死と向き合う男

前編


 無心に、しかし気迫の篭った一撃が放たれる。
「でやあっ!」
 最早何をする必要もない。その気合の声が消えるのと同時に、渾身の一撃を受けた敵手は崩れ落ちた。それを見取ってから、大声で告げる。
「今日はこれまで。皆、ご苦労だった」
「はい、ありがとうございました!」
 倒れた人間以外の、周囲に控えていた男達が答える。力一杯の野太い声の集まりであったが、しかしそこに「から元気」の成分が多分に含まれていることを、勝者は察知していた。そもそも、既にこれ以上続けても疲労が蓄積するばかりで益がないことを察したからこそ、これまで、としたのである。
「あ、ありがとうございました…」
 倒された男も、根性を見せて立ち上がる。それに軽くうなずいてから、勝者は身振りで立ち去るように促した。そうされた男はよろよろと、仲間達の後について立ち去ってゆく。
 全員がいなくなるのを見届けてから、一人残った男は小さくため息をついた。彼らには聞こえないようにする、そんな配慮からである。
 今しがた叩きのめされた男、そしてそれとともに立ち去った男達、彼らはいわゆる精鋭部隊に所属する人間だ。有事ともなれば、最も危険度の高い戦域に投入されることになる。その技量は、一般の部隊と比較にならないほど高い。
 しかし、それでも、独り残った男にとっては、彼ら精鋭部隊の力の程には満足ができない。もっとできて良いはずだ。いや、今よりもっとできなければ、実戦経験を背景にした仮想敵の精鋭部隊には対抗できない。正直な所そう思う。
 無論自分のしていることが、ある意味時代遅れであることは十分に承知している。彼が今、相手を叩きのめしたのは、木刀だった。現代戦で剣術の機会など、まずありえない。敵を殺す技術としてまず必要なのは射撃、それに格闘術が続き、その他サバイバル技術等々…と、実戦に必要な技術は数限りなくある。世界各国の軍隊を見るに、剣術あるいはそれに類するものを本格的に取り入れているのはむしろ少数派だ。辛うじて、歩兵の一般的な装備である小銃の先端に刃物をつけて戦う、銃剣術ならある程度広まっているが、それはむしろ槍術に近いものである。
 その認識があってなお、彼にとって剣術は実戦部隊にとって不可欠なものだった。教える立場にあってこれは暴論だが、その技術そのものが重要なのではない。それを会得する精神こそが、重要なのだ。その素養もないのにその他実戦に必要な技術が身につくとは、彼にはどうしても思えない。そしてその精神を身につける最短の道こそ、数百年の歴史を経て洗練されてきた剣術だと、そう思っている。
 その観点からすれば、今の「精鋭部隊」とやらのできばえは、あまり褒められたものではなかった。ただ、だからと言って居丈高にけなろうとも思わない。
 部下やそれに類する人間に非があれば情け容赦なく暴力を用い、是正しようとする。そんな軍隊もかつて確かに存在した。しかしその結果は、見るも無残な大敗だった。彼はそれを知っている。欠けている所を発見したら、それは根気強く、穏やかに改善してゆくしかないのだ。
「お見事です、一尉どの」
 そんな姿勢を見取って、賞賛するものがいる。彼は手まで、叩いていた。乾いた音が、道場に響く。その音源へ向けて、「一尉」と呼ばれた男は向き直った。「一尉」とは、彼の属する組織における階級の一つである。配属先にもよるが、百人以上の人員を指揮しうる身分だ。
 ただ、彼自身にその経験はない。そして恐らく、今後ともそれはないだろうと承知している。その階級は、極めて優れた剣術の技量、それに裏打ちされた数々の受賞歴、そしてそこから導かれた教官という職に対して、与えられたものなのである。逆に言えば実戦指揮官としての適性を評価されているのではないから、前線部隊を任される可能性は極めて低い。
 彼が見たのは、一人の男だった。先程教わっていた人間達、また、彼自身と同様の、胴着姿である。年齢は見た所二十台半ば、いや、所作の落ち着きを加味すれば若作りな三十歳前後かもしれない。
 見覚えのない顔だ。そもそも、そのように能天気な賞賛の仕方をする人間など、ここにはいないはずである。
「誰か」
 文字通り、誰何する。しかし彼は、笑って首を振った。
「無位無官の身です。単に名のみを答えた所で、意味がありますまい」
 この男、この場で誰何するという意味をきちんとわきまえている。それは、所属を問い質すということだ。
 戦場では、個人の名前などほとんど意味がない。敵か味方か、詰まる所はそれが全てだ。だから所属が重要になる。また、その場でたとえ味方を名乗ったとしても、その中で自分の所属部隊名を誤るようなら、それはまず間違いなく敵である。
 無論、戦場に正確には敵味方のどちらともいえない民間人が紛れ込むこともある。例え敵国民であっても、少なくとも非戦闘員である以上殺害してはならない。しばしば破られるが、ともかくそれが近代的な戦争法規である。
 しかしこの男はそのどちらの可能性をも、否定してのけたのだ。戦争法規に通じている、つまり明らかに単なる民間人である可能性を閉ざすそぶりを示しながら、それでも味方であると名乗ろうとはしなかった。
 つまり、敵あるいはそれに属する人間である可能性が極めて高い。一尉はそう見て取った。いや、その可能性をむしろ強調している。挑発行動であるようにも思えた。だからこそ、慎重になる。
「ならば敢えて、名を聞きはしない。それでは何の用だ」
「失礼ながら、それは愚問です。さて、そのような愚問を吐かせるのは、あなた自身に知性が欠如しているゆえでしょうか。それとも、あなたの属する組織の制約ゆえでしょうか?」
 しかしその努力を、名を名乗ろうともしない男は否定した。
