そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

旅行記5『赤い土・赤い水』
(アンコールワットの旅)
1.最小催行人数

 今年もまた旅行の虫が騒ぎ出した。最近はほとんど年1回海外に出かけるようにしている。
 1996・12〜97・1 ヨーロッパ・ローマ、ロンドン、パリ
 1997年12月 オーストラリア・シドニー
 1998年12月 ハワイ
 1999年 8月 中国・西安、北京

 いつも夏休み前くらいから計画を立てる。夏休みが無理なら冬休みに計画する。96年からのものは12月が多いが、冬休みに実施する方が学校勤めの我々から考えるとしやすい現実からである。今年は妻が退職したので、日にちを選ぶのは1人分の心配をすればよいわけだが、その1人もなかなか難しい。結局多少の無理はしなければ「どこにも行けません」ということになる。どの辺で折り合いをつけるかだ。

 新聞広告には毎日のように海外旅行が入る。いつごろどんな旅行ができるかという目安はこれで立てられる。2人で検討した結果インドが第1候補地となった。早速申し込む。今の勤めからは5・6日の旅行が精一杯というところで、そのぎりぎりの範囲を考える。職員にも「今年はインド」と話し、その積りでいた。ところがしばらくして、「最小催行人数になりませんので実施しません」との連絡が入る。そう言えば「最小催行人数8名」とあった。もう夏休みに入っていて、ビザを取ったりする手間を考えれば海外は難しいかもしれないと、第2候補に北海道旅行を考え、申し込んだ。ところがなんと、これも人数不足(最小催行人数14名)だったのだ。8月5日ごろに最終決定をするから待ってほしい、というのをキャンセルして、「アンコールワット5日間の旅」となった。これにも人数の枠はある。「最小催行人数2名」これなら2人で申し込めば間違いない。もちろん人数だけを旅行の条件に考えているのではない。カンボジアという最近まで内戦のあった国の今の様子、人々の様子、アンコール遺跡の姿が大きな魅力であった。

 かくして「アンコールワットの旅」が始まった。