そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

旅行記 3『ダイヤモンドヘッドで見た虹は』
(OLI OLI HAWAII 6日間の旅)

1. 暑さと疲れとシャワーと
 空港から一歩出ると、かっと日が照りつけた。「暑い」というより「熱い」という感じだ。
 昨年のオーストラリアは評判ほどの暑さでなかったので、この暑さは特に厳しく感じる。着陸前の機内放送で、「ホノルル空港の天気は晴、気温21度」とあった。常夏のハワイなのだから、まあそのくらいは当たり前か、と思った。しかし、降り立って予想以上の暑さを感じる。皮膚にピリピリという感じだ。しかもアスファルトはしっかりと濡れ、水たまりもある。雨のあと歴然である。
「暑い。」
 日本からずっと着ていた上着を脱いで、汗をぬぐう。飛行機が着く前、激しい雨だったらしい。この地方ではそのような通り雨がよくあり、
「レインではありません。シャワーといいます。」
と、ガイドの説明がある。
 一昨年のヨーロッパ、昨年のオーストラリアに続けて、3度目の年末旅行である。ハワイと言えばタレントの正月定番で、何だか俗っぽい感じではあるが、考えてみるとハワイに関する知識は意外と乏しい自分に気がつく。
 太平洋戦争開戦の地パールハーバー、移民による日系人の多いこと、アメリカ合衆国50番目の州、ワイキキビーチのにぎわい、そのぐらいしか私の頭にはない。実にお粗末な知識だ。さくらももこの旅行記「ももこの世界あっちこっちめぐり」をつい最近読んだのだが、あんまり記憶にない。
 12月25日終業式を終えて、私たちは「スーパーはくと」「はるか」を乗り継いで関西国際空港へ。午後9時発のJL88便に乗った。年末ではあるがまだ金曜日なので、空港はそれほど混んではいない。今回もパックツァーではないので、集まってゾロゾロということはない。JTBの係りの簡単な指示を受けてチェックイン。出国審査、荷物検査を受けて搭乗。いつもの窮屈なシート、こちらの食欲を一切考えない食事。でも、ワインはうまい。
 入国審査は数人の審査官がいて、私たちの並んだところが最も時間をとって念入りにやっていたが、もちろん問題なく入国。
 アロハタワー・マーケットプレイスで旅行全体の説明を受け、オプションの申し込みをしたあと、昼食をとり、手荷物と飛行機疲れを持ってハイアット・リージェンシー・ワイキキホテルへ。それでも午前中にホテルにチェックインできるのはありがたいことだ。

2. 年に2回のクリスマス
 終業式の25日はもちろんクリスマス。我が家はクリスチャンではないから、特に何もするわけでもないが、日本でも町はクリスマスツリーやクリスマス商戦などでにぎわっていた。ヨーロッパもオーストラリアもちょうどこの時期に訪れたので、クリスマスから正月へとにぎやかだった(ただし、元旦はひっそりと車も人もなかった)のを思い出す。
 今回は、ハワイ到着が25日の朝になる。日本との時差が19時間あって、日本を25日の夜に飛び立った飛行機は、25日朝のハワイに着陸することになる。町もホテルもクリスマス飾りでいっぱいだ。並木に照明飾りを取り付けることは、どこの国でもされるようになってきたようだが、ここでは幹だけに取り付けて通り全体を飾っている。役所や商店もそれぞれに飾りを施して美しい。
 今年二度目のクリスマス。時差のなせるわざだ。
 19時間の時差といっても、5時間を足して1日を引くということだから、時計の上では5時間の時差である。だから、時差ぼけなど心配なかろうと思っていた。しかし、それは甘かった。旅の疲れがある上に一日が長い。この日午後があいていたので、ダイヤモンド・ヘッドに登ってこようということにしたのだが、これがちょっと無理をしてしまうことになった。翌日、疲れと生活のリズムの違いからくる寝不足で妻がダウン。午前中休養、午後のポリネシア文化センターの見学にはなんとか出かけたが、なかなかたいへんであった。