 全くその通りだ。一尉の知性のどこかが、そうつぶやく。これが例えばアメリカなら民間の敷地に侵入した民間人であっても、問われて自分の身分を明らかにしようとしない者に対しては、発砲が正当化される。
 ましてこのような軍事施設であれば、誰何以前に侵入のその時点で射殺されたとしても不思議ではない。これは別に銃社会のアメリカだからこそいえることではなく、大概の国家においても軍が関与するのであれば同様である。
 ただ、それでも、彼にはそのような行動が許されてはいなかった。国が違う。そしてそのおかれた情勢が違う。それがその理由である。
 そしてそんな制約が多い中でも自分はその国家の規範に忠誠を尽くすのだと、彼はそう誓った。国家に対して、そして自分自身に対して。だから、知性のかすかなささやきをよそに、その行動には迷いがなかった。
「その質問に答える義務はないな」
「なるほど、おっしゃるとおりです」
 言葉の上で、肯定する。しかし正体不明の侵入者の行動は、それとはかけ離れたものだった。金属の滑る音かすかな音が、道場にはいやに響く。
 彼が手にしていたのは、真剣だった。いつの間にかそれが、視界に入っている。いや、元々手に持っていたものを、体と腕の角度を巧妙に変えながら相手に見えないようにしていた、それが真相だろう。
 そして抜き放った鞘を、後方へと投げ捨てる。それが極めて高名な時代小説に言う死を覚悟した動作ではなく、単に戦っている最中には余分なものを捨てて可能な限り身軽でいる、つまり生をあくまで追求する姿勢であると、一尉は理解した。鞘など相手に止めを刺した後でゆっくり拾えばいい、それだけのことだ。そう察せざるを得ないほど、相手の目には迷いがない。
「ですが、『話せば分かる』とは、言わせません」
 鋼の刃が鈍く光る。大振りで肉厚の刀身は、どこか出刃包丁を思わせた。地肌も刃文も荒れており、とても美しいなどと形容できるものではない。しかしそれだけに、猛々しく、そして禍々しい印象を与える。
 幕末の動乱期あたりに無銘で作られたものだろうか。佐幕の志士を何人か斬っている、といわれても信じられそうだ。不恰好なのは、恐らく実際に使われて激しく損耗したのを研ぎ直したからであろう。この刀本来の持ち味である強豪さを損なわぬよう、形を整えるより研いで減らす部分を最小限にとどめたようだ。
 相手の言いたいことは理解した。「話せば分かる」の逆、要するに問答無用だ。だからもう、話しかけようとはしない。
 恐らく木刀では、文字通り歯が立たない。打ち交わした瞬間に叩き斬られて、それまでだろう。だからゆっくりと、後退する。相手がうかつに攻撃して来ようものなら逆激して致命傷を与える、その構えだ。
 それを見取って、侵入者もすぐには攻めかかっては来ない。ただ、立ち尽くして一尉に大きな行動の自由を与えるつもりもないようで、じわりじわりと慎重に間合いを詰めてくる。
 そこへ、一尉はいきなり手にしていた木刀を投げつけた。侵入者はある程度予期していたらしく、手にした刀で簡単に払いのける。ただ、それだけの動作の間に、一尉としては十分な時間が稼げた。そもそもそれが狙いである。
 その間に、壁際に到達している。地形としては自分から追い詰められた位置に入ったことになるが、それを補うだけの切り札が、そこにはあった。
 日本刀である。こちらは現代刀、つまり昭和に入って以降に作られたものだ。基本的に古ければ古いほど美術的あるいは骨董的な価値が出ることは、一尉も十分に承知している。
 しかしこの刀には、それを補って余りある「魂」が込められている。そう信じている。古の刀匠達の技を今によみがえらせようとする、そんな心意気を持った現代の職人による、作なのだ。
 この平和な時代に、無論一度として実戦で使ったことはない。そんな危険行為に及んだら、所持許可が取り消されることは明らかだ。一応「美術品」等としての扱いで合法化してあるので、重大な傷をつけただけでもそれでおしまいである。
 しかしそれでも、なまじの刀に劣るものではない、そのはずだ。それを信じて、左手でその鞘を握り締める。当然ながら、利き手である右手ですぐさま抜刀できるための動作である。
「そう…そうでなくては、面白くありません」
 尺寸法にして五分、メートル法でいう一センチ強だけ間合いを詰めて、侵入者は止まった。実に正確な読みだ。先程までかけられていた大刀と、そして相手の身長、手足の長さを正確に測って、位置を決めている。一尉が焦って攻撃を加えようものなら、それを見切って致命傷を与えられる、その絶妙な間合いを占めていた。
 しかし、一尉にはそのようなそぶりが見られない。抜刀した相手に対して、自分はいまだ鞘に剣を収めたまま。そんな不利なはずの状態を、むしろ冷静に保っている。
「居合できますか。なるほど…」
 敵手は、その自分に有利なはずの状態を冷静に分析していた。
 刀を鞘に収めた状態こそ最も危険、そう言われる剣術もある。いわゆる居合だ。刀を鞘に収めた状態、さらにはそればかりでなく、座って刀を脇に置いた状態など、通常すぐには攻撃できると考えられない態勢から、一瞬にして相手を葬り去る技術である。一尉にはその心得も、あった。
 逆にその使い手は、抜刀さえさせてしまえば敵手にとって勝機がある、そのように言われることもある。それを見取るだけの技量があるはずだが、この場の敵手はその弱点を誘い出そうとする努力さえしなかった。
 刀を鞘に収める。いや、彼の鞘は、既に後方に投げ捨てられている。
 それでも、彼はその動作を正確に実行して見せた。何の補助もなく、見えない、そして触れることもできない鞘の内部のあるべき場所へ、あるべきものを移動させている。凄まじいまでの修練、あるいは慣れがなければ、できないことだ。そのいずれにせよ、この男は真剣を扱うのになれていることを意味している。
「それでは、こういうのも、ありですね」
