ご主人様としおりさん

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 黒い詰襟の群れが昼下がりの商店街を通り過ぎて行く。名門の中高一貫男子校として知られる北星学園のその制服は、ほとんどの生徒の通学経路となっているここでは見慣れたものだ。書店やファーストフード店など、彼等の消費によって経営を成り立たせている店も少なくない。
 そして現に、中等部三年の襟章をつけた少年が鯛焼きの包みを手に帰路についていた。この鯛焼きはマスメディアでも頻繁に取り上げられる、商店街の名物である。
 駅までもう少しの所で、少年はくるりと振りかえった。
「じゃ、僕はこれで」
 一緒に歩いていたクラスメイト達にそう告げて横道へと逸れる。しかし彼等は、素直に流れに従おうとしなかった。
「橋本、そんな冷たいこと言うなよ」
「そうそう」
「すぐそこまでだろ。付き合うよ」
「あ、こら、ちょっと…」
 クラスメイト達は強引についてくる。橋本と呼ばれた少年は抵抗のそぶりをしたが、三対一ではどうにもならない。元々彼はこの四人の中では最も小柄で、体格も華奢である。中学三年の男子ともなると大人とほとんど見劣りしないまでに成長する者も多いのだが、彼はまだ子供としての様子を色濃く残していた。顔立ちも、制服を着ていてさえ時として女の子に見えてしまうほど繊細である。一対一でも勝てるかどうかは怪しい所だ。しかし力でかなわないとは言え、小柄な少年にもひるんだ様子はない。
「まったくもう…どうせ君たちの目当ては『しおりさん』なんでしょ」
「分かってんならとやかく言うなよ、な。別にナンパしようとか拉致ってどうこうしようとか、そういうことじゃないんだから。御尊顔を拝し奉るくらいいいじゃないか」
 言葉使いこそ少々荒いが、古めかしい物言いを心得ている辺りはまがりなりにも名門校の生徒である。言われた側の少年もすぐさま言い返した。
「そう思っているのなら彼女に失礼のないようにね」
「分かってるって」
 実際、橋本少年の目的地は「すぐそこ」であった。駅の脇にある時間貸しの駐車場である。その出口に真新しい黄色い車が停まっている。最近流行の小型RV車、そのボンネットに取り付けられた若葉マークが妙に似合っていた。
 そしてその脇に、一人の女性がたたずんでいた。あるいは少女と言ったほうが良いのかもしれない、微妙な年頃だ。背は女性としては高めだが、顔立ちにはまだあどけなさが残っている。
 しかし少なくとも、中学生にしてみればずいぶんと大人びて見えることは間違いない。生物学的にも精神的にも、概して思春期では女の子の方が発育は早いものだ。一つ学年が違うだけでも、ずいぶん雰囲気が違って見える。それに健康な男の子としてはどうしても意識してしまう部分が、中々立派に発育して
いるのだ。なによりまず胸が豊かに張っている。そのくせ腰はかなり引き締まっており、その位置が高い。要するに、スタイルが良い。
 そう見て取れる彼女の服装は、しかし露出度が高いものではなかった。むしろ逆である。肌が露出している部分は、首から上と、手首から先だけだ。
 濃紺のスカートが広がったワンピースにフリルのついた純白のエプロン、その胸元を赤いリボンが飾る。頭にはエプロン同様白いフリルの髪飾り、足下には白いストッキングに良く磨かれた皮の靴。そんないでたちである。古典的なメイドの服装だ。それも簡素で実用的なアメリカンスタイルではなく、華麗なヨーロピアンスタイルである。そもそも西欧人の体型を前提にしてデザインされているはずの服が、実に良く似合う。
 黒髪、かつ黒目、そしてやや色のある肌という特徴は、明らかに東洋人のそれである。しかしそれらの色合いも、むしろ地の服の紺色やエプロンの純白に映えるようだ。そもそもその服は彼女が着るためにあった、そんな印象さえ受ける。 それ自体で完成された絵画のような美しさだ。ここが現代の日本であることを考えればずいぶんと奇妙な服装ではある、ということをつい忘れそうになってしまう。
 そして彼女は、少年たちの姿を認めると丁寧に頭を下げた。少年たち三人は普通の日本人並に会釈を返すが、小柄な少年だけは手を振っている。