3. ダイヤモンド・ヘッドで見た虹は
 ダイヤモンド・ヘッドの名はよく知られているが、どんな山なのかはわからない。ワイキキのはずれにある標高232メートル、バスを降りたところから子どもでも30分位で登れるという。「ぜひ登っておきなさい」という勧めもあって、ホテル前からトロリーバスに乗った。
 ハワイでの移動は、バスが便利だといわれている。観光バス、公共の定期バスなどが行き交っているが、トロリーバスもハワイの特徴か。トロリーバスは、屋根はあるが乗客が乗る部屋として仕切られているのは一部分だけ。あとは、屋根はあるが壁はない、簡易バスとでも言おうか。私たちは旅行会社の持っているトロリーバス(どの停留所で乗り降りしても、期間中何度乗っても、カード一枚見せればOK)でダイヤモンド・ヘッドに向かう。
 トロリーバスは見掛けによらず結構なスピードで、20分ほどで登山口に到着。駐車場付近には、店があるわけでもなく、いかにも観光地という何物もない。どこに行けばよいのかはっきりしないから、バスの車掌に尋ねると「あの道を行くのだ。」と教えてくれた。「30分ほどで登れる。」ともつけ加える。
 正面から左に広がる山々は火山活動によってできた山らしく、下の方には潅木もあるが、上になるにしたがって、白く枯れた草がまばらにあるだけの山である。
「頂上はどこなのだろう。」
と話しながら登り始める。道は舗装されていて登りやすくなっている。登山者はそう多くないが、それでも下山の人とすれ違い、前を登る人の背中を追いかける。
 しばらく登って舗装は終わった。降りて来る人の中から、
「まだ(下り道は)あるの、大分降りたのに。」
という声が聞こえた。ということは登りはこれからまだまだということか。道はだんだん嶮しくなる。
「どこが子どもでも30分なんだ。」
「子どもは30分で登れるんだよ。」
 トンネルがある。ガイドブックには書いてあったのかも知れないが私たちは知らなかった。出るとまだかなり高いところに頂上が見え、もう一度トンネルをくぐらなければならなかった。今度のトンネルは真っ暗で、おまけに中が曲がっている。懐中電灯が必要だったんだ。さらに20メートルばかり登って頂上。確かに30分で頂上に着いた。
 海も市街地もニュータウンも一望だ。現地ハワイやアメリカなどからの観光客、日本人も多い。十数名が頂上の景色を楽しんでいる。
 と、東側のニュータウンの山に虹がかかった。通り雨(シャワー)があるらしく虹はどんどん延びる。ハワイは虹の名所だそうだが、ここダイヤモンド・ヘッド山頂での虹にひととき見とれた。

4. 私の部屋はどこ
 私たちのホテルは、「ハイアット・リージェンシー・ワイキキ」40階の六角柱タワーが2本、ワイキキにそびえるルーム数1230室の大ホテルである。私たちの部屋は27階、ワイキキ浜辺を見下ろす部屋で、実に眺めがいい。1、2階には多くの店があって、日用品からみやげ物、免税品、旅行の相談までなんでもできるようになっている。食料品ではおにぎり、寿司、漬物、日本酒など日本食もかなり豊富。ただし、輸入品だから高い。例えばビールでも日本ものにこだわらずアメリカものにするがいい。
「部屋がわからないんです。どうしても違うところに出てしまうんです。」
 旅行会社のラウンジに女性が相談にやってきた。
「これこれこう行けばいけますが。」
「わからないんです。案内してください。」
何をそんなばかな、と私たちは横で聞きながら話していた。
 しかし、しばらくたって気がついた。迷うのである。同じ形、同じ大きさのタワーが二つあって、その間に多目的のホールやフロント、店などがある。タワーにはそれぞれにエレベーターが二台ずつ向かい合って4台ある。さらに、正面玄関らしきところはない。一階の数か所の入り口からエスカレーターか階段を使って2階に上がり、そこからエレベーターで客室に向かう。方向を誤ると別のタワーに行ってしまったり、同じ所に帰ってしまうのだ。
 私自身、最初の日、部屋に帰ろうとして27階に上がったのだが、私たちの部屋がない。どう考えてもわからなかった。あとで、エレベーターを間違えて別のタワーに上がってしまっていたことに気づいたが、あの女性が迷っていたのも無理ないか。