 そして彼は、両手をわずかに動かした。右手によって刀身の位置がずれるのを受け流すかのように、左手が滑る。それは紛れもなく、刀だけでなく鞘をも自在に操ることを習得した、居合の動作だった。
 双方居合の構え、そんな状況が成立する。通常では考えにくい事態だ。
 そもそも居合とは、刀を鞘に収めた、通常ではありえないはずの状態から刀を振るう技術である。本来なら突如攻撃してくる凶漢から身を守るすべであり、またそれゆえ不意に、予測不可能から標的を強襲する技として転用が可能なのだ。
 その技をお互い、攻撃する意図がほとんど明らかな状態で出す構えをしている。この場合互いに相手が奇襲をする気があると分かりきっているから、それだけに、奇襲としての意味はまず全くない。そして逆に、相手の意図が分かりきっているから、奇襲に備える必要もない。そうなると勝負はどちらが先に敵手へ致命傷を与えられるか、つまりはその速さの問題に尽きる。
 そして、速さであれば、別に居合でないどんな剣術、あるいは格闘術においても、最も重要な要素である。例えば剣術であれば、基本的には上段に振りかぶるのが、次の攻撃までに要する時間が最も短い。その人間が例えば居合にだけ極端に習熟していてその他の技術をおろそかにしている、というのならまた話は変わってくるが、それは現実問題として考えにくい。
 要するに、侵入者は一尉の居合の心得を、ほとんど無力化して見せたのだ。その上で、姿勢を変える。
「しかし、私としてはこうしたほうが面白いと思いますよ」
 ゆらり、と下がりながら再び抜刀の動作をする。そしてそのまま、大上段に構え直した。一連の身ごなしに、付け入る隙はない。ただ、距離ができたことで、少なくとも一尉にも抜刀するだけの余裕ができた。
 正直な所、居合の心得もあるとはいえ、それが最も得意というほどのこともない。一か八かの賭けに出ずには済んだことへの安堵を覚えながら、刀を鞘から抜いた。
 刀身の描く曲線は、それが殺人の道具であることを忘れそうになるほど優美だ。研ぎ澄まされた切っ先が、それ自体発光しているかのように輝いている。
 そうしてから、自分自身へ苦笑したくなる。これから白刃を交えようかという事態に変わりはない。むしろ双方武器を抜いた以上いっそう差し迫った状態になったというのに、安堵を覚えるとはどういうことだろうか。
「では、行きます」
 これから昼食に蕎麦でも。そんな程度の重さしかない口調で一言断ってから、侵入者は踏み込んできた。動きの先読みを許すような、そんなしぐさが一つとしてない。ただ無心に、攻めかかっているのだろう。
 かわしている余裕はない。ひとまず、受け止める。
「くうぅっ!」
 火花が舞い落ちる。一尉は思わずうめいていた。この敵手、凄まじいまでの腕力だ。受け止めた一尉の体は、数センチずり下がってる。一見した所細身のようだが、中身はゴリラか何かなのではないかという気がした。
 しかし、だ。ずり下がったとはいえ、態勢を崩してはいない。むしろ滑りながらも、研ぎ澄まされた平衡感覚で応戦の姿勢を保っている。そして相手が攻撃のために力を集中させる、その頂点が過ぎたのを見計らって逆撃に転じた。
 例え相手が本物の野生のゴリラだったとしても、その力の全てを、長時間に渡って行使し続けることはできない。生身の、筋肉を使って動いている動物である以上、どうしても緩む所が出てくる。
 人間ならば、なおさらだ。そしてその緩急を最大限効率良く活かすことこそが、彼の教える剣術なのだ。単に腕力のみが勝敗を決するのなら、技術など始めから必要ではない。プロテインや増強剤でも飲みながら、ひたすら筋力トレーニングをしていればいい。
 しかしそうではないのだ、断じて。その証を立てるかのように、この局面では必殺でしかありえないはずの返し技を叩き込む。最も有効な技の連携、それはこれまで幾多の人間の血によって証明されてきた。
「イヤァッ!」
 白刃が、空気はおろか空間そのものをも両断するかのような勢いで振るわれる。そのままでいれば、侵入者の肉体は真っ二つになったことだろう。
 そしてそのとき、侵入者の体は宙を舞っていた。
 ただそれは、叩ききられた結果として吹き飛ばされていたのではない。あくまで彼自身の意志、そしてその制御によって、動いている。とっさに後方へと体をそらし、さらに床面を強く蹴って飛び退っていたのだ。
 その方向性そのものは、常識的に考えられる回避の選択肢の一つだ。しかし必殺に見えた一撃を見事にかわしたその反射神経と身体能力が、凄まじいとしか形容できない。
「ハァアッ!」
 ここで完全に逃してしまえば、今度は自分が窮地に立たされる。それを悟って、一尉は一気に畳み掛けた。第二撃、第三撃、さらに次…と、息をつかせず押してゆく。
 侵入者は防戦一方だ。しかし、それ自体が、一尉にとってかつてない経験だった。未熟な頃はともかく、青年期以後あらゆる稽古、あるいは試合で、ここまで持ちこたえた者などいはしないのだ。その前に決着をつける、つまり有利な局面を適切に活用する力があったからこそ、多大な実績を残して来れたのだ。
 しかし彼は、それをあざ笑うかのような身ごなしでかわし、受け流す。時にバク転さえ披露して見せて、それでいて隙がない。一見した所極めて大きな隙を作るような動作だが、しかし然るべき瞬間に使えば有効な回避の手段となる。それをきちんと見極めている。
「ましらのごとく」とはこのことか、と、攻撃の手を休めないでいながら、一尉はそう感嘆せざるを得なかった。「ましら」とは漢字で「猿」と書く。つまり古い時代で言う猿のことだ。その時代の日本で良く知られたサル目はニホンザルしかいなかったから、つまりはニホンザルのよう、という意味になる。
 要するにそれほど身軽、あるいは敏捷であるということだ。時代小説の中で、いわゆる忍者に対して使われるものとしては、定番の表現である。
