4.エーゲ海クルーズ その1
OLYMPIA COUNTESS(オリンピア カウンテス号)
豪華客船オリンピア・カウンテス号はアテネ・ピレウス港に静かに停泊していた。これから4泊5日のエーゲ海クルーズが始まる。私たちの乗るこの船は,約1万7千t,全長163.5mのクルーズ船である。
空港と同じように荷物検査等を受けて乗客の列に並ぶ。タラップを上がっていくと写真を撮っている人がある。船内で売るのだろう。
客室案内をしながら,マツダさんは,
「ランクが少しよくなりました。すごいですよ。もちろん海側です。」
とはしゃいでいる。全員が乗船し終わると,間もなく避難訓練があるというが,とにかく私たちの部屋(VTB 80)に入る。スーツケースを受け取り,救命胴衣の着け方を少し自主練習してまたビーナスデッキ(私たちの部屋の前)に集合。マツダさんの話を聞いていたら避難訓練が始まった。
乗客定員が840名と乗務員350名,1箇所に避難できないので,どのデッキはどのホールへという指示を見ながら集まる。乗船して間がないので,救命胴衣の着け方が分からない人もかなりあったが,着け方については後で指導があった。
それがすんでようやくクルーズについての詳しい説明があった。この船の日本人コーディネーター・キョウコさんが滑らかな(当たり前か)日本語で話してくれた。英語もフランス語も(あと何語があったのか不明)わからない私たちにとっては,日本語で話ができるスタッフがいるというだけで安心できる。日本人乗客は,我々の他に別の8人のグループが一つ,個人参加の2組の夫婦と親子4人の家族,みんなで28人。ギリシアに来てから初めて出会う(なんと5日ぶりですぞ)日本人だ。
説明は,この船のさまざまな施設・設備のこと,食事のこと,下船・観光・乗船のこと,支払いやチップのこと,服装のこと,毎日の情報(新聞),観光地の案内もインフォーメーションディスク(私たちの部屋を出たところです)で日本語版を出しているので読んでほしいことなど多岐に及んだ。
昼食,ダイニングルームにテーブルを予約している(我々のグループは31番と41番)からと,マツダさんの言うとおりに行ったら,ここの利用指定は夕食のみで,あとは自由テーブル。
この船では最終日まで現金の扱いはしない。すべて最終日にトータルして,現金またはカードで行う。これまでチップの払いに頭を悩ましていたから,その点だけはちょっと楽になったような気がする。
上のプールでは,若い人たちが楽しんでいる。甲板では老いも若きも甲羅を干している。欧米の人たちはあまり体形など気にしないようだ。そんな姿を見ていると,「漢方やせ薬」の問題など,日本人のある種の偏見から発生しているような気がしてくる。
【この船の設備あれこれ】覚えているだけで次のようなものがあった。これらを思う存分使うことができれば,クルーズももっと楽しくなるのだろうが,慣れない日本人(いや,私だけかもしれないが)は生活に必要なものしか使えない。
プールとジャグジー サウナ 映画館 美容室 ディスコ カジノ ブティック 写真室 ピアノバー ショーラウンジ 図書コーナー ダイニングルーム カフェベランダ 医療室 売店 免税店などなど
要するにこれは一つの町なのである。乗客・乗務員あわせて1200名の生活する場であって,私たちもそこに住む町民の一人として過ごすことになったのである。
ミコノス島
クルーズ最初の島観光はアテネの南東95kmに位置するミコノス島。真っ青な空,紺碧の海,島の白い建物がエーゲ海を象徴するかのようだ。
午後6時30分より下船開始。停泊地から町まではバスで運ぶが,後は自由行動となっている。
ところで,下船・乗船には一定の手続きが必要である。
まず,施設観光については有料なので事前申しこみが必要なこと。これについては私たちの場合,オプションツァーとなっているクレタ島とサントリーニ島以外は旅行業者の方ですでに予約してあった。