5. 酋長さん大活躍・ポリネシア文化センター
 2日目の午後はオプショナルツァー、ポリネシア文化センターに出かけた。ガイドブックによると、
「ポリネシアとはハワイを含むマーケサス、サモア、フィジー、トンガ、イースター島、タヒチ、ニュージーランドの総称。ポリネシア文化の違いと結びつきを知ることができます。ビュッフェディナーの後には………総勢150人によるハワイで一番大きなイブニングショーが楽しめます。」とある。私たちは、ウオータースポーツやゴルフやショッピングなどのレジャーよりも、人や文化にふれる方が好きだ。
 文化センターはオアフ島の北部、ホノルルから車で1時間あまりの所にある。モルモン教の経営する施設らしい(これはバスの中で聞いた)。クリスマス明けで今日はたいへんにぎわっているという。ショーの終わったあとできるだけ早く出発したいからと、運転手ガイドは会場の出方を丁寧に説明してくれた。
 中の施設を見て回る。それぞれの民族の村が作られていて、それぞれの民族衣装に身を包んだ人たちが何かをしている。料理を作り、道具を作りという具合だ。
 サモアの村ではショーを見る。ここでは酋長がトークショーをしている。「火起こし」「椰子の実割り」の実演を言葉巧みに(英語なので言葉そのものはほとんどわからないが、身振り手振りと話術が巧みなのでだいたいわかる)やっている。見物客はアメリカ人と日本人がほとんどで、少し中国人がいる。酋長はその客筋をきちんとつかんで演じている。思わず引き込まれてしまう。
 トンガの村では太鼓のショーを見た。客席から3人ステージにあげて太鼓を打たせる。日本人も1人おじさんが選ばれた。適当なアドリブでみんなの笑いをかっていたが、英語はさっぱりわかっていないようだった。
「トークはすべて英語ですから、まわりの人に合わせて笑ってください。」
ガイドがそう言っていたが、私を含めて日本人は外国語が駄目だ。
 夜8時から呼び物のイブニングショー。2000人は入るという会場がいっぱいになった。各民族の歌と踊り、太鼓など、いずれも速いテンポで迫力があり、あきることがない。
 最後のサモアは火を使った踊りだった。例の酋長が登場した。松明を投げ上げ受け止め回し、まさにものすごい迫力ある踊りのうちに終了した。
 ホテル帰着は11時を過ぎるくらいにもなったが、なかなか見応えのあるショーであった。

6. 日帰りハワイ島 1
 3日目はハワイ島日帰り旅行(オプション)であった。朝7時40分ホノルル空港発。指定席なしの小さな飛行機で約40分、いくつかの島を下に見て、大きな島が見えたと思ったらハワイ島であった。観光バスで島巡り。ハワイ島の首都はヒロ、面積は岐阜県とほぼ同じ、人口は約13万とバスガイドは説明する。
「これだけの広さの島にたったそれだけしか住んでいない。だから道路もがらがら。もっとも今日は日曜日で、みんな教会に行っているんだけど。皆さん、どう、毎週お寺参りする?」
 しかし、この島の人口が少ないのはそれだけではない、という。いろいろな規制が多いこと、仕事がなく物価が高いことなど、住みにくいわけがいくつかある、と話す。この女性ガイド自身この島に来て10年、3年前に家を建てたが、ローンの支払いがたいへんだという。「こんなガイドだって毎日あればいいんだけど、週に一回位しかないのよ。」
 地震(火山性)や津波が影響しているのだろうか。海岸近くの建築はできない。高層建築は建てられない(7階以上禁止)。しかし、キラウエア火山を観光資源としているのだから皮肉なものだ。
 ハワイの最高峰マウナケア山(4206m)を右に見てバスは走る。山頂には天文台があり、雪も見られるということだが、今年は世界的な温暖化なのか積雪は見られない。道路脇の植物を見ながらプルナウ黒砂海岸に向かう。
 黒砂海岸、本当に真っ黒な砂がキラキラと美しい。海亀が生息する海岸だということで、海岸に上がっている海亀が見られるかと期待したが見られなかった。海岸近くを泳いでいる海亀の姿を見ることはできたが。
 ハワイ島はハワイ諸島の中でもっとも新しくできた島だそうだ。マウナケアは死火山、マウナロア(4168m)は休火山、そして、今日の観光のメーン、キラウエアは活火山で、島ができて百万年くらいしかたっていないそうだ。今でも溶岩が太平洋に進出していることも有名だ。