 整理すればこの敵手は、少なくともそれと対峙した人間にとって、そう思わせるほどの身体能力を有した存在だということだ。ゴリラ並みの腕力、それでいてニホンザル並みの敏捷性。それは野生から隔絶された文明社会に埋没した一般的な人間を、大きく凌駕しているという意味である。つまりは、化け物だ。
「ふふん」 
 そして、彼はすとん、と着地する。一尉の攻撃がにわかには届かない所へ、そして、薄く笑って。
「思った通り、楽しめそうですね」
 再び構え直す。それは、彼が一尉の間合いを正確に測っていることを意味していた。
 今二人がしているのは、紛れもない殺し合いだ。そのどこが楽しいのか。人として、一尉はそう糾弾すべきだったのかもしれない。
 しかし、それができなかった。応答すれば隙ができるから、ではない。敵手は相変わらず一部の隙も見せてはいなかったが、少なくとも会話をする「間」は残していた。
 楽しいのだ。
 全面的にそう思っているのではない。しかし、そう感じてしまう部分が精神の中のどこかにあることを、否定できなかった。
 若かりし日を思い出す。あの頃は互角の好敵手がいて、また決して敵わないであろう先達がいた。その中で日々、技を磨いた。修行は極めて厳しく、やめようと思ったことも実の所一再ではない。しかし結果的に、最後までやりぬいた。
 楽しかった。その最大の理由を、自分自身に対して偽ることはできない。だから続けられたのだ。楽しいと感じられなくなった人間から、脱落していった。それを何人も見ている。
 互角の勝負を切り抜けて、敵手を打ち負かす。その喜びは、現に体験した人間にしか分からない。自分はそれを誰よりも知っている人間だ、と思っている。だからこそ、頂点を極めた。
 しかし、そこから先は、どうということもないものだった。勝ち続けてとうとう、打ち負かすべき相手がいなくなってしまった。残ったのは、彼が教えてやらなければならない人間ばかりである。
 ただし、それはいつまでも続かないだろう。それも一尉は承知している。技量はともかく、肉体的な衰えは否応なしにやってくる。いや、それは既に訪れ始めている。純粋な腕力、瞬発力では、若者に勝つことは難しい。なまじ目が良いだけに、それが分かってしまうのだ。今はまだ技術の差が大きいから勝てるが、いずれそれでは覆せないほどの、基礎的な身体能力の差が生まれることになる。
 末路も、実は知っている。いや、末路などと形容してしまうのは、尊敬する多くの先達に対して失礼だろう。ただ、結果が見えていることは確かである。
 自分自身よりも優れた技術を持った人間が今も数多くいることを、一尉は知っている。剣術は、十年二十年の修行で極められるほど、生易しいものではない。その先にあるものをつかんだ人間もいるのだ。ただし、彼らは既に肉体面で老いており、一定の技量を有する若者と、文字通りの真剣勝負をして勝利することは難しいだろう。だからこそ、大会などで優勝するのは彼らではなく、もっと若い人間だ。後は磨いた技術を、後進に伝えてゆくしかない。つまり「現役」としての寿命はもう終えている。
 それも止むを得ない。いや、そう思うしかないのだろう。そう覚悟を決めていた所に現れたのが、この男だった。
 野性味を帯びて溢れかえるほどの身体能力と、老練な技術を兼ね備えている。これ以上の好敵手が、果たしているだろうか。いや、この先自分が現役としてある間に、ここまでの能力を持った人間が眼前に現れるだろうか。
 答えは、否。九分九厘、あるいはそれ以上の確率で。一尉はそう、見て取っていた。戦場に出れば、予期しない事態が起きるかもしれない。しかし彼が戦場に赴く可能性自体からして、既に低いのだ。
 だから恐らく、ここまで背筋が凍る、過酷な、「楽しい」戦いの機会は、二度とない。
 自分は、いや自分も笑っているかもしれない。しかし、それを確かめている暇などない。そんなことをしていては斬られる。それにこの貴重な時間を、戦い以外のことに費やすなど、愚かしいの極みだ。正直に、そう思えた。
「でぇえええええやあああああっ!」
 今度はこちらから仕掛ける。かわされた後のことなど一切考慮せず、ただその一撃に全身の力を込めた。無論一撃でしとめられるような生易しい敵手ではない、と承知している。しかし、防がれたときのことは、そのときに考えるしかない。
 小手先の技で勝てるような相手ではないのだ。気の乗らない攻撃であればその瞬間に見切られ、返し技で葬られるだろう。
「ふうっ!」
 大上段からの攻撃を、侵入者は正面から受け止めた。凄まじい威力を持った攻撃、下手に流そうとすれば力負けしてしまう。それにかわそうとしても、さらに伸びて襲い掛かってくるだけだろう。ともかく一度、止めるしかない。
 鼓膜を引きちぎるような音とともに、鋼同士が激しくかみ合う。研ぎ澄まされた刃がこぼれて、火花に変わる。両者とも真剣をそこまで研ぎ上げることにどれほどの労力が必要となるか、重々承知しているはずだ。ここまでの技量の持ち主が、刀剣に関する知識を欠いていることなど、まずありえない。それに一定の知識を有していなければ、良好な状態を維持することさえ難しいのである。
 しかしそれでも、その手に込められた力が緩むことはない。ぎりぎりと刃同士をかみ合わせ、鍔を競り合わせる。例えどれほど刃がこぼれようと、あるいは成句にいうようにしのぎを削ろうと、最終的にこの敵手を倒すことさえできればそれでいい。刀剣とは、そのために作られたものなのだ。今この瞬間は、それを確信できる。
「はっ!」
 そして一転、侵入者は後退した。その機を逃さず一尉は斬りつけるが、相手は流れるような太刀捌きで自分に向けられた斬撃を叩き落す。そしてその反動さえ利用して、自らの剣運の勢いを殺すことなく斬り返した。その切っ先が、皮膚を、肉を、そして血管を斬り割いてゆく。
