から安全な場所に退避させたなどと言い逃れることはできる。
『…今そっちに現在の状況を転送する』
 彼女の声は平板だった。感情を閉ざす、それが彼女にとって唯一自分の理性を守る方法だった。フェイロンの戦術コンピューターに、管制室から戦術データが垂れ流し状に入力されて行く。
 敵と味方、その間に輸送船、これは投降の意思を示しているので中立の表示がなされている。敵駆逐艦を示す標示が一つ、消えた。アストラントの巡洋艦が輸送船の隙間越しに発砲したのだ。ダルデキューアの戦艦は主砲の射程圏内にその巡洋艦を捉えていたが、反撃していない。
『全機、味方を有効に利用して敵を撃破せよ、…だと? なんであたしはこんな命令を伝えなくちゃならないんだ…』
 カイスの聴覚にティーラスのうめきが流れ込む、しかし彼はそれを聞いてなどいなかった。
「これが答えか…殺してやる!」
 カタパルトと機体との接続を、フェイロンは力づくで引き千切った。巻き上がった破片を吹き飛ばして、それは艦外へと飛び出す。すぐさま反転したその手の二基の対艦低反動砲が、艦長がいるはずの艦橋に狙点を固定した。
『や、止めろ!』
 状況を察した管制官が慌てて叫ぶ。管制室は艦橋に程近い。彼女は無線越しに歯ぎしりの音を聞き取った。
「くっ、デルマランに伝えろ! 後でカイス=サファールが必ず殺しに行くと」
『サ、サファール少尉? し、失礼をいたしました、ご武運を』
 ティーラスが恐怖したのは序列無視よりももっと根源的なものであった。
「ありがとう」
 機械的な礼と共に、カイスは母艦の付近を離れた。敵と味方、いや敵ともう一つの敵に挟まれた輸送船群に、もはや安全な逃げ道などない。もう流れ弾から船を守るくらいしかできることはないと思ったカイスは、先ほど訪れた船の前に出た。アストラント艦の砲撃がかすめ去って行く。対するダルデキューア艦は回避運動をするばかりだ。そこへアストラントのディーフが襲い掛かる。迎え撃つダルデキューアのディーフも味方艦の支援が得られずに防戦一方となった。
「これで、勝つのか…」
 異様な感覚がカイスを包み込む。怒り、恐怖、罪悪感、そしてわずかな安堵、そしてその他形容できないさまざまなものが交じり合ったざらついたものだ。
 しかしそれはすぐさまごく単純なものに取って代わった。フェイロンのセンサーが敵の旗艦と思われる空母からあらゆる回線、手段を使って通信波が発せられたのを傍受した。暗号化されているので内容は直接解読できないが、リアクションからそれを推測するのは容易だった。ダルデキューアの戦艦の主砲が回答して輸送船に正対する。
「避けろ!」
 背後の輸送船に向けてそう叫ぶ。しかし通信回線を開いていたかも定かでない。もしそうであったとしても、どうせ間に合いはしなかっただろう。輸送船は鈍重に過ぎる。空母を除くいくつかの敵艦から、空母へと通信波が送られる、命令の確認であろう。空母は再度、先ほどと全く同一パターンのものを発信した。
 戦艦から放たれた光の槍が、輸送船の群れを串刺しにした。主砲斉射である。輸送船の巨体がゆっくりと、しかし確実に散って行く。戦闘艦であったなら、あるいは客船であったなら安全装置が働いて内部の人員は全滅を免れる…。第一射を受けなかった残る輸送船には、巡洋艦から比較的細い、しかし輸送船の外殻を突き破るには十分なエネルギーの固まりが突き刺さった。全ては熱と光と化して消えて行く…。
 ダルデキューア軍戦艦の主砲が五万の民間人を載せた輸送船を次々と星間物質に変えていった。助からない。そして楯を失ったアストラント軍も。
「やりやがった…中身が何なのか、それは奴等も分かっていたはずなのに…」
 とっさにあらゆる感情を忘れ、反射で回避運動をとっていたカイスはその後呆然とつぶやいた。その後は全く動くこともできない。しかしそれが却って彼自身を救った。機能を停止した機体が、敵味方識別信号を発し続けることは宇宙空間において珍しくはない。当面の敵がいない限り、慣性に従うのみで流されるものは放置される。もちろん一歩間違えば、たどるべき運命は一つしかない。
「う…くっ…ぐっ…ぐ…おぉっ!」
 彼はそんなことを考えていなかった。母艦ザイトゥーンが敵戦艦の第二射を受けて沈み行くのも、戦意を失った味方機が次々と打ち落とされて行くのも、別世界の出来事であった。そこには感情の爆発しかない。
 そして何かが変わった。それが何であったかについて彼が考えるのは後日の事、今は敵しか見えない。
 フェイロンは敵の中央、空母に向けて進路を取った。それに気づいたダルデキューアのディーフ、「フレスヴェルグ」が二機襲い掛かってくる。カイスはそれに対して軌道をわずかにしか変えなかった。二機の中央をすり抜ける。そして直後に、フレスヴェルクは二機ともかつてはフレスヴェルグであったものに変わった。すれ違いざまにフェイロンの両手に装備された重粒子ビーム機銃の直撃を受けたのである。
 異常なまでに正確な射撃だった。互いに高速で移動している上、フレスヴェルクのほうでも発砲している。敵の攻撃を回避しつつ二機を同時に補足して攻撃、人間業ではなかった。