「お疲れ様でした、高也さま」
 彼女は顔を上げると小走りに駆け寄り、小柄な少年、高也に手を差し出した。
「しおりさんも、お迎えご苦労様」
 にっこり笑って言いながら、高也は学生鞄を彼女に預ける。彼女、しおりも優しい笑顔でそれを受け取った。二人にとってはそれが自然な動作だ。
 別に何かの扮装ではなく、しおりは正真正銘メイドなのだった。それも高也の専属である。
「いいなあ、おい」
「ほんと。いいよなー」
「あー、何で俺は高也みたいな金持ちのうちに生まれなかったんだ」
 そんな光景に、野次馬としては羨望の声を禁じえない。もっともそんな彼らとて、世間一般で言う「貧乏」には程遠い。二人はそれぞれ医師と弁護士の息子、もう一人は政治家の孫である。お手伝いさんくらいは雇える金銭的余裕のある世帯だし、現にそうしているものもいる。
 しかし、庶民のいう「金持ち」にも格の違いがある。高也は有力企業のオーナー社長の一人息子なのだ。だから、子供一人に専属のメイドをつけるなどという時代錯誤的な芸当も可能である。
「皆様も、お疲れ様でした」
 鞄を受け取ってから、しおりは主の友人たちにも丁寧に挨拶をする。羨望の台詞を軽く流しているあたりには、使用人としてのたしなみと同時に年上の女性の余裕さえ感じさせていた。
「あ、いや。俺らはもう、そうやって声をかけてもらえるだけで嬉しいですよ。なあ」
「というか、今日もしおりさんに会えただけでオールオッケーってことで」
「というわけで高也、明日もよろしくー」
 好き勝手なことをいいながら、三人は立ち去った。美人を眺めるのも高也をからかうのも好きだが、それ以上まとわりついていると高也を怒らせると知っているのだ。特に試験前の理系科目のノートなどについて高也は頼りになるので、機嫌を損ねても自分に不利益が返って来るだけである。そのほかの面でも、怒らせると怖いところがある。人間の力関係は腕力だけで決まるものではない。
「ばいばい」
 高也はとりあえず、悪友三人の引き際の良さを評価することにした。軽く手を振ってから、しおりに向き直る。彼女はすぐに、聞いてきた。
「今日はどうなさいますか」
「鯛焼き。あったかいうちに、どこかで食べよ」
 彼女に渡さなかった包みを示す。しおりは顔を輝かせた。
「まあ、私のためにわざわざ買ってきてくださったのですか。ありがとうございます」
 嬉しがりながらも、高也のために車の扉を開けているあたりはしっかりしている。
「どういたしまして。だってしおりさん、可愛いんだもの。つい好きなものとか、買ってきちゃうよ」
 小柄なせいか、彼はするりとそこに身を入れた。席は助手席である。普通送り迎えをされるような人間は後席に乗るものなのだが、彼としては眺めのいい席、そしてしおりの隣の席がお気に入りなのだ。
「まあまあ。嬉しいですわ。でも、あまり甘いものが多いと、太らないように気をつけないと」
 運転席に乗り込んで、しおりはシートベルトを締める。そのあたりの動き、あるいはフットペダルの操作など、長い上に膨らみがちなスカートは邪魔になりそうに見えるのだが、彼女はうまくそれを扱っていた。
「大丈夫だよ。ぷにぷにしたしおりさんも、きっと可愛いから」
「もう、ご主人さまったら」
 そうって流してはいるが、彼女の頬は少し赤くなっている。他に人がいるときは「高也さま」と呼ぶが、二人きりのときは特別な親しみを込めて「ご主人様」と呼
ぶ。しおりにとって主は、そんな存在だった。
 軽量の自動車が、流れるような動きで駐車場を出る。若葉マークこそついてはいるが、毎日主を迎えに来ている上に、こう見えて実は元々の運動神経が良いしおりの運転技量は中々のものだ。
 メイドに似合いそうな車、と言ってまず思い浮かぶのは黒塗りのリムジンだろう。実際、高也の家にはそんな車もある。ただ、そういうものは基本的に専属の運転手に運転させるものだ。メイド自身が運転すると、かなり似合わない。
