このホームページ,2週間の休みをいただいて,今年も旅行を計画した。
退職記念ということもあったので,少しはデラックスにと,4月から新聞広告などを見ながらいろいろ考えた。今回の旅行は「エーゲ海」「ビジネスクラス」というところに魅力があった。
ギリシア神話の世界,ちょっと普通の観光コースとは違った魅力を感じる。また,いつもエコノミークラスで,きゅうくつな思いをしてきた。特にヨーロッパということになると,片道十数時間の飛行機の旅になるので,それだけでくたびれてしまう。もちろん費用はその分かかるが,たまにはいいじゃないか。
旅行会社に申しこんで,予約金も払いこんで一安心していたら,思いがけない私のけが。これは駄目になるんじゃないか。看護婦さん(看護師さんと言うようになったようなんですが,あえて使います)に聞いてみると,
「無理じゃあないですか。大事なところのけがだから,やめたほうがいいと思います。」
ああ,せっかくここまで計画してきたのに,なんとか行かせてよ。
「じゃあ清水さんの代わりに私が奥さんといっしょに行きましょうか。」と看護婦さん。
「だめだよ,それだったら私が看護婦さんといっしょに行く。」と私。
退院が近くなって医師に相談した。
「いいじゃないですか。まだかなり時間があるのだから。大丈夫だと思いますよ。」
ギリシア,高校の世界史の中で勉強した記憶があるが,詳しいことは覚えていない。ギリシア神話とごちゃごちゃになっていて,きちんとしたものとして出てこない。大学の一般教養で勉強した哲学の中にもあったと思うが,もう忘れてしまった。
そうだ,最近では『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル)の中に,ギリシア神話や哲学のことが書いてあった。池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』というのもあった。
県立図書館から『エーゲ海に捧ぐ』を借りて読んでみる。これはエロティシズムの世界で,私が求めていたエーゲ海の風物など全く出てこない。
余計な先入観がないのもいいか。読むより聞くよりこの目で見ること,ふれることだ。夏の暑さはいずこも同じ,テレビはアテネ36度と報じている。
「紺碧の海エーゲ海と世界遺産の旅」の始まりである。
【写真 ポセイドン伝説に彩られたスニオン岬にて】
旅行日程
7.24 11.00 我が家を出発(自家用車)
19.50 関西国際空港発TG775タイ国際航空にて空路バンコクへ
23.20 バンコク着
7.25 00.35 バンコク発TG946タイ国際航空にて空路アテネへ 機中泊
07.05 アテネ着
午前 コリントス ミケーネ
ペロポネソス半島観光 コリントス運河とコリントス遺跡,ミケーネの遺跡
午後 オリンピア オリンピア泊
7.26 午前 世界遺産オリンピアの遺跡観光
古代オリンピックの競技場遺跡 ヘラ神殿
午後 デルフィー デルフィー泊
7.27 午前 「世界のへそ」と称された世界遺産デルフィーの遺跡見学
午後 カランバカ カランバカ泊
7.28 午前 世界遺産メテオラの修道院観光
大メテオラ修道院,聖トリアダ修道院
午後 アテネ アテネ泊
7.29 11.00 クルーズ 白壁が美しいミコノス島へ出発
18.30 ミコノス島到着後自由行動
22.30 トルコノクシャダシへ出港 船中泊
7.30 7.00 エフェソス古代遺跡観光(約3時間)
11.30 パトモス港へ出港
16.00 パトモス港到着 聖ヨハネ修道院 ヨハネ黙示録洞窟(約2時間)
20.00 ロードス島へ出港 船中泊
7.31 7.00 ロードス島到着
ロードス島観光(約4時間)
17.30 クレタ島(イラクリオン)へ出港 船中泊
8. 1 7.00 ミノア文明の遺跡が数多く残るクレタ島(イラクリオン)到着
自由行動
11.30 サントリーニ島へ出港 船中泊
16.30 エーゲ海で最も美しい島だといわれるサントリーニ島到着
サントリーニ島イア村とフィラ観光
20.00 アテネ(ピレウス)へ出港 船中泊
8. 2 7.00 アテネ・ピレウス到着
終日 古代文明遺跡の宝庫アテネ市内観光 世界遺産パルテノン神殿,ア
テネで最も古い神域に立つ ゼウス神殿 アテネ競技場
午後 国立考古学博物館見学 アテネ泊
8. 3 午前 ポセイドン伝説に彩られたスニオン岬観光 空港へ
16.00 アテネ発バンコクへ タイ国際航空TG947 機中泊
8. 4 5.50 バンコク到着
アユタヤ観光
14.00 バンコク発 タイ国際航空TG626