7. 日帰りハワイ島 2
 まだ新しい島ハワイ島は、生物が繁茂、繁殖するには十分な環境となっていない。マウナロアから黒
砂海岸への道は、それがよく観察できる。ジャングルのように草木に覆われたところから、次第に植物
がまばらになって、まるで砂漠みたいなところをバスは走る。
「ハワイ島には牧場が多く、牛の数は数十万頭、人間よりもはるかに多いのです。このあたりも一帯牧場です。夜は小屋に入るというようなことはありません。放し飼いです。牛たちは、この広い土地の草が生えているところで暮らしています。」
 牛はあまり見えないが、ところどころ緑の草地が見られそれを餌場にしているのだろうと思われる。 黒砂海岸からキラウエアへ。キラウエアは標高1247m、世界でもっとも活発な火山である。その大噴火のようすや、溶岩が海へ流出しているところをテレビで何度か見たことがある。キラウエアの山頂に近づくにつれ、ガスが流れ、硫黄の臭いが感じられるようになった。溶岩の荒野のあちこちから蒸気が立ち上る。キラウエア・クレーターは直径4.5キロ、円形にえぐれた火口の深さ130m、大小幾つもの噴火口も見られる。まさに月面のような壮大な風景だ。他にもいくつかのクレーターを見てまわる。日本の阿蘇よりもずっと規模が大きい。しかし、溶岩の粘りが強いため急な大爆発の心配はないのだそうだ。
 吹き出している蒸気に手を当ててみる。熱い。生きている地球の息吹き、体温が感じられる。
 キラウエアを降りて少し下るとジャングルのようなところに出た。溶岩むき出しのようなところから、こんなにも自然の様子が変わるのだ。赤い花が咲き、シダが生い茂って鳥の声が響く。さっきまでのクレーターや荒野といい、このジャングルといい、まるで映画の一場面にスッポリと入ってしまった気分になる。

8. 日帰りハワイ島 3
 昼食を終え、
「午後は時間的に楽になりました。」
と、ガイドは言う。
 日本庭園(和洋折衷のガーデン)で休憩。写真を撮っていたら近くにいたおじさんが、
「写真を撮りましょう。」
と、声をかけてきた。
「お願いします。」
と、カメラを渡す。
「もっと近寄って、ここはハワイなんだから。」
 坂道に沿った町並み、家屋のほとんどは平屋。学校もずいぶん広い敷地に平屋の校舎が広がっている。これは学校管理もたいへんだな、などと考えているうちにバスはレインボー滝に到着。
「豊富なワイルク川の流れが落ち込む滝つぼには、太陽の光の反射を受けてレインボーが見られることで有名です」とガイドブックにはあるが、虹が見られるのは朝なので、今はレインボー滝とは言い難い。まあ虹はダイヤモンド・ヘッドで見たからいいか。
 ナニマウ植物園。ここはトラム車(観光客用の連結自動車)で見てまわる。
 エビバナ、バナナ、サトウキビ、パパイヤ、タロイモ、ショーガの仲間の花園、アンセリューム、もちろん世話はたいへんだろうが、温室等の設備はいらない。
 植物は見ているだけでもいいが、名前がわかり、少しでも説明を聞くと美しさが増す。恵まれた自然環境をうまく利用して、心和む植物園である。