 そう考えて、しおりが運転免許を取得するとすぐ、高也はこの車を買い与えていた。やはり彼女にはかわいいものが似合う。そう思うのだ。それに運転手がいないから、簡単に二人きりになれるという利点もある。購入の資金源は、高也のポケットマネーだ。
 そしてその黄色い車は、程近い大規模公園の脇で停車した。路上駐車だが、この時間帯なら交通量も少なく邪魔にならない。
「お飲み物を買って参ります。いつものお茶でよろしいですか」
「うん。あ、しおりさん、自分の分も忘れちゃだめだよ」
「かしこまりました」
「僕は場所を取っておくからね」
「はい」
 高也がゆっくり歩いて公園の入り口に近いベンチを確保した次の瞬間、しおりはもうそこに立っていた。全力ダッシュのはずなのだが、彼女は息一つ切らしていなかった。缶入りのお茶のプルトップを開けてから差し出す。
「はい、ご主人様」
「ありがとう。はいしおりさん、鯛焼き」
 お茶と交換でまだ十分に暖かい鯛焼きを手渡す。彼女はうれしそうにうなずいて、それを受け取った。
「いただきます」
「はい、どうぞ召し上がれ」
 まず自分が食べ始めないと、彼女は口をつけない。高也はそれを承知しているので、すぐに鯛焼きの頭を口に入れた。この鯛焼きの何が有名かというと、何よりまずその餡の量である。まず餡を鯛の形に整形してから小麦粉の皮をかけて焼いている、などと言われるくらい餡が多い。職人の熟練の技の賜物である。無論それで餡がまずかったら元も子もないわけで、ふんだんに使われた上質の小豆と絶妙の加減の砂糖とがよく合っている。皮も外側はぱりっとしていながら、内側はふんわりと柔らかい。高也がそれを味わっているのを見届けてから、しおりも食べ始めた。幸せそうな笑みが広がってゆく。これはちょっとほかの人間には見せられないな、などと考えた高也は、視界の隅のほうをさりげなく探ってみた。
 幸い、と言うべきか、彼らを見ているような人間はいない。人影はあるにはあったのだが、しかし向こうは向こうで取り込み中だった。それについ興味をそそられてしまうのは、好奇心の強すぎる高也の悪い癖である。
「ねえねえ、しおりさん。あれ見てよ。気づかれないように、そっとだよ」
「はい…?」
 耳打ちされたしおりは、いぶかしがりながらも言われた通りにした。
 暗に指し示されたのは、少し離れたベンチに座っている高校生の二人連れだった。一人はこの近くの公立高校の、黒い詰襟の制服を着ている。もう一人は紺のブレザーの少女だ。高也の記憶が間違っていなければ、それなりにレベルの高い私立進学校の制服である。
 間違いなく、カップルだ。何故断言できるのかというと、それはひとえに少女の方の行動を見れば明らかだからだ。
「あーん」
 そんな声の聞こえる距離ではない。しかし他の台詞があるとは思えなかった。彼女はお菓子を、彼の口元に差し出しているのだから。
 相手の少年は、あわてて首を振る。さらに周囲に動揺交じりの視線をやっている。武士の情、その瞬間だけは、高也もしおりも視線をはずしていた。もっともその気配がなくなるや、二人ともさりげなく注目している。実は情け容赦がない。多分彼は、他に人がいるからそんな恥ずかしいことは止めろ、とでも言っているのだろう。
「あーんっ!」
 今度ははっきり聞こえた。彼女は強硬だ。遠目だからはっきりとは分からないのだが、どうも目が笑っていないような気がする。意地でもやるつもりらしい。結局折れた彼が、それを口に入れた。
 そして彼がそれを飲み込まないうちに、今度は彼女が口を開いて突き出す。彼はもう諦めたようで、顔を赤くしながらも黙って菓子を差し出し、口に入れてやっていた。
「ね、面白いでしょ?」
「ええ、本当に。わたくし達もやってみましょうか?」
 ころころと笑ってから、しおりは高也の手から鯛焼きを取り上げた。しかし高也は、首を振る。
「そっちが食べたいな」
 指し示したのはしおりが今食べている分である。彼女は少し困ったような顔をしたが、すぐに優しい笑みを浮かべてそれを差し出した。
「それではご主人様、あーんして下さいませ」
「あーん」
 彼女が口をつけた所を、ねっとりと味わうようにして食べる。しばらくたって、それを完全に飲み下してから、高也は自分の鯛焼きを取り戻した。