 そのまま動いていなければ、頭蓋骨を叩き割られて、脳髄まで両断されていただろう。あるいは、頭部を完全に輪切りにされていたかもしれない。その完璧な切断面は、何かの貴重な標本として通用しそうだ。
 しかし、現に侵入者の剣が斬ったのは、頭部表層のわずかな部分だった。一尉は体をのけぞらせて、辛うじて、恐怖の一撃をかわしている。
 浅手を負いはした。しかし、行動に支障が出るような傷ではない。それに、あそこまで力の入った攻撃を繰り出した以上、相手の態勢には無理が生じている。今こそ好機、刀自体がそう見て取ったかのように、跳ね上がった。
 再び火花が、今度は側面で飛び散る。太ももを斬りつけることを狙ったのを、侵入者は手首を返して、剣先が下を向くようにして受け止めていた。剣先が上、攻撃部位より下に柄しかない状態でで防ごうとすると、その後不利が生じかねない。その場合相手は自らの剣を叩きつけた後、そのまま切り下げるだけで当初狙った部位に近い、膝の上あたりを傷つけることができるのだ。その間に足を斬られた人間は、空いた相手の胴に攻撃を加えることもできるが、これは要するに相撃ちである。
 戦場の鎧武者ならその部位を守る防具を当然身につけているものだが、二人とも今は袴をはいているだけである。身を守る事ができるのは手にしたその一振りの大刀のみ、そうである以上防御の際には、切っ先を相手の攻撃が来るべき方向へ向けるのが無難だ。侵入者がしているような多少腕をひねるような不自然な姿勢でも、それならば押し返すだけで切り下げに空を切らせることができる。 
 それに、と頭で考えているようではもう遅い。手首を返して切っ先を下げたその姿勢が防御以外にも意味を持っていることを、一尉は体で覚えていた。防がれた時点で下半身への攻撃を完全に断念し、すぐさま剣先を上げる。そしてまるで、そこへ吸い込まれるようにして侵入者の刀が打ちかかってきた。
 手首を返して切っ先を下げているとは、逆に手首を元に戻せば、瞬時に切っ先も正面、攻撃可能な位置へと戻ることを意味するのだ。剣の回転に負けないよう、完璧に柄を握ってさえいればいい。それに合わせて自らの剣も上に戻しておかなければ、簡単に斬られてしまう。
 今度は目の前で、火花が散る。予期した通り、敵手は手首を元に戻して、すかさず攻撃に移っていた。手首を返しただけの攻撃の破壊力は、それまでの野獣のような膂力の全てを乗せて来た斬撃に比較すれば、どれほどのこともない。頭部を丸ごと真っ二つにしかねないものに対して、当たれば頭蓋骨を破って脳に食い込むであろう、「その程度」だ。
 読みさえしていれば、むしろ簡単に防げる。そして現に、そうなっていた。
 攻撃の「型」は、防御した側にとって慣れ親しんでさえいるものだったのだ。華麗と形容できるほど変化が大きく、それだけに奇襲として成功しやすい。そのため、複数の剣術流派において定番、古典的と言っても差し支えない型となっている。現代の剣術使いにしてみれば、知らなければ恥というものだ。
 読み通り防ぎ切った。これを好機とできなければ、勝機などない。すかさず一尉が再び攻撃に転じる。
「おおっ!」
 ひとかけらの思考も差し挟まない野生の雄叫びとともに、全力の突きを見舞う。
 かわそうとしても胴や首への致命傷を逃れるのがやっと、腕などに手傷を負うだろう。また、正面から防いだとしても、勢いに負けて態勢を崩されるのが落ちだ。侵入者はそう読み取って、床面を蹴って後退した。
 突きが始まってから繰り出されるまで、振りかぶり動作のない攻撃は、他の攻撃と比較して所要時間が短い。まして、極めて優れた技量を有した人間の攻撃である。並の神経では、攻撃が完全に終わってしまってから、痛みとしてその事実を感じ取るほかない。それももし彼が痛みを感じ取れるほどに「生きて」いればの話だ。
 しかし、この男はそんな寸毫の間に、正確な読みを完成させている。後退と同時に自らの刃を正面に立て、相手の突進の勢いを半減させたうえで刺突を防いでいた。さらにその後にも相手の勢いに逆らおうとせず、また床を蹴る、つまり後ろ向きに走るようにして距離をとっている。
 それはそれで、常識で考えて無茶な動作ではあった。滑るなりつまづくなり、あるいは後方の壁にぶつかるなどして、平衡を失って当然だ。しかし、一尉は現にそこに隙を見出すことができなかった。当然と言えば当然である。この男は先程、攻撃をかわすためにバク転までやってのけたのだ。尋常な人間の失態など期待できないし、実際してもいない。ただ、一方でこの常識外の動きに対して、有効な攻撃方法を見出すこともできなかった。
 そして彼は、後方の壁の少し前で足を止めた。一尉の攻撃圏を完全に脱しつつ、さらに下がる余裕もある程度残している、そんな位置だ。生きるか死ぬかの攻防を繰り広げていたにもかかわらず、自分の位置を性格に把握しているらしい。凄まじいまでの認識力だ。
 ひとまず安全な距離を確保した上で、彼はまた構え直す。ただ、今度は先程までの挑発的な大上段ではなく、八双の構えだった。体を敵に対して斜めにして、胸の前で刀をやや後ろに倒して握っている。
 知識のない現代人からすれば出来損ないのバッティングフォーム、と言ったところだが、古流の剣術ではむしろ基本的な構えの一つである。現代の剣道における構えとして一般的な中段よりも、使われる頻度が高かったとも言われる。
 態勢が振りかぶり動作に近い分、中段よりも攻撃的なのだ。一方で、胴をがら空きにする上、決して軽くはない武器を振り上げるため腕に負担を強いる上段の構えよりは、それなりに防御も考えられる。磨き上げられた技量の優劣を争う試合ではない、純粋な殺し合いにはその程度の均衡が良い、戦場を駆け巡った武芸者達は、そう悟っていたのかもしれない。
