そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

旅行記5『赤い土・赤い水』
(アンコールワットの旅)
8.アンコール遺跡2

 アンコール遺跡は、シェムリアップだけで200もあり、とてもその全てを見ることはできない遺跡群である。私達が2日間かけてみたのは11に過ぎなかった。その中の1つにアンコール・ワットがあり、アンコール・トムがある。

 アンコール・トムは、クメール語で「大きな都市」を意味する。つまり当時の都城だったのである。従って、これは一つの遺跡とは言えないのかもしれない。クメール王国最盛期の12世紀末から13世紀初めにかけて、ジャヤヴァルマン7世が築いたといわれるこの建造物群は周囲を濠に囲まれている。車が1台通れるくらいの狭い門をくぐる。寺院は普通東西南北四ヵ所の門を持つ。そして、中には王宮や寺院など80もの建造物があるという。一辺約3キロの正方形の壮大な都城である。

 アンコール・ワット、アンコール・トムをはじめ、遺跡は寺院が多かった。これは、クメール王朝が仏教やヒンドゥー教を大切にしていた、政治の中心にしていたことの表れだろう。日本だって仏教中心の政治だった時代があるのだから不思議はない。

 寺院以外に療養所や葬儀場の遺跡もあった。 
 濠が建物の周りを囲んでいるのは、日本の城の造り方と同じ意味を持つのだろうか。魚も泳いでいる。
「アンコールワットの濠の水はどこから来ていますか。」
とたずねたら、
「雨水です。今は雨季(5〜10月)ですから水がたくさんありますが、乾季(11〜4月)には乾いてしまう濠もあります。」
 魚はどうするのかなあ、などと考えてしまう。

 クメールがこれらの寺院、王宮などを放棄して約400年、高温多湿・多雨のこの地方の気候はこれらの建造物を次第に破壊していった。砂岩を雨水に溶けやすくするバクテリアが繁殖して、傷みが急速に進んでいることも最近の調査で分かってきたという。

 長い戦争状態も遺跡を荒廃させた。銃弾を受けている遺跡もあった。
 修復が急がれるが、カンボジアには現在その力はない。日本、フランスなど世界各国が、修復・保存に当たっているという。どこまでできるか。
 日本が修復作業をしているところを何ヵ所か目にすることもできた。

 帰国してつい先日の新聞には、「クメール陶器窯跡を発掘」という見出しで、奈良国立文化財研究所が、アンコール遺跡群の発掘調査を行っているとの記事が出ていた。まだまだ新たなものも発見されそうだ。