「じゃあ、代わりに僕の分をあげるね。はい、あーん」
「あーん…」
 しおりはしおりで、舌の上で転がすようにしてそれを味わっている。結局それが彼女の喉を通ってゆくまで、ずいぶん時間がかかった。しかし高也は別に待ちくたびれてもいない。その間に、しおりの黒く輝く瞳にはいたずらっぽい色が宿っていた。
「ねえご主人様、わたくし、面白いことを思いついてしまいました」
「うん。なあに?」
「誠に申し訳ないのですが、目をつむってからわたくしにお顔を近づけて頂けますで
しょうか」
「いいよ」
 高也はすぐに言われた通りにする。それに応えたしおりの声には、少し興奮した響きが感じ取れた。
「それでは…恐れ入りますが、わたくしがいいと申し上げるまで、目を閉じていて下さいませ」
「うん。分かった」
 多分キスでもしてくれるんだろう。そう考えながら、高也は待ちの態勢に入った。そして案の定、少ししてから人の温もりが唇に伝わってくる。
「…?」
 ただ、少しだけ、その感触がいつもより硬いような気がした。
 そして次の瞬間、避けようもなく甘い香りが口の中に流れ込んでくる。
「…!」
 何が起こったのか分からないから、反射的に頭を引こうとする。しかしそれは、がっちりと押さえ込まれていた。逃げ場がない。そこでとっさの判断で口を閉じようとしたが、しかし口の中に差し込まれた何かがその動作を完全に妨害していた。その間にも、甘い何かはどんどん口の中に進入してくる。
 結局、高也はあきらめた。ともかくも、現状を受け入れる。そうすると少し、無理やり口の中に入れられているものの味わいが分かってきた。ただ甘いのではなく、香ばしい。しかしそれが鯛焼きの成れの果てであると分かるまでには、なおいま少しの時間が必要だった。完全に咀嚼されてどろどろになり食感を失ったうえに、本来の温度も分からない人肌になったものの正体を判別するのには、意外と努力が必要だ。
「んんっ…」
 吐き出すこともできず、高也はそれを飲み込む。ただ、うめいたのが自分自身だったのか、それとも彼女だったのかはよく分からなかった。
「んっ…ふう…」
 ため息と共に、結局小豆と砂糖と小麦粉と、そして唾液の集合の全てを飲み込むことになる。完全に混ぜ合わされ、人肌になったそれは、少なくとも最早鯛焼きと形容できる代物ではなかった。流し込まれる。為すすべもなく、主人はそれを飲み込まざるを得なかった。
「いかがでしょう」
 満面の笑みでしおりが質問する。高也は敢えて、表面上の冷静さを保った。
「しおりさん、人に食べ物を出すときには絶対に忘れちゃいけないことがある。それが分からないなんて、がっかりだよ」
 お茶で口の中を落ち付けてから、おもむろに自分の鯛焼きをかじる。歯科医に称賛されるほどしっかりと、主人はそれを咀嚼した。しおりはわざとらしく、能のなさそうな笑みを見せた。
「はい、なんでしょう」
 その口が閉じない内に口付け、お返しを流し込んでやる。口の中のもの全てを注ぎ終えると、主人は胸を張った。
「味見くらいしなきゃね」
「ん…うう…」
 しおりは手で口を押さえて、そして何度か喉を鳴らした。そうしているうちにその目つきがどこか陶然としたもになる。イッてしまっている、と表現しても差し支えないのかもしれない。
「はあ、ご主人さま…美味しゅうございました」
 笑顔が溢れる。ありったけの感謝を、しおりは顔で表した。この手の性格の人間こそ実は最強の人種ではないかと、主人は本気で考えざるを得なかった。
「しおりさんにはかなわないな、本当に」
「ええ。だってご主人さまが、わたくしを強くしてくださったんですもの」
「元々の素質が良かったんだよ」
 気がつくと、先程の高校生二人は既にベンチを離れていた。逃げるように、足早に立ち去ってゆく背中が見える。いたたまれなかったのだろう、多分。
「あははははは! 行っちゃったよ、可愛いなあ。せっかくだからもっと過激なのを見せてあげても良かったのに」
 まず間違いなく自分より年上の二人を、高也は情容赦なく笑い飛ばした。しおりがそれをたしなめる。
「いけません、ご主人さま。街中でそんなことをしたら、つかまってしまいます」