 直進を続けるカイスとフェイロンの前に、火線の壁が立ちはだかった。ダルデキューア軍の空母護衛部隊、防空型駆逐艦と直援機の群れである。直援機は前述の通り空母などの艦船を守る機動兵器で、腕に装備されているよりも大型の火器を手にしている。防空型駆逐艦はそれよりも更に大型かつ強力な対空火器を多数備えた艦で、戦艦あるいは空母等の大型艦の護衛に当たる。ディーフにとって最も恐るべきは敵のアシャー、ついでこの防空型駆逐艦だ。動きが速く戦艦よりもたちが悪い。ことにディーフとの連携によって敵を炎の中に叩き込むやり口は、ダルデキューア、アストラントの両軍で研究と訓練が重ねられてる。そして彼等が最も活躍するのが今のような勝ち戦だ。負けが込んだ側が、無謀な突撃を敢行するのは珍しくもない。

 しかしカイスは、追い込まれる前に防空型駆逐艦に正面から突っ込んだ。機銃と速射榴弾砲、そして嘲笑の嵐が浴びせられる。ダルデキューア軍の誰もが、次の瞬間爆発が生じるのを疑いはしなかった。そして爆発、至近距離から三発、対艦低反動砲を動力部付近に被弾した駆逐艦が瞬時に四散する。閃光と駆逐艦内部の空気による爆風、そして弾丸さながらに高速で飛び散る破片の中心を縫って、フェイロンは防御線を突破した。彼、いや彼等にとって空母の張る弾幕などないに等しい。直援機群が気づいたときには、その煤に汚れた機体は空母の甲板上に有った。
 この段階でもはや、火砲を用いてフェイロンを空母上から排除することは難しい。外せば弾丸が空母の外殻に食い込み、直撃させれば爆発がその場を焼く。空母の外部装甲は輸送船ほどではないにせよ、薄い。
 しかしこのような時こそディーフの真価が発揮される。その白兵戦装備を使えば誘爆を引き起こすことなく敵の排除が可能である。効果範囲がメートル単位とごく限定されている分正確な攻撃が可能なのだ。

 破滅の天使のごとく、十数機のフレスヴェルグが空母の上に舞い下りる。その手に握られているのはベイアネット、重粒子ビーム機銃の内部機構である粒子発振機を利用した剣状の武器である。これはその名の由来となった旧時代の歩兵用火器付属品のように銃火器に刃を取り付けるのではなく、銃火器から必要な部品を取り出して使用する。射程は極めて短いが、その威力は極めて大きい。ディーフが直撃を受ければ真っ二つにもなる。


 しかしカイスは非情だった。正面から切り合う気など全くない。着地際の隙をねらって機銃で撃ちぬいて行く。それを防ぐべく行われたダルデキューア軍の機体運動、相互支援もすべて徒労に終わった。最後の一機は慌てて離脱しようとしたが、間に合わない。足首を掴まれたその機体は格納庫の入り口に叩き付けられた。ひしゃげた装甲版に埋もれたフレスヴェルグに、フェイロンが更に襲い掛かる。低反動砲のうち一機を放り出したそれは、空いた手でフレスヴェルグの頭部を引きちぎった。数本の配線で動体とつながったままの頭部が入り口脇に叩き付けられる。それで入り口が開いた。頭部に内蔵された識別装置を、艦のほうが味方と認識したのである。
 整備士たちが逃げ惑う光景が視界に入る。カイスはそれに対して殺意を抱きはしなかった。どうせみんな死ぬのである。先ほど捨てたものの代わりに、カイスは放置されていた重機関砲をつかんだ。規格が違うので照準に誤差は出るが、この艦内で使用するのに問題が出るほどではない。そしてそれを、彼はまず自らの進入口に向けて使用した。そこから進入しようとしたフレスヴェルクが穴だらけになってはじけとぶ。加害者はそれにさしたる関心も払わず先を急いだ。目指すはこの艦の動力部である。