21.30 関西国際空港到着
22:00 関空発 我が家へ
8. 5 2.30 帰宅
1. 関空 バンコク アテネ
12日間の旅行の始まりである。これまでの海外旅行では,自宅と関空までの往復にJRか特急バスを使っていた。今回はそれが使えない(帰りの便がない)。さらに1泊はもったいないし,妻は勤めがあるという。送られてきた資料の中に関空駐車場利用の案内があった。これで行こう。費用計算をしてみても安上がりのようだ。
7月24日午前11時出発。関空集合17時50分だから,1時間の余裕を見ている。聞くところによると,関空まで4時間あれば十分だということだ。吹田からの道が初めてでちょっと時間を取ったが,それにしても5時間はかかったから,4時間というのはどんな走り方をするのだろう。
ちょっと買い物などしてN旅行社の窓口に行くと,もう受付をしていた。
「早速で申し訳ありませんが,帰りのアユタヤ観光はどうなさいますか。」
「どう過ごしようもありませんし,お願いします。」
利用する飛行機がタイ航空なので,こんな観光も組まなければならないのだろう。一人7千円なり。
「空港使用料は自分で買いますか。」
「いえ,旅行費用の中に含まれています。」
なんと楽なことだ。我々は何もしなくていいらしい。
このグループの参加者は11名,4組の夫婦と女友達2人連れ,それに中年男性1名。簡単な説明会があった。添乗員は先ほどまで窓口にいたマツダさん。
荷物の扱いもすべてやってくれる。我々は搭乗券と身の回りの荷物だけを手に飛行機に乗りこんだ。
ビジネスクラスだから,ゆったりめの座席。サービスもエコノミークラスとは違って,飲み物等もたびたびやってくる。しかし,いつも思う。飛行機の食事はどうしてこんなに回数が多いのだろうか。関空からバンコクまでに1回,バンコクからアテネまでに2回。十数時間のうちに3回も出てくる。ずいぶん無駄なことをしているような気がしてならない。世界中に飢えに苦しんでいる人たちがたくさんいるのに。
バンコクで乗り換え。搭乗口がずいぶん離れていて,夜中の移動に汗をかいた。
アテネ着朝7時5分(日本時間13時5分)。
「洗面の時間はありますか。」
「すぐにバスに乗ります。時間を取るとそれだけ後の日程が遅れます。顔を拭く程度にしてください。」
あわててトイレへ。歯磨きだけしてひげそりは座席にて。あわただしいアテネの朝だ。
2. ペロポネソス半島
コリントス運河
アテネの西約80kmのところに,コリントス運河を境にしてある半島がペロポネソス半島だ。そんな名前聞いたことがないと思っていたが,なかなかどうして,紀元前431〜404年には「ペロポネソス戦争」があったと百科事典にも出ているほどで,交通の要地として,貿易だけでなく戦略的にも重要な位置を占めていたのである。さらに,オリンピック発祥の地オリンピアやスパルタ教育で知られているスパルタはこの半島にあると知って「古代文明の故郷」の認識を新たにする。
コリントス運河(写真)は全長6.3km,高さ80m,幅24m,水深8m,渡された橋の上から見るとはるか下の方に緑色の水が見える。1881年から1893年の13年間をかけて建設されたこの運河は,現在も南ギリシアとイオニア海やイタリア方面を結ぶ大切な海のルートとなっている。
二人を入れて写真を撮ってもらおうとするが,歩道の幅が狭くて入らない。記念写真スペースでもあればいいのに。というのは観光客の勝手な言い分か。
それにしても暑い。気温は高くても湿度が低くさらっとしていると聞いていたが,蒸し暑い。そう思っていたらパラパラと雨が降ってきた。近くの土産物屋が路上に出していた絵葉書などを取りこみだす。
「アテネの7・8月の降水量は0だったんじゃないの。」
「こんなのは降水量のうちに入らないのかもしれない。」
先行きちょっと暗い空模様を気にしながらバスに乗る。
コリントスの遺跡
白やピンクのキョウチクトウ並木が続く。古代コリントスは内陸28kmほど入ったところにあった。
この地のガイド(ポストガイド)が,遺跡の説明になると俄然雄弁になった。ここではアポロン神殿が有名なのだそうだ。紀元前6世紀に建てられたもので,ギリシアに残る神殿の中でも最も古いものの一つだという。
この遺跡にはその時代のトイレもある。と言っても板に穴が開けてあるだけのものなのだが,その板が大理石となるとやはりギリシア,下には水が流れていて,立派な水洗トイレである。トイレとトイレとの間隔は狭く,用を足しながら会話を楽しんでいたのかもしれない。このあたりは現在の中国のトイレ事情(旅行記「北京・西安の旅」参照)と似通ったところがある。