9. 植物 すばらしい自然
 植物園の植物は確かに美しいのだが、道端に見られる草木、花々が実に美しい。ハワイ島のガイドは植物にかなり詳しかった。
「ハワイ島に初めからあった植物は少ないのですが、この自然環境ですから簡単に育ちます。日本では 生け花用に売ってあるものも、ここでは雑草です。」
 ブーゲンビリア。ブラジルが原産。観賞用として入って来たものだろうが、現在は道端の雑草となっている。
 サトウキビ。島の特産物として多く栽培されたが、採算がとれなくなって今はほとんど作られていない。作られなくなったサトウキビは野性化し、雑草となっている。
 マカデミアナッツ。原産地はオーストラリア。オーストラリア移民によって持ちこまれ、最初は観賞用として育てられた。二十世紀になって本格的に食用として栽培されだした。現在は収穫が間に合わないほどになっているという。
 どの島にも幹から何百もの根(茎?)が地面に垂れ下がっている大木が見られた。バニアンツリーという木だという。これは例の「この木なんの木気になる木」のモンキーポッドとよく似ている。これらの木の下のベンチに腰をおろして暑さを避ける。
 葉のない枝ばかりがニョキニョキと広がる裸の木があった。プルメリアという木だそうだ。これで立派に生きていて花をつけるという。溶岩台地に最初に生えてくる木はオヒカという木。この木に咲く花はレフアの花。オヒカもレフアも人の名。悲しい恋物語があるのだそうだ。ハワイ島の花はこのレフア。ハワイ州の花はハイビスカス(黄)。
 モンキーポッドにポトスが寄生し大きな葉を広げている。

10. ガイド・運転手
 どこの国を旅しても、ガイドの勉強ぶりには感心させられる。それが仕事だからと言えばそうにはちがいないが、通りいっぺんではない、それぞれのガイドに個性がある。ハワイも例外ではない。
 ポリネシア文化センター往復のおじさんガイド・運転手は日本のことにたいへん詳しかった。恐らく毎日日本からのニュースを入手しているのだろう。政治、社会の出来事、芸能界、スポーツなどなんでも知っていた。もちろん本職のオアフ島の案内も詳しかった。
 ハワイ島案内ガイドは、これまでにも少し紹介したが、島の置かれている事情を隠すことなく話してくれた。物価は高い、仕事はない、暮らしにくい島だといいながら、やっぱりこの島に惚れているんだなと思った。
 中でも変わっていたのはハワイ島帰りのホノルル空港からホテルまでの運転手ガイドだった。32年勤めた板場の仕事を、喧嘩でやめて運転手になったという。
「どこか町に出かけたの。ハイアット・リージェンシーの近くには、いろいろ店があるね。ラーメンと ギョウザのうまい店があるよ。日本料理屋の〇〇には悪い女が3人いるね。レシートもらったら調べ てみなきゃあいけないよ。△△ショッピングセンターの貴金属は80パーセントが偽物だ。」
 さらに、おみやげ話にとパイナップルの料理法まで教えてくれた。短時間であったが楽しめた。
 バス運転手もおもしろい。ハワイ島の女性運転手ジュリーは実に陽気なハワイアンだった。よく食べ、よくしゃべり、よく動く。運転しながら一人食べ(バスの中では食べちゃいけなかったはずだが)、1人歌い、すれ違う車に両手で合図を送る。料金所でレンタカーがもたもたしていると、
「早ク行ケ、何デソンナ所デ聞イテイルンダ。案内所ジャナイダロ、バカタレ。」
 ちょっとした短時間のガイドは年配の人が多かった。老人力は日本だけじゃない。ハワイでもしっかりお国の役に立っているのだ。

