そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

旅行記6『輝きは驟雨(スコール)の後に』(マレー半島の旅)

7.マラッカへ

 クアラルンプールの観光を終えて、マラッカに向かう。
 21日朝、9時出発。今回の旅行はずいぶんゆったりしている。朝、4時、5時起きがよくあるものだが、それがない。「熟年旅行」のためか。ガイドはマークさん。日替わりのガイドでその点がちょっと不満。
 途中クアラルンプールでもう1ヵ所残っていたオーキッドファーム蘭植物園を観光する。洋蘭がいっぱいだ。日本で2000円、5000円するものがあたり一面である。販売所もある。私たちはもちろん持ち帰ることができないが、値段の安いこと。日本円にして300円くらいのものもある。業者はこんなのをもっと安く買い、大量に輸入して売るのだろう。
 マラッカに向かう道路の横には油椰子の畑が広がる。椰子油が洗剤の原料になる。飛行機から見えたのも油椰子の畑だった。かなり近づいたところでトイレ休憩。ガイドがゴムの木について説明を始めた。日本で普通に言っているゴムの木は鑑賞用のもので、ゴムを採取する木は葉が小さく、背が高い。実際にナイフで傷をつけて、白い液の出るところを見せる。
 マラッカ到着。東南アジアを旅した詩人に金子光晴がいることを私は知っていた。彼はマラッカも訪れていたはずだ。今度の旅行を終えて、もう一度彼の詩集を読んでみた。県立図書館より「金子光晴全集第2巻」(中央公論社)を取り寄せ、改めて読んでみる。
 少し金子光晴について書かせていただきたい。彼は世界を歩き回った詩人である。昭和四年から昭和9年の間、彼は東南アジアを放浪、多くの詩を書いている。この戦時期にこのような詩を発表でき、詩集を出せたことは不思議としか言いようがない。
 私は、大学のサークル活動文芸部で彼の作品を知った。この探求的かつ耽美的な、しかもキラキラと輝いた作品の世界をなんとか理解したいと思った。そんな30年も前の思い出が今ちらっと浮かんでくる。

 ところどころ染があり、燒穴のあいた古い製圖のうへに烏口をついて、私を
 芯にマラッカ港の眺望をくるりと劃る。
 穹窿の砥は、淡みどりに灼けて一本の毛すぢのやうな罅が入る。正午、雲翳
 なく、輕氣球があがる。
 防波堤の椰子。
 セメントでかこった海のガラス屑。
       (金子光晴詩集『女たちへのエレジー』「馬拉加」より)

 金子光晴の詩の言葉は難しく、漢和辞典を片手に読まねばわからないことも多いが、この詩の乾いたイメージを感じていただきたい。私も改めて彼の詩を読みながら、彼のボリュームのものすごさに圧倒されている。