「日本のおまわりさんは無粋だからねえ」
 少なくとも職務を遂行する上で、警察官が無粋なのは万国共通である。
「じゃあうちに帰ろっか」
 何が「じゃあ」なのか、しおりは一々聞こうと思わなかった。
「お夕飯のお買い物がまだなのですが」
 しおりは高也の食事も作っている。腕は専門の料理人には及ばないが、しかし食事をするのにまず大事なのは雰囲気だと、高也は良く知っているのだ。
「そう。それなら、ちょっとこの公園一周してから買い物しよう」
「おつきあいいただけるのですか」
「当然だよ」
「ありがとうございます。それではご主人さま、今日は何をお食べになりたいです
か」
「んっとねえ…」 
 献立の話をしながら公園を散策する。偏食の高也と彼の健康を心配するしおりの間
では、かなり真剣な戦いが繰り広げられていた。
「すみませーん」
 しかし途中で邪魔が入る。後ろから声をかけられたのだ。公園の中ではやや奥まった位置で、見える範囲に人はいない。そして仕方なく振り返った高也としおりが目にしたのは、二十代半ばと思しき男の二人連れだった。
 それは、どうにも高也の美意識を逆なでする連中だった。一人はでっぷりと太って額に汗を浮かべている。そろそろ肌寒いときも多いのだが、半袖のTシャツに洗いざらしたジーンズといういでたちだ。もう一人は対極的にがりがりにやせており、つやのない長髪を後ろで束ねている。こちらはこちらで季節外れの、ロングコートを着込んでいた。
 間違いなく、いわゆる「おたく」だ。高也は思わず、顔をしかめてしまった。
 しおりにメイド服を着せて町を歩くくらいだから、それは高也にも極めてマニアックな部分がある。ただ、それは彼なりの美意識が高じてのことだ。少々風変わりではあっても、誰が見ても可愛い。そう信じている。だから今目の前にいるような、見る人間に不快感を与えるような格好の連中には嫌悪を感じずにいられない。家の外に出るならそれなりの服を着るのが、最低限のマナーであると思う。
「何でしょう」
 高也がこの手合を嫌っているのは重々承知なので、応対に当たったのはしおりだった。もっとも彼女自身、あまりこういう人間たちとは関わりあいになりたくないのだが。
「写真、取らせてもらっていいですか」
 痩せた方の男が言う。その手には既に、デジタルカメラが握られていた。たまにいるのだ。このようなイベント会場と普通の街中の区別のつかない、社会性のない連中が。もっとも、メイド服で街中を歩かせる高也の社会性にもかなり怪しいところはあるのだが。
「申し訳ありません。写真撮影はお断りさせていただいております」
 高也の意向を伺う必要もない。しおりはきっぱりと断った。高也には変に独占欲の強いところがあって、連れ歩いて見せびらかしているくせに、ほかの人間がしおりを撮影したりするのを嫌うのだ。
「まあまあ、そんなことを言わずに。一枚だけですから」
 太った方が愛想笑いを浮かべるが、それは高也の不快感をいや増すだけだ。
「しおりさん、行くよ」
 反応を待たずに、高也は歩き出した。しおりはあわてて、それについて行こうとする。
「おい、待てよ!」
 一回りも年の違う少年に無下にされて、男たちのほうも不快感を誘われた。痩せた男が背を向けた細い肩につかみかかろうとする。
 次の瞬間、その手がねじり上げられていた。聞き苦しい悲鳴が上がる。
「ご主人さまに手を上げたら、許しません」
 しおりの目が、刺さるのではないかと思えるほど強い光を放っている。彼女の腕が、完全に男の腕を固定していた。彼女は特に武道などは習っていないのだが、なぜか強い。高也に言わせれば、「野性の本能」がある。
「こいつっ!」
 それを解こうと、今度は太ったほうがつかみかかる。
「げぱっ!」
 しかし彼は奇声を発し、二秒後には地面にはいつくばっていた。
「しおりさん、もう手を離していいよ」
 優しく、高也が声をかける。軽くうなずいて、しおりは言われた通りにした。
「僕特製の電撃ムチだよ。しおりさんならともかく、君らみたいな蛆虫の悲鳴を二度も三度も聞く趣味はないから、一発で気絶できるほど電流量が多いんだ」