11. ホノルル動物園
 4日目は町を散策することにした。まずトロリーバスでホノルル動物園に向かう。ワイキキの東端にあり、世界中から四百種近い鳥獣類を集めているという。入園料1人6ドル。園内案内図に従って歩く。ハワイが日本と近い関係にあることは、これらのガイドを見てもわかる。必ずと言っていいほど日本語の説明書がある。
 フラミンゴを見て象を見て、暑くなって来た。そうだ、せっかく暑さよけに1日目に買った帽子をホテルにおいて来た。
 爬虫類の建物があった。トカゲ、ニシキヘビなどがいる。そう言えばハワイ島のガイドはこの島には蛇はいないと言っていた。もともと島にいなかったらしいが、入って来た(海を泳いで来たわけはないから誰かが持ちこんだものと思われる)蛇類を絶滅させたという。どんな方法で絶滅させたのかは聞かなかったが、今なら動物愛護の立場から問題になるのではないか。
 どこの動物園も猿は人気がある。ライオンもトラもキリンもサイもワニも、まあどこにでもある動物園の動物たちだ。ただ、日本の動物園と少し違うのは、飼育施設にあまり手をかけていないことか。広い園内を適当に区切って放し飼いに近い状態にしている。だから、どこにいるのか見ることのできない動物もある。
「子供動物園」のコーナーがあった。子どもたちが動物たちとふれあえるところである。1年生ぐらいの子どもたちが先生の引率で来ていた。なかなか集合できない子、並べない子、手洗いが一人でうまくできない子、とハワイの子どもも同じだ。子ども会かなと思われるグループもあった。
 動物よりも植物がよかった。前述したように植物の生育に適した環境で、さまざまな草木が見られた。いっそのこと「動植物園」として売り出した方がいいのではないか。
 木々に小鳥のさえずりが素敵だ。

12. ショッピング
 パックツァーだと必ずと言っていいほど免税店でのショッピングが組み込まれている。今回はそれがない。ゆっくりできるのはこの日午後しかなかったから、自分たちで店を訪ねてまわる。
 ホテルの近くワイキキの浜辺の通りには店が並んでいるので覗いてまわるが、もう少し大きな店を訪ねてみよう。
 例の「80パーセント偽物貴金属」のショッピングセンターも立ち寄ってみる。「80%OFF」のビラが見える。なんだ、じゃあいいじゃないの、などと妙な感心をする。
 次のショッピングセンターは、有名歌手もよく買い物をするというDショッパーズ。通りには両替所などがあり、「1ドル118円 手数料無料」と書いてある。ホテルでの両替えは122円位なので、ずいぶん有利だ。両替えはしなかったがどんな仕組みになっているのだろうか。ここもぐるりと見てまわるだけ。
 次はAショッピングセンター。ここはちょっと遠いので、トロリーバスで行く。なるほどでかいショッピングセンターだ。ガイドブックによると「世界最大。あらゆる種類の店舗が約200店ある。広さ約6万坪、7600台が停められる駐車場、1日10万人の買物客が訪れる。」とある。食事からみやげ物、貴金属、革製品等々。
 ここで自分自身のみやげを少し買って、食事でもして帰ろうかと思ったが、日本食の弁当屋さんで適当に買い込んでホテルで食べることにした。
 ホテルの部屋のベランダでワイキキのサンセットを見ながら夕食。

