12.シンガポール 1
シンガポール最終日は蘭植物園の観光に始まった。
車で向かう途中サニーさんとまた談義(というほどではないのだが、話し合いというのでもなく、もちろん説明でもなく、いったいどう言ったらいいのだろう)。
「シンガポールではどこの国の言葉を使っている
のですか。」
「英語が公用語です。でも中国語、マレー語など、多民族国家ですからみんな認
めていかなければなりません。民族による差別、そんなことはこの国では言っ
ていられません。」
このころ教科書、靖国問題で中国・韓国とギクシャクしている日本を暗に指摘しているのかもしれない。
植物園はやはり洋蘭中心のものであるが、クアラルンプールのものに比べるとずっと植物園らしく見せる設備になっている。ここには50万株の植物が植えられているそうだ。オンシ、デンファレ等々日本では「高値(?)」の花が惜し気もなく並べられている。シンガポールの国花は「バンダ」なのだそうだ。
シンガポールの南端マウントフェーバーに向かいながら、またもサニーさんと談義。今度は教育問題になった。
「日本の教育はどうなんですか。」
「そう、いろんな問題が出てきています。」
彼が私たちを教員と知っていて言い出したのかどうかがわからないから、当たらず触らずの返事をする。
「あれではいけないと思いますよ。日本の教育は駄目になってしまう。教えるこ
とは教え、学ぶことは学ぶという姿勢が変わってしまった。なんでも自由で
は教育が駄目になる。」
「そうですね。校内暴力とかいじめなどさまざまな問題がある。シンガポールで
はどうですか。」
「シンガポールは教育を大切にしています。これからのシンガポールがかかって
いますから。お金になることと教育です、国が力を入れるのは。福祉なんか
には力を入れない。」と言いながら、「しかし」と話を続ける。
「シンガポールと日本は教育制度が違っています。この国では10才で進路が決
まってしまいます。」
そこから問題が起こってきた。彼の問題提起はそこにあるようだ。
「ここに新聞を持ってきています。10才の子どもが自殺をした、という悲しい
事です。」
「日本と同じような現象が起こってきだしたのですね。ところで、不登校とか登
校拒否はどうですか。」
彼はその言葉がわからなかったようだ。「保護者が学校に行かせない」と思ったらしかった。私たちが実は私たちは教員なのですが、と断って「本人が登校しない、拒否している」と説明すると、
「それはない。そんなことがあれば保護者が罰せられます。シンガポールではほ
とんど考えられないことです。我が家には2年生と3年生の子がいますがそん
なことを言い出し
たらたいへんです。」
「それはいいことです。ぜひ日本のような失敗をしないでください。」
マウント・フェーバーに着く。インドネシアがすぐそこにある。
「領海が入り混じっていて、漁業ができません。」
土産物屋ではミネラルウォーターを1本だけ買って次の観光地へ。
またまたサニーさんが話し出した。
「さっき我が家の2年生の子から電話がありました。先生から出された課題のノ
ートが見えないので学校を休もうと思う、と言うのです。」
「やあ、それはたいへんだ。」
「そんなばかな、学校に行きなさい、と言ってやりました。」 |