次に,「乗船パス(Boarding Pass)」を乗り降りの際提示してスキャンしなければならない。このパスはパスポートと引き換えにもらっているもので,確かにこの船に乗っている人間だということを証明するものである。したがって,停泊中はこれさえ持っていれば自由に出入りできるわけだ。船にとっても人員確認が正確にできるわけで便利なのだろう。
さて,この島は観光の島といっていいのかもしれない。狭い石畳の路地にたくさんの店がひしめいて,観光客が肩が触れ合うほどに歩いている。ガイドブックにも「迷路のようなミコノス・タウン」とあるくらいだ。事実今回も添乗員が道を間違えたくらいだから。
海岸に沿ってみんなで(日本人客)歩いて行くと,海水浴を楽しんでいる大勢の人たちがあった。中には浜辺でチェスをしている人もある。夕方七時ごろといってもまだ暑い日差しの中だ。ギリシアはサマータイム(−1時間)を採用しているので,日没が遅く感じられる。
しばらく歩くと,風車が見えてきた。よく写真で見る5基(台は6基)の風車だ。なんだかメルヘンの世界のような感じだ。ここで適当に写真を取り,自由行動となった。
「遅くとも7時40分にはバス乗り場に行って,乗船してください。」
こんな迷路みたいなところで大丈夫かなと思ったが,そんなに大きな町ではない。山が後ろに迫った港町である。
「高い方に向かわなかったら大丈夫ですよ。」
店をのぞきながら歩く。タベルナ(ギリシア人の食事をする食堂,観光客相手のものもある),カフェ,土産物屋など見て歩くだけでも楽しい。白い壁に赤いブーゲンビリアが這い上がって路上にアーチを作っている。
海岸に出た。ゴミが落ちているのが気になるが,水は澄んで美しい。魚が泳いでいる。山陰の海もきれいなんだけどなあ。そんなことを思いながら帰路についた。
船の食事(稔子)
私たちの乗った船には,食事をするところが2箇所ありました。その一つダイニングルームは,朝・昼・晩ヨーロッパ(ギリシャ)風の正式な食事が出ます。もう一つのデッキ風のカフェベランダはバイキングで,普通は朝と昼やっていました。
私たちは,朝はバイキングで夜はダイニングで,昼はその日の気分で選んでいました。
さて,ダイニングルームでの夜の食事を紹介しましょう。船の新聞でその夜の服装は指定してあります。たとえば「カジュアル」,「フォーマル」,「ギリシャの国旗の青と白」など。でも,こだわる人もこだわらない人もいました。
テーブルは指定で,私たちは31番のファーストシッティング(2回に分けてある)でした。ですから毎日同じテーブルで同じボーイさんのサービスを受けることになります。食事の量はとにかく多い。
まずドリンクのオーダーがあります。私たちはほとんどワインでした。前菜は,これまた前菜と思えないくらいのボリュームでスモークサーモンの大盛りだったり,ピザだったりとこれだけでもいいほど。次にスープで2種類の中から選ぶ。次サラダ。レタス・トマト・チーズにオリーブオイルをたっぷりかけたものが多い。
いよいよメイン。魚・鶏肉・牛肉などの料理から選ぶのだが,これにポテト料理と野菜料理がついて見ただけで満腹。そのあと甘―いケーキかアイスクリームのデザートが出て,さらにフルーツが出て,さらにコーヒーなどの飲み物が出る。とても食べきれない。隣席の外人をみると結構食べているから,日本人は少食なのかな。
ありがとうおじさん(稔子)
私たちのテーブルのボーイさんは,「ありがとうおじさん」とあだ名で呼んでいました。彼は「ありがとう、ありがとう。」といいながらお皿を配ってくれます。そして下げる時,よく食べた人には飛び切りの「ありがとう」をいい,残したものには「tomorrow
potato」,「明日にポテトを残しておくよ」と冗談を言います。私には「tomorrow fish」「tomorrow beef」です。水をよくおかわりするIさんは,「tomorrow no
water」と言われていました。
この,ボリュームに困ったわたしは,しまいには,メインとデザート抜きのメニューにしました。それでも多い。