 彼はもう、笑っていなかった。そして先程までの奔放な動作とは打って変わって、慎重ににじり寄ってくる。間合いを計っているのであるが、これほどの技量を持った者が自分の間を知らないはずがない。一尉の間、攻撃範囲がどれほどのものであるのか、それを見極めようとしているのだ
 それも、呼吸による変動まで計算しているのだろう。息を吸っているときと吐いているときとでは、微妙に態勢が異なる。それに剣術、剣道では気合の声を出しながら、つまり息を吐きながら攻撃するのが基本だ。人体の構造として、その方が力を込めやすいのである。その変動の幅は何分とない、現代で言えばミリ単位だが、それだけあれば、この男なら神経や血管を見極めて斬れるように思える。
 狙うのは、比較的ではあるが防御の難しいその一瞬。だからこそ、一尉には敵手の攻撃が見えていた。待ち構えたそのときに、堰を切ったように大きく踏み込んでくる。
 しかしまだ遠い。いかにこの男は脚力も驚異的だとはいえ、届くかどうか微妙な距離からの攻撃だった。そう見て取った瞬間、体が動いている。相手は攻撃の手法を根本から変えてくる気だ、そんな思考が後からついてくる。
 鋼鉄の刃が蛇のように身をくねらせ、切っ先が牙をむいて襲い掛かってくる。そう感じられるほど、その刀捌きは柔軟で流麗で、鋭かった。そして伸びが、今までとはまるで違う。
 左片手での攻撃だ。右手を離し、柄の末端を握っている左手のみを使うことで、刀を最大限に長く使っている。それに片手ならば、両腕で握った場合と異なり剣運が体の正面に制限されることがない。その利を、この男は最大限に生かしている。
 多くの人間にとって左手は利き手ではないが、鍛え上げられた剣士の場合、少なくとも剣戟においてその区別はあまり意味を成さない。それぞれ役割があるのでどちらの手でも同じように扱える、ということにはならないが、利き手でない側でもそれなりに剣が振れて当然なのである。「弱い方の手」を添えている状態ではとても、両手持ちの破壊力を最大限に生かすことなどできない。利き手でなくとも、いや、普段意識しない利き手でない方を十分に鍛えてこそ、上達するのだ。
 威力が両手持ちの際より劣ることは間違いない。しかしそんなことは、負傷させられた場合を考えると何の慰めにもならない。もし切断力が半減していたとして、胴体を両断しかねないものが、その半ばで止まるだけ。つまり致命傷かそれに近い損傷であることに代わりはない。また、ある程度かわして浅手で済ませたとしても、この速さと技の滑らかさなら、負傷で動作が鈍った瞬間に無理なく剣が反転して、確実に止めを刺してくるだろう。
 防ぐしかない。その事実は先程までと何ら変わりがない。違いは、その後だ。それを見越して、蛇と化したその頭を叩き割るようにこちらも剣を振るう。
 さすがに、鋼の刀身は折れたり割れたりはしなかった。ただ、それまで吹き込まれていた命を失ったかのように、力なく押し戻される。片手持ちの攻撃では、全力を込めた両手持ちの剣を前にすると弾き返されてしまうのだ。戦う両者に余程の膂力、あるいは技量の差があればそうとも言いきれないが、しかしもしそうであるのなら、この場での決着はとうについている。
「せやあっ!」
 攻撃を完全に弾き返した。その隙を逃さず、一尉は目の前の敵をなぎ払おうとする。しかし、敵は隙を隙とも思っていないようだった。いや、始めから計算のうちだったのかもしれない。
「まだだ!」
 相手の勢いに負けて制御を失いかけた刀の峰に右手を添え、力づくで押し返す。そうして一撃を防いだ上で、再び彼自身も両手持ちに戻した。そしてその動作の間に再び繰り出された一尉の斬り下げを、今度はしっかりと受け止める。
 と、それもつかの間、侵入者は無理な鍔迫り合いを避け、微妙に腕の角度を変えながら後ろへ下がった。そしてむしろ、一尉自身に無理な力がかかったかのように、その体が浮く。
「くっ!」
 柔術か何かの技の応用だ。自分の力ではなく、相手自身の力を使って投げ飛ばす。現代で言えば合気道のものに近い。もっとも、鍔迫り合いという剣術における状態からの変化であることを考えれば、どこかの古流剣術に伝わる技なのかもしれない。
 ともかく、このまま行けば倒される。しかし、無理に態勢を立て直そうとすれば敵の思う壺、技の変化で結局投げ飛ばされるか間接を極められるか、あるいはその隙に斬られるかだ。
 単に剣の技のみを習っていた人間なら、ここで終わりだったろう。しかし、自分はそうではない。敵手の流派がそうであるかも知れないのと同様、古流剣術には実戦に必要な範囲で格闘戦の技を伝えている流派も複数あり、一尉はそれらに通じている。また、それとは別に現代の軍隊格闘技も習得していた。さらに、単に教えられたものを覚えるだけでなく、それらを自分なりに咀嚼し、そして応用するすべも心得ているつもりだ。
 全体の流れには逆らわず、ただその一部のみを微妙に変質させる。そう、基本はごくわずかに前に、敵手がしたのと変わる所がない。いや、そもそも体術の真髄、すなわち物理法則、そして人体の構造と動作の真理は、それほど広い範囲に散らばってはいないのだろう。ごく限られた人間にのみ踏み入ることのできる、そんなところにある。だから、その高みに近づいたもののすることは、どうしても似通ってくる。
 一尉の態勢が大きく崩れる。完璧に決まった、投げ技。侵入者はそう思ったに違いない。そのはずだ。そしてその瞬間、侵入者が放った投げ技により、遠心力が加えられた脚部が侵入者自身の頸部に襲い掛かる。一尉は投げられた態勢を逆用して、その過程で敵手にかかるよう脚を伸ばしていた。