「これだけの神殿や建物を造るのに,必要な材料(大理石)はどこから持ってきたのですか。」
「ギリシア全土から集めました。」
それだけの力が為政者にあったということなのだろう。
商店街の遺跡が残っているが,ローマ時代のものだという。ローマ時代のものといえば,ポンペイの遺跡が有名だ(旅行記「窓越しのヨーロッパ」参照)。添乗員のマツダさんも「ポンペイとはくらべものになりませんが」と盛んに口にするが,それぞれに現在に至る事情があったのだから,単純に比較はできまい。
ミケーネの遺跡
車窓にはオリーブとレモン,ピスタチオの畑が続いている。炎天下に草も枯れ,私たちが考える農業などできそうにない。この地の土地は,白っぽい岩石を含む土に覆われている「この地は土地がやせていることで知られている」(平凡社『世界百科事典』9巻【コリントス】)。ギリシアの哲人はこんな風土に育った。潤いのないやせた土壌の環境の中で,彼らは思索するしかなかったのかも知れない。というのは私の勝手な思い。
マツダさんはバスの中ギリシア神話を読んでくれた。それは,父親が娘を殺し,妻が夫を殺し,子が母親を殺す,正に近親殺人の物語であった。まとめて聞けばずいぶん残酷な話だが,ちょっと待てよ,今の日本にも似たようなことがずいぶん多いじゃないか。違うのは現在の日本には,神話も哲学も育っていないこと。
ミケーネの城砦は獅子の門をくぐった丘の上にあった。ミケーネはコリントスから南へ約30km。紀元前16世紀から12世紀ごろまで独自の文明をつくりあげた。
この遺跡は,ドイツの考古学者シュリーマンによって発掘された。この発掘によって神話の世界とされていたことが歴史的事実として認識されたのである。もっとも,シュリーマンが信じていたアガメムノンの墓は,それよりも古い時代のものだということであった。
その円形墓地を下に見ながら,ガイドは頂上の宮殿後を指さしたが,飛行機で寝不足の私たちはそこまでにした。
再びバスに乗り込んで半島西部のオリンピアをめざす。半島の中央部はかなり高い山(最高峰2407m)が連なっていて,その間をぬうように走る。途中イオニア海が見えた。
オリンピアは山間部にある人口1000人ほどの小さな町。さらにその町はずれの森の中に私たちのホテルはあった。
オリンピア
古代ギリシアでは神に奉納するための協議会が各地で行われていたらしい。オリンピアで行われていた競技会もその一つで,神々が住むといわれるオリンポス山にその名を由来するこの町の競技会が,次第にギリシア全土の競技会を統合する祭典となっていったものと思われる。
私たちの泊まったホテルは,町外れの周りに何もない所にあった。しかし,立派なプールがあって,バカンスを楽しむ人たちにはいい施設なのかもしれない。ホテルに売店もなく,部屋に冷蔵庫もない。日本からお茶のボトルを持ってきていたがこの暑さでぬるくなっている。仕方がないから冷房の吹き出し口にボトルを置いて冷やすことにした。飲んでみると結構冷えている。
さて今日は古代オリンピックの遺跡観光である。遺跡はホテルからバスで5分ほどの所にあった。今日のガイドは日本語が全くできないということで,英語の説明をマツダさんが通訳をしてくれる。ギリシアでもアテネ以外の町では,日本語のできるガイドはほとんどいないという。それだけ日本人観光客が少ないということだろう。
ゼウス神殿やヘラ神殿,スタディオン(スタジアム),入場門,ギムナシオン(体育館)などの遺跡をを見て回る。古代オリンピックは紀元前776年に行われたという記録があるらしいが,実際にはそれ以前にも開催されていたらしい。最後の大会は紀元393年の第293回となっている。ほぼ1200年にわたって続けられたのである。
競技参加者・観戦者は男子のみ,また競技会開催の前後3ヶ月は都市間の武力行使は禁止された。古代オリンピックに学ぼうとしてどうしても実現できないのが残念ながら今の世界なのだ。
ヘラ神殿の前に近代オリンピックの聖火採火式を行う祭壇がある(写真私たちのすぐ後ろ)。なんの説明も書いてないので,見過ごしてしまいそうだ。私たちのグループの中にも,勘違いをして別の場所を一生懸命カメラに収めようとしている人がいた。
「違うよ,こっちですよ。」
「えっ,ここですか。」
「変なことしているとヘラさんに叱られるよ。」
ヘラはゼウスの嫉妬深い妻。ギリシア神話の最高の女神である。
博物館見学の後,次の観光地ギリシア中部の町デルフィーへ250kmの旅。
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