そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

紺碧のエーゲ海クルーズと世界遺産の旅4

5.エーゲ海クルーズその2
パトモス島

 パトモス島スカラ港(写真)に午後3時過ぎ到着。午後と言っても夕方の観光である。
 日本人だけでバス1台を確保することができないので,いろいろな国の人が入り混じった混載観光となる。そうなるとやっぱり英語が強い。ガイドは英語だけ。私たちのグループには英語のできる人がかなりいるのだが,ほとんど分からない人も(私を含めて)ある。マツダさんが通訳ガイドを申し入れたが断られたという。日本人だけを集めて,要所要所で説明をしてもらったが,わからないことが多かった。

 この島は,聖ヨハネがエフェソスにキリストの教えを広めたとして追放され流されたところで,洞窟で暮らしている間に天啓を受けて聖書の黙示録を書いたとされている。その後ヨハネはエフェソスに戻り,そこで没した。
 11世紀の末,聖ヨハネを記念して修道院が建てられた。外から見れば城砦のような建物である。トルコ,イタリア,ギリシアと支配者が次々と代わってきたこの島の歴史を象徴するものなのだろうか。中に入ると円天井やアーケードなど見るところも多く,資料館にはこの修道院の貴重な資料が集められている。
 ヨハネが暮らしたと言われる洞窟には,聖人が頭を休めた場所や執筆をした場所などがあった。
 それにしても暑い。言葉がわからないと余計に暑さを感じる。私たちは早めに外に出て,かげで涼みながらみんなの出てくるのを待った。

 船に帰ってシャワーを浴びようとすると,ノズルの根元が壊れていて水がこぼれてしまう。夕食のときにマツダさんにそのことを言うとすぐに連絡をしてくれたらしい。夕食を終えて部屋に帰ると,もう係りの人が修理に来ていた。
「直りましたか。」
「ニューホース。」
 新しいホースに代えてくれたんだ。さすが,早い早い。

 夜,「ギリシアの夕べ」というショーを見に行く。毎晩このようなショーをしているのだが,私たちは見ないで寝てしまうことが多い。たまには見ようと,ギリシアの民族舞踊などを見た後,甲板で涼む。
「星は見える?」
「少し。」
「船のライトで見にくいわね。」
 北斗七星が船尾に近く,かすかにその姿を表している。
「船はどの方向に進んでいるの。」
「南だ。」

 翌朝,「夕べはスターウォッチングをしました」とIさんとKさんが話していた。
「流れ星を5つも見ました」
 願いが5つもかなうといいですね。

船の施設あれこれ(稔子)
 乗船していろいろな説明がすんで一息,海でも見ようとデッキに上がってみるともうすでにプールは満員。泳いでいる人,椅子の寝そべって思い思いの姿勢で日焼けを楽しんでいる人・・・ほとんど欧米人と思われます。夜も昼も,施設を十分使って楽しんでいる様子がうらやましい。私たちはといえばちょっと遠慮がち,ちょっと不安,慣れてない・・・。マツダさんからは「せっかくだからいろいろな人と交流しましよう」といわれながら,実行できない。そんな中で私が利用した施設を上げてみましょう。

〈売店〉
 船での生活用品を購入。ビーチサンダル(いちいち靴を履くのはめんどう),ネクタイ(フォーマルの日に使う。でも夫は使わなかった),大きなショール(ちょっと寒い時に便利)の3点。売店には下着から歯ブラシまで何でも売っていました。そんなに高くはありません。免税店もあったのですが買いませんでした。

〈ショー〉
 ショーは毎晩2箇所で行われていました。バンド・歌手によるミュージックショーや,マジックショー。楽しかったのは、船のスタッフによる「ギリシャの伝統的な歌と踊り」のショーでした。あまり手を使わずに跳ぶような踊りだったようです。次の日,踊りの兄さんにレストランで会ったので,パンをもらいながら「you dance?」なんて声を掛けてにっこりされると,親しみが増します。
 ダンスとかディスコとか,ピアノバーでの生演奏がありましたが参加しませんでした。

〈図書コーナー〉
「日本語の本があるかな?ないだろうな。」と早速行ってみました。通路のコーナーが書棚になっていて,探してみるとほんの10冊ほど日本の本。色々なジャンルでばらばら。でも本が読めるのは嬉しい。最後の下船のとき,「本の寄贈のお願い」とあったから、日本の本は誰かが置いていったものでしょう。私も関空から買った文庫本を1冊置いてきました。誰か読んでくれるでしょう。

〈ジャグジー〉
 水着は持ってきていました。プールに行く気はなかったけれど,ジャグジーに入りたいと思っていました。
 4日目,私たちはツアーに参加せず自由散策して,少し早く船に帰ったので「今だ」と水着で行ってみると,なんと誰も入ってない。四方から泡に打たれながら「極楽極楽」。部屋はシャワーだけなのですから。「やっぱり日本人はどっぷりつからなくちゃ」と風呂代わりのジャグジーに満足。
 