13. 食事は
 到着した日のアロハタワー・プレイスでの昼食は各自であった。適当にレストランを見つけ、メニューの中から選ぶ。「……サンド」とあるからまあ食えるだろう。地ビールも頼んで待つ。私たちの席の横が調理場の入口になっていて、皿を持ったウェイターやウェイトレスの出入りが激しい。食事の済んだ皿を持った彼(彼女)らは、調理場のドアを足で蹴って開ける。全員そうだ。しかし、食事を盛った皿を持って出てくるときには手で開ける。
 そんなことを観察しながら待っていると注文の皿が出てきた。サンドもでかいがその上にポテトが山盛りになっている。妻の頼んだスパゲティも皿いっぱいだ。とても食べきれない。3分の2ほどでフォークとナイフを置くと、ウェイトレスが、
「フィニッシュ?」
と言って、皿を持って行ってしまった。アメリカ人はみんなこんなに食べているのだろうか。
 ポリネシア文化センターの夕食は「飲み放題、食い放題です。」とガイドは言った。しかし、文化センターの経営者モルモン教は、厳しい戒律を現在も守っているという。その戒律は「例えば、酒、タバコはいけません。」じゃあ観光客の食事はどうなるの。「もちろんアルコールはいけません。ジュースは飲み放題です。」
 なんだかだまされたような感じだ。食事にジュースを何杯も飲めるわけがない。
 ハワイ島の昼食はバイキング。
「ビールは2ドル60セントくらいですが、チップと合わせて3ドルあげてください。」
とガイド。またバイキングか。皿を持って並んで適当にとっていると、麺のようなものがある。スパゲティかと思ったが、よく見ると素麺だ。麺つゆもねぎもわさびもある。日本人目当ての品だろう。カレーライスもある。我々のグループにも、素麺とカレーが人気商品であった。常夏ハワイの素麺バイキングである。
 なお、ビールはなぜか4ドル取られた。

14. ワイキキ浜辺は眠らない
 私たちのホテルは、ワイキキビーチが一望できる27階である。ここから西に数キロ、海岸は水着姿でいっぱいだ。肌を焼いている女性の姿も、水辺でたわむれている子どもたちも、沖合のサーフィンもみんな見える。観光ヨットもここから出ていて、プープーと昼間は汽笛がうるさい。サーフィン族はは朝からにぎやかい。もっとも波はそれほどではなく、波に乗るという醍醐味はあまりないかも知れない。
 昼間は暑いハワイも、夜中朝方は涼しい。しかし、ビーチは花火を打ち上げ(おもちゃ花火なのだが)それぞれに楽しんでいる。
 ワイキキビーチやその付近の水着姿は本当に自由で楽しく見ることができるが、町に水着姿は見られない。違法行為なのだそうだ。そういえば鳩に餌を与えることも罰金500ドルだとか。繁殖し過ぎないための規制らしい。
 おそらく年中この地はこんな様子なのだろう。これがハワイなのだ。でも、このところの不景気、仕事がないとぼやくハワイ島のガイドもあった。
 日本では芸能人のバカンスのメッカ。確かにそんなところも見られるが、ハワイに住む人たちに焦点を当てれば、別のイメージが浮かび上がる。私たちが見たダイヤモンド・ヘッドの虹はどこへつながったのか。そんなイメージが脳裏をよぎる。
 パールハーバーも訪ねてみたかった。軍事基地ハワイも、島の民族のことも考えてみたかった、日本とのつながりも調べてみたかった。思いを残して今回の旅を終える。

終わりに
 二回のクリスマスを経験した旅の終わり、29日朝五時半ホテル出発。8時20分発のJL81便に乗るには、6時20分までにチェックインしなければならない。朝食は機中食だ。
 搭乗券をみるとシート番号32Aとあり、妻のをみると32Cとなっている。なんだJTBの担当者が間違えているんじゃないか。まあいいじゃないか間の席の人と代わってもらえばいいじゃない。などと話しながら時間待ち。ドル紙幣が少しとコインが残っているから使ってしまおう。
 今回も絵本を2冊買った。「The Night Before Christmas」と、「Elmo's 12 Days of hristmas」といういずれもクリスマスもののようだ。また暇を見てゆっくり訳してみるか。
 搭乗。あれ? 32Bがない。だれかの計らいか、あるいは偶然その席になったのか、私たちはゆったりシートで帰ることになった。いつもはうんざりの機中食も何となくおいしい。
 9時間の飛行の後、関西国際空港着陸は30日の午後1時。行きがけ得したと思っていた時間はここで返した。暑いハワイのクリスマスから、寒い日本の正月へ。また、旅を夢見て足元を見つめ直すか。

 平成11年1月       清水 行人  清水 稔子