3.ギリシア中部
谷間に小さな虹が立つ(デルフィー)
オリンピアを出たバスは,コリンティアコス湾をフェリーで渡って(どの町でフェリーに乗ったのか,どこで降りたのかよく分からない,あとで地図で見たのです)バルカン半島の海岸沿いにデルフィーをめざす。
「日が当たって暑い。」
窓側に座っている妻が言う。バスは広く移動は可能である。
「景色をとるか,涼しさをとるか。眺めのいい方がいいだろう。」
海は青く美しく輝いて,陸には相変わらずオリーブが続く。途中小さなレストランで休憩をとっていよいよデルフィーへ。
「あの向こうに見えるのがデルフィーです。」
山の中腹にひとかたまりの家々が見える。近づくにつれてそのものすごさを感じるようになった。崖に町がくっついている,という感じだ。
ホテルは町の端にあった。今度は夕べと違って通りに面しているので,町を見て歩くこともできる。部屋に入ってベランダに出ると,下は絶壁。何百メートルか下にさらに奥地へと続いている道が見える。白っぽい筋は川だろう。しかし,水は流れていない。谷を挟んで向こうの山の頂上に通信関係の建物がある。
夕食までに少し時間があるので,散歩をすることにした。玄関ロビーに出ると,隣のバーでマツダさんが一人ワインを試していた。昨日は,周りに店もない部屋には冷蔵庫もない(今日のホテルにはあった)でちょっと苦情も出たようだったから,今日は少し余裕があるみたいだ。
夕暮れの町はあまり人通りもなかった。しかし,どの店からも「ハロー」「コンニチハ」のあいさつがかかる。今日まで,日本人旅行者には一人も出会わないが,私たちを見て日本人と分かるところを見ると,年間を通してみればかなりの日本人観光客はあると思うのだが。
結局ひやかしてまわっただけでなにも買わなかった。ホテルの前の雑貨屋で缶ビールとミネラルウォーターを買う。部屋でミニバー(冷蔵庫)の金額を見て驚いた。ほとんど変わらないのである。
「わざわざ買ってこなくてもミニバーのを飲めばよかったんだ。」
これにはグループの人たちみんなが驚いていた。
世界のへそは二つある?(デルフィーの考古遺跡)
明け方雷雨。アポロンの神のご託宣か,ヘラの怒りか。いやいや私たちなにも悪いことはしていません。部屋の冷房は故障のようだったが,自然の風が涼しく気持ちのいい朝を迎えた。
朝,ホテルの外で谷を見ていると,町から谷に薄く虹が立つ。薄いから写真にもとれないだろう。ホテルに帰ってそんな話をしたら,
「なぜ教えてくれないのですか。『虹が出たよう!』って。」
と,友達二人でこの旅行に参加のKさん。
「いや,そんな,それにとても薄かったし,………」
まず博物館へ。さすがにギリシアの考古学遺跡は世界にも知られる存在だけに,どこも博物館を整備し,資料を納めてその価値を世界に示している。ここには「青銅の御者の像」などが収められている。
ここは世界のへそという神話が残る場所である。神ゼウスは世界の中心がどこかを探るため2羽の鷲を放した。その2羽が出会ったのがここだというのである。でもどうして「へそ」の具体物(写真)があるのかは分からない。へその中身はなになのか。
この地ではアポロンの神託が行われていた。「オイディプス王の伝説」などは有名だが,なにか重要な決定をしようというときこれに頼ったという。どこでも同じだなと思う。日本でも卑弥呼はそんな存在だったと思うし,安部の清明もそうだったんじゃないの。しかし,「汝自身を知れ」などというのは実に抽象的で,よく分からないからよかったのじゃないかな。
もっとも神託は完璧な予言をしていたのではない,という。当たらなくても神のお告げ,あとは運命で片付ければいいのだ。
博物館を見てまわっている途中激しい雨の音がしたが,出てみると上がっている。デルフィーの遺跡観光にはさしつかえなさそうだ。ここにはアポロン神殿,古代劇場,競技場などがある。ペロポネソス半島でいくつか見た遺跡と同じような建物なので,ごちゃごちゃになってわけがわからなくなってきた。
遺跡観光をしていると,ここにも「世界のへそ」があるという。なんで二つもあるのと聞くと,これが本物と言われる説はいくつかあるのだそうだ。だからこれも本物。
アポロン神殿を過ぎて,古代劇場まで登る。紀元前4世紀のものだが現在も夏には公演が行われているそうだ。その上の古代スタジアムへは私たちは行かなかった。下のほうに下りて涼しい木陰で,みんなが下りてくるのを待っていた。
カランバカへ
今日も午後は移動。ギリシア本土のほぼ中央に位置するカランバカまで215kmの北上である。
道路の両側に広い畑が広がっている。オリーブもあるが,ジャガイモ,とうもろこし,葉タバコ,麦か牧草かを刈り取った後も見える。南部の様子とはちょっと違うようだ。
途中ものすごい雷雨となった。稲光が走り,雨がたたきつける。冠水している道路もある。今まで流れていなかったと思われる川にも,水が流れている。デルフィーの谷底のあの川にも水が流れているのだろうか。「アテネの7・8月の降水量0」を信じて雨具なんか持ってこなかったのに。
「どこが降水量0なんだよ。」