 防御隔壁に対しては低反動砲を、その他の壁面に対しては重機関砲を使って穴を空けて、カイスは動力部へと直進した。敵の艦であり、その構造はレベルの高い軍事機密となっているが、機能を極限まで追及する戦闘艦である以上、あまり奇抜な事はできない。両腕の火器が火を噴くたびに多くの人命が失われて行く、その感触はカイスによって確かに捉えられていたが、その感情がわずかに動く事さえなかった。彼はもはや彼ではなかった。
 やがて彼は目的地に到達した。バイゼン管、エネルギーを高重力の形で保存し、必要に応じて電力に変換して使用する。重力制御技術の一つの結晶である。ディーフに使われているのも基本構造は同じ物だ。出力としては核融合にわずかに勝る程度だが、エネルギーの充填に要するコストが圧倒的に低いため人工空間都市からディーフにまで動力源として使われている。これより小さいものについてはバイゼン管の小型化が難しいため、使われていない。

 一度はそれに狙いを定めたカイスであったが、しかし直後に機関砲を担ぎ上げるようにして持ち上げ、銃口を後方に向けた。そしてそのままの姿勢で発砲、フェイロンの後方に忍び寄っていたフレスヴェルグが崩れ落ちる。結果を確認することもなく、カイスは改めて狙点を固定した。目標は軍艦に装備されているものだから何重にも安全装置がつけられているが、複数回に渡って攻撃されたのではどうしようもない。残りの弾丸があるだけ、カイスは手持ちの火器を撃ち放した。戦闘に入らなければ小規模都市にも匹敵する空母を二年にわたって維持しうるだけのエネルギーが蓄積された管に、亀裂が生じた…。
 

 敵の空母を撃沈、その艦載機をほぼ全滅させ、さらに巡洋艦二隻、駆逐艦三隻を沈めたダルデキューア軍はしかし冷たい沈黙のうちに閉じ込められていた。取り逃がした艦もあるが、全般としては十分な大勝利である。それでもだった。
 民間人が乗っていると分かっていた輸送船を全滅させたから、ではない。輸送船は実は軍事目的のもので民間人が乗っているとの偽装がなされたものだった、というのがダルデキューア軍上層部の公式見解である。「たとえそこに民間人が一人でも乗っていたとしても」非はそれを楯にしたアストラント軍の側にある。それに民間人であれ軍人であれ、詰まる所人間であることに変わりはない。自らが軍人である以上、殺すことに必要以上の良心の呵責はなかった。後味は決して良くはないが、言い換えればそれ以上のものではない。
 それは染み渡るような恐怖だった。空母からの通信が悲鳴に満ちたものとなり、やがて沈黙した。混乱した情報を整理、総合するに、機体形状から判断して旧式のフェイロン型と思われる敵ディーフの侵入を許し、それを排除すべく送り込まれたフレスヴェルグは全滅した。異常な戦闘力、たとえそれが新型機であってもあり得べからざる事態だ。可能性はただ一つ、しかし恐怖ゆえにそれを明確に口にするものは誰一人としていない。そしてそのただ一機を相手にするために残る全ディーフ、艦船が空母を包囲していた。彼等の心情を行動が無言で物語っている。既に空母の放棄が決定し、戦艦の艦長の一人が臨時の指揮権を発動していた。

 そしてそのまま、空母は爆発した。圧倒的な速さでその事象は進行しているはずだが、対象の巨大さゆえにそれは奇妙に遅く見えた。光が溢れ出し、巨大な艦が千切れて行く。何だ、何でもないじゃいか…そんな声が漏れる。空母の破片の一つが臨時の旗艦になっていない方の戦艦の至近を通り過ぎた。
 そしてそれが悪夢の続きだった。破片を突き破ったものが戦艦の甲板上に降り立つ。それは真っ黒に煤けたディーフであった。場所は主砲の正面、担当する砲手が咄嗟に攻撃しようとするが、脳神経と直結されたディーフの反応速度にかなうはずもない。砲身の内部に機銃が撃ち込まれ、主砲内部の高エネルギーと反応する。遥か遠くの戦艦の装甲を撃ちぬく事を前提として蓄積されたエネルギーが、内部で暴走を始めた。巨大かつ重装甲の戦艦といえども大破、あるいは撃沈を免れない。しかしそれさえも、一連の惨事のささやかな前触れに過ぎなかった…。

