そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

紺碧のエーゲ海クルーズと世界遺産の旅6

7.アテネ世界遺産の旅
帰ってきたぞピレウスへ
 
4泊のクルーズを終えて,ピレウス港に帰ってきた。朝5時半ごろに起きたときにはもう停船していたから,もっと早く着いていたのだろう。早い朝食を取って7時下船開始。乗船パスはもう返しているので,ここでは特に手続きはないが,私たちにとっては再びパスポートの世界だ。
 トランクはすでに税関ターミナルの方に出しているという。ターミナルで荷物探し。私たちの荷物はアシスタントガイドとマツダさんがもう確保してくれていたが,なかなか見つからないものもある。
 ようやく全部そろって出発。今日は朝からアテネ観光だ。

オリンピック競技場
 私たちはこの旅行の最初のころ,オリンピアを見てきた。古代オリンピックが1200年間にわたって行われたところである。その最後の競技会(第293回)が行われたのがローマ時代の紀元393年。それから1500年のときを経て,クーベルタン男爵の提唱により1896年このアテネで近代オリンピックが始まった。
 そのときの会場がアテネ競技場(パンアテナイ競技場 写真)である。平和のシンボルともいえるオリンピックの会場は是非見ておきたいものである。

【ギリシアの富商アヴェロフが100万ドラクマを寄付し,古代競技場跡に大理石の座席を持つ競技場を新設した。この競技場は約5万人の収容力を有し,1周400mの近代的なものであったが,直線コースの部分が極端に長く,ヘアピンと評された。この大会の競走は現在の逆にまわり,古代オリンピックと同じ右まわりで,太陽崇拝に起原している。この大会でマラソンがはじめて競技種目に加えられた。】(『世界大百科事典』平凡社)

 書いてあるとおり細長い競技場である。これではカーブのまわり方がたいへんだっただろう。大理石の観客席もそのままである。
 この大会でギリシアの優勝はマラソンだけだったが,ギリシアの人たちは大いに熱を上げ,近代オリンピックも毎回ギリシアでしようと主張した。しかし,それを続けるだけの国力は当時のギリシアにはなかった。

 2004年はアテネ大会の年である。21世紀最初のオリンピック大会が再びギリシアで開催される。あちらこちらで競技関係の工事が行われていた。しかし,どんな競技場,どんな施設なのか具体的に見ることはできなかった。そう言えば1997年12月シドニーを訪れたとき(旅行記2参照),2000年の開催をめざして準備が進んでいたのを思い出す。
 オリンピックはどの国にとっても一大事業なのだ。

国立考古学博物館
 
各地の遺跡観光にあわせて多くの博物館も見てきた。しかし,ここの博物館には,クレタ島をのぞくギリシア全土の出土品が収められている。ギリシア遺跡の博物館というより世界遺跡の博物館なのかも知れない。

 男性の像が多い。その理想像の移り変わりは,時代の美意識の変化に伴うものなのだろうと考えながら見る。説明がよくわからないから自分なりの考えも入れてみると,形式から写実へという美術の流れを感じる。
 墓碑を集めている部屋もあった。亡くなった人の表情,衣(ころも)のひだまでよく表現している。大理石が細工しやすいということもあろうが,紀元前から,この地の人々の美的な理解力,表現力の素晴らしさを物語っているといえよう。

「馬に乗る少年」のブロンズ像(写真)があった。1928年エヴィア島アルテミシオンの海底から,ポセイドンのブロンズ像などといっしょに偶然発見されたものだそうだ。秘教の地エレフシスの神殿にあったものだという。その躍動感に驚く。

 その他,生活を表しているもの,スポーツをしているもの,戦の様子など実に多くの出土品が展示されていた。ゆっくり見てまわるには時間がなく,また疲れていて十分鑑賞する余裕もなかった。