 控えめな日本人だったけど,それなりに満足。何よりもドクターズオフィスのお世話にならなかったのがよかったと思います。今度クルーズする時は(実はまたしたいと思っている),もう少し交流を楽しみたいな。
 問題は英語ですね。

ロードス島
 昨日の混載観光が英語だけで,我々には少しもわからなかったという反省からか,現地ガイドの説明の後マツダさんが通訳してガイドをしてくれる。わかりにくいところを聞きなおしたりするので,少しタイミングがずれることもあるが,昨日よりずいぶんよくわかるようになった。

 バスはリンドスの村に向かう。リンドスは頂上にアクロポリス(写真)があり,その下に真っ白な家々とモザイクの坂道や石段,たくさんの土産物屋が並んでいる。屋根もない坂道の横に商品を並べて売っている人たちもある。
 この地は,紀元前12世紀ごろドリア人が住み始め,ホメロスの詩にも歌われているカミロス,イアリソスと並ぶ古代の3大都市の一つである。現在イアリソスは遺跡よりも浜辺に人気があり,カミロスは当時の繁栄を伝えるものはあまりないという。

 この日の現地ガイドは,言葉の分かる欧米の人たちに一通りの説明をすると,その人たちに上に上がってみるように指示をして,後は私たちにマツダさんを通じて丁寧に説明し,案内をしてくれた。

 午後は,船はロードス島に停泊したままフリータイム。私たちはロードス・シティを散策する。この街の旧市街はそっくり世界遺産となっている。厚い城壁に囲まれ,中世の姿をそのままに残しているのだ。
 この島にも長い異民族支配の歴史がある。中世後期には,騎士団が実権をにぎり,1523年にはトルコの占領下に,第一次大戦後はイタリア,第二次大戦下はドイツに占領され,ギリシアに帰るのは大戦後1947年のことである。
 この厚さ12mもの城壁が,そんな歴史を物語っているようだ。

 城門をくぐると旧市街。目抜き通り(騎士団通り)に面して土産物屋がずらりと並び,ところどころに噴水や大きな木(ガジュマル?)の繁った広場がある。小さな通りに入ると教会があったり,カフェやタベルナも多い。
 妻はテーブルかけがほしいと店の中に入る。トルコ・クサダシでは客引きが多かったが,ギリシアでは概して商売はおとなしい。私たちはその方が好きなのだが。適当なものを見つけて買う。

 城壁の外に出ると道のすぐ下に浜辺が広がって,海水浴を楽しむ人たちの姿が見える。
 せっかくここまで来たのだから,エーゲ海に触れてみよう。波に足を入れてみる。遺跡のかけらでも落ちていそうな浜辺が,美しく続いている。小さな魚が泳いでいるのも見える。工場などは近くにないようだから,汚れることもないのだろう。エーゲ海の感触を心にしまいながら船に帰る。

 今日は水曜日,船は正装の日である。午後6時30分より「船長主催のガラカクテルパーティー」がある。正装というほどではないが,一応ちょっとちゃんとして出かける。
 入り口で,写真を撮っているのが気になって,すり抜けるようにして入ってしまったら,船長と握手もしなかった。まあいいか。すべて形式だ。
 船長があいさつをして,各国スタッフがちょっと言って,乾杯をして終わり。まだその後しばらくしてショーなどもあったらしいが,私たちは部屋に引き上げた。

 この日,図書コーナーから借りてきていた本が見えなくなった。借りてきていたというか,係りの人がいなかったので,無断で部屋に持ってきて読んでいたのだった。途中まで読んでベッドの上においていたはずなのに,どうしても見えない。

 図書コーナーの中で日本の図書は十冊もないくらいだ。ここの図書はこの船を利用した人が,好意で置いていくものを並べているもの。デッキの一部に本棚を作って国ごとに配架してある。つまり本の数は客の数に比例するというわけ。
 それにしても私が読んでいた本は,部屋中探しても見えないからあきらめた。まあ,黙って借りていたのだからいいだろう,と思っていたらなんと,最後の日に見つかったのである。
 アテネ着のスーツケースを部屋の外に出して,食事をとってから部屋に帰ってみると,本はベッドにおいてあった。どうもベッドの隙間から下に落ちて,救命胴衣の中に落ちこんでしまったのではないか。それを最後のベッドメイクのときに見つけたらしい。私としてはその辺も大分探したはずなのだが。まあよかったよかったと,妻が読み終わった本を添えてコーナーに返しに行った。
 オリンピア カウンテスの怪である。

(次回はクルーズ3の予定)