「神様の怒りかもしれない。」
「なんですかこの雨は,マツダさん。」
「異常気象です。」
そうか,異常気象で片付ければいいわけだ。誰のせいでもない。
カランバカは人口約12,000人,メテオラ観光の拠点である。ホテルから霧に煙るメテオラの岩山が見えた。高いものでは4〜500メートルの断崖に囲まれた奇岩の上に修道院がある。
「どこをどうしてあんなところに登るのだろう。」
「正面から登れるわけないよ。近くまでバスの行く道が裏の方にあるんじゃないの。」
「ガイドブックに書いてあるような百数十段の階段で,登れるはずがないからねえ。」
町のはずれに教会も見える。お祈りに行くのか,黒い服の人が一人坂を上っていった。鐘が聞こえる。
観光地らしく賑やかな通りもある。夕食が終わって降っていた雨も上がったので,二人で出かけた。土産物屋など観光客相手の店が多い。
「寒いから上に着るものを買おう。」
と,妻は衣料品を売っている店をのぞく。その店にはメテオラの修道院を描いた油絵も置いてあった。
「オリジナル。」
と,店のおじさんは言う。高いんじゃないの,と思いながら値段を見るがそれらしい数字が見えない。
「ハウ・マッチ。」
「6ユーロ(720円くらい)。」
なんだ安いじゃないの,と1枚買う。自分自身の土産はこれでいい。例によって水と缶ビールを買ってホテルに戻る。
メテオラの雨傘
メテオラ観光の日は朝から雨。霧雨が強くなったり弱くなったりしていたが,出発のころには本格的な降りになってしまった。マツダさんに聞いてみる。
「雨具準備していないのですが。」
「修道院の近くに売っているでしょう。」
カランバカの町を抜けて,バスは坂を上り始める。修道院が霧の中に見え出した。
メテオラの修道院(修道院群と言った方がいいかもしれない)は,14世紀に戦乱を逃れてこの地に来ていた修行者たちが,修行の場所として建設したのが初めで,最盛期には24の修道院が造られたと言われる。社会との関係を断ち,孤独のうちに修行することを重んじていたギリシア正教の宗教思想が根本にはあるらしい。
そう言えば日本の仏教にも人里はなれて山の中で修行をすることがあった。この旅行,なぜか洋の東西に共通の人の心を感じてしまうことが多いのはなぜだろう。
聖ステファノス修道院に近づいた。雨が止んだので,バスから下りて写真を写すことができる。この写真で見る手前の塀の向こうも修道院の左側も絶壁になっている。
聖トリアダ修道院は内部見学。かなり強い雨なので,どうしようかとバス乗り場近くの土産物店を見ると,折りたたみ傘を売っている。合羽のほうが動きはいいと思うのだが,ないものはしようがない。1本3ユーロ(約360円),どの店でも「カサ,カサ」と日本語で売りこんでくる。「帰ってきたら2ユーロで引き取ってくれ」などと冗談を言いながら買い求め,階段を上り中に入る。
岩山の上の修道院の写真と,「140段の階段を上るのでかなりきつい」などということをガイドブックで見ると,いったいどんなところかと思うが,体力的にはそれほどきつくはない。
高さ565mとガイドブックに出ているのだが,下の方が雨に煙っていて見えない。それだけは怖さを感じないのだろう。
しかし,修道院の宗教壁画は理解が難しかった。骸骨の部屋もあった。この修道院に関係ある人達のものだという。どうして残しているのか詳しいことは分からない。宗教は理解の範疇でないのかもしれない。
メテオラで買った2本の雨傘は,ギリシアを去る最後の日アテネのガイドに1本プレゼントして,1本を持ち帰った。
アテネへ
メテオラ観光の午後は一路アテネへ。
帰りはペロポネソス半島は通らないで,バルカン半島を一気にアテネに向かうのだが,それでも実に370kmをぶっ飛ばすことになる。バスも運転手もギリシアに着いてから同じ車(27人乗り),同じ人。すっかり馴染みになった。添乗員のマツダさんをいれて12名のグループだから,座席はゆったりとしている。
「同じ座席に固定せず,いろんな人と話をするのも大事です。」
とマツダさんが言うのをみんなが適当に聞き入れて,日替わり座席を楽しむ。
ギリシアの自動車道は制限速度が100キロ前後。しかしこのバスは前の車を次々に追い越していくから,それ以上のスピードなのかもしれない。地図の上ではアテネまで直線に近く見える道路だが,実際には坂あり峠ありで,さらに昨日の雷雨がまだ残っている。時々前が見えなくなるくらいの雨の中をひたすらアテネに向かった。
「ギリシアの自動車道の料金は2ユーロくらいです。」
どうしてそんなに安いの。というより日本の自動車道の料金が高すぎるのかもしれない。自動車道そのものに対する考え方が違うのだろうか。料金所もほとんどない。だからスムーズに流れる。おかげで,はじめは6時過ぎるだろうと予想されたアテネ到着は5時半,十分余裕を持ってディバニ・カラベルホテルにチェックインできた。
明日からエーゲ海クルーズが始まる。(以下,第3部へ)
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