そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

旅行記1『窓越しのヨーロッパ』
(西欧ハイライトの旅)

4 ポンペイ・ベスビオ

 ポンペイ遺跡はあまりにも有名なので、過去の学習を思い出しながら出かけた。

 ローマからバスで高速道路を走る。道路の整備状況はよい。ドイツ・アウトバーンに負けまいと作られたと言われるこの高速道路は、最高時速150キロ、バスでも100キロが制限速度。(もっとも、ドイツでは制限はなかったが。)全ての道はローマに通じる。ローマから南の道路は「アッピア街道」、現在も普通道路として使用されており高速道路と交叉する。街路樹が街道の存在をアピールしているようだ。ドイツのロマンチック街道をちょっと思い浮かべる。

 走行2時間あまり、ベスビオの山が見えてきた。現在は活動していないので、静かで平和そのものである。

 ポンペイ。現在約80パーセントの発掘が終わっているという。2千年前の都市の姿がここに現われる。私は、2年前インドネシア・ジャワ島でボロヴドールの遺跡を見た。これはヒンズー教寺院が、やはり火山の爆発によって埋もれたものを発掘しているところで、その規模の大きさに驚いたものだった。しかし、ポンペイは大きかった。都市全部が埋もれているのである。

 その遺跡を調査した結果、あらゆる生活の仕組み、施設は二千年を経た現代と変わらないという。ないのは電気だけだそうだ。ということは、人間の歴史は政治も経済も学問も芸術も、二千年来、末端部分が変化しているに過ぎないということか。

 風呂屋、両替屋、水道設備、商店街、玄関の猛犬注意、部屋に飾られた春画など、よくもここまで残っていたものだと感心する。

 ただ、この町の中に住むことができたのは、ある階級以上の人たちだったのだろうと思う。これらの建物の建築には相当の人手がかかる。それだけの人を使うことができるのは、限られた人たちだけだったのではないかと思われるからだ。

 では、それ以外の人たちはどこに。
 おそらく、遺跡として発掘されることもないポンペイの周りに埋もれているか、形を残すこともなく消滅してしまったかであろう。ポンペイはそんな人たちの怨みの遺産なのかもしれない。