午後の恋人たち
エピローグ そして新しい月曜日
離れがたくて、玲奈はそのまま昭博の家に泊まってしまった。そして次の朝は、妙に早かった。二人とも、五時半には目を覚ましてしまっていたのである。昭博の家に入ってから二人とも時計を見るような余裕が全くなかったため正確な事は分からないが、どうも早く寝過ぎたらしい。返って来たのが七時過ぎ、それから色々あったが、少なくとも十時前には寝てしまったと計算できる。そしてその後熟睡して睡眠時間が足りてしまったようだ。かなり爽快に目覚めている。
わずかに早く玲奈の方が目を覚ましており、しばらく昭博の寝顔を眺めてはくすくすと笑っていた。何故か、本当に微笑ましかったのだ。
しかし昭博がその気配を察してか起きだすと、今度は玲奈が困る番だった。なんとなくやはり、男の一人暮らしの家に泊まってしまったという事実は気恥ずかしい。
少しかわいそうに感じて、昭博は着替えると自分の部屋を出てキッチンに入った。トースト、目玉焼き、サラダにコーヒー、というぎりぎり手抜きかどうか、という二人分の朝食を作る。それ以上の物は現時点で材料的に無理である。わざわざこの朝から買いに行く気などない。やがて髪を梳かし終えた玲奈がキッチンに入ってきた。
「朝飯食べるよな」
「あ、はい。すみません」
「別に謝らなくていいよ。一人分でも二人分でも、手間は変わらないから」
「はい」
手際良く昭博が配膳する。玲奈は大人しく席について待っていた。
「とりあえず食べ終わったら家まで送ろう。いや、どうせだから学校までついていこうか」
「そこまでしなくても大丈夫ですよ。家にはお手伝いさんもいますし」
「うん…そうだな。じゃあ、学校へ行くのに駅につくまで、それならいいだろう」
「じゃあ…お言葉に甘えて」
「良し良し。じゃあ食べよう」
「いただきます」
そして始まった食事では、二人とも妙に相手を見ていた。それが気まずくならないのだから、不思議である。
「えっと…お手伝いさんはやっぱり六時半には来るんだよな」
「はい」
「じゃあそんなにゆっくりもしていられないか…」
「そうですね」
時計を見やった昭博が少し残念そうなのを、玲奈は見逃さなかった。それでまた少し、笑みがこぼれる。やがて先に食べ終えた昭博が席を立った。
「ちょっとごめん。着替えてくる」
今昭博が着ているのは昨日のTシャツにジーンズだ。それでまた外へ出たくないのだろう。玲奈も昨日のままのワンピースだが、これはもう一度家に帰って着替えるしかない。
「はい」
そういうところは神経が細かいのか、と思いながら玲奈は見送った。さほど時間もかからず、彼女が食べ終える前に着替えを済ませて戻ってくる。黒い服だった。
「あ、学生服…」
黒い生地の詰襟、ボタンも黒、襟章がアクセントになるはずなのだが、着る人間が面倒臭がっているのかそういう物はついていない。この辺りではごく普通に見かける公立高校の制服である、と玲奈は記憶していた。鞄も持っているが、これは普通の学生鞄ではなく、バックパックだった。
「似合わないかな。実際ここしばらく着ていなかったから仕方ないかもしれないが」
驚きを含んだつぶやきに対して、昭博が苦笑して肩をすくめる。玲奈は慌てて首を振った。
「そんな事ありません。良く似合っていますよ」
世辞ではなくそう思う。それが本来軍服であった事を想起させるように、精悍な印象を与える。ある程度の肩幅、そして太過ぎも細過ぎもしない引き締まった体をしているからそう見えるのだ。
「ならいいけど…ほら、食べな。遅れちまうぞ」
「あ、はい。それにしてもどうして?」
「何言ってる。制服着たら学校へ行くに決まってるだろ。送ったら俺も学校へ行くよ」
「そうでしたね」
少し苦笑して、それから更に玲奈は笑った。昭博は本来の自分を取り戻しつつあるのだろう。それに力を貸せたのが、嬉しかった。
本来食事をとるのがそれほど速くない玲奈が食べ終える頃には、もうあまり時間がなくなっていた。それですぐに二人して外に出る。
早朝の冷たく澄んだ、そして静かな空気を、玲奈は思い切り吸い込んだ。空の青さも思わず目を細めるほど鮮やかだ。その間、昭博は例のスポーツサイクルを引っ張り出してきた。
「あ、乗せてくれますか?」
気分良く玲奈が問いかける。しかし昭博は、少し首を傾げた。
「これは君を送ってから学校まで行くために使うんだが…。歩いても間に合うと思うけど」
「でも、乗せて欲しいんです。…駄目ですか?」
甘えてみると、あっさりと折れてくれた。
「しょうがない。ほら」
昭博が背中を見せる。この前で要領は覚えたので、玲奈はその後ろに乗ろうとした。しかし元来運動神経の発達していない彼女には、やや難しい。
「あっ」
「おい、無茶するなよ。やっぱり歩いて…」
答えずにその背中にしっかりとしがみつく。前に回した手に苦笑の息がかかった。
「しょうがないな…。ちゃんとつかまってろよ。行くぞ!」
「はい!」
柔らかな朝の光の中、ゆっくりと自転車が滑り出す。町並みの中、二人きりだ。邪魔をする車も人もない。その光景が二人の未来を暗示している、互いの温もりと共に、二人はそんな予感を共有していた。
午後の恋人達 了
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