アクロポリス遺跡
 
アクロポリスは「丘の上の都市」の意味である。古代には神殿が建てられた聖域,さらに都市国家の要塞としての役割も果たしていた。
 紀元前483年完成のパルテノン神殿は,巨大な都市国家ポリスとして成長したアテネの権威を世界に知らしめるために建てられたのだそうだ。
 処女の部屋という意味のパルテノン神殿は,計46本ある大理石の円柱の均整のとれた建物として有名である。その美しさはヨーロッパ建築の美の源泉となり,ローマのパンテオン,パリのマドレーヌ聖堂,ロンドンの大英博物館などいずれもパルテノン神殿に倣ったものといわれる。

 ギリシアの遺跡を代表するアクロポリスには多くの観光客が来ていた。私たちがアテネにいない間に少し雨があったということだった(アテネではたいへん珍しいことで,中部地方では被害も出ているとガイドは言っていた)が,それも晴れて雲一つない青空に神殿が輝いている。
 神殿の内部は修復作業中であった。ギリシアは遺跡だらけだから,その修復もたいへんなことだろう。もちろんそれはギリシア一国でできるものではなく,多くの国のさまざまな面からの援助を必要とするであろう。

 この日の観光を終えてホテルに入る。アテネのホテルは,クルーズ前に泊まったところと同じディバニ・カラベルホテル,5つ星である。
 夕食までは自由時間で,市内散策をするよう地図を見ながら説明を受けたが,ちょっとその元気がない。ホテルのまわりを歩いてみたが何もないので引き上げて休憩。市内へ出たのは一組だけだったとか。
 船の振動のない部屋で,久しぶりに眠った。

スニオン岬
 
ギリシア最終日である。この日はポセイドン神殿のスニオン岬を観光して,空港に向かう。
 ポセイドンはゼウスの兄。海と河川,泉の神,地震の神でもあるという。三叉の鋒をいつも手にしていて起こりっぽい,とある。ギリシア,トルコのあたりは地震が多い,よほどポセイドンの機嫌が悪いのだろう。

 紀元前444年に建てられたというポセイドン神殿のあるスニオン岬は,アテネからアッティカ半島を車で海岸線に沿って走って2時間のところにある。この海岸線をアポロコーストといって夏の海水浴シーズンは,アテネの人々の避暑地になるという。サロニコス湾に面したいくつかの町を過ぎて,エーゲ海を望む岬の突端に出た。

 スニオン岬といえば「夕日」なのだそうだが,午前中の観光なのでそれはない。ポセイドン神殿の16本の白い大理石の柱は,真夏の青空のもとすっくと立っている。
 遺跡のまわりをまわって,途中日陰で休憩。港にはヨットが見える。紺碧のエーゲ海は今日も静かだ。

 アテネに帰って空港へ向かう。搭乗手続きはすべてガイドやマツダさんがしてくれるのだが,アテネ空港の出国審査が厳しく,時間がなくなってしまった。私たちは特に問題なく通してくれるのだが,ビザの必要な国の人たちの審査が時間を取っている。ユーロ圏の人たちにはその逆でなにもない。ゆっくりと残ったユーロを使おうと思っていたのにそんな時間がない。
 あわただしいギリシアとのお別れだ。

グループ 11+1 (稔子)
 
最後になりましたが,もう一つ書いておかなければならないことがありました。グループのメンバーです。でも,これはある程度旅が進まなければわかりませんでした。名前以外のことを教えてもらうことも,紹介しあうこともなかったからです。

 4組の夫婦・1組の女性ペア・一人の中年男性と添乗員のマツダさん,見知らぬもの同士の旅でした。
 最小10名最高20名の募集でしたから,やっと成立したことになります。実は5月夫が怪我をしたので,少しでも後のほうが良いと8月下旬に変更を希望したのですが,飛行機が取れないとかなんとか,結局変更できませんでした。何の事はない私たちが抜けると旅行の成立が危うかったのでしょう。マツダさんの話を聞いていても,旅行会社もなかなか大変なようです。

 ところで,マツダさんは「みなさんのこと,名前と電話番号しかもらっていないので何も知らないのですよ。」と言っていました。そんなはずはないと思うのですが「お互いに詮索しないほうがいいですよ」ということなのでしょう。立ち入った話を聞くでもなく,それでも少しずつ名前を覚え,個性が見え,親しくなります。皆さん旅なれた方ばかりで付き合い方もスマートでした。