 高也の手には長く、そしてしなるものが握られている。その先端から、青い火花が散っていた。
 父親の会社が機械製造業をしているため、高也自身も幼い頃から機械をおもちゃのようにして育ってきた。それが講じて、いまや高也自身が様々な機械を作れるほどの技術を身につけている。電撃ムチの製造など、彼にしてみればほんの片手間仕事である。マッドサイエンティストの例に漏れず、彼も説明好きな人間だった。
 そして彼が軽く手首を振る。ムチの先端が、痩せた男の鼻先を掠めた。小柄で運動神経にも恵まれてはいないが、しかし高也はムチの扱いに習熟している。幼い顔に、冷たい笑みが浮かんだ。
「消えなよ。でないと、今度は当てるよ」
「し、傷害罪で訴えてやる!」
 後ずさりながらも、男は立ち去ろうとはしない。高也は首を振った。
「ああ、そう。じゃあ、こうしよう」
 制服のボタンを一つはずして、その中に手を突っ込む。引き出されたそのときに、そこには拳銃があった。銀色の回転式。銃身が異様に長く見えるが、それは先端に消音機がすえられているからだ。
「しおりさん、よろしく。これは僕にはちょっと重くてね」
「ご主人さま、これは…」
 受け取りながらも、しおりは困惑する。まあ、当然の反応だ。しかし高也は平然としている。
「撃ち方はちゃんと教わってるよね」
「は、はあ…」
「そんなおもちゃで誰が脅されるか、この馬鹿」
 男が少し勢いを取り戻す。しおりは迷わず安全装置を外し、撃鉄を起こして引き金を引いた。わずかに空気の抜けるような音がする。火薬のにおいが漂った。
「ほら。やっぱりおもちゃじゃないか」
 男の嘲笑に、高也は無言の嘲笑で応じた。指先で軽く、その背後を指し示す。木の幹に、はっきりと銃弾の跡がついていた。
「…………」
 さすがに、言葉がない。しおりは意図的に狙いを外していたのだ。
「しおりさん、今度は当てていいよ」
 しおりは了解の意志を行動で示した。彼女の目と、銃の照星のちょうどその先に、男の眉間がすえられる。
「さ、殺人未遂だぞ…」
「そうだねえ。でも僕もしおりさんも未成年だから、つかまってもすぐに出てこられる。だから訴えでもしたらそのときは、本当に殺すよ。それともどうせだから手っ取り早く、この場でやっちゃおうか?」
 ぞっとするような光がその目にたたえられている。しおりは無言のまま、その目に強い敵意をたたえていた。彼女は、自分が誰よりも信じている人間を愚弄されることを許さない。
「そのデブ連れてさっさと消えるんだ。…早く!」
 気絶したままの仲間を引きずって、男はよろよろと逃げ出した。
「ふん…!」
 短く息を吐いて、高也は電撃ムチをしまいこんだ。しおりも拳銃の構えをとく。
「それにしても、難しいとおっしゃっていた弾も手に入ったのですね」
 いつも一緒だから、しおりは主人のやることを大体把握している。拳銃本体は、高也が父の会社の下請企業を回って旋盤を借りたりしながら作り上げたものだ。ただその際に弾丸を入手するのが難しくて残念だ、と高也が言ったのを覚えていた。
「うん。結局自作したんだけどね」
「わたくしに内緒でですか」
「へへ。驚いたでしょ?」
「驚きましたとも」
「うんうん。がんばった甲斐があったよ。予想以上にいい出来だ。純正品じゃないからちょっと暴発の危険が高いけど、これだけ飛べば十分だよね」
 するり、と密造拳銃はしおりの手を抜けて地面に落ちた。
「あああっ! もう、言ってるそばから! 落としたりしたら暴発しちゃうよ。しおりさんが怪我なんてしたら大変だよ」
 高也はあわててそれを拾い上げ、安全な状態にしてからしまいこむ。しおりは力なく笑うだけだった。
「さて、それじゃあ、買い物に行こうか」
 一方高也は何事もなかったかのように笑う。それで全てを許してしまうのは悪い癖だ、という自覚がないではないしおりだった。
「はい。参りましょう」
 そして二人は手をつないで、公園を出る道を歩いて行った。

ご主人様としおりさん 了


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