 カイスが気づいたときには、目の前から敵の姿がなくなっていた。記憶がはっきりしない、時間は輸送船が撃沈されたときから止まったままだ。味方もいない。ただ異常に濃い密度の残骸の海が広がるのみ。超空間移動機構の暴走によって生じた、いわゆるサルガッソー(宇宙の墓場)のようにさえ見える。
「夢でも見ていたのかな…どこだ、ここは…船に、帰らなきゃ…」
 反射的に状況を確認しようとして、カイスは自分の機体が信じられないほど損傷しているのに気がついた。左腕、両脚部は作動不能、辛うじて右腕部は正常に作動するが、そこに装備された機銃は発射不能であるらしい。装甲板の破損、脱落が数十個所、センサー系も大半が死んでいる。
 機体の状態を確認する作業は、カイスにとって自分の記憶を再確認する作業でもあった。逃げ惑う敵を殺し続けた、その結果が手足の損傷である。被弾したわけではなく、殴打用の武器として使い続けたためにそうなったのだ。その他の破損についても、敵を爆発させた際に無理に避けようとしなかったため、破片を受けたのがほとんどだ。敵空母、戦艦、巡洋艦はすべて撃沈、駆逐艦も二隻ほど取り逃がしたのみ。ディーフは何機墜としたのかも数えていない。どうせ母艦を失っているのだから収容能力のある艦船に救助されない限りそれらの機体は捨てるしかない。もっともそれはフェイロンも同じだが。
 無駄なことをしたものだ。自分の身を守るために戦ったのでもなく、本当に守るべき人々は既に失われていた。軍人として敵を倒すのは当然かもしれないが、戦略的な意味がこの戦いにあったわけでもない。ダルデキューア軍だけで数千もの人命が失われたが、それも全体から見れば高々数千でしかない。

 ただ殺せるだけ殺した。民間人を楯にしたデルマラン、それを承知で輸送船を攻撃したダルデキューア軍、そしてカイス自身、その間にどれほどの差があるというのか…。フェイロンのコックピットの中に、暗い笑いが充満した。彼は、涙を流す資格を失っていたのだ。

 不意に、そこに高い警告音が混ざった。一瞬の後、それが救難信号であると理解する。

「まだ生き残りがいる!」
 カイスはフェイロンを駆った。母船を失い、大破したフェイロン自体が救難信号を出すべき状態であったが、それでも彼はカイスの意を汲んで動いてくれた。運動能力も激減しているが、弱ったセンサー系で信号を捕らえられたならば、距離的にはそう遠くはない。
 程なく、彼はアストラントで使われている型の救命艇を発見した。自力で航行する能力を備えた型のものだが、推進部を損傷して残骸の海を漂っている。何かの破片に衝突したのだろう。しかし幸い船室は無事のようだ。
 通信機構も信用できる状態ではなかったので、カイスはかなり苦労しながらフェイロンの右手を救命艇に接触させた。これならば機体そのものが死んでいない限り会話が可能である。

「こちらはカイス=サファール少尉です。応答願います」
『遅いぞ、何をしていた!』
 突然の罵声に、カイスは総毛だった。この下品な声だけは忘れたくとも忘れようがない。その間にも罵声は続いている。
『戦った後のことも考えろ、この戦闘狂。これ以上醜態をさらしたくないなら速く我々を安全な所へ…』
「デルマラン=ゴーデン! 貴様だけはこの手で殺す!」
 カイスは反射的に引き金を引いていた。正確に言えば右腕の機銃を撃つように意識したのである。あの状況下で艦長が生き残っているなど、部下を見捨てて逃げ出してきた結果でしかありえない。そしてそれ以上の大罪については考える時間さえも惜しかった。
 通信越しにさえ相手の恐怖がありありと伝わってくる。カイスは笑っていた。
「ははははははははははははははははあははははははははははははははははははは!」
 カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ…。
 笑いに機銃の装填部が空転する音が同調する。機銃は正常に作動できない。
『は…はははははははははははははは、上官反抗罪だ、私のほかにもここにいる全員が証言する、貴様はおしまい…』
 嫌いな人間の希望を最後に断ち切ってやるほど楽しいことも珍しい。しかしカイスは会話するのも汚らわしかったので教えてやらなかった。機銃は正常に作動できない。撃ち出されるべきエネルギーが内部に蓄積されて危険な状態にある…。
 閃光と爆発。フェイロンは右手を失い、片はついた。この時のために、彼は、最後の余力を残しておいたのである。そして彼も、ここで止まった。