 恐るべき勢いであがったその脚がうなりを上げる。しかしその時点で、誰よりもその脚の持ち主が、失敗を悟っていた。うまく決まったなら、唸りなどという余分な音が生じる前に、然るべき打撃を与えられていたはずだ。そしてそうやって成功した場合には、もっと鈍い、空気と耳を通じてよりも、己の筋肉と骨を通した方が速い、そんな音が自分の体から伝わってくる。うなりは、要するに打撃が完全に空を切った証拠だ。
 お互い無茶をする。もし、退治する二人と比肩しうる能力を持った、つまりその戦いぶりを理解できる人間がその光景を見たのなら、そう思ったことだろう。投げられるという危地をむしろ攻撃の転機とした一尉も、そしてそれをどうにかかわした侵入者も、成り行き上完全に平衡を失っている。そしてそればかりでなく、二人はその状態から、剣を振るおうとしていた。
 投げ技、あるいは蹴り技が届くようなごく至近距離。それはつまり、もっと遠い間合いで最大限の威力を発揮するよう作られた刀にとっては、不得手な間合いであるはずだ。普通の神経の剣術使いならひとまず、そして可能な限り自分に有利になるようにして、距離をとるべく後退する。
 しかし、引いたら殺される。その認識は、相互に退治する二人にとって、共通だったようだ。そして現に、二人ともその場で剣を繰り出している。
 片手右。この至近距離で有効なよう長い刀身を最大限短く、かつ自由に使うにはそれしかない。その思惑は、両者にとって完全に同じだった。互いに予測を超えた所で火花が散る。そしてその反動に負けぬよう力強く足を踏みしめて、双方至近距離を変えぬままに第二撃を放った。再び左手で柄を握っているような時間はない。
 今度は舞い降りる火花が一段と多い。両者の刀は、互いの刃を削りながら絡み合っている。それを、二人とも間接的に眺めていた。刀の位置は相手のものも含めて手の感触から自ずと分かるから、直接目視する必要はない。それよりも敵手の目を見て、次の動向を探る。その瞳の端に、鉄片の散る輝きが見て取れた。
「ふうっ!」
 あの絡み合った状態ではとっさに押し返すことも、また引くこともできない。そう判断した一尉が、左拳を敵の顔面に向けて打ち込もうとする。十分に体重の乗った拳だが、それでいて右腕に込められた力はいささかも弱まっていない。そして敵手も、右手で鍔迫り合いに応じたまま左腕を防御のために上げた。
 手ごたえが、気味悪いほど軽い。まるで巨大な豆腐でも殴りつけているかのようだ。抵抗が全くない。それは、相手が完璧な防御をしてのけた証だ。つまりその打撃の威力を、完全に殺している。
 ただ、それでも、あるいはそれだからこそ、意味がある。頭部に当たれば人間一人を簡単に昏倒または致死にまで追い込む、あるいは、その目標が胴体部であるなら当たれば重傷を免れない。そこまで力の篭った打撃をやり過ごした時点で、その防御者は相応の力を消耗している。攻撃側、正確に言えば防御した側に敵対的な勢力にしてみれば、それで十分だ。
 右腕の刀は相手が右手に握った剣によってさえぎられ、そして左手の拳は相手の左腕によって防がれている。こうして書くとまるで、それぞれごく自然な位置で相対しているかのようだ。
 しかし現実は違う。正面から向かい合った人間同士、互いの両腕がどんな位置にあるのかを思い起こせば、簡単なことだ。それぞれ相手の、左腕の前には右腕が、右腕の前には左腕がある。それゆえ正面から組み合ったのなら、本人にとっては別側の腕が当たることになる。
 つまり、右手に対して右手、左手に対して左手という今の両者の態勢はその逆、計四本の腕が交差した、奇怪な状態に他ならない。そしてその無理のある姿勢で、相手の打撃の威力を完全に殺すほどの防御をするとは、無理に無理を重ねるだけだ。
 侵入者は気味が悪いほどの柔軟さで、正面からの鋭い圧力を吸収している。しかしそれは、その分だけ彼自身の体が後退していることを意味していた。足の位置はそのまま、ただ上体を大きくそらしている。
「ぬうあっ!」
 もう一押しで崩れ落ちる。そう悟った瞬間、何よりもまずその体が動いていた。鍔迫り合いをしていた右腕に、さらに力が篭る。
 つい数瞬前まで互角の競り合いをしていた、その腕があえなく崩れ落ちる。優れた技量を発揮するのに欠かせない、然るべき姿勢を外れてしまったのだから無理もない。その瞬間を逃さず、一尉は刀を押し込んだ。ともかくも一撃を加えて、相手の戦闘力を削ごうとしている。
 振りかぶりなどしては、刀が上がったそのわずかな瞬間に態勢を立て直しかねない。この敵はそういう相手だと、一尉は既に十分すぎるほど悟っていた。
 異常な態勢から、しかも振りかぶることもない。これはこれで無理に無理を重ねた攻撃だ。しかしそれを覚悟してなお繰り出しただけに、この攻撃は避けようも防ぎようもないことを、一尉は悟っていた。当たるのは刀身の半ばほど、日本刀の威力を最大限に活かすことを考えれば、お世辞にも褒められない攻撃だ。遠心力や梃子の原理などを考えれば、斬撃に使うのは切っ先から始まる限られた部分にとどめるのが望ましい。剣道で有効打突とされるのも、概ね竹刀の先端から三分の一程度までだ。
 それでも、鍛え上げられ、そして研ぎ澄まされた日本刀ならば、十全の力を発揮しなくとも、それなりの傷を与えることができる。所有者は、自らの刀を完全に信頼していた。いや、この生きるか死ぬかの場で、自分の得物を疑うことなど不可能だと、一尉はこの時悟っていた。そうするしかないのだ。それができなければ、その瞬間に殺されるだろう。
 再び、火花が散る。それはこれまでの撃剣よりもはるかに濃く、鮮やかで、そして重かった。いや、火花ではない。それにしては、紅すぎる。それは血しぶき、鮮血が飛び散るのが、大輪の華のように視界を覆っていた。
 侵入者の左眉の端あたり、そこに真剣が食い込んでいる。
「取った」か? 討ち取った、命を取ったのか?