この点、バイキングレストランは,まったく自由な雰囲気で,服装もショートパンツやジャージなどラフな雰囲気です。朝は,普通のホテルのバイキングとほぼ同じです。オリーブオイルやチーズ料理にだんだん飽きた私は,パンとゆで卵とフルーツ中心にチョイス。朝焼けを見ながらデッキで食事もいいものでした。
余談ですが,ダイニングテーブルにはもう一人のボーイさんがいたのですが,彼はクレタ島で自由行動をとった私たちに,島の案内をしてくれて,タクシー代も払ってくれました。
ありがとうおじさんも,このおじさんも,日本人好きのいい人たちですね。下船時のアンケートで,ベストスタッフのところにお二人の名前を書いておきました。「ありがとう,おじさんたち。」
トルコ エフェソス遺跡
朝が早い。下船は7時に始まる。午前の観光はすべてそうなっている。
いくら豪華客船といっても船で眠れるかなあ,と少し心配していたが,結構眠れるものだ。エンジンの響きはあるのだが,海は穏やかだし疲れもあるからだろうか,よく眠ってしまう。だから朝は気持ちよく目覚める。
2日目の午前はトルコのクシャダシ港で下りて,エフェソス遺跡の観光である。このクルーズでギリシア以外の国はここだけだ。
「トルコはユーロなの。」
「いえ,トルコはアジアですからユーロ圏ではありません。リラが通貨ですが,トルコはユーロの仲間にしてくれ,と言っているんです。でもユーロ圏の人は,ヨーロッパじゃないから駄目だ,と言うんですね。まあ,そういうことですから,この国ではユーロ歓迎です。」
マツダさんの説明に一安心。
バスに乗るとここでは男性ガイド登場。大学の日本語科を6年かかって卒業したという彼は,
「初めてのガイドです。一生懸命しますからよろしく。父親もガイドをしています。」
と言いながら,ジョークもまじえながらよく分かる日本語でガイドをしてくれた。なんだかやっとガイドらしいガイドに出会った感じだった。
これまでの旅行記でも書いたことだが,自分を語れるガイド,自分の気持ちや考えを話せるガイドは聞いていて気持ちがいい。宗教・政治の話。
〜〜トルコは回教の国。でも,政教分離をしている。これからガイドするどんな山の名前も忘れていいけれど,このことだけは忘れないでほしい。政教分離している,ということ。
回教には断食がある。1か月間日の出から日没まで食べてはいけない。しかし,それ以前・それ以後は冷蔵庫が空になるほど食べる。だから,断食月が終わると,みんな太っている。断食は健康によくない。
回教には1日5回のお祈りがある。でも,若い人たちはだんだんと5回のお祈りや断食はしなくなっている。運転手さんお祈りしてる? 1回だけ。そうだよね。
若者は,宗教として信仰はしているが形式的なことや現実と合わないことからは離れてきている。
政教分離,一夫多妻を廃止するなど政治の大きな改革が行われてきた。とてもよかったのに,今の政治はいけません。デフレがひどい。早く変わってほしいが,なかなか変わらない。〜〜
エフェソスの町は,紀元前1200年ごろのギリシアからの移住が始まりらしい。有名なトロイ戦争はこの移住者と先住民の戦いを象徴化したものではないかと言うことだ。ギリシアからの移住者たちはアルテミス神殿を築き,先住民との融和を図った。その後ローマ時代までこの町は繁栄を極めた。しかし,3世紀ごろ,ゴート族の侵入により,神殿は破壊される。
ここの遺跡にはギリシア各地の遺跡と共通のものが多かった。神殿の柱も,便座も,風呂も,売春宿も。図書館の遺跡があったのには驚いた。文化の高さを感じた。
クサダシに帰ってガイドさん最後のあいさつ。
「みなさん,お元気で,私はがんばります。」
ほんと,がんばって。
日本人経営の絨緞屋さんで買い物をする人もあるが,私たちは町に出る。賑やかな通りに入ると,呼びこみが激しい。ギリシアではなかったことなのに,と思いながら歩いていると小学生くらいの女の子がそばに寄ってきた。萎れかかったバラの花を私に差し出す。なんだろうかと手に取ると,
「マネー,マネー。」
とキスをしてくる。なんだ,花売りと言えばかっこいいが,物乞いじゃないか。
「いらない。」
花を返して離れる。
午後はパトモす島の観光だ。 (第4部は「クルーズその2」です) |