 十一時間後、カイスはアストラント軍の本隊に救助された。この部隊は脱出を果たした味方から正確な敵の戦力と位置を割り出し、その撃滅を図るべく出撃したのである。つまり、余分な戦力はあった。敵の動きがつかめなかったから出さなかっただけだ。
 しかし彼等が見たものは既に壊滅した敵艦隊の残骸、そして大破し、煤で漆黒に塗装された一機のディーフだけであった。

 数日後、ダルデキューア軍首脳部は敗戦の報を受けて慄然とする事となった。大規模かつ長期に渡って戦争を継続している以上勝利もあれば敗北もある。要は大局で勝っていれば良い。しかし一度の戦闘で戦力の九割以上を失うなど、数千年にわたる人類の歴史、戦争の歴史そのものにおいても極めて希な例である。それを受けて何も感じないのなら、それは神経がおかしい。それにこれほどの大敗北を喫したとあれば士気が大きく下がる。それは大局での敗北につながりかねない。
 情報操作はダルデキューアのお家芸といって良いものであるが、これほどの事態そのものを覆い隠す事は不可能だ。そこでやむを得ず公式発表として、敵の圧倒的な大艦隊の前に勇戦空しく敗北、壊滅したとされ、わずかな生き残りの将兵には厳重な緘口令が敷かれた。しかし岩の隙間から冷たい水が染み出すように、「黒い悪魔」の噂は確実に広がっていった。


エピローグ
 カメラの砲列が居並んでいる。普通の人間には不快でしかないフラッシュの集中砲火も、カメラという機械が登場した後しばらくしてなくなっていた。だからといって、カメラの集団そのものの持つ圧迫感はそのままである。むしろ表現方法が3Dになっている分ひどいかもしれない。それでも包囲されている人間は笑っていた。
「サファールさん、今のお気持ちは?」
 無神経なマイク、レポーター。それでも彼は笑っていた。
「いえ、別に」
「は? これほどの大勝利に対して、べつに、とは?」
 要求通りの答えを返さないことに対して、レポーターが不快感を表す。彼は笑っていた。
「私は何もしていませんから」
「何もしていないとはどういうことでしょうか?」
 レポーターの声がとがった。彼は笑った。相手の質問を封じるために。
「ここがようやくスタートラインですよ。私のすべきことはこうなることではなく、こうなってから何をするか、です。何か成し遂げることができたのなら、その時には私をアシャーにしてくれた、いえアシャーにしなければならなかったすべての人々に顔向けができるでしょう。その時までは、喜ぶ事はできないのです」
「ははあ、なるほど。さすが英雄といわれる方はおっしゃる事が違いますなあ」
 安堵した男が追従する。カイスはもう良いだろうと判断した。
「さて、と。そろそろ行かなくちゃ。それでは失礼します」
 カイス=サファール予備役大佐、通称〈黒〉のカイス。初出撃以来フェイロン改、AT型を駆って年間撃墜記録、撃沈記録を更新し続けた英雄は、若くして現役を退き政界に転出した。与党民主大連合から出馬した彼はその類まれな名声を背景に、ここでも、得票数および得票率の最高記録を更新していた。
 アストラント国民主権国家連合代表議会本会議場、定員二千六百を数える巨大で荘厳な空間に、カイスは初めて足を踏み入れた。国家元首である総評の官邸や政治家の自宅には何度も呼ばれたが、ここにはこれまで特に用事がなかった。

「長かった…いや、それとも短かったかな」
 既に議席の八割方が埋まっている。基本的にカイスは何事もある程度の余裕を持って行動する性格であったが、今日だけは敢えてやや遅目に議場に着くようにしていた。この光景を、この国を何の理念もなく支配しているものたちを見るために。空虚な視線があたりを一巡した。

「殺すだけなら簡単だが」
 そこにいるだけで歴戦の軍人たちを震え上がらせてきた殺気を、この場で感じたものはいなかった。ここは、そんなものを感じる感覚などとうにすり減らせてしまった老人たちの溜まり場である。
「まあいいさ」
 そうして彼は笑顔を浮かべ、知っているものに出会えば丁寧に会釈をして、自分の席へと降りて行くのだった。

Alpha-Lord Episode-0.0 「黒い胎動」


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