 そうではない。手ごたえが、そう告げている。今まで一人として人を殺したことのないその手が、しかし確かに、教えていた。何が「良い」斬撃で、何がそうではないのか、その感覚が、既に芯から染み付いているのだ。剣術、あるいはその前に始めた剣道の段階から、厳しく教え込まれたことが、今活きている。
 まだ浅手だ。頭部外傷は、外見が派手だからといって致命的とは限らない。頭蓋骨の外側にもそれなりに血管が配置されているので、そのあたりを傷つけただけでもそれなりに出血はする。しかしそもそも脳を守るために堅固に作られている頭蓋骨、それを叩き割らなければ、致命傷にはならないのだ。
 その近代的な外科医学の知識を、一尉は有していた。知るべきは何も、古の戦場から得られたものだけではない。生死に関わる知識と技術は、格闘戦に限らず一通り習得している。
 止めを刺さなければならない。そのためには、相手を負傷させたことにより生じた時間的余裕を利用して振りかぶり…そんな思考が先行する。
 しかし、その時点で既に、それが無意味なものであることを、一尉は体のどこかで感じ取っていた。思考を介さない、体がそのまま動く。そこまで速い攻撃でなければ、この敵手には通用しない。
 いや、むしろ…。そう思ったときには、既に遅い。それも、ああ、やはりと、精神のどこかが納得していた。
 斬られた。再び流血の華が咲く。その養分を提供したのは、彼の右腕だった。
 最も恐るべき敵手の豪刀は、他ならぬその右腕の先の刀が押さえ込んでいる。しかし、この敵にとって攻撃の手段はそれだけでなかったのだ。
 無理な態勢に逆らうことなく、むしろその勢いを利用して、侵入者は右脚を跳ね上げている。それは、接地した左足のつま先から右足のつま先に至るまでの力全てを発動させるのは当然のこと、そしてそこから外れた上半身の運動から生じる反動も最大限に活用していた。
 第一指の爪が肉に食い込んで、切り裂く。その程度で済んで幸いだったと、一尉は思った。何しろ力任せに押し込んで簡単には引くこともかなわない、その右腕を狙われたのだ。それも爪が触れただけで斬れる、尋常でない蹴りである。完全に当たっていれば、骨を砕かれている。
 もっとも、その完全さを阻止したのは、何よりもその押し込んだ右手に握られた刀だっただろう。もう少しでも押しが軽ければ、相手はより一層深い反撃が可能であったはずだ。
 それでも、かなりの出血を伴っている。ぼたぼたと、嫌になるほど深い色の液体が傷口からこぼれ落ちていた。
 一応、動脈からの出血ではないはずだ。心臓からの圧力を受ける動脈が傷つけられれば、そこに流れる血は噴水のように飛び出すという。それも静脈を流れる酸素を使い果たして黒ずんだ血とは違う。文字通りの鮮血、新鮮な酸素を含有し、そして鮮やかな真紅に彩られたものが噴き出すそうだ。
 しかし、それが慰めになるかどうか、微妙な所だ。何しろ利き腕だし、血管がここまで傷つけられている以上、腱や筋肉も損傷している可能性が大いにある。これまでと同様の戦闘行動が可能だとは、期待できない。
 それでも、いや、それだからこそ、ここは全力で攻める以外に道はない。負傷にひるんで下がっては、そのまま無為に出血して、自分を追い込むだけだ。
「うおおおおおおっ!」
 流れ落ちる血が柄にかかれば、そのぬめりによって刀を落とすおそれがある。また、そうでなくとも滑りやすくなることによって、握りが弱くなり、それが斬撃の威力をも削ぐことは間違いない。そのことにだけ注意しながら、まだ無事な左手でも柄を握って、渾身の一撃を叩き込もうとする。
「おああああああっ!」
 そして敵手も、再び左手で柄を握っている。彼はその動作のついでに、袖で眉の傷をぬぐっていた。自分自身の傷口に対して乱暴極まりない、恐らく激痛が走ったことだろう。
 しかしそれでもやってのけたのは、そこから流れる血が目を塞ぐのを嫌ったからだ。片目の視力を失えば、遠近感をも失うことになる。いくら片目が見えていてもそれでは、相手の武器がどこにあるかが判然としない。隻眼の状態に慣れているのならともかく、そうでない人間にとってその不利は大きすぎるのだ。それを考えれば、一時の痛みなど何ということもない。
 侵入者の白刃がきらめく。その瞬間、一尉の視界全てが漂白された。

続く


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