そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

旅行記2『オーストラリアに咲く花は』

4.アボリジニ

 私は、オーストラリアに行くまでアボリジニの存在を知らなかった。でも、それは私だけのことではなく、それを知らない人は多いのかもしれない。部落差別、人種差別などの問題を話す機会は多いが、オーストラリアのことは聞いたことがないからだ。

 ガイドからしきりにアボリジニの話が出てくるのだが、原住民らしいくらいの感覚で聞いていた。1770年にジェームス・クック(キャプテン・クック)によって「発見」されたこの地ではあるが、原住民がいても不思議はなかろう。

 多くのみやげ物屋でアボリジニ美術がみやげ物として売られていた。もちろん、考古的・歴史的な美術的価値を持つものではなく、現在もアボリジニによって作られているものをみやげ物にしているのだ。それは、鰐や蜥蜴、鳥を点描、線描で平面的に表現したもので、原始的な魅力を持つものであった。みやげ物屋の店員に少し話を聞く。
「アボリジニはどんな人たちなのですか。どこに住んでいるのですか。」
「日本で言えば、ちょうどアイヌと同じような先住民族です。現在は、ある地域に居住地を定められて、 美術の仕事をしている人たちが多くいます。でも、生活保護を受けて生活をしている人たちもいます。浮浪者の人たちもいます。」

 そうか。多くの民族の移民によって成り立っていると言われるこのオーストラリアにも、民族の問題はあるのか。美術館では、アボリジニの美術をかなり理解しているように見えたし、博物館でも18世紀末から始まった植民地としての開拓が、原住民との融和を図りながら行われたように説明していた (英語の説明なので、詳細は不明)が、歴史的に問題はありそうだ。そう思ったのだった。

 アボリジニは約5万年前、オーストラリア、ニューギニア、タスマニアが一つの島を形成していたと思われるころ、この地に渡来した、と推定されている。それ以来18世紀まで、他の文明と大きなかかわりを持つことなくその生活を保ってきた原住民族である。そして、5万年のときを経て、突然にやってきた「開拓者(侵略者)」にその生活を奪われた人たちということもできるような気がする。


 アボリジニの人口は、総人口の1パーセント強なので、アボリジニと他のオーストラリア人の格差 は歴然としている。もちろんその背景には、根強い社会的差別や偏見と侵略者の社会で生きるハンディキャップがある。白人たちが描いてきた平等な社会という理想が現実のものとなるには、アボリジニ問題をまず解決する必要があろう。それには、200年にわたる白人の合法的犯罪の歴史を清算することも忘れてはならない。
    (藤川隆男著「オーストラリア歴史の旅」―最後のタスマニア人―)