 私なりに見た仲間の紹介をしておきます。間違っていたら私の観察眼のなさとお許しください。

【私たちより少し年輩のO夫妻】
 とてもお元気で、グループでいちばん元気だったかもしれない。世界のあちこちを旅行しておられるようで,評価も手厳しい。おしゃれも楽しんでいいなあ。私たちもあと10年見習いたいなあ。

 【ベストドレッサーのY夫妻】
 毎日素敵な洋服に変えられる奥様。私なんか荷物を減らすことばかり考えて,夜は洗濯をして着まわしていた。よく乾くので助かったけれど。海外旅行も年3回とか。それも「田舎は嫌い」「肉は食べない」と好みもはっきりしている。学んだことは,彼女の洋服はかさばらない。さすが達人。

 【思いやり夫婦のK夫妻】
 ご夫婦仲がいいのはもちろんのこと,周りにさりげなく気配りをしておられたなあ。一人参加の男性にも,添乗員さんにも。話し上手,聞き上手。いい人。今は夫婦住まいで気楽に旅行が出来るようになったとか。子供が家を出て夫婦だけになったとき,どう楽しむかですよね。

 【女性友達ペアー】
 50歳前後の(ずっと若く見えたけど)おふたり。前の職場の同僚。時々二人で旅行をするのは、二人の価値観が同じからだそうです。買い物はしない,もう一つ何だっけ?船では夜デッキで毛布に包まって流れ星を見ていたとか。5つ流れたそうです。女同士もいいなあ。なかなか難しいものですよ。夫の現職時,わたしは暇でいろいろ誘ったけど出来なかった。

 【ひとり旅おじさんAさん】
 一人参加の男性。スーツを着て颯爽とした紳士。日がたつにしたがってみんなの心配の的。何よりも買い物好き。ユーロに沢山替えておられて使えないほどとか。トルコのじゅうたんとか,アテネの貴金属とか・・サントリーニ島ではワインを12本も買って移動が大変。財布を後ろズボンのポケットに入れて,危ない危ない。語り尽くせない紳士でした。でも,あれでみんなのパイプ役だったかもしれない。

あとがき
 
12日間という,私たちにとっては長い海外旅行でした。そのうち,10日間をギリシアで過ごしたことになります。
 さらにそのうちの4泊4日はエーゲ海クルーズでした。初めての経験で,素晴らしい思い出になりました。見てまわった島のそれぞれが,歴史を大切にし,資源(観光を含めて)
を大切にして私たちを迎えてくれました。
 ギリシアは神話の国,世界遺産の国。正にそのとおりでした。私たちが見たのはペロポネソス半島とアテネ周辺,中部のデルフィーとメテオラ,それにエーゲ海の島々でしたが,日本やアジアとは異なる,ほんとうに目を見張るような自然,遺跡,暮らしを目にすることができました。
 この旅行記に表すことができたのは,それらの中のほんの一部でしかありません。もっともっとたくさんのものを見ましたし,感じもしました。忘れないうちに書き綴ったつもりですが,人間の(いや,私の)記憶ってあてになりませんね。思い出すために,また,正確を期すために『地球の歩き方43ギリシアとエーゲ海&キプロス』(ダイヤモンド社),『世界大百科事典』(平凡社)オリンピア・カウンテス号でもらった資料などを参考にしました。でも,やっぱり間違っているところがあるかもしれません。そのときはご容赦を。
 百聞は一見に如かず,ほんとうにその通りですね。そのためにはまた行かなくてはね。

 なお,今回はタイのアユタヤ観光もありましたが,この旅行記からは除きました。「紺碧のエーゲ海クルーズと世界遺産の旅」から外れるものだったからです。この点については,旅行会社にも考えてほしいものです。異質な観光をいっしょにするのは利口なやり方ではありません。一つの筋,目的を持ってほしいものです。

 いい仲間たちといい添乗員さん,アテネの運転手さん,トルコのガイドさん,船のボーイさん,キョウコさん,その他多くの私たちを支えてくださった人たち,おかげで今年もいい旅行ができました。
 エフファリストー(ありがとう)